エイプリルフールのイタズラゴコロ、加筆修正版。
四月馬鹿の悪戯心と対になっているお話。
正直、処女作にこんなに人気があるとは思っていませんでした。
あれか、すずかの件が良いのか?








 始まりは、フェイトの何気ない一言からだった。




 「ねぇアリサ、エイプリルフールってなに?」
  フェイトが、日本人離れした赤茶色のパッチリと開いた瞳をこちらに向けて、あたしに尋ねてきた。
  季節は春。もっと具体的に言えば、三月三〇日。
  あたしとフェイトは、すずかと一緒にはやてのお見舞いに来ていた。お見舞いと言っても、はやてはもう退院直前。冬くらいは一時危なかったらしいけど、もうなんの心配もいらないらしい。だからお見舞いというのは建前で、実際には4人でおしゃべりをするために集まっただけのこと。本当はなのはも一緒に来る予定だったんだけど、なんでも魔法関係の急なお仕事で来れなくなってしまったのだ。あたしにはその辺のことはよく分からないけど、これからはフェイトもはやてももっと忙しくなって、こういうことが増えるらしい。
  これは余談だけど、なのはが来れないと分かったときの、フェイトの落胆ぷりったら、それはもうひどかった。まったく、いちゃいちゃするのは勝手だけど、あんまり人目につかないところでやってほしいわ。
  っと、そんなことはどうでもいいか。
  あたしはフェイトの方に向き直した。
  このお嬢さん、日本語はとっても上手いのに、日本の文化にはまだ疎かったりする。本人曰く『本とか読んで勉強している』らしいけど、この子は生真面目だから、額面通りに捕らえすぎてどこかずれた認識をしていることもしょっちゅうだ。
 「エイプリルフール? フェイト、それどこで知ったの?」
  しかし、まさかフェイトの口からエイプリルフールなんて行事(?)がでてくるとは思わなかった。これ、今年もあるよ〜、って言いまわされるような行事(?)でもないし、ましてニュースで何か言われたり、本に書かれる行事でもない。そもそも、そんな正式な行事と扱っていいかどうかも怪しいもんだ。
 「えっとね、学校で、誰かが言ってたのを聞いたの。そんな行事もあるのかな、って思って調べたんだけど、この本にも載ってなくて」
  そう言いながら、フェイトは手持ちの手提げ鞄からなにやら分厚い本を取り出した。その本の表紙に『決定! これが日本の伝統文化だ!』とかなんだか微妙なタイトルが書いてあったけど、あたしはそこにはあえて触れないことにする。
 「そりゃ、そういう本には載ってないでしょうね」
  エイプリル・フールなんてものについて詳しく書いてある本があったら、あたしが読んでみたいもんだわ。
 「で、アリサ。それってどんな行事なの?」
  フェイトが、くりくりした瞳であたしを覗き込んできた。うわ、可愛い。お人形みたいな女の子、というのはきっとこういう子のことを言うんだろうな。ちょっとぬけているところもあるけれど、これで性格も最高に良いんだから、そりゃ、クラスどころか学年中の男子にモテるのも当然だわ。何と言うか、女の子の在るべき理想の形の一つだと思う。同じ女の子として、なんだか、ちょっと悔しい。
 「それはね……」
  そこで、あたしは思いついてしまった。魔がさした、とでも言えばいいのか。
  なんとなく、天使みたく純粋無垢で可愛らしいこの女の子に、悪戯してみたくなった。
  理由はない。ただなんとなく、いじめてみたくなったのだ。
 「それは?」
 「…………一番好きな人に、嘘でもいいからすっごい告白をして驚かせる日よ。」
 「え、ええ!?」
  フェイトは、それはもう飛び跳ねんばかりに驚いてくれた。きっと、と言うか間違いなく、フェイトが驚いたのは『誰かを騙すこと』ではなく、もうひとつの件。
  あっという間に顔が真っ赤になって、口をパクパクさせながら
 「ああああ、アリサ、それって本当?」
  かなりキョドりながら、聞き返してきた。
  すでにこれ自体が嘘なんだけど、どうやらフェイトは本気で信じてしまったご様子。
 「うん、そうよ」
  正直、こんなに簡単に騙せるとは思わなかった。
  嘘を信じさせるには何割か真実を混ぜればいい、とは言うけれど、この子は人を信じすぎじゃないだろうか。もう少し、人を疑うことを知った方がいいんじゃないかと時々心配になる。
  ま、そんなに馬鹿な子ってわけでもないし、その方が悪戯できて楽しいからいいんだけど。
  そこで、あたしはフェイトとはまた別の視線を感じた。
  視線の主たちは、なにやら言いたいことがありそうなすずかと、それとは対照的にニヤニヤ笑っているはやてだった。
 「アリサちゃん、そんな嘘ついちゃ駄目でしょ」
  たしなめるような口調で、でも声はフェイトには聞こえないような小さな声だった。もっとも、今のフェイトは顔を真っ赤にして自分の世界に没頭してしまっているので、そんな小さな声じゃなくても、あたしたちの声が聞こえるかどうかあやしいものだけど。
 「いいじゃない。別に死ぬわけでもないし。ねぇ、はやて」
  あたしははやてに同意を求めた。
 「せやで、すずかちゃん。こんな可愛ええフェイトちゃんが見れたんやから、私としては御の字や。それに、どうせフェイトちゃんとなのはちゃんはラブラブなんやし、ちょっとくらい悪戯してもええやろ」
 「うう、そうだけど……」
  やっぱり、はやても同意見だった。あたしの読みは大当たりね。
  多数決で二対一。これで、すずかもあたしたちに同意せざるをえなくなった。それに、
 「それに、すずかも実は楽しんでるでしょ?」
  数泊の間を置いてから、
 「……分かる?」
 「分かるわよ。何年の付き合いだと思ってるのよ」
  あたしたちはお互いにささやきあいながら、フェイトの方を見た。
  フェイトは相変わらず顔を真っ赤にして、なにかぶつぶつ呟いている。多分、頭の中はあの子のことでいっぱいになっているんだろう。まったく、妬けるわね。
 「さて、今度はどないなことをしでかしてくれるんやろうね」
  まったくだ。
  普段は割と冷静で落ち着いているのに、この子は時々、特になのはのことになると我を失う。
  ま、それが分かってるから、からかいたくなるんだけどさ。
  ……それにしてもフェイト、こんな調子で今日はちゃんと家まで帰れるのかしら。  








