「……」
 「……」
  無限書庫、一般開放区域。
  無限書庫の司書だけでなく、許可を得た魔導師以外でも立ち入り、自由に本が閲覧できる、無限書庫において普通の図書館のような役割を果たすところ。実際のところ、一般開放区域と非開放区域の違いは、本が整理整頓され秩序を持って並べられているのかどうか、というだけのことだ。
  一般の人が求める本は、ほとんどが一般開放区域に収められている。
  一般の人々には繁雑に並べられた書籍では自分の求めるものを検索できないだろう、という無限書庫側の配慮であり、一般開放区域にない書籍でも、司書の人にお願いすれば非開放区域からでも検索してもらえるので、一般開放区域の存在は開設された五年ほど前から割と好評だった。 
  その場所にエリーゼがいるということは、彼女も調べ物をしているのだろうか。しかし、彼女の表情から察するに、検索はうまくいっていないようだった。
 「…………」
 「…………」
  言葉もなく、見つめあう二人。
  昨日の今日で決闘を申し込んだ相手と、申し込まれた本人。
  元々交流もない二人が、こういった不意の状況において交わす言葉をなどあるはずもない。
  沈黙が続く。
 (うう……)
  気まずい。
  二人の間を支配するこの空気、耐えられるものでもないし、耐えたいものではもっとない。
  この状況を抜け出すために、ヴィヴィオは言葉を探す。
 「……あの……」
 「……なんですか、高町ヴィヴィオさん」
  微妙に棘のある声。
  それにめげずに、ヴィヴィオは言葉を口にした。
 「……探し物、お手伝いしましょうか?」
 「…………はい?」
  聞き返された。思いっきり不審な顔で。
  唐突な申し出に、エリーゼもその真意を測りかねているようだ。自分でも、この申し出はどうかと思うくらいだから、そういう顔で見られても仕方無いと思う。
  けれど、それを頼りに、会話自体はなんとか続けられそうだ。
 「あの、本、探してるんですよね? 私、ここの司書なので、お手伝いできると思うんですけど…………」
 「司書? あなたが?」
  信じられない、という顔をするエリーゼ。
  それはそうだ。
  無限書庫の司書というのは、それなり以上の難易度を持つ資格である。
  ヴィヴィオのような子供が、と思うのも無理はない。
 「ほ、本当ですよ?」
  今までも信じてもらえないことがあった。
  こういうことは、言葉だけで信じてもらうのは難しい。
  疑いの眼差しで、ヴィヴィオはじっと見つめられる。
  エリーゼの視線は何だか力があるので、そういう視線で見つめられると結構辛い。
 「…………分かりました。信じましょう」
 「…………信じて、くれるんですか?」
 「この状況で、そのような嘘をつく理由が考えられません。信じがたい話ですが、あなたはきっと本当にここの司書なのでしょう」
 「ありがとう、ございます……」
  エリーゼの言葉に、今度はヴィヴィオが驚かされた。
  ろくに言葉を交わしたこともないのに、私のことを信じてくれるなんて。
  もしかしたら、エリーゼさんは、すごくいい人なのかもしれない。
 「……で、どんな本をお探しなんですか?」
 「そうですね。聖王陛下に関する文献。できれば、聖王一族の固有スキルや、聖王陛下の魔法に関する記述があるものが望ましいです」
 「分かりました。それで検索してみます」
  息をゆっくりと吸い込んで、吐き出す。
  こういった場合、まずは信用を得ることが大事だ。
  だからヴィヴィオは、全力全開で魔法陣を起動する。
 『検索魔方陣七式、展開! 指定エリア、B.C.ベルカから、現在のベルカ自治区まで。本文含み、全文検索!』
  ヴィヴィオの詠唱と共に、ヴィヴィオの周囲に複数のミッドチルダ式魔方陣が展開される。
  虹色の魔力光『カイゼル・ファルベ』を持つヴィヴィオのその術式は、傍から見るとまるでヴィヴィオが虹色の光に包まれているようで、それが味気のない検索魔法とは思えないくらい綺麗なものだった。
