漆黒の闇。
  光のない世界。
  何も見えない空間。
  どのくらいの広さなのか、どのくらいの高さなのか。そもそも、その大きさははたして有限なのか。
  私達に今、何が起こっているのだろうか。
 「ここは、一体……」
  呟くエリーゼ。その声には、焦りと戸惑いが色濃く表れている。
 「……確かなことが一つだけありますよ、エリーゼさん」
  エリーゼの呟きに、冷静を装った声で、ヴィヴィオが答える。
 「私達は誰かに閉じ込められた、ということです」
  高町ヴィヴィオ。
  エリーゼ・ダイムラー。
  彼女たちは、黒い世界の中にいる。




          ※




 「一体、何が起こったというのです!?」
  聖王教会第一訓練場、観客席。
  いつも落ち着いているシスターシャッハが、幾分ヒステリック気味に叫んだ。
  その視線の先にあるのは、訓練場のグラウンドを覆い尽くす、半球状の黒い結界。
  その黒はあまりにも黒く、あまりにも禍々しく、少なくても目視、生半可な霊視、魔力視では中の様子をうかがうことはできなかった。
 「シャッハ、落ち着きなさい」
  混乱気味のシャッハを、毅然とした声でカリムが諌める。
 「あ……申し訳ありません、騎士カリム。私、少々取り乱していたようです」
  しかし、そのカリムですら、いつもの冷静を保てないでいた。
  カリム達だけではない。
  今や、訓練場の観客全員が総立ち、観客席は動揺に包まれていた。それこそ、一人の例外もなく。
 「……シスターセイン。あの結界の中に、入れそうですか?」
  ここでリーダー格であるカリムが動揺すれば、それは全体に感染する。
  なるべく平静を装いつつ、カリムはセインに尋ねた。
 「……並の建造物なら私の『ディープダイバー』で通り抜けられるんだけど、あの結界は並じゃない。あんな術式の結界、少なくても私のデータにはない。だから、多分無理。ごめん、騎士カリム」
  いつもは元気なセインですら、戸惑いを隠せていない。真剣な瞳で、訓練場のグラウンドを包み込む黒いドーム状の結界を見つめていた。
  戦闘機人セインのIS『ディープダイバー』。
  いかなる壁、いかなる障害すらも通り抜けることのできる、無敵の空間移動能力。魔力加護のある遮蔽物は流石に通過できないが、このインヒューレントスキルがある限り、セインの足を止めることは並大抵のことではない。その能力を活かすために、セインは複数の結界の魔導式、そしてそれを破壊するための魔導式を持っている、もしセインの足を完全に止めることができるとすれば、それはミッドチルダ式でもベルカ式でもない、例えば『聖王の盾』のような、セインの持つデータに該当しない術式の結界術のみ。
  セインの能力ですら通じないということは、あの黒い結界は、少なくとも現段階では術式不明の、未知の結界術で作成されたということ。
 「……オットー、ディート。あなた達の能力で、あの結界を破壊することは可能ですか?」
  こんな非常事態だからこそ、リーダーとしての資質が問われる。
  カリムはまず、あの結界が破壊可能か、現状での情報を集めていた。
 「僕のレイストームだと、あの結界を破壊するには火力不足みたいです、騎士カリム」
 「私のツインブレイズも、あれだけの巨大建造物を破壊することを想定されていません」
  しかし現状では、あの結界にアプローチすることは不可能、という結論が出そうだった。
 「シャッハ、あなたの能力だと、どうですか?」
  そのデバイスのイメージから誤解されがちだが、シスターシャッハの得意な魔法も、セインと似た移動系の魔法である。こと、一定距離での移動速度なら、シスターシャッハに軍配があがるほどに。
 「……無理ですね。あのような結界術、見たことも聞いたこともありません。それにどうやら、あれはただの結界ではないようです」
 「……と、いいますと?」
 「あれは、空間隔離結界です。つまり、あの黒い空間の中と、私達が今いる空間では、別の次元として隔離されています」
  空間隔離結界。
  その名の通り、通常の結界のように結界の内と外を『物理的、魔力的に』遮断するのではなく、『空間という概念において』隔離する、高位の結界術。
  つまり、カリム達がいる空間と結界の中の空間は、まったく別の空間ということである。
 「この結界を破壊するには、結界を構成している術式を解析して、術式の発動部分に介入するか、内側から破壊するしかないかと……」
 「……………………」
  ここにいる誰もが、あの結界を破壊することができない。
  そしてカリム自身にも、あの未知の結界術を打破する能力はない。
  すべての情報を咀嚼し、カリムはこの状況を打破する、ヴィヴィオとエリーゼを救出する最善策を導き出す。
 「シャッハ、すぐに聖王騎士団に連絡。捜査班と聖王騎士、結界騎士を訓練場に召還。訓練場の封鎖、及び結界の破壊。高町ヴィヴィオ、エリーゼ・ダイムラーの救助を最優先に。セイン、オットー、ディードは観客達の避難、退避誘導」
 「はい」
 「オッケー」
 「承りました」
 「すぐに」
 「只今の時刻を持ち、聖王騎士団『騎士団長』カリム・グラシアの名において、現状を第一級懸案と断定。聖王教会第一訓練場を、封鎖します」 




