「あなたを倒して、詳しいお話、聞かせてもらいます」


 ザイフリートを手に、眼前の大男に言い放つヴィヴィオ。
 身体が軽い。痛みも無い。体中から澄んだ魔力が充ち溢れ、魔力の動かし方が自然と頭に浮かんでくる。
 そしてなにより、心が想いに満たされている。
 ヴィヴィオはようやく、魔法使いを始めた理由を思い出した。
 カリムの言っていた、自分の魔法の『つかいかた』を、ようやく理解することができた。
 この力は、大切な人を護る力。
 泣いてる誰かを、助ける力。
 私は、なのはママみたいに、誰かのために、自分の魔法を使うんだ。
 強い意志と、決意の籠った瞳で、ヴィヴィオは大男を睨みつけた。
 大男は突然のヴィヴィオの変遷に驚いているのか、警戒しているのか、それとも怯んでいるのか、ヴィヴィオと一定の間合いを保ったまま動こうとしない。
 お互いに睨み合ったまま、硬直状態が続く。
 不意に、二人の間を一陣の風が吹き抜けた。風に木々の枝が揺らされ、さわさわと静かな音が森全体に鳴り響く。一枚の木の葉が宙を舞い、ひらひらと降下し、やがて、地面に降り立った。
 それが合図であったかのように、大男は、そのヴィヴィオの胴回りよりも太そうな拳を構えた。今までの構えと違い、その腕には視覚で判断できるほどの電気がまとわれ、更に、大男の背後には5つの雷球が生成されていた。
 そして、大男から放たれるのは、圧倒的な殺気。思わず視線をそらして逃げ出してしまいたくなるほどのプレッシャー。まるで胃の中に鉛でも流し込まれたかのような重圧と、全身の神経を針で刺されたような、痛くて嫌な感覚。それほど暑いわけでもないのに、全身に汗が滲む。
 これが、この男の本気。
 さきほどまでのそれは、大男は本気を出していなかったということか。本物の魔導師にとって、先刻までのヴィヴィオなど、お遊び程度の相手でしかなかったということか。事実、ヴィヴィオは最初の一撃以外は大男に先手を取られてばかりで、それなりに渡り合っているように見えたのは、ただ対応が上手くいっただけにすぎない。結果だけ見れば、自身がダメージを負うだけで、相手は一切の無傷だったのだから。
 それが今になってようやく本気を出したということは、ヴィヴィオの存在を驚異と認識したということ。
 自分が『魔法の上手なただの女の子』から、『想いを持った魔導師』に、なのはママみたいな存在に、近づくことができたということか。
 そのことを少し嬉しく思いつつも、ヴィヴィオは気を緩めなかった。
 相手は本気。間違いなく、今まで以上の攻撃が来る。
 ならばこちらも、今まで以上で反撃しないといけない。
 普通だったらそんなことできるわけがない。でも、今はできる。自信に充ち溢れている。
 今の私は、一人で戦っているわけじゃないんだから。
「……よろしくね、ザイフリート」
『はい。お嬢様』
 心にあるのは決意と想い。
 手にしたのは魔法の力とパートナー。
 ザイフリートを一層強く握りしめ、
 ヴィヴィオは、反撃を開始した。
「アクセルシューター!」
 ヴィヴィオの周囲に、一瞬で虹色のディバインスフィアが生成される。その数は、五。
「シュート!」
 間髪入れず、掛け声と共にザイフリートを振り抜き、ディバインスフィアを射出する。最初に使用したディバインシューターよりも、威力も速さも誘導性能も魔力消費量も増したアクセルシューター。魔力の弾丸は風を切り、ヴィヴィオに認識できる最大速度で大男に喰らいかかる。
 対し、大男は表情も変えず、瞬間加速によってディバインスフィアを左に回避する。それだけでなく、高速横移動のベクトルを一瞬で縦移動のベクトルに変換、ヴィヴィオとの距離を詰め、自身の得意な近距離線に持ち込もうとする。わずか半秒でヴィヴィオとの距離は残り半分まで詰められ、ディバインスフィアは目標を失い、かつて大男がいた場所のはるか後方を通り抜けた。このままでは、先ほどまでの展開と変わらずヴィヴィオの劣勢。
 かに見えた。
『Stinger Snipe』
 しかし、ヴィヴィオはすでに追撃の準備を終えていた。耳に心地よく響くのはザイフリートの音声。魔力が淀みなく流れ・変換される。単独並列処理をしていた今までとは、明らかに違う感覚。
 よもすればいささか変化の大きすぎる、デバイスを使うという感覚に、ヴィヴィオはすでに対応していた。
「シュート!」