 『フルドライブ・オープン!』
  指定ワードを魔法陣に打ち込み、検索魔法を起動する。
  無限に近い書籍の中から、次々と関連書籍がピックアップされる。それらをヴィヴィオは並列処理し、必要な情報を含むものだけを検索候補として手元に転送する。あっという間に、ヴィヴィオの周りを古い書籍が取り囲んだ。
  エリーゼは、そうして目の前に漂ってきた本を適当に手に取り、パラパラとページをめくる。
  次の瞬間、エリーゼの表情が驚愕に染められた。
 「これだけの書籍を検索するだけでも相当重いハズなのに、更にこれほど的確な書籍を、これほどの短時間で探し当てるなんて……」
  エリーゼはキッと、ヴィヴィオを強い眼差しで見つめた。
  その視線で睨まれ、思わずヴィヴィオは怯んでしまう。
 「…………あなた、一体何者なんですの?」
 「えっと、人より少しだけ読書が好きな、普通の九歳の女の子です」
  エリーゼの問に、ヴィヴィオは自分が思っていることを素直に述べた。
  ヴィヴィオにとって、自分の能力は普通の女の子の範疇を出ない。心の底では、自身の能力の有り得なさを自覚しているのだが、普通の女の子でいたいという願望が、それを素直に認めることを認めない。
 「しかも、今の検索魔法はミッドチルダ式……。あなたの適性は、古代ベルカ式ではないのですか!?」
  ヴィヴィオに詰め寄るエリーゼ。
  そのあまりの勢いに、ヴィヴィオは思わず面食らう。
 「どういうことか、お話、聞かせていただけますか?」
  有無を言わさぬエリーゼの言葉。
 「は、はい……」
  ヴィヴィオはただ、頷くことしかできなかった。




  無限書庫は、時空管理局本局の内部に設けられている。
  本局では多くの局員が昼夜問わずに働いているので、飲食店や雑貨品店など生活に必要なものを販売する場所や、疲れた身体や心を癒すための施設も多く、まるでひとつの都市のような設備を多数設けている。
  その中で、無限書庫に一番近い食堂に、ヴィヴィオとエリーゼは向かった。
  無限書庫は、規模がとてつもなく大きい図書館のようなものである。
  図書館の中で長話はよくないから、というヴィヴィオの進言によるものだった。
  時間を問わず賑やかな食堂で、ヴィヴィオとエリーゼは二人掛けの席に、向かい合って座った。食堂に来て何も頼まずに座るのもよくないので、ヴィヴィオは冷たいココアを、エリーゼはホットコーヒーを注文していた。
 「……で、どうしてミッドチルダ式の魔法を使うあなたが、古代ベルカの魔法である聖王の魔法を習得しようとしているのですか?」
  席に着くなり、エリーゼは話を切り出した。
  エリーゼの視線だけでなく、声にも有無を言わせぬ迫力がある。それこそ、生まれつき人々を従わせる能力でもあるんじゃないかと思うくらい。
  エリーゼの問いに、ヴィヴィオは答えるしかなかった。
 「あの、私の両親が、ミッドチルダ式の魔導師なんです。だから私も、って思ってミッドチルダ式を習得したんですけど、両親がカリムさんやシスターシャッハと交流があって、その縁でザンクト・ヒルデ魔法学院に通うようになって、私に古代ベルカ式の資質があることが分かったから、その縁で、今の状況になります……」
  しかし、だからと言って自分の生い立ちを正直にすべて話すわけにはいかない。出生を始めヴィヴィオには周囲には秘密にしていることがいくつかあるが、自分が聖王陛下であるということは、ヴィヴィオが最も知られたくないことだった。
  そもそも『私は聖王です』なんて、そんな突拍子もないこと、言ったところで信じてもらえるかどうか疑問だった。
  みんなには、普通の女の子として、自分に接して欲しいから。
  なるべく不審に思われないように、言葉を選んで説明する。
 「そうですか……」