          ※




 「……どうです、エリーゼさん?」
 「……駄目ね。私の探査魔法では、この空間とあちらの空間を遮る壁のようなものすら検知できません」
 「私のサーチャーも、この空間の端を認識できません。上も、下も、横も。この空間は少なくても、半径一キロメートル以上の広さがあるかと」
 「明らかに、グラウンドの広さを超えています。これは、空間隔離結界だと判断するのが妥当でしょう」
 「ですね……」
  お互いに溜息をつき、展開していた虹色と橙色の魔法陣を解除する。
  黒い結界に閉じ込められてから、約十分。
  ヴィヴィオとエリーゼは、この空間からの脱出法を掴めないでいた。
  二人でそれぞれに探索魔法をかけても、地面すら見つけることができない。このような未知の空間で不用意に動き回るのは危険なので、二人とも飛行魔法を起動し、空間に浮かんでいる。
  この空間の中では自分達の使用する魔法以外に、何らかの魔力の痕跡も、空気の流れも感じない。
  ただただ何もない、無限に広がる空間。
  とりあえず空気はあるようなので、窒息するような事態には陥らないが。油断は禁物である。
 「それにしても、一体誰が何の目的で……」
 「多分、目的は私です」
  ヴィヴィオには、この状況を作り出した犯人……厳密に言えば、この状況を作り出した原因について心当たりがあった。
  聖王の魔法を、技術を復活させることを願う、狂信者たち。
  現在、聖王に最も近いヴィヴィオや、僅かでも聖王に繋がるものを持つ者達――例えば『聖王の証』『カイゼル・ファルベ』『聖王の魔法』といった――を集め、聖王の権威を盲目的に復活させようと目論む者達。
  それが、ヴィヴィオの素性を知る聖王教会上層部の一部に喰い込んでいて、聖王を崇拝する聖王騎士すらも巻き込んで、ヴィヴィオ達を狙っている。
  きっかけは、ヴィヴィオの存在。
  今回の件の狙いも、おそらく……
 「ごめんなさい、エリーゼさん。私のせいで、こんなことに巻き込んでしまって…………!」
  心の底から、ヴィヴィオはエリーゼに謝った。
  自分のせいで、無関係なエリーゼさんを巻き込んでしまった。
  自分のせいで、誰かに迷惑をかけてしまった。
  友達を護るための力が、誰かに迷惑をかけている。
  そのことがとても申し訳なくて、情けなかった。
  せめて、私にもっと力があれば。
  こんなことくらい、軽く跳ね除けるだけの能力があれば。
  そう。それこそ、なのはママみたいな力があれば……。
 「……あなたは何を言っているのですか?」
  エリーゼに罵られても仕方ないと思っていた。
  しかし、実際に帰ってきたのは、純粋な疑問の言葉だった。
 「あなたは何も悪くありません」
  ヴィヴィオの正面に立ち、瞳を見つめ、はっきりと、エリーゼはそう告げた。
 「あなたの事情は、私も存じています。普通の女の子だったのに、古代ベルカ式の適性を持ち、聖王陛下の魔法を習得しようとしたことがきっかけで狙われていることも、カリム様に聞きました」
  あなたの事情を存じている。その一言に、ヴィヴィオはドキリとさせられた。まさか、自分の素性まで、自分が聖王のクローン体であるということを知っているのではないか、と。
  しかし、エリーゼの言葉を聞く限り、そこまでは知られていないようだ。
 「ですが、だからといって、あなたが襲われることは、あなたの責任ではありません。もっと、自分に胸を張って生きなさい。仮にも聖王陛下を背負おうとするのならば、そのくらいの気概が無くては困ります」
 「エリーゼさん……」
  エリーゼの言葉は、純粋な励まし。
  あなたは何も悪くない。たったのその一言で、ヴィヴィオは救われた気がした。
 「わ、分かりましたか?」
  言い、エリーゼはそっぽを向く。
  その頬は、少し紅く染まっていた。
 「ありがとうございます、エリーゼさん」
  ヴィヴィオは、エリーゼに頭を下げた。
  そして思う。
  たったの一言で、誰かの心を救うことができる。エリーゼさんこそ、聖王の名に相応しいのではないか、と。