 生成されたのは、小型誘導魔力弾であるディバインスフィアよりもふたまわりは大きい魔力光弾。複数同時誘導により数で相手を攻めるアクセルシューターに対し、誘導性能と威力のみを追求し単独の魔力弾で複数の敵をしとめる、誘導制御型魔法。
 放たれた魔力光弾は螺旋回転を描き、大男に一直線に向かった。
 その弾丸に、拳のひと振りにより真っ向から激突する大男。ここで防御魔法を使わないのは、彼なりのこだわりなのか。電気付加された拳と魔力光弾。双方の力は拮抗し、純粋な威力と威力による押し合いが始まる。ヴィヴィオは次の魔法の準備をするため、スティンガーに対抗する大男から距離を取った。
 それと同時にヴィヴィオに襲いかかったのは五発の雷弾。大男が自身の背後に待機させていた雷弾を、スティンガーとの激突の瞬間にヴィヴィオに向けて放ったのだ。雷弾は上下左右正面とそれぞれ別々の軌道を描きながら、ヴィヴィオに迫る。
 ヴィヴィオはそれを視認し、表情を変えず、新たなコマンドをザイフリートに叩きこんだ。
「ターン!」
 その掛け声を放った時点で、すでに雷弾とヴィヴィオとの距離はほんの数メートル。命中まで残り一秒弱。しかし、雷弾はヴィヴィオの数十センチ手前で、五発ともはじけ飛んだ。
「!?」
 魔力光弾の相手をしながらヴィヴィオの様子を見ていた大男の表情が、驚愕にそまる。
 迫りくる雷弾を破壊したのは、さきほど大男に向けて放たれ、外れてしまったディバインスフィア。ヴィヴィオはそれを反転させ、雷弾にぶつけて自分へのダメージを防いだのだ。
 自身の認識をはるかに超える速度で、5つの魔力弾を同時に操作し5つの対象に命中させる。
 それがどれほどの難度を誇ることなのか、一番理解していないのはヴィヴィオ本人だった。
 このような方法を、躊躇いもなく閃き、成功させてしまうのだから。
 眼前の脅威も去り、ヴィヴィオは改めてザイフリートを構える。その構え方は魔法の杖に対するものでなく、大砲を使用するときの構え方。管理局最強の教導官、高町なのはが最も得意とするスタイル。眼前を見据え、狙い定める。目標は、未だスティンガーと拮抗を続ける大男。
 ヴィヴィオは初めから、これを狙っていた。
 スティンガーには、ディバインスフィアよりも大きな魔力を込めることができる。だから、威力もあり耐久力も高い。防壁で防がれても改めて誘導し直せばいいだけのこと。スティンガーへの正しい対抗策は、防御ではなく破壊。スティンガーは対象に命中するか破壊されない限り、術者の誘導に従っていつまでも敵を追い続けるのだから。そのスティンガーに、撹乱用のアクセルシューターを組み合わせて、初めて成り立つ狙い。
 もちろん、アクセルシューターとスティンガースナイプのような性質の違う魔力誘導弾を同時に高精度で誘導し続けるということは、かなりの高等技能だ。先ほどまでのヴィヴィオならは、そこまでの並列処理はできなかっただろう。
 それを可能にしたのは、ザイフリートの能力。
 魔力が自然に流れる。変換もスムーズに行える。並列処理・誘導操作への感覚も、今までになくクリアだ。魔力の触媒として最上級の存在。しかもザイフリートは、まるで十年来のパートナーであるかのようにヴィヴィオの手によく馴染んでいた。ヴィヴィオはまだ十年も生きていないから、遺伝子に同調する感覚とでも言えばいいのか。
 これが、デバイスと魔導師の関係。
 なのはママとレイジングハートとの、フェイトママとバルディッシュとの関係。
 素敵だな。ヴィヴィオはそう思っていた。
 お互いがお互いを補助し、助けあい、二人の最大限の力を発揮する。
 お互いに命をかけて、想いを込めて、ひとつの目標に向かう。
 パートナーを得た今だからこそ、ヴィヴィオは本当の意味で理解した。
 私は、一人で戦っているんじゃない。
 そう感じた。
 だから。
 だからこそ。
 負ける気が、しない。
『Plasmatoller Typ』
 ザイフリートから放たれたのは、雷砲撃魔法のコマンド。ヴィヴィオの左腕を二つの環状魔法陣が取り巻く。その色は、鮮やかな虹色。環状魔法陣が魔力を増大・加速し、ヴィヴィオの左腕に魔力が収束される。収束された魔法は速やかに電撃に変換され、高電圧を帯びたヴィヴィオの左腕が金色に輝く。
 ここまでは、フェイトの魔法と同じ。