        ※








 「じゃあね、はやて」
  アリサちゃんの元気な声を最後に、病室の扉が閉じられた。病室に残っているのは、この部屋の今の主である私、八神はやてだけ。みんなが病室を出ていった後、私はしばらくの間、みんなが出て行った病室の扉を眺めていた。
  なんということはない。ただ、みんながいなくなって少しばかり寂しくなったからだ。
  最近、私は一人きりを嫌だと感じるようになった。私が『家族』と呼べる人たちと一緒に暮らすようになってからまだ一年と過ぎていないのに、私は一人でいることに不安を覚える。ほんの1年前まで、私は一人っきりで、それが当たり前だったのに。
 「……私も、弱くなったもんやな」
  なんとなく、一人ごちてみた。
  それはきっと、『家族』を知って、その温かさを知ってしまったから。
  一人ぼっちの寂しさを、自覚してしまったから。
  誰だったかな。孤独とは人と人との間にある、って言ったのは。昔読んだどこかの小説家の言葉だったと思うんだけど。私は一人でずっと暮らしてきて、そうしている時には寂しいとか孤独だとか、思ったことがなかった。と言うか、そういう感情を知らなかった。だけど、今なら分かる。一人ぼっちで食べるご飯は、あんまり美味しくない。傍に誰かがいてほしいときに誰もいないのは、本当に、辛い。
  しかしまぁ、そうは言ってもあと二,三日くらいで私は退院できる。そうすれば、管理局の仕事があるとはいえ、また『家族』と呼べる人たちと一緒に平穏な日々を過ごすことができる。友達のいる学校にも通える。だから、あとほんの少しの辛抱だ。我慢我慢。耐えることに、私は慣れてるのだから。
  私はため息をついて、扉から視線を話した。未練がましく扉を見つめてても、なんにも始まらない。
  しかし、なんとも予想外な事態が起こった。
  不意に、コンコン、と病室の扉をノックする音が聞こえたのだ。
 「は、はーい、どうぞ〜」
  入ってもいい、の意思を伝えながら、私は不思議に思う。
  シグナムとヴィータは管理局の仕事があるからお見舞いに来るのは早くても夕方になると言っていたし、シャマルは家事があるから同じく夕方まで来ないハズ。ザフィーラは、犬なので一人で病院に来るのは不可能。かと言って、わざわざお見舞いに来てくれる友達はすずかちゃんたちくらいしかいないけれど、さっき帰ったばっかりだ。主治医の石田先生も、症状が急変したとかでない限りこんな中途半端な時間に私のところに来る理由がない。
  つまり、私にはこの部屋の扉をノックする人、私に用がある人に心当たりがないのだ。
  返事をしてから数秒後、ためらいがちに病室の扉が開かれた。
  扉を開いたのは、なんとも意外な人物だった。
 「す、すずかちゃん!?」
 「……おじゃましま〜す……」
  扉を開いたのは、さっき帰ったハズのすずかちゃんだった。しかも、いつも物静かなすずかちゃんとはいえ、なぜか申し訳なさそうもじもじしている。
  その様子を見て、私はピンときた。
  すずかちゃんが、ここになにをしに来たのか。
  扉を後ろ手で閉めて、すずかちゃんはゆっくりと私に告げた。
 「あのね、はやてちゃん…………その、相談が、あるんだけど…………」
  すずかちゃんの声は、消え入りそうなくらい小さかった。それどころか、上目遣いで、頬も少し赤い。恥ずかしくてたまらない、とでも言いたげにスカートの裾をぎゅっと握り締めていた。その姿はいじらしくて、思わず近づいて抱きしめたくなるくらいにとても可愛らしかった。けれど、きっと本人はそれどころではないと思うので、そこには触れないことにした。どうせ、私は自力では動けないわけだし。
  私は、ため息をついてから訊いた。
 「……アリサちゃんのことやろ?」
 「!?」
  私がアリサちゃんと言った途端、すずかちゃんはスカートの裾を握り締めたままビクンと背筋を伸ばして、目を見開いて、それから一瞬で耳まで真っ赤になった。どうやらそれは図星だったようだ。
  正直、これだけ分かりやすい反応もないと思う。
 「図星やな」
 「……わ、分かっちゃって、た?」
 「うん。もろバレ。もっとも、なのはちゃんはそういうことに鈍いし、フェイトちゃんはそれどころやないし、すずかちゃんの好意を向けられとる当の本人もあれで自分への好意には絶望的に鈍いしな」
  つまり、すずかちゃんの想いを知っているのは、私とすずかちゃん本人だけ、ということになる。
 「…………そっか…………」
  すずかちゃんはそう呟いて、顔を真っ赤にしたままうつむいて、黙りこくってしまった。
  そんないじらしくもあるすずかちゃんの姿を見て、私は思った。
  ああ、どうして私の周りはこんなに春爛漫なんやろうか。どうして、私にはこういう、青春まっさかり的なことのできる人が現れんのやろうか。私は男女どっちでもかまわんのに。でも、念願の家族が出来たばっかりやし、そういうのは高望みしすぎなんかもしれん。うんそうや、そう考えることにしよう。
  私がそんな一瞬の思考世界から帰ってきても、すずかちゃんはやっぱりうつむいたままだった。まったく、仕方ない。惚気るは勝手やけど、少しくらいその幸せを分けて欲しいもんやわ。
  そのままでは話が続かないので、私は先を促すことにした。
 「……で、すずかちゃんはいつ自分の気持ちに気付いたん?」
  それが、まず私が知りたいこと。
  フェイトちゃんは生まれや境遇もあったから言われるまで気付かなかったけど、すずかちゃんはどちらかといえば普通の範疇に入る女の子だ。それが、比較的アブノーマルな自分の気持ちに、自分が親友をそれ以上として想っていることにいつ気付いたのか、私は知りたい。つまり、これはただの好奇心。野次馬根性みたいなもの。私かて女の子なんやし、こういうことに興味があったりする。
 「…………あのね、きっかけは、フェイトちゃんが自分の気持ちに気付いたこと」