  ヴィヴィオの言葉を聞き、その意味を租借するかのように瞳を閉じるエリーゼ。
  エリーゼの次の反応を待つヴィヴィオもなんだかドキドキする。
  今のたどたどしい、真実をいくつか抜いた説明で、一体どれだけ信じて貰えるのか。
 「……成程、あなたの事情は大体理解しました。私もあなたの両親のことは知っていますし、それなら、今までミッドチルダ式魔法を使用してきたということも納得できます」
  高町という姓を出すだけで、両親のことを訪ねてきたことがこれまで幾度かあったを思い出した。
  私のママとパパは、一体どれだけ有名人なんだろう。
 「それに、あなたのご両親なら騎士カリムやシスターシャッハと交流があってもなんら不思議ではありませんし、その縁から、あなたの適性を見出すことも、ないとは言い切れません。まだいくつか疑問点は残りますが、一応の辻褄は通ってますし、あまり深入りしても、個人のプライバシーに関わりますしね。これで、あなたの事情を理解したということにしましょう」
 「あ、ありがとうございます……」
  どうやら、一応は誤魔化せたらしい。
  これ以上深入りされないことに、ホッと胸を撫で下ろすヴィヴィオ。
  普段は微妙な気持ちだが、こういうときばかりは、両親の知名度に感謝である。
  しかし。
  心が落ち着くにつれ、ヴィヴィオの中でとある疑問が生まれた。
  それはきっと、この状況の本質に関わる疑問。
  どうしてエリーゼさんは、こんなに私…………いや、
 「あの、私からも質問、いいですか?」
 「どうぞ」
 「どうしてエリーゼさんは、そんなに聖王陛下にこだわるんですか?」
  どうして、こんなに聖王陛下にこだわるのだろうか。
  信仰だから、と言ってしまえばそれなのかもしれない。
  けれど、これはヴィヴィオの勘、のような考えだが、エリーゼが聖王陛下にこだわる理由は、それ以外にもあるような、そんな気がした。
 「……そうですね。あなたには、話しておくべきなのでしょう」
  一呼吸おいてから、エリーゼは語りだした。
 「私の家……ダイムラー家は、あなたもご存じでしょうが、聖王陛下の血を受け継いでいます。受け継いでいると言っても、聖王陛下がご存命の頃の私の祖先すら聖王の遠縁程度の繋がりでしたから、今の私たちと聖王の繋がりなんて、ほとんどないも当然でしょう」
  ヴィヴィオも、それはカリムから聞いていた。
  現代において、正当な聖王の血を受け継いでいる人はいないと。
 「とはいえ、聖王陛下を受け継ぐ者がいない今、その薄い血縁を頼りに、私の一族が『聖王を継ぐ者』として聖王教会の上層部の一端を担っています。私たちのような血縁と呼んでいいのかどうかすら疑わしい繋がりでも、聖王陛下のいない現代では、聖王陛下を受け継ぐ者として扱われているのです」
  だからこそ、ほんのわずかな血縁を持つ者でも、その意味は大きくなると。
 「ですから、現代において聖王の血を受け継いでいる私たちには、責任があるのです」
 「責任?」
 「聖王陛下の正当な血統が途絶えた今、私たちの一族が、聖王の血を、意志を受け継がなくてはならないのです。少なくても私はそう思いますし、私の父も、祖父も、そういう思いで生きてきました。私たちの一族には、それだけの義務と重責があるのだと」
  エリーゼの言葉に、段々と力が籠る。
 「私たちが聖王陛下への信仰を示さなくて、一体誰が示すのですか?」
  しっかりとヴィヴィオの瞳を見つめ、正面から真っ直ぐな言葉で、エリーゼはそう告げた。
  その言葉には、聖王を信仰していないヴィヴィオにも伝わる、重みがあった。
  それは、覚悟。
  軽々しく言葉を放つことすらも許されない。
  エリーゼの背負っているものの一端を垣間見た、そんな気がした。
 「先日、あなたに決闘を申し込んだのは、別にあなたに恨みがあるから、とかそういうわけではありません。……正直、あなたには悪いことをした、とも思っています」