 環状魔法陣と同時にヴィヴィオの足もとに展開されたのは、フェイトのそれと違い、ベルカ式の魔法陣。ヴィヴィオの本来の魔力資質は、古代ベルカ式では極めて稀な純粋魔力の射出・放出系。魔力系統こそ違えど、なのはとまったく同じ資質を持っているヴィヴィオ。だからこそ、教わった魔法を自分流にアレンジすることは、当然のことである。
 つまり、ヴィヴィオの資質は、なのはと同じ砲撃魔導師なのだ。すべての魔法系統を使用できるヴィヴィオでも、砲撃魔法に関しては古代ベルカ式にアレンジするか、ミッド式と組み合わせた方が段違いで効率がいい。
「プラズマ……!」
 収束変換した魔力を圧縮し、射出のシークエンスに入る。あまりの高電圧に、ヴィヴィオの周囲の酸素がオゾンに変換され、鼻につく異臭を放つ。
「スマッシャー!」
 射出コマンドと共に、高威力の雷砲撃が放たれる。電気が周囲の空気を変質させる音を響かせながら、大男に迫る。
 一方で大男も、プラズマスマッシャー被弾直前でスティンガーの魔力光弾を破壊していた。さすがに今回は正面から魔法の破壊にかかることはしないようで、回避行動を取る。その顔からは余裕が消え、今までにない必死の形相をしていた。それもそうだろう。いくら大男でも、漏れた電圧だけで周囲の酸素をオゾン生成させるほどの砲撃、喰らえばただではすまない。
 大男のすぐそばを雷撃が通り抜ける。直撃はしていないが、服の一部が高電圧により焼け焦げている。間一髪のところでプラズマスマッシャーの回避に成功した大男は、すぐに回避体制を戦闘態勢に切り替え、ヴィヴィオを探す。
 だが、森の中には、すでにヴィヴィオの姿はなかった。
 危機に対処するかごとくの緊張感で周囲を見渡す大男。
 エリアサーチも併用するが、ヴィヴィオの姿も気配も、認識できなかった。
 明らかな異変に、大男は不信感を顕わにする。
 これほどの攻撃を放つ敵がどこにいるのか分からないなど、これほどの恐怖はないだろう。
 そんな中で。
 不意に、
 世界が、淡い虹色の光に包まれた。
 咄嗟に、上空を見上げる大男。
 その視線のはるか先、空高くに、ヴィヴィオが浮かんでいた。
 そしてその腕には、四つの環状魔法陣が取り巻くザイフリート、足もとにはベルカ式の魔法陣。環状魔法陣にて増幅・加速されるのは、周囲の大気を震わせるほどの膨大な魔力。
 大男は回避行動を取ろうと、足に魔力を収束させるが、しかし。
 その両足は、蒼い色をした魔力の鎖によって地面に固定されていた。動きを封じられ、大男の表情が歪む。その魔力光は、ヴィヴィオのそれとは違うもの。大男は慌てて周囲を、自身にバインドをかけた相手を探す。その視線の先にあったのは、蒼いベルカ式魔法陣を展開するアリカの姿。
『Divine Buster』
 森に響き渡る、ザイフリートの音声。
 アリカの姿を見て、ヴィヴィオの様子を見て、初めて、大男の顔に恐怖が浮かんだ。
「受けてみて。なのはママから教わったディバインバスターの、私流アレンジバージョン!」
 ヴィヴィオは魔力の込められたザイフリートを振り上げ、
「ディバイーン……!」
 渾身の魔力を込めて、振り下ろす。
「バスター!!」
 虹色の純魔力砲撃が、ザイフリートから放たれた。
 周囲の魔力すらも巻き込み、大気の壁を貫く虹色の光。その力は、莫大にして圧倒的。
 ヴィヴィオが最後に見た大男の表情は、それまでのものと違い恐怖に歪んだものだった。
 抗うすべもなくディバインバスターに飲み込まれる大男。周囲に轟く爆音と虹色の閃光。まるで魔力爆撃でも喰らったかのような状況。魔力ダメージオンリーの設定にしてあるのに、思わず生死を確認したくなるような有様。
 それこそが、ヴィヴィオ流ディバインバスター。
 これが、大切な人たちから教わった、大事な人を護るための力。
 泣いてる子を、助けるための力。
 魔力の放出を終え、ヴィヴィオは肩で息をしながら状況を確認した。視界の下には、ほぼ円形に黒く焼け焦げた地面と、その中央に倒れ伏す大男の姿。起き上がりそうな気配はない。大男が直撃の直前で防壁を張ったのは確認したが、バスターにはバリアブレイクの付加効果もある。大男のシールドを破壊したことも確認している。普通の人間ならば、すでに立ち上がることのできない一撃。念のため探知魔法を展開し、大男の生命反応を確認するが、完全に意識を失っている。これならしばらくの間、起こさない限り目が覚めることはないだろう。
 ヴィヴィオは安堵の溜息をつき、ゆっくりと地面に降り立った。地上十数センチのところでフライヤーフィンを解除し、地に足をつける。が、足に力が入らず、体制が崩れかかった。