  すずかちゃんは、顔を真っ赤にしてうつむいたまま、ぽつぽつと喋り始めた。
 「きっと私は、『女の子を好きになる』ということを無意識に、ありえないこと、だと思っていたんだと思うの。だから、私は本当はアリサちゃんのことが大好きだったのに、それはありえないこと、って無意識に思って、自分の気持ちに気付かなかったの。……ううん、違う。気付かないフリをしていたの」
  すずかちゃんが、なにかを決心したように、顔を上げた。
  その姿に、真っ直ぐな瞳に私は引き込まれた。
 「でも、この前フェイトちゃんもなのはちゃんを、女の子を好きになったって知って、ああ、こういうこともありえるんだ、って思ったの。別に、それほどおかしなことじゃないんだ、って。そのとき、私は同時に気付いた。自覚してしまった。私が、今までアリサちゃんのことをどう想っていたのか」
 「ずっと前から、アリサちゃんのことが好きやったんやね?」
  すずかちゃんは、恥ずかしそうにコクリと頷いた。
  ああ、まったくもう、なんていじらしいんやろうか。
  私の目から見ても、こんな可愛らしくていい子に好かれるなんて、羨ましい。それも、ずっと前から一途に想ってくれているなんて。こんな子にずっと前から惚れられてもまったく気付かないなんて、アリサちゃんも罪な女の子だ。
 「……で、すずかちゃんはどうなりたいん?」
 「え?」
 「すずかちゃんの気持ちは分かった。なら、すずかちゃんはこれから、アリサちゃんとどういう関係になりたいん?」
 「うん……」
  多分、私が聞かなくても、すずかちゃんの中で答えは決まっている。この子は、穏やかで繊細で弱弱しく見られがちだ。実際、最初に出会った頃はアリサちゃんもそう思ったらしい。だけど、それは見た目だけだ。本当のすずかちゃんは意外と芯が強いと言うか、肝が据わっている。頭もいい。だから、私のところに相談しに来た時点で、もう答えは出ているハズなのだ。だから私にできるのは、その答えを確認させて、最後の一歩を踏み出せないすずかちゃんの背中を軽く押してあげること。
  すずかちゃんは、数秒の間をおいてから、私に告げた。
 「…………別に、このままでも良いと思ってる。下手に、今の関係を壊してしまうことも、私の気持ちを言って、アリサちゃんに拒絶されることも、とても怖い。…………だけど」
 「だけど?」
 「私は、気付いてしまったの。私が、…………どれだけアリサちゃんを好きなのか。どれだけ、アリサちゃんのことを愛してしまったのか」
  そのとき、私にはすずかちゃんが、凄い大人の女の子、に見えた。言葉としておかしいけれど、そう、思った。だって、その時のすずかちゃんは、あまりにも純で、あまりにも真っ直ぐで、綺麗な瞳をしていたから。
 「長い間、私は気持ちを抑え込んできた。気付かないフリをしていた。これは多分、その反動。もう、抑えることができない。抑え込もうとしても、気がつけばアリサちゃんのことを考えている。声を聞くことを、温もりに触れることを、アリサちゃんと一緒にいることを、こんなにも望んでいる。どうしようもなく、私はアリサちゃんのことを求めている。…………だから私はもう、想いを伝えずには、いられない」
  すずかちゃんは、顔を真っ赤にしたままで、スカートの裾をぎゅっと握り締めたいじらしい姿のままで、透き通った声で、力強く、言葉を続けた。
 「女の子だとか、もう関係ない。そんなことがどうでもよくなるくらい、私はアリサちゃんが好き。大好き。アリサちゃんのそばにいると安心するし、アリサちゃんと一緒にいた後で、自分の部屋に一人ぼっちでいるのは、とっても寂しくて、辛い」
  すずかちゃんは、なにかに急き立てられるように自分の気持ちを吐露し続けた。
 「だって、私は、アリサちゃんのことを、こんなにも愛してしまったんだから」
  今にも壊れてしまいなくらい、その姿は必死だった。
 「私がおかしいことは分かってる。だから、アリサちゃんが私を『友達』としてじゃなくて、『愛する人』として見てくれないことは分かってる。それが当たり前の反応だって分かってる。だけど、だけど……っ!」
 「…………おかしいことなんて、なんもあらへん」
 「え…………」
 「誰かを好きになってまう。愛してまう。それは当然のことや。誰かを好きになる気持ちは、自分でどうこうできるもんやない。すずかちゃんの場合、好きになってしもォた子がたまたま女の子だっただけや。見てみい。世界中には、性別なんて小さいことに囚われんとお互いを想い続ける人たちがどれだけおることか」
  私は、私自身の考えを反省した。少しでも茶化してやろうと思ったことを恥じた。
  すずかちゃんは、私が考えていた以上に真剣だった。アリサちゃんのことを本気で心の底から愛していた。
  なら、こっちも真摯に受け止めて応えてあげるんが、親友の務めや。
 「せやから、すずかちゃんは胸を張ってええ。自身を持って、アリサちゃんのことを愛せばええ。自分の気持ちを伝えたらええ。誰かを好きになることが許されん世界なんて、そんな世界、私はいらへん。すずかちゃんはどうや? すずかちゃんは、アリサちゃんを愛してはいけない世界を、赦すことができるんか?」
 「できない」
  それは、すずかちゃんには珍しい即答だった。
 「私は、アリサちゃんが好き。大好き。どうしようもないくらい、おかしくなりそうなくらい、アリサちゃんのことがだいすき。だから……」
 「…………なら、答えは決まったな」
 「うん。…………ありがとう、はやてちゃん」
 「お礼なんてええて。私は、自分の思うたことを言うただけや。それに、これから先はすずかちゃんの問題なんやで。私にできるのは、少しだけ背中を押してあげることと、すずかちゃんのお話を聞くぐらいや」
  これは、本人たちの問題。だから、私にできるのは、本当にそれだけだ。
 「うん。じゃ……また、今度」
 「うん。ほなな、すずかちゃん」
  部屋から出て行くときのすずかちゃんの後姿は、どこか大人びて見えた。 