 「……ところで、エリーゼさん」
 「……なんですか?」
 「カリム様って……」
  普通の人は、カリムのことを呼ぶときは『騎士カリム』と呼ぶ。カリムだけではなく、聖王騎士の名を呼ぶときは、騎士○○と呼ぶのが通例となっている。
  いくら聖王教会の上層部の一角を担うとはいえ、カリムのことをカリム様、と呼ぶ人物を、ヴィヴィオは屋敷に勤めるハウスキーパーさん達以外に知らなかった。だから、エリーゼがカリムのことをカリム様と呼んだ時、ヴィヴィオはなんとなく違和感を覚えていた。エリーゼは聖王教会の関係者なのだから、尚更に。
  心当たりがあるとすれば……。
 「なっ……」
  そのことを指摘した途端、エリーゼの顔が一瞬で真っ赤になった。頬だけでなく、耳まで赤く染まっている。それどころか、ヴィヴィオに不意を突かれた時以上に動揺している模様。
  まさか……
 「まさかエリーゼさん、『カリム・グラシア様を慕う会』の会員さん、だったりしますか……?」
 「べ、別に私は、『カリム・グラシア様を慕う会』の上級会員だったりなんかしませんわよ!」
 「…………」
  言葉で否定しても、その態度がすべてを物語っていた。
  いや、本人は否定しているつもりなのだろうが、むしろ余計なことを口走っている。
  どうも、エリーゼは年の割には落ち着いているようで、弱いところを突かれるとかなり動揺してしまう性質の様だ。
  決闘の前に聞いた、各種ファンクラブの存在。
  まさか自分の決闘の相手がその会員だったとは。世の中、意外と狭いものである。
 「別に、そんなに恥ずかしがることじゃないと思いますけど……」
 「だ、だから、違うと申しているではありませんか、高町ヴィヴィオさん!」
  真っ赤になって否定するエリーゼ。
  完全無敵に見えていたエリーゼの意外な一面を、年上のお姉さまに憧れたりする普通の女の子らしいところを見て、ヴィヴィオはエリーゼに親しみのようなものを感じていた。
  その様子がなんだか可愛らしくて、ついクスリと笑みが零れる。
 「だから、違うのですよ!」
  ほんの数十分前まで決闘をしていたのに、いつの間にか不思議なやり取りをするヴィヴィオとエリーゼ。二人の間にあるのは、張りつめた空気ではなく、仲の良い友達と談笑しているときのような、穏やかな空気。
  人生とは、何が起こるか分からないなぁ。そう、ヴィヴィオは思った。
  その時。
 『!!』
  一瞬で、空気が凍りつく。
  お互いのデバイスを構えるヴィヴィオとエリーゼ。
  ただし、今回は視線を相手に向けるのではなく、外側に向けている。
  結界の、外側に向かって。
 「……分かりますか、ヴィヴィオさん」
 「はい。エリーゼさん」
  ヴィヴィオは、第二形態、片刃の長剣となったザイフリートを。
  エリーゼは、十字型の刃を持つ二振りの片手剣を、それぞれに構える。
  二人が感じたのは、それまでは無かった魔力の流れ。
  何の気配も予兆もなく、それは不意に発生した。
  それも、ひとつではなく。
 「この魔力の在り方からして……」
 「多分……二人か……それ以上」
  幼くしてすでに第一線級の実力を持つ二人は、瞬時に気付いた。
  自分達が、少なくても二人以上の魔導師に、狙われていることに。
 「……協力しましょう。エリーゼさん」
 「……ですわね。現状では、それが得策ですわ」
  下らない意地を張ったりせず、素直に協力を申し出、それを受理する。元々、二人の間には個人的な禍根はない。高い実力を持つ二人だからこそ、何もかもが分からない現状での、最善策を取る。その判断を下すことの難しさを、二人は知らなかった。
  お互いに背中を合わせ、周囲を警戒する。
  これで、警戒すべき範囲が約半分になる。
  複数の相手に対応する時に、一番有効な手段。
  背中が、暖かい戦い方。
 「…………」
 「…………来る!」
  誰も窺い知ることのできない、閉鎖空間の中で。
  二人の、第四ラウンドが始まった。