「あ……」
 踏ん張ろうとしたのだが、足が動かない。
 ザイフリートに体調を誤魔化してもらうのも、すでに限界だった。全身の痛みが身体に戻り、思考が再び闇に包まれる。身体が前のめりに倒れるのを感じるが、もう姿勢を維持するだけの余力も残されていなかった。
 薄れゆく意識の中で、身体が誰かに優しく抱きとめられる感じがした。
 残った意識を振り絞って顔をあげると、自分のすぐそばにシャッハと、泣きそうな顔でこちらに駆け寄るアリカの姿が映った、ような気がした。
 確認しようにも、すでにヴィヴィオの視界は完全に失われていた。
 そして残された微かな意識も、溶けるように、ヴィヴィオの頭の中から消え去った。




        ※




 夢を見ているとたまに、『あ、これは夢なんだな』と気付くことがある。
 夢の中での自分の意識など霞のようなもので、ただでさえ曖昧な自我というものは夢の世界の中に溶け込んでしまい、自身の意識と夢の境界はかなりあやふやなものになる。自分の意識の中にあるはずの夢は、しかし実際に感じる感覚としては、まるで自分は自動再生の映画に登場人物でとして溶け込んでしまったようなものだ。自分でその物語を改編することもできないし、そもそも自己を自己だと認識することすらできない。
 それでも自分がいる世界を夢だと認識できるのは、あまりにも曖昧すぎる感覚を自覚してしまうからなのか。いかなる状況でも自我を失わない強靭な心を持っているからなのか。あるいは、何かがそうさせているのか。
 理由は分からないが、確かに夢を夢だと認識できることもある。
 妙にふわふわした感覚。靄がかかったようにはっきりとしない思考。現実ではありえない出来事。
 そして今のヴィヴィオも、自分がいるのは夢の世界だと認識していた。
 ヴィヴィオは夢の中で、ふわふわと浮かんでいた。頭の中も、はっきりと確認することのできない身体のようにふわふわとしていた。考えがまとまらない。これは夢だと意識できても、覚醒できるほどのはっきりとした自己を確立できない。ぼんやりとした感覚。
 唯一しっかりと確認できるのは、浮かんでいる自分の下にいる人のこと。
 一人の女の子が、そこで泣いていた。
 どうして泣いてるの?
 誰かがあなたのことを悲しませているの?
 だったら、手を伸ばして。
 お話を聞かせて。
 あなたの想いを、私に伝えて。
 そしたら私が、あなたのことを護るから。
 そう、ヴィヴィオはぼんやりとした思考の中で思った。そう、声をかけようとした。だけど、声が出ない。近づいて、女の子の傍に行こうとしてるのに、手足をバタバタともがいても、身体は一向に進まない。それどころか、どんどん女の子から遠ざかっていく。
 お願い、気づいて!
 あなたが私に気づいたら、私はあなたを助ける。助けられるんだから!
 必死に想いを込め、ようやく手を伸ばすことができたヴィヴィオ。
 けれど、すでにその女の子からはかなり離れてしまっていた。意識が再び、漆黒の闇の中に飲み込まれる。
 最後の瞬間。
 ヴィヴィオは、その女の子の顔を見た。
 それは、ヴィヴィオがよく知っている女の子だった。
「アリカちゃ……」
 あなたのことは、さっき助けたハズなのに。
 どうして泣いてるの、アリカちゃん?




        ※




「…………?」
 目が覚めると、そこは見慣れない部屋だった。
 ヴィヴィオは自分が寝ていたベッドから上体だけ起こして、部屋の中を見渡した。部屋の中は広く、簡素ながらも良く見ると丁寧な装飾が施された、落ち着いた造りの部屋だった。自分の横には、もうひとつ大きめのベッドが置いてある。ベッドに使われている木材の光沢からして、少なくとも安くはなさそうだ。ヴィヴィオがこの部屋に抱いた最初の感想は、センスのいいお金持ちのお屋敷の客間、というものだった。
 ヴィヴィオは首をかしげた。
 どうして、私はこんなところにいるのだろう?
 更に部屋を見渡すと、自分の右手に大きな窓が、左側には扉が確認できた。窓から注ぎ込む太陽の光はすでにオレンジ色。壁に掛けられた時計によると、時刻は六時過ぎ。いつもなら、もう家に帰っているハズの時間だ。
 未だまどろみの中にあった意識が、ようやく調子を取り戻してきた。
 思い出せ。ヴィヴィオは自分にそう言い聞かせた。
 一体どうして、私はこんなところにいるの?