    すずかちゃんが帰ってから少しして、シグナムたちヴォルケンリッターのみんなが仕事を終えて、私の病室にやって来た。
 「はやてー!」
  部屋に入るなり、ヴィータがベッドに飛び込むように私に抱きついた。私はそれを受け止めて、ヴィータの頭を優しく撫でてあげる。ヴィータが病室に来るたびに、ヴィータはこうして私に抱きついてくる。シグナムはもう少し静かにしろ、とたしなめるけど、私はヴィータがそうして甘えてくれることが嬉しかった。まるで、可愛い妹ができたような気持ちになる。そんなヴィータに甘えられることが、とても嬉しいみたいな。ふふ、可愛いもんや。
 「ヴィータ、今度のお仕事はどうやった?」
  今日もいつも通り頭を撫でてあげながら、仕事の按配を聞いてみた。
 「うん、楽勝。あんな仕事、シグナムと一緒じゃなくても私一人で十分だよ」
 「おお、さすがはヴィータ。私の騎士なだけはあるなー」
  そう言いながら、私はヴィータの頭をクシャクシャとかき回した。
 「うわ、はやて、やめてよー」
  口では嫌がる姿勢を見せながら、その声色も表情もまったく私を拒んでいない。むしろ嬉しそうだ。だから、私はヴィータの頭を撫で続けた。髪を撫でて、私は、ヴィータの髪が仕事のせいかボサボサになっていることに気付いた。これは後で、髪を梳いてあげんといかんね。
 「お変わりありませんか、主はやて」
 「シグナム、私はもう退院直前なんやから、そんなに心配せえへんでも大丈夫や」
 「そうはいきません。ここで無茶なんかしたりしたら、また入院が延びちゃうかもしれないんですからね、はやてちゃん」
  口調はたしなめるようなものだけど、その声色と声では、私を心から心配してくれていることが分かる。
  シグナムとシャマル。
  ヴィータと同じくヴォルケンリッターで、私の大切な家族のみんな。
  本当はもう一人いるのだけれど、狼の姿をしているから病院に入ることができない。可哀想っちゃ可哀想やけど、まぁ仕方ない。
 「……そうやね。もうすぐ退院なんやし、今風邪でもひいたら、心配性な石田先生のことや。きっと、3日くらいは入院が延びてしまう」
 「そうですよ。ちゃんと予定通りに退院して、半年前みたいに、私たち五人で一緒に暮らすんですからね」
  言って、シャマルはにっこりと笑った。
  まったく、私は幸せものや。
  今では、こんなに優しい家族のみんなに囲まれて毎日を過ごすことができるんやから。
 「できればこの幸せを、あの子にも分けてあげたかったなぁ」
  私は、誰にも聞こえないように、そんな言葉を独語した。
  ヴォルケンリッターの管理者で、夜天の魔道書、かつての闇の書の管制人格だった少女。私が壊れてしまった夜天の魔道書の呪いで苦しんでいることを、誰よりも悲しみ、その苦しみを与えてしまう自分を悔やみ続けた少女。私が名前を挙げた、誰よりも儚くて、そして誰よりも優しい少女。私のことを護るために、これからやってくる幸せな時間を捨てて、自ら消滅した、強くて優しい少女。
  リインフォース。
  私は、あの子のことを幸せにできなかった。夜天の魔道書の主でありながら、彼女のことを救ってあげることができなかった。今でも、そのことを毎日思い出す。思い出すたびに、胸が苦しい。どうして救ってあげることができなかったのか、そんなことばかり考えてしまう。
  だけど、そんな私のことを、誰も責めない。それどころか、今まで以上に私のことを慕ってくれている。私のことを、主として信頼し、家族として、愛してくれる。
  だから私は誓った。
  あの子の分まで、この子たちを幸せにすると。もう二度と悲しませへんと。
  あの聖夜みたいな想いを、絶対にさせへんと。
  それと。
 「そういえば、主はやて」
 「なんや、シグナム?」
 「管理局の技術部のマリエル技師から、書類を預かっております」
 「それって…………」
 「シュベルトクロイツVer6のスペック案と、……夜天の主の二代目ユニゾンデバイスの、企画案です」
 「もうできたん!?」
 「ええ。マリエル技師も頑張ってくださったようです。まだ簡単な設計図で、これからもっと時間がかかる、と仰っていましたが、おそらく実現可能だろう、とのことです」
 「そうか、そうかぁ……」
  嬉しくて、安心して、私は胸がいっぱいになった。
  それはもうひとつの、私の誓い。
  あの子と最後に交わした約束。
 「ねぇはやて、新しいユニゾンデバイスの名前って、もう決めてるの?」
  ヴィータが私に抱きついたまま、上目遣いで聞いてきた。そういう姿をみてると、この子が古代ベルカの騎士、なんてことを忘れてしまう。
 「うん、もう決めてるんよ」
  私はヴィータに頷き、息を軽く吸い込んでから、告げる。
  この部屋にいるヴォルケンリッターのみんなに、私の家族にしっかりと聞こえるように。「二代目祝福の風、リインフォースU。それが、新しい家族の名前や」
  それが、あの子との約束。
 『どうか、祝福の風の名は、あなたの新しい騎士に譲ってあげてください』
  私は、リインフォースのことを忘れない。
  そして、リインフォースUには、家族のみんなにも、リインフォースの分まで幸せになってもらわないといけない。
  そんな彼女の願いと、私の想いを込めて。
  きっと、リインフォースUと出会うことができるのは、まだ何年か先の話だろう。
 「よろしくな、リインフォース」 
  私は、未来のリインと、そして過去のリインに、願う。
  どうか、私たち家族がいつまでも一緒に、穏やかに過ごせますように。 