  本当に申し訳なさそうに、エリーゼは言う。 
 「むしろ、私たちはあなたに謝らないといけません。あなたに聖王陛下の魔法を習得させなければならない、という事態がすでにおかしいのです。私たちの一族の誰も、次期当主である私ですら、古代ベルカ式の適性を持たないのですから」
  エリーゼの言葉から滲み出てきたのは、無念。
  他でもない聖王を継ぐ者が、聖王を本当の意味で継ぐことができない。それだけの自負を覚悟を持って、自分たち自身で聖王の魔法を受け継ぐことができないことができないのは、どれほどの無念だろうか。 
 「ですが、それでも、私は示さなねばならないのです。正しい信仰の在り方を。聖王の名を、力を、意志を、継ぐ。その、重さと責任を」
 「……………………」
  言葉もでないヴィヴィオ。
  エリーゼの言葉は予想以上に真摯で、彼女の抱える責任と覚悟が、ひしひしと伝わってきた。
  ヴィヴィオは思う。
  彼女はおそらく、物心つく頃からずっと、それだけのものを背負って生きてきたのだ。
  重責と、覚悟と、責任。無念と、悔恨。
  それは、一体どんな人生だったのだろう。
  軽々しい言葉などかけられない。軽い気持ちで言葉を紡げば、それは彼女の歩んできた人生に対する最大級の侮辱となる。お話を聞いて、ヴィヴィオはエリーゼに敬意すら抱いていた。同じ立場に生まれていたとして、果たして私は、彼女のように強く生きていくことができたのだろうか。
  エリーゼの言うとおり、私に、聖王の魔法を受け継ぐ資格があるのだろうか。
 「……確かに、私には、あなたのような覚悟はないのかもしれません。ただ古代ベルカ式の適性がある、というだけで聖王の魔法を受け継ぐというのは、エリーゼさんたちにとって、いえ、聖王を信仰する人たちにとって、すごく失礼なことをしているのかもしれません」
  だけど。
  ヴィヴィオにも、譲れないことがある。
 「ですが、私も覚悟しています。エリーゼさんのように、それだけのものを背負ってでも、私には護らないといけないものがあるんです」
  エリーゼの瞳を、しっかりと見据える。
  視線を逸らさない。
  逸らしたら、自分の想いが嘘になってしまう。そんな気がしたから。
 「知っているのですか? あなたの、今の状況の危うさを」
 「知っています」
 「これから危険な目にあったり、もしかすると命を落とすかもしれないのですよ?」
 「覚悟の上です。そうでもしないと、私は護れないし、追いつけないんです」
 「……御両親を受け継ぐためですか?」
 「いえ。自分の意志で、決めたことです」
  そうまでしてでも、聖王の魔法を習得したい理由。強くなりたいわけ。
  最初は、単純な憧れだった。
  実際に友達を護るために戦ってみて、己の無力さを思い知った。
  このままでは、強くて優しいあの人たちみたいに、誰かを護ることはできない。
  だから私は、どんなに辛いことがあっても強くなる。
  護れなくて後悔、したくないから。
  言葉もなく、見つめあう二人。
  時間だけが過ぎていく。
  ホットコーヒーの湯気は、いつの間にか消えていた。
  不意に、エリーゼが溜息をついた。
 「……あなたの人となりを、理解できた気がします。……もしかしすると、あなたには、聖王陛下の魔法を受け継ぐに足る人物、なのかもしれません」
 「え……」
 「ですが、だからと言って、簡単に認めるわけにはいきません。聖王陛下の魔法を習得するということは、聖王陛下の名を背負う、ということでもあります。それだけ聖王陛下の名は重いのだと、理解できますね?」
 「はい」
 「明日の決闘で、あなたが聖王陛下を継ぐに足る人物なのか、見極めさせていただきます。何様なのかと思うかもしれませんが、これはダイムラー家に課せられた職務だと、私は考えます」
 「いえ、何様とか、そんな……」
 「…………結構、話し込んでしまいましたね」