 その答えを探すために、記憶を辿っていく。そこでヴィヴィオは、自分の腕に包帯が巻かれていることに気付いた。よくよく見れば、全身いたるところに包帯が巻かれ、大きいガーゼや絆創膏が貼り付けられていた。頭にも違和感を感じると思って触ってみると、包帯がぐるぐる巻きにされていた。
 自分の身体にある包帯を見て、ヴィヴィオはようやく思い出した。
 アリカちゃんを護るために謎の大男と戦ったこと。
 戦いの最中に怪我をしたこと。
 ザイフリートを発動させて、自分流のディバインバスターを放って、なんとか大男に勝てたこと。
 地面に降り立って、そのまま意識を失ってしまったこと。
 それから。
 それから…………?
「?」
 思い出せない。
 何か、大事なものを見た気がするのに。
 どうもモヤモヤする。なにか、肝心なことを見落としている気がするのだ。
「……なんだったかな?」
 ヴィヴィオが再び思考の世界に飛び込もうとしたとき、コンコン、というノックの音が聞こえた。続いて扉が開き、部屋の中にシャッハとカリムが入ってきた。
「シスターシャッハ、カリムさん」
 ヴィヴィオは慌てて、ベッドから起き上がろうとした。しかし、身体を動かした途端、全身に激痛が走った。思わず身体に込めた力を抜き、バランスが崩れた。ベッドの上にうつ伏せに倒れそうになる。それを支え、助けてくれたのはシャッハだった。
「あ、ありがとうございます、シスターシャッハ」
「ヴィヴィオさん、無理をしないでください。あなたは今、怪我をしているのですから」
「え、でも……」
「いろいろお話したいことがあります。でも、あなたの身体に障ったら元も子もありません。どうか、横になってお話を聞いてください」
 シャッハは子供に優しく言い聞かせるような口調で、ヴィヴィオのことを再びベッドに横たえさせた。ヴィヴィオとしては目上の人と話すのに自分が寝た態勢のまま、というのには抵抗があったが、身体が痛くて動かないし、それにシャッハが自分のことを心配してくれていることが嬉しかった。なので、ここは素直に好意に甘えることにした。
「……ありがとうございます、シスターシャッハ」
「いえいえ」
 シャッハはヴィヴィオに微笑んでから、ヴィヴィオにシーツをかけた。
「……ヴィヴィオさん。お身体は大丈夫ですか?」
 カリムは、シャッハにお世話をされるヴィヴィオのことを、ひどく悲しそうな面持ちで見つめていた。
 どうして、カリムはこんなに悲しそうな顔をしているのだろうか。
「あ、ええ、まだ痛いですけど、大丈夫です」
 ヴィヴィオはシーツから顔だけ出した状態で、疑問を抱えたまま、カリムにそう答えた。
 すると、カリムはいきなり頭を下げた。
「ごめんなさい、ヴィヴィオさん。あなたに、こんな酷い思いをさせてしまうなんて……」
 その声はとても悲痛なもので、本当に、今にも泣き出しそうなくらいの申し訳なさに満ちていた。カリムのこんな声も、態度も、これほど深刻に謝られることもヴィヴィオには経験がなかったため、ヴィヴィオはどうすればよいのか分からなかった。
 カリムが謝っているのは、どう考えても先程の大男の襲撃のこと。それは理解できる。
 でもそんなこと、カリムのせいではないことは明らかだ。ヴィヴィオはそう思った。
「え、いえ、あのその、頭をあげてくださいカリムさん。何がなんだかよく分かりませんけど、ほら、私は無事ですし、それにあの、カリムさんが悪いわけじゃないですし!」
 とりあえず、カリムに頭をあげてもらうために必死に言葉を紡ぐヴィヴィオ。自分でもなにを言っているのかよく分からない。
 しかし、カリムは頑なに頭をあげようとはしなかった。
「いえ。今回の件は、明らかに我々の落ち度です。まさか、強硬派があれほど早く動くとは思っていませんでした。私にもっと力があれば、今回の襲撃は防ぐことができたかもしれないのに……」
「私からも謝らせてください、ヴィヴィオさん」
 言い、シャッハまでもが頭を下げた。
 あのカリムが頭を下げるなんて、それはとんでもないことだ。自分が悪いと思っても、頭を簡単に下げることは許されない立場にカリムはいるのだ。なのに、本来ならばカリムが頭を下げることを止める立場であるハズのシャッハもヴィヴィオに頭を下げている。
 それだけ、今回のことを申し訳なく思っているということか。
 しかしヴィヴィオにとっては、カリムもシャッハも悪くないと思っているわけで、頭を下げられても恐縮するばかりだった。
 ヴィヴィオが困惑する中、五分近くもの間、カリムとシャッハは頭を下げ続けた。


「……はぁ……」
 二人に聞こえないように、ヴィヴィオはため息をついた。
 目上の人にあれだけ頭を下げられるなんて、ヴィヴィオにとっては恐縮もの以外のなにものでもなかった。今は二人とも自分の横たわるベッドの横にあるイスに座っているが、頭を上げてもらうのに、ヴィヴィオはかなり神経をすり減らしてしまった。