  そして、その日がやってきた。








  あたしが約束の場所に着いた頃には、もうすでにみんながそこで待っていた。みんなとは、すずか、なのは、フェイトのことだ。本当ははやても誘ったのだけど、車椅子で、あたしたち子供だけで山道を歩くのは無理なので、今回ははやてから辞退した。あたしたちは全然かまわないのだけれど、それでははやての気が済まないらしい。ちょっと残念。あたしたちに気なんか使わなくていいのに。
  だから今日はあたしたち四人だけで遊ぶことになる。目的地は、あたしたちだけが知っているお花見の場所。いつもはあたしたちだけでお花見をするのだけれど、今度なのはやフェイトの家族や魔法世界関連の関係者の皆さん、それにあたしたちの家族が一緒にお花見をすることになったので、その場所決めが必要なのだ。だから今日は、学校が終わってからすぐ、一旦家に帰って着替えてから遊びついでに改めて場所の下見をすることにした。
  ……けれども、改めて集合して顔を突き合わせてみると、みんなの様子が明らかにおかしかった。いや、おかしかったのは今日の朝、学校で出会ってからか。今は、そのときよりもますますおかしくなってるんだけど。
  フェイトは朝から何だかソワソワしてるし、なのははオロオロしてるし、すずかまでもがなぜか思いつめたような表情をしている。フェイトの様子がおかしいのはあたしのせいとしても、どうしてすずかやなのはまで様子がおかしいのだろうか。あたしにはいまいち理解できないけど、きっとあたしがどうこうできるものでもないだろう。だから、せめてあたしだけはいつも通りに振舞うことにした。
 「ほらほら、みんな。辛気臭い顔してないで、さっさと下見に行くわよ」
  言い、あたしはすずかの手を引いて、半ば強引に先に進むことにした。すずかが「ちょっと、アリサちゃん」と、抗議めいた声を上げたけど、いつも通りそんなのは気にせずに先に進む。すずかの顔が少し赤らんでいる気がするけど、それは多分気のせいだろう。
  すずかの手を引きながら後ろを振り返り、なのはとフェイトが着いてきているのを確認する。うん、ちゃんと着いて来ている。これなら大丈夫ね。
  あたしはすずかと手を繋いだまま、先に進み続けた。
  しかし、今度はすずかの様子がますますおかしくなってしまった。顔は何だか赤いし、ずっとうつむいたまま黙りこくっているのだ。いつもならここで他愛もないお喋りが始まるのに。
  あたしは少し心配になって、すずかの顔を覗き込んだ。
 「すずか、何だか様子が変よ? 具合でも悪いの?」
 「ひゃ、あ、アリサちゃん!? うんうん、大丈夫、私平気だよ?」
 「…………」
  おかしい。
  明らかにおかしい、と言うか不審だ。いつものすずからしくない。
  なんと言うか、動揺しているのを無理矢理誤魔化している、という感じだ。本人はいつも通りにっこり微笑んでいるつもりなんだろうけど、無理して笑っているのがバレバレだ。いつものすずからしくない。
 「すずか、なにか悩み事でもあるの?」
 「ふぇ!?」
 「あたしに話せないことなら仕方ないけど、なにか困ってるんなら相談して。あたしには何も出来なくても、話を聞いて一緒に悩んであげることくらいならできるんだから」
  あたしは、すずかにそう提案した。なぜなら、すずかとは小学校に入学してからの友人、親友だからだ。前のときは、なのはのときは何の力にもなれなかったけど、あたしは、親友が困っていたら助けてあげたいと思う。親友が困ってたりするのを見て放っておけるほど、あたしは淡白な人間じゃない。それは善の心とか親切心とかそういう綺麗な感情じゃなくて、単純に、あたしの大切な人が困っているのを見たくないだけ。そんな独善的な感情だけど。
  特にすずかのことは放っておけない。この子は芯は強いんだけど、お人よしであんまりにも優しすぎるもんだから、一人にしておけない。聡明すぎるもんだから、余計なことまで考えてしまうこともある。この子は、自分を犠牲にして誰かのために行動できる人だから、せめてあたしが力にならないと、すずかのことを護らないと、って思う。
 「だ、大丈夫だよアリサちゃん。私、い、いつも通りだよ」
  あたしは、そんなすずかの様子を見てため息をついた。
  まったく、どこがいつも通りなのよ。無理してるの、バレバレじゃない。
 「……そう。ならいいけど」
  だけど、あたしがどんなにすずかの力になりたいと思っても、どんなに親友を助けたいと思っても、当人たちがそれを望まないならどうしようもない。それが無理矢理聞きだしてはいけないことだったり、あたしが関わってはいけないことだったりするかもしれないからだ。ま、あたしに出来ることなんてたかが知れてるんだけどさ。こうなると、私は限りなく無力だ。
 「…………」
  あたしは、すずかの手を握ってない方の左手を無意識に、爪が手のひらに食い込むくらい力強く握り締めた。自分の無力さ加減に、腹が立つ。なのはの時もそうだった。私は無力で、結局苦しむなのはのことを助けてあげられなかった。純粋に、悔しい。
 「ちょ、痛いよ、アリサちゃん」
 「え? うわ、ごめん!」
  どうやら、意識しない内にすずかの手も強く握り締めていたらしい。あたしは咄嗟に、すずかから手を離した。
 「ご、ごめんねすずか、大丈夫?」
 「……うん、私は平気」
  そう言ったすずかは、なぜだか少し……そう、残念そうな表情をしていた。
  ……まさか、ね。
 「アリサちゃん、どうしたの?」
 「……なんでもないわよ」
  駄目だ、あたし。
  あたしがすずかに心配かけてどうするんだ。
  今のあたしの気持ちをすずかに悟られたくなかったから、あたしはそっぽをむきながら、再びすずかの手を取って、歩き始めた。
 「あ…………」
 「ほら、行くわよすずか」
 「う、うん!」
  あたしが、今のすずかの力になれないことは仕方ない。
  でも、もしすずかが今の悩みをあたしに打ち明けることがあったら。それで、あたしにできることがあったら。
  あたしの全身全霊を持ってすずかのことを助けよう。
  あたしの全てを賭けてすずかを護り通そう。
  それが、あたしの正直な気持ちなのだから。 




  それから少しばかり進んで、あたしたちは、目的地であるお花見の会場予定地に到着した。
 「この場所に来るのも、一年ぶりだね〜」
  この場で唯一いつも通りのなのはが、しみじみと噛み締めるように口を開いた。
 「そりゃ、春先のこの時期しか、こんな場所に来ないしね」
  あたしたちが今いる場所は、桜の木の群生地。ここは自然公園、というわけでもないけど、なぜだか桜の木々が大量に、かなり広い土地に渡って植えられている。山のふもとにあるんだけど、遠くから見たらその場所が桜色に染まって見えるくらいだ。そんな絶好のお花見スポットなのに、お花見シーズンになっても意外と人が来ない。多分、お花見ガイドとかの本で紹介されたりしない場所だからだろう。だからここは、地元民だけが知る、お花見の穴場なのだ。
  今日はまだ桜の時期には少し早いから、桜の花もせいぜい二分咲き。だけど、来週のお花見の日には見ごろになっているだろう。
  あたしたちは今日ここで、下見ついでに一足早いお花見としゃれ込もう、というわけだ。
 「さすがに、桜はまだ咲いてないね」
 「そりゃそうよ。まだ4月の頭なんだし。多分、見ごろは来週のお花見本番のときよ」
 「みんなでお花見、楽しみだね〜」
  なのはが、心からの笑顔でそう言った。間違いなく、この子はそう思っているんだろう。
  そういう風に思える子だから、本当に誰かのためを思える子だから、フェイトはあんなになのはに惚れ込んだんだろう。そういうなのはの心に、フェイトは救われたのだから。
  なのはが心から楽しんでいる一方で、当のフェイトは未だに深い深い思考の世界に旅だっているんだろうな、と私は思った。実際、ここに来るまでの間、なのはに話しかけられるたびに、とても動揺しながら受け答えていた。なのはのことが好きなことは周りから見てもバレバレなのに、当の本人はまったくフェイトの好意に気付いてない。それどころか、「フェイトちゃん具合悪いの?」、みたいな感じでフェイトの顔を覗き込んだりしたもんだから、フェイトは顔を真っ赤にして、ますますオドオドしていた。フェイトがまた倒れるかも、なんて私はヒヤヒヤしたもんだ。
  けど、それは違っていた。
  理由は分からないけれど、今のフェイトはどういうわけか、とても落ち着いた顔をしていた。それは昔の、自分の気持ちを自覚する前のフェイトの表情とも違う。
  まるで、なにかを悟って一回り大きく成長したような、そんな表情だった、気がした。……いや、気のせいね、きっと。なのはの様子もさっきまでと変わらないし、なにか特別なことがあったわけじゃないんだろう。そりゃフェイトだって、ずっとなのはにドギマギしてるわけじゃないでしょうしね。
  まぁ、今はそんなことはいいか。
 「ほらみんな、いい場所を取るわよ」
  いい場所、とはもちろんお花見の場所のことだ。
  ただでさえ時期が早いのに、さらにここは知る人ぞ知る穴場なのだ。当然今はあたしたちしかこの場所にはおらず、無理に急ぐ必要はない。
  それでもそんなことを言ったのは、いつもと様子の違う二人をたきつけるため。
  今は余計なことは忘れて、一緒に遊んで楽しんで欲しいからだ。
  そうして、あたしが先に進もうとみんなに背を向けたときだった。
 「な、なのは!」
  突然、フェイトが大声で叫んだのだ。
  あんまり突然の出来事だったから、あたしもあたしに手を引かれているすずかも、思わず動きを止めてフェイトの方を見て……まずい、と思った。
  あたしの目に映ったフェイトは、明らかに暴走していた。よっぽど思いつめていたのだろう。まるで少しでも触れればすぐに爆発してしまいそうな花火のようで、なんかもういっぱいいっぱいなのが手に取るように分かった。これは、本当に爆発してしまいそうだ。
 「フェ、フェイトちゃん? どうしたの、そんな大声出して」
  一方でなのはは、フェイトが突然大声で自分の名前を呼んだことに驚いてはいるものの、いたって普通の対応だ。今にも爆発しそうな花火に、無防備に触ろうとするなのは。二人の気持ちの差は、火を見るより明らか。
  あたしは、軽い罪悪感に襲われた。
  フェイトは、普段はおとなしい女の子だ。あたしみたいに声を張り上げる方じゃないし、突然叫んだりなんて、普段なら絶対にしない。なのにした、ということは、それだけのことをさせるコトがあったわけで。
  フェイトがここまで思いつめてしまったのは、フェイトにきっかけがあったとは言え、あたしが背中を押してしまったことが原因であるのは間違いがないのだから。
  そんなあたしの気持ちを知らないだろう、暴走真っ最中のフェイトは、スカートの裾をぎゅっと握って、顔を耳まで真っ赤にして、全身をわなわなと震わせながら、まるで自分の全てを吐き出すかのように、普段からは想像もつかないような大声で叫んだ。  