  時計を確認しながら、エリーゼが呟く。
  ヴィヴィオも時計を確認すると、エリーゼの言うとおり、結構な時間が過ぎていた。
 「では、今日はこのあたりで。明日の決闘のこと、忘れないでくださいね」
  席を立ち、ヴィヴィオに背を向けるエリーゼ。
 「それでは、ごきげんよう」
 「ご、ごきげんよう」
  どうやら、エリーゼさんはマイペースな人らしい。
  最後に、ヴィヴィオはそんなことを思った。
 「あ、そうでした」
  くるりと回り、エリーゼは再びヴィヴィオの方を向いた。
 「本、ありがとうございました」
  微笑みながらそう告げると、エリーゼは踵を返し、再び出口に向かって歩き出した。
  エリーゼの後姿が見えなくなるまで、ヴィヴィオはその背中を見つめることしかできなかった。
  手をつけることのできなかったアイスココアの氷は、いつの間にか溶けてなくなっていた。
 「…………」
 「大変なことになってるね」
 「ひゃあ!?」
  突然の声に驚いて振り向いてみると、ヴィヴィオの座っている席の真後ろで、無限書庫司書長ユーノ・スクライアが腕組みをして立っていた。
 「やあ、ヴィヴィオ。久しぶり」
 「ひ、久しぶりです……」
  ユーノの言うとおり、ヴィヴィオがユーノと出会うのは久しぶりだった。
  若くして無限書庫司書長の肩書を持つユーノは、司書長の仕事と考古学者としての仕事と兼業しており、最近は管理局から重要な仕事を依頼されているようで、あまりヴィヴィオと顔を合わせる機会がなかったのだ。
 「いや、久しぶりによく見知った人がいるから声をかけようと思ったんだけど、どうにも声がかけられる雰囲気じゃなくてさ」
 「あの、どの辺から聞いてましたか?」
 「んー、『どうしてエリーゼさんは、そんなに聖王陛下にこだわるんですか?』の辺りから、かな。盗み聞きとか、そんな趣味の悪いことがしたかったわけじゃないけど、なんだか深刻そうな話だったからさ、つい、ね。ごめんね、ヴィヴィオ」
 「いえ……」
  流石は無限書庫の司書長。
  一言一句間違いなく記憶しているとは。
 「……あの、ユーノさん」
 「ん?」
 「ユーノさんは、どう思いますか?」
 「…………それは、僕に何のことを聞いているのかな?」
 「エリーゼさんの背負っているものについて、です」
 「……そうだね。僕にも、あの子の背負っているものの重さは想像もつかない。ヴィヴィオ、君と同じようにね。基本的に特定の神様を信じない君や僕のような人にとって、信仰の重さも、家柄の重さも、本当に理解しようと思ってもできるものじゃない。」
  若くして無限書庫の司書長を務めているだけのことはあって、ユーノはとても頼りになる。
  なのはママの魔法の先生でもあるユーノに聞けば、なにかわかるかも知れない。ヴィヴィオはそう思った。
 「だけどね、ヴィヴィオ。ひとつだけ、はっきりしてることがある」
 「はっきりしてること?」
 「あの子はきっと、聖王の名の下に、自分の誇りと魔導のすべてをかけて、ヴィヴィオに挑んでくるだろうね。だったら、こちらも全力で戦うべきだと僕は思う。それが、彼女の想いに対する誠意、だからさ」
  ユーノに言われて、ヴィヴィオはハッと気付いた。
  ユーノの言うとおりだ。
  ヴィヴィオには、エリーゼの背負っているものの重さは分からない。熱心な聖王教徒である彼女が、聖王の名を軽々しく語ることを許さない彼女が、聖王の名のもとに決闘を申し込んできたことの意味も、きっと本当の意味では分かりえない。
  聖王教徒でもない自分が、資質があるというだけで聖王の魔法を習得することの重大さも、聖王を受け継ぐ立場にありながら、本当の意味で聖王を受け継ぐことのできないことの無念さも、きっと理解することはできないだろう。
  けれど、理由はどうあれ、エリーゼは本気でかかってくる。
  それが彼女の心の在り方だから。
  生半可な気持ちでかかれば、彼女の心の在り方そのことを否定することになってしまう。