 頭を上げてもらおうにも、それだけ自分に悪いことをしてしまったと思っているということだから、強くは言えなかったのである。あまり強く言うと、それは彼女たちの誠意を否定することになってしまう。ヴィヴィオは心の底からカリムとシャッハに責任はないと思っているし、彼女たちを責める気は毛頭ないのだが。
 あなたは悪くないと言って、納得するような人たちではないのだった。
「で、先ほどの大男の件ですが」
 落ち着きを取り戻したシャッハが、唐突に口を開いた。
 それは、先程の事件の本質。ヴィヴィオが知りたかったことのひとつ。
「ヴィヴィオさんとアリカさんを襲った男の名は、アシモフ・リベリエ。現在、聖王教会の騎士団によって事情聴取を行っていますが、彼は黙秘を続けています。……ですが、彼は聖王教会の騎士団に所属しており、また、彼自身も熱心な聖王教徒でもあります。状況証拠から、今回の件はやはり聖王教会の一部上層部の差し金というのは、ほぼ間違いがないでしょう……」
 事実を報告するシャッハの声は、無念と悲しみに打ちひしがれていた。それも当然だろう。かつての仲間が、悪意を持って自分の友人を襲ったのだから。だからこそ、シャッハとカリムはヴィヴィオに謝り続けたのである。
 それでも事実を伝えないといけないことに、ヴィヴィオも悲しみを感じた。
 ヴィヴィオは彼女たちを慰めようとして、しかし、口をつぐんだ。
 彼女たちにかける言葉を、ヴィヴィオは持っていなかったのである。
 部屋中を、重苦しい空気が包み込む。
 仕方がないこととはいえ、やはり居心地が悪い。
「……ところで、アリカちゃんは無事なんですか?」
 その場の空気を変えるために、カリムとシャッハに、とりあえずヴィヴィオは一番気になっていたことを尋ねた。
 元々、ヴィヴィオはアリカを助けるために戦ったのだ。事件の真相を聞いても、彼女の無事を確認しないことには安心しきれない。
「あ、はい。アリカさんは無傷でしたよ。ショックと恐怖から多少精神が不安定になっていますが、問題ありませんでした。詳しい話はまた後日、ということで、今日のところは家に帰ってもらっています」
「そうですか……」
 アリカの安否を確認し、ヴィヴィオの身体からどっと力が抜けた。
 私でも、なんとか泣いている子を助けることができた。その事実に安心したのである。
「それも、ヴィヴィオさんのおかげです。流石です、ヴィヴィオさん」
「いえ、そんな……」
 カリムの言葉にヴィヴィオは縮こまった。
 自分は大したことはしていない。ただ、なのはママと同じことをしただけである。
 その事実が、なんだか誇らしくて、嬉しかった。
 そこまで思って、ヴィヴィオは思い出した。
 今回の成果は、自分だけの力で成されたものではないということを。
 『希望の光』ザイフリート。
 彼がいたからこそ、あの大男に打ち勝つことができたのである。
 しかし今は、自分の手元にザイフリートは無かった。
「……あの、カリムさん」
「はい」
「ザイフリートは、今どこにいるんですか?」
「ああ。彼は今、メンテナンスを受けています」
「メンテナンス?」
「はい。彼の起動は実に五百年ぶりです。しかも、起動したばかりのだというのにかなり莫大な、学院中の魔導師が検知できるほどの大きさの魔力を行使したのです。内部の機械やシステムが老朽化している可能性もありますし、今回の件で破損していないとは言い切れません。メンテナンスついでに内部システムの換装も行っています。ヴィヴィオさん向けのチューンも行いますので、後日リンカーコアの解析もさせてくださいね」
「あ、ありがとうございます……」
 古代ベルカ式の最上級デバイスを譲り受け、それを自分向けに現代の最高技術でチューンしてもらえる。それだけを捉えたら、なんと素晴らしいことなのだろう。
 しかし、単純には喜んでいられない。
 ザイフリートを受け取るということは、同時に様々な思惑を背負うということなのだ。
 単純には喜べない。
「まだ具体的には分かっていませんが、一週間以内には基本構造の解析と換装も終了して、ヴィヴィオさん向けのチューンができるハズです」
「……一週間?」
 デバイスに関しての知識はヴィヴィオにはそれほどないが、それでも、一週間はいくらなんでも長すぎるのではないか、と思う。
 そのヴィヴィオの疑問に気付いたのか、カリムは説明を付け加えた。
「さきほど聖王教会騎士団の技術部から連絡があったのですが、ザイフリートの構造はパッと見ただけでもとてつもないもので、現代では使用されていない技術も組み込まれているそうです。その性能も、構造も、ほとんどロストロギア級だと」
「ロスト、ロギア……」
 ザイフリートは、どうやらヴィヴィオが思っている以上にすごいものらしい。
 カリムの言葉で、ヴィヴィオは思ってしまった。
 先刻、大男を圧倒したあの力。
 あれはもしかして、自分の力ではなく、ザイフリートの力なのではないのか?