          ※




  黒色の結界が訓練場に現われて、約一時間が経過していた。
  結界の正体は依然不明。術式も対処法も、内部の様子を伺うことも現状では不可能。
  観客達の退避はすでに終了し、訓練場周辺は聖王教会騎士団によって封鎖されていた。
  ただ一人を除いて。
 「……あなたは避難しないのですか、アリカさん」
  ただ一人、観客席に残る人物に、カリムは声をかけた。
  彼女の名は、アリカ・フィアット。
  ヴィヴィオと同じ『聖王の証』を持つオッド・アイの少女で、ヴィヴィオの友人。そして、ヴィヴィオに聖王の魔法を習得するきっかけを与えた人物である。
  彼女はずっと、両手を握り、一点を見つめていた。
  ヴィヴィオとエリーゼが閉じ込められている、黒色の結界を。
 「……騎士カリム……」
 「他の人達は、すでに避難しました。残るはアリカさん、あなた一人だけです」
 「…………」
 「ここにいても、何が起こるか分かりません。もしかしたら、危険かもしれないのですよ?」
 「……私は、ヴィヴィオの友達です」
  優しく、諭すように話すカリムに、アリカは告げた。
 「ヴィヴィオは、私のことを助けてくれた、大切な友達です。その友達が危険かもしれないのに、私だけ安全な所に逃げるなんて、そんなことできません」
  握る両手に、力がこもる。
 「私には、騎士カリムやヴィヴィオのような力はありません。でも、そんな私でも何か、友達の力になることができるかもしれません。ですから、お願いです。騎士カリム。私を、ここにいさせて下さい」
  真摯な瞳で、アリカはカリムを見つめる。
  カリムは、アリカから目を離さない。
  じっと、二人は見つめあう。
 「…………」
 「…………」
  先に折れたのは、カリムの方だった。
 「……分かりました。そこまで言うのですから、覚悟はできているのでしょう。もう一度確認しますが、ここで何が起こるか分かりません。あなたの身に、危険があるかもしれないのですよ?」
 「でも、それでも、私はここにいたいんです」
 「しょうがないですね。まったく……」
 「じゃあ……」
 「アリカ・フィアッセさん。あなたがここにいることを、騎士カリムが認めます。ただし、あなたの身を守り切ることができる保証はありませんから、そのつもりで」
 「はい」
  カリムの言葉に、アリカは頷く。
 「……それにしても、その強情っぷり。一度こうと決めたら、梃子でも動かない頑固さ。まったく、あなたはお母さんそっくりですね」
  やれやれ、といった具合で、カリムは言う。
 「流石は『聖魔導師』ミラージュ・フィアットさんの、一人娘です」  