  ならば、こちらも本気でかかるのが、彼女に対する誠意というものではないか。
  私の持つ全力全開の力で、戦わないと。
  私のことを、認めてもらえない。
  誰かに否定される力では、誰も護ることはできないのだから。
 「……ありがとう、ユーノさん。私、やっと決意がつきました」
  こんなに簡単なことが、どうして分からなかったのか。
 「いや、ヴィヴィオ。僕は、思ったことを言っただけだよ。そこから先は、君の力だ」
 「それでも、ありがとうございます」
  言い、ヴィヴィオはペコリと頭を下げた。
  ようやく、心が決まった。
  本当は戦いたくなんかない。お話だけで済むならそれが一番だ。
  だけど、現実にはそういうわけにはいかない。
  エリーゼさんの心も、立場も、それを赦してはくれない。
  だから、私は全力で戦おう。
  私のお話を聞いてもらうために。
  高町ヴィヴィオ。
  私、全力全開で、エリーゼ・ダイムラーさんと戦います。 




  聖王教会の敷地内には、いくつかの訓練場がある。
  それらは聖王教会に所属する騎士たちが日々の鍛錬を行ったり、あるいは聖王教会系列のザンクト・ヒルデ魔法学院の生徒が部活動を行うことに使用されたりする。その広さや形態は様々で、ただの更地程度のものもあれば、競技用に整備され、訓練場を取り囲むように階段状の観客席が設置されているものもある。
  聖王教会において、決闘とは軽々しく口にすることが赦されるものではないが、それでも、一年に二、三度程度の頻度で発生している。
  騎士たちの誇りと魔導をかけて行われる決闘では、階段状の観客席のある、一番広い訓練場が使用されるのが、聖王教会騎士団での伝統だった。
  そして今日。
  聖王教会第一訓練場の観客席は、朝の早い時間からすでに満員で、立ち見の観客すら発生するような有様だった。
 「…………え〜」
  指定された時間どおりに訓練場にやってきたヴィヴィオは、そんな訓練場の有様を見て、それまでの緊張が一気に削がれてしまった。……というか、なんだかげんなりした。
 「これ全部、まさか観客……?」
  まだ競技場に近づいたばかりなのに、その喧騒が聞こえてくる。
  決闘と言うと、もっと厳格で厳かなものを思い浮かべていた。エリーゼの言うとおりならば、そうとう神聖で、緊張感に包まれているものだと思っていた。
  しかし実際には、まるで見世物でも始まるかのような雰囲気。
  イメージと現実とのギャップに、場所を間違えたのかと不安になるヴィヴィオ。
 「ヴィヴィオー!」
  ザイフリートに現在地と目的地を照合してもらおうか、と思ったのと同時に、自分の名前を呼ぶ声。
  見ると、競技場からこちらに駆け寄ってくる女の子の姿があった。
 「あ……アリカちゃん!」
  その少女の名前は、アリカ・フィアット。
  左右で異なる紅色と蒼色の瞳を持つ、ヴィヴィオにきっかけをくれた友人だ。
 「ヴィヴィオ、大丈夫!?」
 「大丈夫って?」
 「だって、ヴィヴィオが決闘を申し込まれたって学院中の噂だし、しかも、決闘を申し込んだのがあのエリーゼさんなんだよ!? そりゃ、心配にもなるよ」
  アリカはどうやら、本気で自分のことを心配してくれているようだ。
  そのことはとても嬉しいのだが、今の状況には戸惑わずにいられない。
  アリカは今、学院中の噂、と言った。
  そんなに、話が大きくなっていたとは……。
 「そんなに、すごいことになってるの?」
 「うん。だって、管理局最強の砲撃魔導師、『エースオブエース』高町なのは三等空佐の娘、高町ヴィヴィオと、ダイムラー家の次期当主、『聖騎士』エリーゼ・ダイムラー初等部生徒会長の決闘なんだよ? 学院どころか、聖王教会の信者さんたちに、高町なのはファンクラブベルカ自治区支部の人たち、エリーゼ・ダイムラーを慕う会の会員さんたちに、高町ヴィヴィオを見守る会の人たち、更に、見学に来るともっぱらの噂の騎士カリム目当てのカリム・グラシア様に祈る会の人たちまで駆けつける大騒ぎだよ」