 未熟な自分がロストロギア級の力を持ったザイフリートを使用することで、それだけの力を行使できたのでないのか?
 そう考えたら、急に自分が愚かな存在のように感じられた。
 ザイフリートの力に頼りっきりで、その力を自分の力と勘違いして、喜んだ。
 誰かに頼った力だけで、それを自分の力のように行使して、誰かを助けようとする。
 それは、たまらなく滑稽で情けない行為ではないか。
(私は、まだまだ未熟だな)
 ヴィヴィオは、自分の無力さを思い知った。
 ザイフリートに頼った力で、誰かを助けたんじゃ意味がない。その力は、私の本当の力じゃない。強さじゃない。優しさじゃ、もっとない。
 確かに、誰かを助けるだけなら、結果だけを見ればそれでもいいのかもしれない。でも、それは、ただ助けただけだ。守っただけで、本当の意味で助けてない。護っていない。そんな強さ、意味がない。そんな優しさ、偽物だ。
 それに、ザイフリートとそんな関係であるのは間違っている。
 なのはママやフェイトパパみたいに、お互いに信じあい、足りないところを補い合い助け合うことで二人分以上の力を発揮することが、デバイスとマスターの関係なのだから。
 このまま、ザイフリートに頼ってばかりではいけない。
 私も、強くならないと。
 ザイフリートを使い、本当の意味で、ザイフリートの『マスター』にならないといけない。
 ヴィヴィオは考える。
 どうすれば、私は本当の意味で強くなれるのだろう。
 どうすれば、泣いてる子を本当の意味で助けることができるのだろう。
 どうすれば、なのはママみたいに、本当の意味で優しく強くなれるのだろう。
 ヴィヴィオは考えて、そして、思いだした。
 ……なんだ、簡単なことじゃないか。
 強くなる方法を、私はもう知っている。
 後は私が、決断するだけだ。
 ヴィヴィオは息をゆっくりと吸い込み、心を落ち着ける。これからカリムたちに告げることは、間違いなく自分の人生を大きく変えてしまう。まさかこんな形で決断することになるとは思っていなかったが、仕方無い。何が起こるか分からないから、人生なのだ。
 決意を固め、ヴィヴィオは言葉を、運命を紡ぐ。
「カリムさん」
「はい、なんですか?」
 再び息を吸い込み、はっきりとした声で、ヴィヴィオは告げた。
「……私に、古代ベルカ式魔法と、聖王の魔法を教えてください」
「…………え!? しかしヴィヴィオさん、それは……」
「足りないんです。今の私じゃ、なのはママみたいに、泣いてる子を助けてあげることはできないんです。今回の件で痛感しました。私は未熟だと。このままじゃ、なのはママみたいにはなれないと。だから私は、強くなりたいんです」
「……本当に、いいのですか?」
「はい」
 カリムの目を見つめ、はっきりと、ヴィヴィオは告げた。
「……なのはさんと同じ瞳をしています。誰が何と言おうと、絶対に決心を曲げない瞳です。これでは、私が何を言っても無駄でしょうね」
 カリムはため息をつき、それからしっかりと、ヴィヴィオを見据えた。
「ザイフリートのメンテナンスもありますし、それに今のヴィヴィオさんは怪我をしています。まずは傷を癒すことに専念してください。……そうですね、一週間。一週間後から、聖王の魔法を教えていきます。夏休みを全て費やすことになりますが、よろしいですか?」
「はい」
 躊躇わず、ヴィヴィオは返事をした。
 迷いはない。後悔もない。
 あの、なのはママみたいな、強くて優しい人になるためだ。
 それぐらいじゃないと、むしろ困る。
「泊まり込みで、夏休み中ですよ?」
「今年の夏は、なのはママもフェイトパパも忙しくて、多分お家に帰ってくることもほとんど無いと思います。だから、問題ありません」
「……分かりました。では、一週間後から、この屋敷に泊まり込みで、聖王の魔法を学んでもらいます。でも今日のところは、ヴィヴィオさんの家まで送りますので身体を休めてください。詳しい日程はまた後ほど」
「はい」
 もう、後戻りはできない。
 後戻りをする気もない。
 魔法を学び始めた理由を思い出してしまったから。
 自分の未熟さを痛感したから。
 憧れの人みたいになりたいから。
 護りたい人たちがいるから。
 ヴィヴィオは、強くなると決めた。
 どんなことがあっても、絶対に負けない。屈しない。諦めない!