         ※




  結界発生から、一時間以上が経過していた。
 「……ヴィヴィオさん。どう、思いますか?」
 「どう、とは?」
 「この敵の、ことについて」
 「…………底が知れません。数も、勢力も」
 「……ですわね」
  背中合わせで、周囲を警戒するヴィヴィオとエリーゼ。
  その身にまとうバリアジャケットはボロボロで、二人とも肩で息をしていた。
  その原因は……。
 「エリーゼさん、来ます! 上三、右二、下から三!」
 「分かりましたわ!」
  掛け声と共に、二人は方向転換する。
  ヴィヴィオは下に、エリーゼは上の方向に。
  そして、迫りくる障害を、構えたデバイスで粉砕する。
 「はぁっ!」
 「とう!」
  ヴィヴィオの刃が、エリーゼの刃が、漆黒の空間に煌めく。
  襲いかかる障害を、二人はすべて破壊した。
  二人の斬撃の後に残るのは、人形の破片。
  先ほど、不信な魔力の流れを感じた直後から、二人のことを等身大ほどの人形が襲っていた。
  人形一体一体の能力は大したことはない。せいぜいが、手に持った稚拙な刃物で無防備に切りかかってくる程度。作戦も組み合わせもあったものではない。その程度の人形ならば、二人にとっては問題にもならない。
  問題は、その数と、この空間そのものにあった。
  先ほどから、ヴィヴィオとエリーゼはすでに百体以上の人形達を屠っていた。しかし、どれだけの人形を倒そうとも、バラバラのタイミングで、一切の統一性のない方角から、数体の編隊で襲いかかってくるのだ。
  どれだけの数の人形が、いつどこから迫るのか、予測がつかない。
  上下左右高さ奥行きの概念の存在しないこの空間では、背中合わせとはいえ、警戒すべき範囲が広すぎる。
  そんな状態が、もう数十分続いている。
  それだけの間、集中力を維持し続けるのは、かなり難しい。
  一応、ヴィヴィオが周囲にサーチャーをばら撒き、エリーゼが配置した『聖王の従者』のヴァルキューレ六体を偏在させることで相手の接近を予測し、できる限りを自分達の元に辿り着く前に撃墜しているのだが、いかんせん網羅すべき範囲と数が多すぎる。
  更に、驚異的なのが。
 「来ますわ、ヴィヴィオさん!」
 「はい!」
  返事をし、ベルカ式のシールドを展開するヴィヴィオ。
  数秒後、ヴィヴィオのシールドに、薄紫色の魔力砲撃がぶつかる。
 「く、ぅ……」
  歯を食いしばり、砲撃のエネルギーに耐えるヴィヴィオ。
  高出力の魔力砲撃をシールドで受け止めるのは辛く、難しい。そのことを、ヴィヴィオはよく知っている。だから、自身の魔力をシールドに集中させ、全力で砲撃を防御する。
  一方で、エリーゼはシールドの穴、ヴィヴィオの背中を警戒する。
 「っ、はぁ、はぁ……」
  やがて、砲撃が止む。エネルギーの停止を確認し、シールドを解除するヴィヴィオ。その額には汗が浮かび、他に構う余裕がないほどに疲弊していた。
  まったくの無作為に襲ってくる人形達も、この瞬間だけは見逃してくれない。
  ヴィヴィオの背中めがけて、八体の人形が接近する。ヴィヴィオがサーチャーに気を回す余裕がないため、どうしても発見が遅れてしまい、深くまで踏み込まれてしまう。
  だが、それ以上への侵入をエリーゼは許さない。
 「はあああ!!」
  気合い一閃、両手のファーフニルで、迫りかかる人形達を撃墜する。だが、発見が遅く、数が多いため、エリーゼといえども全力を出さなければ八体もの人形達を撃破することができない。
 「…………ありがとう、ございます、エリーゼさん…………」
 「いいですから。あなたは、自身の回復に努めなさい」
 「はい…………」 
  時折、ある程度の間隔で定期的に襲いかかる魔力砲撃。
  魔力砲撃はエネルギー量が大きいため、サーチャーで早めに発見することができる。だから、本来なら早めに回避行動に移れるハズなのだが。
  この砲撃は、ホーミング能力を持っていた。
  回避しても、どこまでもエリーゼかヴィヴィオのことを追尾してきた。
  その間、同時に八体の人形が攻めてくる。
  数回これを受けきった結果、今のように、ヴィヴィオが砲撃の防御、エリーゼが人形の撃墜を担当することが一番効率がいいという結論に至ったのだ。
  この役割は別に逆でも問題はないのだが、ヴィヴィオのシールドの方が堅牢であり、エリーゼの方が近接戦闘に慣れているという理由から、ヴィヴィオが防御担当、エリーゼが迎撃担当に落ち着いた。
  エリーゼのヴァルキューレに砲撃を受け止めさせるという手段も考えたが、エリーゼ曰く、ヴァルキューレの性能と数は反比例する。あの砲撃を受けきるほどのヴァルキューレを召喚することも可能だが、それだとヴァルキューレの数を維持し続けることができず、結果として効率が悪くなってしまうそうだ。
  故に、現在の状況がある。
  それだけの威力を持ち、更にホーミング性能を持つ砲撃魔法を放つには相当の実力と、長い詠唱時間が要求されるのだが、この結界内では、どういうわけか、相手の詳しい位置を探ることができなかった。
  敵がこのどれだけの広さがあるのか分からない空間の端の方にいるのか、それともステルス魔法をかけているのかどうかは分からない。
  だが、敵の位置、人形の操者と、砲撃手の位置が分からない。だから、詠唱時間の長い高威力の魔法を使用されても、それを防御するしか手段がない。それは紛れもない事実だった。
  今のところは持ち堪えているが、このまま受け止め続ければ、間違いなく魔力が尽き、いずれ持ち堪えられなくなってしまう。
  そうなれば、すべてが終わってしまう。
 「絶体絶命の大ピンチ、ですね……」
 「……ですわね」
  背中を合わせ、疲れた声で、ヴィヴィオが呟く。
  エリーゼも、なるべく軽い調子で言葉を返す。
  しかし、二人共、すでに疲れを隠す余裕も残されていない。
  彼女達は、強い。だからこそ、分かっていた。
  おそらく、この状況を維持し続けるのはあと三〇分程度が限界。砲撃はあと三,四回受け止めるので精一杯。
  聖王の鎧。
  聖王の盾。
  聖王の従者。
  どれだけ強力な能力でも、それが行使できないほどに疲弊してしまえば意味がない。
 「…………」
 「…………」
  だが。
  ヴィヴィオとエリーゼ。
  彼女達は、諦めない。
  その瞳の輝きは、まだ失われていない。
  彼女達は待っていた。
  無策でただ攻撃を受け続けるほど、彼女達は呑気ではない。
  問題は、時間。
  時期が来るのが先か。
  それとも、自分達が力尽きるのが先か。
 「……結局は、自分の実力がモノを言うのですわね」
 「……そうですね。エリーゼさん」
  彼女達には、まだ希望が残されている。
  今は、その期を待つだけ。待つだけが、難しい。
  高町ヴィヴィオ。
  エリーゼ・ダイムラー。
  反撃の機会を、待つ。
  彼女達はまだ、諦めてなどいない。 