 「……………………」
  今のアリカの言葉に、一体どれだけの突っ込みどころがあったのか、数えることさえ億劫になってしまった。
  しかしそれでも、尋ねずにはいられなかった。いや、尋ねないわけにはいかなかった。
 「…………順番に訊くね」
 「え? うん」
 「どうして、決闘のことがそんなに広まってるの? まさか、エリーゼさんがそんなことをベラベラと喋るとは思えないし」
 「それはきっと、ヴィヴィオが決闘を申し込まれたとき、周りにいた人たちがそのことを聞いてたんだよ。その人物が学院でも話題の人物たちだったから、三日でこんなに広まっちゃったんじゃないかな」
 「『聖騎士』ってなに?」
 「知らない? 最強クラスの魔導師や騎士は、その能力を冠するふたつ名で呼ばれること。例えば『夜天の主』とか『管理局の白い悪魔』とかさ。エリーゼさんの場合、ダイムラー家に与えられている称号を呼ばれてるんだけどね」
 「高町なのはファンクラブベルカ自治区支部って?」
 「名前のまんまだよ。高町なのはさんのファンクラブ。ヴィヴィオ知らない? 確か、フェイト・T・ハラオウン執務官にも、似たようなファンクラブがあったと思うんだけど」
  それはできれば、知りたくなかった。
  改めて、両親の偉大さを知るヴィヴィオだった。
 「……じゃあ、高町ヴィヴィオを見守る会、は?」
 「あ〜、ヴィヴィオ本人が知らなかったか〜。ま、見守る会だしね。ほら、ヴィヴィオって両親は超有名人だし、本人も話題性が満点の美少女だし、この学院くらい生徒数が多ければ、ファンクラブみたいのができても不思議じゃないって」
  どうりで学院にいる時、たまに妙な視線を感じることがあると思った。
  気のせいじゃ、なかったんですね。
  できれば、気のせいだと思い続けたかった。
 「……わかった、ありがとう……」
  本当はもっと聞きたいことがあったが、もうその気力を失ってしまった。
  聞かなければよかった、とも思った。
  戦う前から、いっきにやる気を削がれてしまった気分だった。
 「……ヴィヴィオ、大丈夫?」
 「……できれば、知りたくなかったよ……」
  げんなりとするヴィヴィオ。
  しかしそれでも、今更決闘をすっぽかすわけにはいかない。
  ヴィヴィオは自分の気持ちを切り替える。
  観客なんて関係ない。周りの人も視線も、関係ない。
  今日は、私と、エリーゼさんとの決闘。
  己の誇りと魔導をかけた真剣勝負。
  頭をあげる。前を見据える。
  ゆっくりと息を吸い込んで、吐き出す。呼吸を整える。
 「ヴィヴィオ?」
 「……うん。私は、大丈夫」
  心を落ち着かせる。
  ゆっくりと、訓練場に向かうヴィヴィオ。
  訓練場の入り口は、あれだけの観客がいるのに、空白地帯のように誰もいなかった。
  まるで観客全員が、そこにいる人物に近づいてはいけない、とでも思っているかのように。
 「カリムさん、シスターシャッハ」
  そこにいたのは、騎士カリムと、シスターシャッハ。カリムのお付きであるオットーとディート、そしてセイン。
 「ヴィヴィオさん。なんだか、凄いことになってますね」
 「ですね」
  観客席を一瞥して、カリムは苦笑いした。
  そのことには、ヴィヴィオも苦笑で返すしかない。
 「さて、ヴィヴィオさん。こんなことになるとは予想外ですが、私から言うことは一言だけです」
 「はい」
 「後悔がないよう、しっかりと」
 「……はい」
 「ヴィヴィオさん。私との特訓はまだ三日程度ですが、それでも、そのことは無駄ではありません。あなたが学んだことに、誇りを持って」
 「頑張れ、ヴィヴィオ!」
 「応援しています、陛下」
 「陛下、しっかり」
  カリムに続いて、シャッハ、セイン、オットー、ディードと、それぞれにヴィヴィオに激励の言葉をかける。