 強い想いと決意と、憧れと共に。
 ヴィヴィオは今、新しい一歩を力強く踏み出した。

 
 受け継いだのは勇気の心。
 手にしたのは魔法の力。


 こうして、ヴィヴィオの夏休みが、始まった――――








       ※








 ヴィヴィオを家まで送った後。カリムが所有する高級車。
 シャッハが運転するその車の後部座席に、カリムは座っていた。
「……しかし、カリム」
「なんですか、シャッハ」
「……私は、ヴィヴィオさんが聖王の魔法を学ぶこと、あまり賛同できません」
「…………どうしてですか?」
「聞かなくても、私はカリムも同じ気持ちだと思っていますが?」
「……まぁ、正直に言えば、私も今回の件は、あまり乗り気ではないと言うか、肯定的にとらえることはできません」
「なら……!」
「ですが……今、ヴィヴィオさんは古代ベルカ式の魔法を、聖王の技術を習得することを望んでいます。ならば、私たちにできることは、せめてヴィヴィオさんが後にこの選択を後悔することがないよう、良い方向に導くことだと考えています」
「……気が重いです。長年の友を欺いているようで」
「いえ。私たちは、もうすでに友を欺いているのですよ、シャッハ」
「……アシモフのことですか?」
「ええ」
「……まさか、聖王教会に連行した途端、自身の電気魔法を暴走させて、自らの身体を焼き尽くすとは……」
「ヴィヴィオさんには教えなくてもいいことだと、あの時は判断しました。ですが……」
「カリム。その判断は間違っていないと、私は思います。私はヴィヴィオさんが聖王の魔法を学ぶことはどちらかと言えば反対ですが、それでも今は、余計なことを伝えない方がいいと思います」
「アリカさんのことも含めて、ですね……」
「知らない方がいいことは、この世の中には沢山あります。……そうですね、カリムの言うとおりです。友を欺くのは心が痛みますが、それでも、友を苦しめるよりは、よほどマシというもの」
「……せめて厄介事くらいは、私たち大人が背負いましょう。子供たちを導き、子供たちが自分の夢を追い求めることだけに集中できるようにするのが、大人の務めです」
「……ゆずりはの詩、ですか」
「ええ。『そしたら子供たちよ もう一度ゆずり葉の木の下に立って ゆずり葉を見るときが来るでしょう――』 世界は、そういう風に回っているのですから」
「はい」
 カリムは車の窓から、外の風景を眺めた。
 闇夜の中に街の明かりが瞬いている。その輝きはまるで昼間のようで、夜空の星たちを圧倒していた。
「……それにしても、ヴィヴィオさん、凄いですね」
 それまでの重苦しい雰囲気と打って変わって、シャッハが幾分弾んだ声でカリムに話しかけた。
 重い空気に食傷気味だったカリムは、シャッハの話に乗ることにした。
「なにがですか?」
「あの砲撃魔法ですよ。まさか、学院の敷地の端まで、魔力の気配が届くとは」
「ああ。あの魔法のことですか」
「しかも、ザイフリートを使って、ですよ」
「……まさか、五百年の年月が機能の半分近くを使用不能にさせ、更に二重の出力リミッターがかかっているとは……」
「しかも古代ベルカの特殊デバイスですしね。あのようなデバイス、普通の魔導師では使用することもできないでしょう。私でも、デバイスとの相性もありますが、あれで聖王教会の騎士と戦って勝てる自信はありません」
「まぁ、あれはほとんどヴィヴィオさん自身の莫大な魔力と、優れた魔力資質による特化技能だから、というものもあるのでしょうが……それでも、凄いことに変わりはありませんね」
「もしかしたら、ヴィヴィオさんはなのはさんを超える砲撃魔導師になるかもしれませんね」
「可能性は十分ですね。なにより、本人の心が強い」
「あれでまだ九歳ですからね。そこらの若者よりよほどしっかりしていますよ。一体、なのはさんとフェイトさんはどんな教育をしているのだか」
「……未来の希望に夢を馳せるのも、大人の楽しみのひとつ、ですね」
「ええ。私も、ヴィヴィオさんの将来がとても楽しみです」

 


 二人の騎士を乗せて、車は進む。




 この事件の本質が、二人が知る以上に深いことを。
 まだ誰も、知らなかった。