         ※




  正体不明の隔離結界発生から、二時間近く経過していた。
  依然、内部の状態は不明。
  ヴィヴィオとエリーゼの安否も、敵の様子も、未だ誰も知ることができない。
  聖王教会の結界騎士団を以ってしても、結界の正体すら不明。
  その能力は正に、絶対結界。
  いかなる存在のいかなる干渉も受け付けない、絶対の空間。
  先ほどから数名の結界騎士達が結界の解析・干渉を試みているが、その成果は芳しくない。
  今のところ外部への影響は見られないが、正体不明の魔法に油断はできない。
  訓練場の内部には聖王騎士団の一個小隊、そして騎士カリム、シスターシャッハ、シスターセイン、オットー、シスターディードが、警戒態勢で控えていた。訓練場の外部も、他の聖王騎士達によって封鎖されている。
  そんな訓練場の中で、例外が一人だけ。
  かれこれ一時間近く、祈るように両手を組み、結界を見つめる少女、アリカ・フィアッセ。
  彼女の表情は青白く、悲痛なものだった。
 「無理もないですね。友人達を心配して、ずっと精神を張り詰めさせているのですから」
  アリカの様子を遠くから覗い、シャッハが呟いた。
 「…………」
  その言葉に、カリムは答えない。
 「ですが、あの状況、そう長く続くとは思えません」
 「分かっています、シャッハ。セイン、オットー、ディードも、彼女を気にかけていて下さい。彼女に限界が訪れたら、すぐに医務室に連れていくように」
 「あいさー」
 「はい」
 「分かりました」
 「了解です」
  アリカに聞こえないように、カリムは四人に指示を出す。
  本来、現場に部外者をいさせるのはあまりよろしいことではない。
  それを許しているのは、カリムの独断だった。
 「…………」
  ヴィヴィオを心配する気持ちは、カリムも同じだった。
  だからこそ、一刻も早く結界の対抗策を考えるために、頭をフル回転させる。現状で最適と思われる判断を下し、騎士達に指示を飛ばす。
  内部で、何が起こっているのか皆目見当もつかない。
  もしかしたら、すでに二人が力尽きている可能性もある。
  最悪…………。
 「――――」
  カリムは頭を振り、今の考えを放棄した。
  最悪ばかり想定しても仕方がない。
  私達は、私達にできる最善をするしかないのだ。
  子供達を助けること、それが自分達大人の役割なのだから。
 「それまで、持ち堪えて下さいね。ヴィヴィオさん、エリーゼさん」