 「私、なのはのことが大好きなの!」




  ああ……言ってしまった。
  大事な告白なのに、雰囲気もへったくれもあったもんじゃない。
  私は、ここに至ってようやく、自分の思慮の浅さに気付いた。
  フェイトは、本当になのはを好いていた。心の底から愛していた。だから、あたしのほんの軽い気持ちの戯言で、こんなに思いつめてしまうほどに不安定だったのだ。フェイトがどれほど苦しんだのか。あたしには想像も付かない。だからこそ、その分罪悪感があたしの中で膨らんでいった。
  自分の罪深さに押し潰されそうになりながら、あたしはフェイトの告白の対象、なのはの方を見た。
  告白されたなのはは、キョトンとした顔をしていた。今言われたことの意味を、咄嗟に理解できなかったようだ。
  けれど次の瞬間、なのはは信じられない、と言った様子で、くりっとした瞳を見開いて、口元を両手で押さえた。その瞳には、みるみるうちに涙がたまっていった。
 「フェ、フェイトちゃん……」
  なのはの声は、驚きと言うよりも、感激の色が強かった気がする。
  なのはは両手を下ろして、フェイトのことを真っ直ぐと見据えた。
  それから、お日様みたいな笑顔をして、自分の胸に手をやった。  




 「……嬉しい。私も、フェイトちゃんのこと……大好きだよ」




  なのはの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
  その姿は、二人の姿はあまりにも綺麗で、まるで一枚の絵のようだった。
 「あ……」
  その言葉を期待して、予想していただろうに、なのはの返事に対応できず、フェイトは固まってしまった。
  ボン、と頭から湯気をあげんばかりの勢いでフェイトの顔は真っ赤になり、フェイトはそのまま、糸の切れた操り人形のごとく、その場に倒れこんでしまった。
