 「はい」
  その言葉を受け止め、ヴィヴィオはしっかりと頷いた。
 「ヴィヴィオ……」
 「アリカちゃん」
 「あの、その、うまく言えないんだけど……」
 「うん」
 「頑張ってね」
 「うん。分かった」
  そして友人の言葉を、しっかりと受け止めた。
  訓練場に入る前に、彼女たちの言葉をヴィヴィオはしっかりと噛み締める。
  私は、一人じゃない。
  力強い相棒もいる。
 「……よろしくね、ザイフリート」
 「はい。お嬢様」
  だから、大丈夫。
 「……行ってきます」
  そしてヴィヴィオは、競技場に足を踏み入れた。
  ヴィヴィオが競技場に入った途端、観客席の喧騒はかき消え、数秒前までの賑やかさが嘘みたいに静まった。
  喋ることも、息をすることすら許さないというような、そんな気配。
  訓練場を支配するのは、緊張感と、圧迫感。
  成程。これが、決闘。
  一層気を引き締め、ヴィヴィオは更に歩を進める。
  訓練場の中央には、すでにエリーゼがいた。腕を組み、静かにヴィヴィオを待っている。
  ヴィヴィオは何も言わずに、エリーゼの正面に相対した。
 「……………………」
 「……………………」
  何も言わず、ただ睨み合う二人。
  先に口を開いたのは、エリーゼだった。
 「……ちゃんと、時間どおりに来ましたわね」
 「……決闘ですから」
 「決闘でのルールはご存じかしら」
 「はい。大丈夫です」
  決闘のルール。
  戦闘範囲は訓練場内。空戦あり。魔法の使用は自由。ただし非殺傷設定。
  相手がギブアップするか、動けなくなるまで戦う。
  シンプルが故に、小細工がきかない。
  まさに実力がものをいう、真剣勝負。
 「以前も言ったとおり、私は聖王陛下への信仰のために、戦います。あなたは?」
 「私は、私の信じるもののために、全力全開で、あなたと戦います」
 「……決闘の流儀は?」
 「知ってます」
 「では、デバイスを起動しなさい」
  言われ、ヴィヴィオは首から下げていたザイフリートを取り出す。
  そしてヴィヴィオに相対するエリーゼも、ヴィヴィオのそれによく似た十字架のペンダントを取り出した。
 「希望の光<Uイフリート」
 「聖なる十字<tァーフニル」
 『セットアップ!』
  二人の声が重なった。
  一秒にも満たない時間で、二人はバリアジャケットに身を包み、デバイスを起動させる。
  白を基調とし、しかし黒と黄色の意匠があしらわれたバリアジャケット。足元を包むのはロングスカート、そして左腕には銀色の籠手。髪の毛は頭の片側で結いあげられたサイドポニーに。
  手にするのは、ひし形十字をかたどった杖。ひし形十字の中央には、虹色に輝く宝玉。
  対するエリーゼは、騎士カリムの修道服に近いツーピースのバリアジャケット。ただし、腕、足、肩、腰回りなど、要所要所には鎧のような装甲が装着されている。堅実で、実用性の高い、正に騎士服。
  そして手にするのは、十字型の刃を持つ 十字槍 クロススピアー 型のデバイス。聖騎士の名に相応しいデバイスだ。ヴィヴィオはそう思った。
 「……心の準備は?」
 「問題ありません」
  それぞれのデバイスを構え、お互いに距離を取る。
  視線と視線が拮抗する。
  最早、無駄口をたたくものは誰一人として存在しない。
  近づくだけで切れてしまいそうな、凛と張り詰めた空気。
  気を抜けば、あっという間に押しつぶされてしまいそうな重圧。
  歴史と、伝統。
  背負ってきたものの重さ。
  これから背負うものの重さ。
  それぞれの想いを胸に秘めて、戦う者達。
 「『聖騎士』エリーゼ・ダイムラー!」
 「高町ヴィヴィオ!」
 「聖王陛下の名の元に!」
 「己の誇りと、魔導をかけて!」
 「いざ!」
 「尋常に!」
 『勝負!!』

 
  そうして、二人の魔導が、激突する。