         ※








  そして、その時がやってきた。








 「…………エリーゼさん!」
 「分かってるわ、ヴィヴィオ!」
  突然、二人が顔をあげた。
 『W.A.S.探知完了。検索魔方陣七式改、全魔導式分析完了』
  漆黒の空間に響く、初老男性の声。
 『Analyse vervollstandigte. Magisch charakterhaufigkeit ist Die Vollendung der Kalkulation(解析完了。魔力固有振動数、算出)』
  続いて、力強い男性の声。そのどちらも、デバイス特有の機械音声。
 『魔力の同調式、構築完了』
 『Jederzeit konnen Sie es schiesen. Sie haben die Fahigkeit, es am besten zu machen. Meister Elise(いつでも撃てます。あなた達には、それができる。我が主、エリーゼ』
  声の直後、八体の人形達が四方から一斉に襲い掛かる。
  だが、その攻撃は、ヴィヴィオ達には届かない。
  その攻撃からヴィヴィオ達を護るのは、ヴァルキューレ小隊。
  ただし、今の数は三体。そして、その身体を形作るのは、白銀色の金属。耐腐性が高く、確かな硬度と強度を特性とするステンレス鋼。
  ヴァルキューレを構成する素材を真鍮からステンレス鋼に強化すると、召喚できる数に限りが出てくる。だが、今はそれで充分。
  重要なのは数ではなく、これから少しの間、敵の攻撃を確実に止めるだけの実力。
 「随分、時間がかかったわね」
 「でもそれも、これで終わりです」
  まるで数年来の友であるかのように、やり取りを交わすヴィヴィオとエリーゼ。
  出会ったのは、ほんの数日前だというのに。
  先ほどまでヴィヴィオ達を苦しめた、砲撃が迫る。
  しかし、二人を狙う砲撃の射線上に、盾を構えた一体のヴァルキューレが割り込む。砲撃の威力に負け、ヴァルキューレがバラバラに吹き飛ぶ。その後ろに控えるのは、もう一体のヴァルキューレ。ヴァルキューレを一体破壊した砲撃にはもう勢いはなく、二体目の防御で完全に食い止められる。
  その瞬間を狙う八体の人形達を、残りのヴァルキューレが瞬殺する。
  一時間以上の防御で、二人が発見したこと。
  砲撃から次の砲撃まで、術者の身体を休ませるためか、最低でも五分以上は間が開く。連射が可能だとしたら、どうしてヴィヴィオの疲弊した隙を狙わないのか。それは、最強の砲撃魔導師、高町なのはですら悩まされる人体の限界。おそらく、無理して連射しても、その威力はたかが知れている。
  そして、人形達の最大操作数は八体。これ以上はまず召喚できない。無限に召喚できるのかもしれないが、最大操作数に限りがあるのだ。
  今のヴァルキューレならば、そのどちらも、完全に食い止めることができる。それだけの能力がある。
  たった今破壊されたヴァルキューレを召喚し直してから、エリーゼが告げる。
 「準備はいいかしら、ヴィヴィオ?」
 「はい。いつでもいいですよ。エリーゼさん」
  頷くヴィヴィオ。
  準備は完了した。
  後は、二人の実力次第。
  力の限りを込めて、叫ぶ。
 「『希望の光』ザイフリート、リミットU、リリース! フォルムドライ!」
 「『聖なる十字』ファーフニル、フォルムドライ!」
  光に、デバイスが包み込まれる。
  ヴィヴィオとエリーゼの瞳に満ちるのは、不屈の闘志。何があっても、諦めない心。
  彼女達が呼び込んだ、勝利への道しるべ。 








  反撃が、始まる。