 「私も、随分汚れたものよねぇ……」
  思わず、そんな言葉が漏れ出てしまった。
  そのくらい、あたしは自分の浅薄さを感じて、後悔していた。
  フェイトがぶっ倒れてから、少し時間がたっていた。
  フェイトの看病は問題の当事者で中心人物でありながら、一切の無垢と無自覚を保つなのはに任せて、あたしとすずかは二人とは離れた場所、二番目に大きな桜の木の根元に二人並んで座っていた。あたしたちがなのはたちと離れたのは、多分あたしたちがいてはお邪魔虫だし、それに、なんとなくフェイトとなのはにあわせる顔がなかったからだ。
  ちなみになのはたちは、このあたりで一番大きな桜の木の下にいる。あたしたちのいる場所からは見えないけれど、きっといちゃついている。そもそも、どんなことを言われようとなのはがフェイトを嫌うことなんて絶対にありえないんだし、二人のことは放っておいても大丈夫だろう。
  むしろ、問題なのはあたしの方。穴があったら入りたくなるくらい、あたしは自分のしたことを恥じていた。なのはの返事を聞いて、操り人形のごとく倒れてしまったフェイト。あの子を操り人形にしてしまったのは、他でもないあたしなのだ。
  うう、みっともないったらありゃしない。
  考えが、甘かったわよねぇ……。
 「アリサちゃん、随分と落ち込んでるみたいだね」
 「そりゃそうよ。あたしのせいで、フェイトのことを追い詰めちゃったんだから……」
  自己嫌悪の言葉しか思いつかない。
  他人の恋路を邪魔する人は馬に蹴られて死んでしまえ、とはよく言ったものだわ。
 「…………でも、それはいつか必要なことだったのかもしれないよ?」
 「え?」
  すずかの口から放たれた予想外の言葉を、あたしは一瞬理解できなかった。
 「フェイトちゃんは結構前から、自分の気持ちに苦しんでいた。なのはちゃんへの想いは日に日に膨らんでいくのに、その気持ちを発散させることもできない。きっと自分の気持ちをどうすればいいのか、分からなかったんだと思う。……だからきっと、アリサちゃんが何もしなくても近いうちに、フェイトちゃんは自分の気持ちに押しつぶされるか、さっきみたいに暴走してたと思う。その気持ちは、私には痛いほどよく分かるから」
  そこまで言ってすずかは、あたしの手を取って、あたしを真っ直ぐと見つめた。
 「だから、アリサちゃんのしたことは、結果としてそれほど間違ってないと、私は思う。遅かれ早かれ、こうなっていただろうから。むしろ、アリサちゃんはフェイトちゃんのガス抜きをしたとも言えるんだよ? だからアリサちゃん、自分をそんなに責めないで」
  あたしの手を握って語りかけてくれるすずかは、とても真摯で、その言葉は私の心に響いた。すごく自然に、あたしの心の中に沁みこんできた。あたしの手を握るすずかの手が暖かくて、優しくて。すずかにあたしのことを肯定された途端に、私の心は救われた、そんな気がした。
 「…………ありがとう、すずか」
  すずかのおかげで、あたしの気分はだいぶ軽くなっていた。自分のしたことが消えるわけじゃないのに、あたしは、いつもの自分に戻ることができた。それと同時に、なんだか胸の中がいっぱいに満たされた気がした。不思議なものね。すずかに認められただけで、こんな気持ちになるなんて。
 「アリサちゃん……」
  あたしのことを呼ぶ、すずかの声。
  でもその声はさっきまでの声と違って、今すぐ泣き出してしまいそうなくらい不安定で、それなのになんだか艶っぽかった。
 「すずか……」
  気が付くと、あたしたちの距離は、さっきよりもずっと縮まっていた。すずかの瞳は潤んでいて、いつもはない熱っぽさを孕んでいた。その瞳には、あたしの姿が映っていた。こうして近くで見ると改めて、綺麗だな、と思う。滑らかな肌は白磁みたいで、すぐに壊れてしまいそうなくらい、すずかは細い。儚くて、いつしかあたしの近くからいなくなってしまいそうで。
  だから、護りたい。あたしが護ってあげたい。
  そう思ったのはいつの頃からだっただろうか。
 「自分の気持ちをずっと抑えておくのは、とっても辛いんだよ……」
  そう呟くすずかに、あたしはとても惹かれた。いつもは無いものを、今のすずかは持っていたから。
 「フェイトちゃんの気持ちは、今の私にはよく分かる。だって、私も、私の中で膨らんでいく気持ちに、押しつぶされそうなんだから」
  すずかは、もう耐え切れないような、見ているあたしまで切なくなる表情をしていた。
  そんな顔しないでよ、すずか。
  すずかが悲しい顔してると、私まで悲しくなるんだから。
 「私は、アリサちゃんのことが、好き」
  すずかの唇から言葉が紡がれるのと、涙をいっぱいにためた瞳から涙が流れるのは、ほぼ同時だった。
 「大好き。もう、他のことを考えられなくなるくらい、私はアリサちゃんのことが好き」
  すずかは涙を流しながら、自分の気持ちを吐き出し続けた。まるで、そうしないと自分が壊れてしまう、とでも言わんばかりに。
 「いつも、アリサちゃんの傍にいたかった。いつでも、アリサちゃんのことを追いかけていた。学校にいるとき、一緒に遊ぶとき、一緒に塾に行くとき、なにがあっても、アリサちゃんがいれば楽しかった。安心できた。でも、別れて一人で自分の部屋にいるときは、とっても不安で、寂しかった。私はいつの間にか、そのくらい、アリサちゃんのことを愛していた」
  いつもは物静かでおとなしいすずかからは考えられないくらいに、その声は激しかった。情熱的、とでも言えばいいのか。熱にうかされたようにぼうっとする頭の片隅で、あたしはそんなことを考えていた。
 「こんなこと、おかしいのは分かってる。私は女の子で、アリサちゃんも女の子で、それなのに親友以上の気持ちで好きになっちゃった私がおかしいのは分かってる。でも、だけど、私はもう、自分の気持ちを抑えきれない。こんなことを言って、アリサちゃんに嫌われるかもしれないのは分かってる。でも、でも! 私はもう、自分の気持ちを、我慢できないの……」
 「すずか……」
 「お願い、アリサちゃん。アリサちゃんの正直な気持ちを、教えて…………」
 「…………」
  すずかは、すがるようにあたしを見つめた。
  どうして、こんなことになったんだろう。
  あたしが、すずかに告白される?
  あたしは驚きのあまり、うめき声を上げることすらできずに、じっと固まっていた。あまりの出来事に、身体の動かし方を忘れてしまったのかもしれない。そのくらい、あたしの身体は動かなかった。あたしの脳からの命令に一切反応しなかった。
  すずかの気持ちに応えないといけないことは分かっている。すずかはあんなに強く、あたしのことを想ってくれてたんだ。だから、あたしだってそれに応えないといけない。そんなことは考えるまでもない。
  そう、分かっているのに、あたしの身体は動かない。なんてすずかに返せばいいのか、あたしには分からないからだ。
  これがクラスの男の子とかだったら、適当につっぱねればいい。あたしが相手を特別な人だと思っていないんだからそれで十分。下手に相手を傷つけないようにするよりも、スッパリと切ってしまった方がお互いのためになる。今までもそうしてきた。それで間違っているとは思わない。
  好きでもない相手に告白されても、それほど心は揺れない。
  だけど。
  すずかに告白されたとき、あたしの心は、今までにないくらい揺れた。
  同時に、今までみたいに、即効でお断りの言葉が浮かんでこなかった。
  あたしの心を満たしたのは、最大級の戸惑いと、私が感じたことのないモヤモヤ。
  そして、すずかを悲しませたくない、傷つけたくない、という想いだけ。
  なぜだか理由は分からない。
  ただ、あたしが今までにないくらい動揺している、ということだけが間違いのないことだった。
  断れない。無下にすることはできない。
  でも、はい、と受け入れることも、あたしにはできなかった。
  ここまできて、ようやくあたしは気付いた。
  あたしは、あたしの気持ちが分からなかった。すずかのことを友達としてみているのか、それとも恋人として、愛する人として見ることができるのか、分からなかった。
  なぜならあたしは、誰かのことを本気で愛したことがなかったのだから。
  今になって気付いたことに、あたしは呆れた。
  あれだけ人から告白されたことがあって、あたしは人の気持ちが分かるようになったと、自惚れていたのだ。人からそういう行為を向けられることで、あたしも誰かを恋人として愛する、ということを知ったつもりになっていたのだ。
  ああ、なんてこと。
  不確かで中途半端な、相手を傷つけないように変に気を使った返事が相手を傷つけることは分かっている筈なのに。あたしは、すずかとこれまでみたいな関係を築き続ける言葉を捜そうとしていた。
  自分だけの都合で、すずかとの関係を壊さないようにと、考えていたのだ。
  そんな都合のいい答え、あるわけがないのに。
  すずかは、あたしなんかからは想像もつかないような気持ちであたしに告白してくれたのだ。それなのに、それを無かったことにする、なんて、無理に決まってる。こうなってしまった以上、これまで通りの関係を維持し続けるなんて、絶対に無理なんだから。
  あたしは、半ば呆然としながら、すずかを見遣った。
  あたしのことをじっと見つめるすずかは、もしかするとさっきのフェイトよりも不安定で、本当に、どうにかなってしまいそうだった。
  ……しっかりしろ、アリサ・バニングス。
  さっき、すずかのことを護ると思ったばっかりなのに。
  こんなにすずかを悲しませて、苦しませて、どうするんだ。
  でも、あたしは、どうすればいい?
  あたしは、なんて答えればいいの?
  答えがだせないまま、時間だけが過ぎていった。
  その時間は、本当はほんのわずか二,三分のことだったんだと思う。ひょっとしたら、もっと短かったのかもしれない。でも、今のあたしには、その数十倍上の長さに感じられた。その分だけ、気まずい時間も体感時間で数十倍に膨れ上がっていった。
 「…………そうだよね…………」
  沈黙を破ったのは、すずかの小さな声。
  その声は、なんだかとても悲しくて、寂しげで、ひどくあたしの心を絞めつけた。
 「おかしいのは、私の方だよね。アリサちゃんは、私のことをただの友達としか思ってないのに、私は、アリサちゃんのことを、あ、愛する人、として、好き、なんて。変、だよね。……ごめんね、アリサちゃん。私のわがままで困らせちゃって。こんな、親友の女の子を好きになっちゃう女の子なんて、迷惑なだけだよね」
  すずかは、まるで自分を痛めつけるように、言葉を紡いだ。
  そう言うすずかの声はとても痛々しくて、悲しくて。その言葉を紡ぐすずかの姿を見ることが、あたしにはとても辛かった。
  そんな顔しないでよ、すずか。
  そんな悲しそうな声で、自分を否定しないでよ。
  あたしは、そんな辛い顔のすずかを見たいんじゃない。
  あたしは、すずかの笑顔が見ていたいんだから。
 「そんなことない!」
  気がついたら、あたしは叫んでいた。
  よほど大声だったんだろう。すずかは目を見開いて、動きを止めていた。
  でも、そんなことはどうでもいい。どうでもよかった。
 「迷惑ですって? 馬鹿言ってんじゃないわよ! 例え相手が女の子でも、好きになっちゃったもんは仕方ないでしょ? もっと自分の気持ちに胸を張りなさい! そんなことで、自分を卑下しないでよ!」
  考える間もなく、私の口は言葉を、心は気持ちを吐き出していた。
 「……だけど、悔しいけど、あたしはすずかの気持ちに応えられない……ううん、違うの。あたしは、あたしの気持ちが分からない。すずかに告白されて、すごく嬉しかった、……んだと思う。だけど、今、あたしは、すずかの気持ちに応えることができない。だって、あたしは、すずかのことを友達として好きなのか、それとも愛する人、として好きなのか、分からないから。」
  あたしは、自分の正直な想いを吐露していた。なぜなら、すずかの全力の想いに、あたしも全力で応えないといけないからだ。けど、そうして言葉にしながら、あたしは本当に自分自身が情けなくなった。
 「だから、時間をちょうだい。自分自身の気持ちを理解する時間を」
  だって、すずかは勇気を出して気持ちをあたしに伝えてくれたのに、あたしは、そうやって勇気をだすことも、気持ちをはっきりと伝えることもできないんだから。こうやって、問題を先延ばしにすることしかできないんだから。
  ……駄目だな、あたし。
  すずかのことを護る、と言いながら、実際には護るどころか、傷つけてしまっているのだから。無力な自分に、イライラする。
  でもこれが、今のあたしの正直な気持ち。
  今のあたしには、こうすることしかできないんだ。
 「…………」
  すずかはあたしの気持ちを聞いて、表情を変えないまま黙りこくってしまった。
  それも当然だと思う。
  あたしは、人として最低のことをしているんだから。
  呆れられても、仕方ないよね。
 「……うん、わかった」
  それは、数秒後のことだったのだろうか。数分後のことだったのか。……もしかしたら、数時間後のこと、だったのかもしれない。
  すずかが、あたしの言葉に応えてくれたのだ。
  しかも、あたしの意見を受け入れるという、ありえない形で。
 「……え?」
 「私、待つよ。アリサちゃん。……アリサちゃんはすごく優しいから、きっと今この瞬間も、私のためにすごく悩んで、苦しんでいるんだと思う。だから、私は待ってるよ。アリサちゃんが納得のいくまで。いつまでも、私は待ってるよ」 
  言い、すずかは微笑んだ。
  その笑顔は、とても綺麗で、可愛くて、そしてやっぱり、少し悲しかった。
  ……ありえないわよ、すずか。
  そんなに、優しいなんて。優しすぎるわ。もっと、私のことを罵ってもいいのに。もっと、私のことを軽蔑してくれてもいいのに。もっと、自分の気持ちを人に押し付けてもいいのに。すずかは、絶対にそんなことをしない。優しく、私の都合のいい言葉を受け入れてくれる。
  そんなすずかに、私はおんぶに抱っこなんだ。
  だからあたしはせめて、すずかに、こんな哀しい笑顔をさせちゃいけない。
  強く、強く、あたしはそう思った。
 「すずか」
  あたしは、すずかの手を握ると、その手を少し強引に引っ張った。
 「きゃっ」
  すずかが可愛い悲鳴をあげて、あたしの胸の中に飛び込んできた。それを、あたしはなるべく優しく受け止めてから、優しく抱きとめた。
  それから、両腕をすずかの背中になるべく優しくまわして、すずかのことを抱きしめた。
 「ごめん、すずか。……でも今は、こんなことしかできないから」
 「…………うん」
  それは、心からの贖罪。あたしのせいでこんなにもすずかのことを苦しめてしまったことへの、謝罪と罪滅ぼし。こんなことで赦されるとは思ってないけど。でもせめて、少しでも償えるように。
 「今の私には、これで十分だよ」
  すずかは、あたしの背中に両手をまわして、あたしのことを抱きしめ返してくれた。
  そうやって、あたしのことを抱きしめるすずかの力はとても弱くて。
  あたしの腕の中にあるすずかの身体は、とても華奢で。それで、なんだか少し甘くていい匂いがしたりして。
  そんなすずかのことが、たまらなく愛おしくなって。
  あたしは、すずかを抱きしめる両腕に少し、力を込めていた。
 「ごめんね、すずか」
  口からこぼれるのは、謝罪の言葉。
  心からこぼれるのは、謝罪の気持ち。そして、すずかのことを悲しませたくない、という想い。
 「ごめんね……」
  だからあたしはしばらくの間、すずかのことを抱きしめ続けた。
  それが、すずかのことを友達として想ってのことなのか、それとも愛する人として想ってのことなのか、最後まで分からなかった。 




  今のあたしじゃ、すずかの気持ちに応えることはできないけれど。
  必ず、あたしは自分の気持ちを伝えるから。

  それまで、どのくらい時間がかかるか分からないけど。
  待っててね、すずか。

    絶対にあたしが、あなたのことを。
  すべての悲しみから、護り抜いてみせるから。