漆黒の闇。
「『希望の光』ザイフリート、リミットU、リリース! フォルムドライ!」
 「『聖なる十字』ファーフニル、フォルムドライ!」
  黒色の結界の内部で、ヴィヴィオが、エリーゼが吼える。主の意志を受け、デバイス達がその姿を変える。
 『Vanaheimr form』
  ザイフリートの刃は縮み、一旦ひし形十字の騎士杖、第一形態に戻る。ひし形十字と杖の柄の付け根の部分に新たな装甲が出現し、強化された部分の隙間に、カートリッジが収められたマガジンがセットされる。それから、先端のひし形十字が縦に二つに分かれ、新たに二本の長いフレームが伸びる。そのフレームの役割は、砲身。
  ザイフリート第三形態、ヴァナヘイムフォルム。
  その言葉の意味するところは、神々の世界。
  通常よりも大口径のカートリッジを使用し、大火力の砲撃によって敵を薙ぎ払うことを前提とした、砲撃特化の形態。その力正に、神の如き聖王の力。
 『Volva form』
  一方、ファーフニルも再び十字槍、第一形態に戻る。それから、槍の石突の部分にも、十字の刃が生成される。柄の部分は短くなり、全体的に取り回しやすいサイズになる。そして十字型の刃と柄の付け根部分に、エリーゼの魔力光と同じ橙色の、細長い飾り布が結び付けられる。
  ファーフニル第三形態、ヴォルヴァフォルム。
  その言葉の意味するところは、神々の巫女。
  詠唱魔法の行使に特化しつつも、武器としても取り回すことも可能。常に聖王の前に立ち、聖王の身をを護りぬくための形態。その力正に、聖騎士の名に相応しい。
  新たな形態となった己のデバイスを二人は重ね合わせる。そして、魔導式を展開する。虹色と橙色のベルカ式魔法陣が二人の足もとに展開され、二つの魔法陣は重なり合い、一際大きな魔法陣となる。それと共に二人の魔力が統合され、莫大な魔力が二人の前方に収束される。
  それまで魔力や大気の流れが存在しなかった黒色の結界の内部で、ヴィヴィオとエリーゼを中心に魔力の流れが発生する。漏れ出た魔力だけで、それだけの大きさ。魔法式はすでに完成している。魔力の同調も問題ない。後は、二人で魔法陣に最後のコマンドを入力し、魔法を発動させるだけ。
  ヴィヴィオは右側。エリーゼは左側。
  お互いのデバイスを十字に組み合わせ、最後の詠唱を、開始する。
 『フィールド形成、発動準備完了!』
 『V&E,中距離空間殲滅コンビネーション!』
 『空間攻撃・クレイサーキャノン!!』
  ヴィヴィオとエリーゼ、二人が編み出した複合型中距離空間殲滅砲撃。
  まず、術者を護るためのフィールドを形成し、そのフィールドを取り囲むように別のフィールドを形成する。外側のフィールドは防御のためではなく、プリズムのように内側からの魔力を全方位に反射し、フィールドの外側全てを攻撃するための特殊な術式で構成されている。ヴィヴィオが最大出力で砲撃を放ち、エリーゼがフィールドを形成することでそれを増幅・拡散させる。
  全方位をカバーできるが、特性上どうしても有効効果範囲は中距離程度に限られてしまう。しかし、範囲内の空間をすべて攻撃対象に収めることができるので、効果範囲内なら回避不可能。今回の術式にはそれに加えて、二人で時間をかけて解析したこの結界の術式を破壊するための効果が付加されている。
  これがヴィヴィオとエリーゼが編み出した、中距離殲滅魔法コンビネーションのひとつの形。
  かつてヴィヴィオの両親が編み出した中距離空間殲滅コンビネーションは、フェイトが中距離全体を包み込むフィールドを形成し、そのフィールドの内部でなのはが魔力砲撃を爆散させる、というものだった。
  同じ種類の魔法であるのに、理屈は正反対。
  だが、その威力は確実。絶大。
  この魔法を可能にしたのは、ヴィヴィオの魔力に合わせて、拡散フィールドの細かな調整をすることのできるエリーゼの技量と、効果範囲内の空間すべてをカバーしても、一定以上の威力を確保できる砲撃を放つことのできるヴィヴィオの力量。純粋な破壊力こそヴィヴィオの両親のそれに劣るが、こと空間干渉能力という点においては、それ以上のものを保有している。
  自分達を拘束する空間そのものを、一撃で、完膚なきまでに破壊するための魔法。
  それが、クレイサーキャノン。
 「……いきますわよ、ヴィヴィオ」
 「はい。いつでも」
  コンタクトを取り、タイミングを確認する。
  二人はもう、背中を預けて戦った戦友同士。合図など、それだけで十分。
 『全力全開!』
 『烈風一陣!』
 『クレイサー・シュート!!』
  二人の掛け声と共に、二人を中心に虹色の光が発生し。
  数瞬後、漆黒の空間は、巨大なガラスが砕けたような音を立てながら、砕け散った。 




  異変は、空間隔離結界の外側にいた人達にも伝わっていた。
  突如、鈍い音を上げて振動し始めた訓練場を覆う黒色のドーム。今まで何をしてもビクともしなかった空間隔離結界の変貌に、外で待機・調査をしていた聖王騎士達の間に緊張が走る。
 「何事ですか!?」
  それまで修道服に身を包んでいたシャッハが空間隔離結界の変貌にいち早く気づき、一瞬で騎士甲冑を展開、もしもの事態に備え、カリムを守るために双剣型デバイス『ヴィンデルシャフト』を起動させた。
 「何が起こるか分かりません。みなさん、結界から距離を置いてください!」
  頼もしい仲間達に守られ、他の騎士達に空間隔離結界から一時的に離れるように指示すると、そのまま、カリムは無言でドームを見つめる。
  カリムだけでなく、その場にいる誰もが、結界のことを見つめていた。
  数秒後、すべての騎士が結界の傍から退避を完了しても、ドーム状の結界は鈍い音と共に振動を続けていた。
  ふと、カリムは、唯一この場にいる、部外者とも言えるべき存在に目を向けた。
  ここに残り続けることを選択したヴィヴィオの親友、アリカ・フィアット。
  彼女は祈るように両手を組んだまま、悲痛な表情で、結界を見つめていた。無理もない。彼女はヴィヴィオ達の身を案じて、かれこれ二時間以上、結界をじっと見つめ続けたまま、緊張状態を維持し続けていたのだから。
  そんな彼女を守るように、彼女の前に立つ姿が三つ。セイン、オットー、ディードもまた、未知の結界に対し、もしもの事態からアリカを守るために、それぞれの得意の体勢で身構えていた。
 「…………」
  訓練場内を、今まで以上の緊張感が包む。
  結界は振動を続けたまま…………不意に、結界全体に巨大な亀裂が走り、次の瞬間、耳を劈く轟音をあげながら、ドームが砕け散った。結界の崩壊から数秒遅れ、中で抑え込まれていた魔力の流れが解放される。その影響で訓練場全体に、まともに立っているだけでは耐えきれないほどの暴風が吹き荒れた。
 「…………っ!」
  風に巻き上げられ、砂埃が宙を舞う。まともに立っているどころか、目を開けていることすらもままならない。誰もが、あまりの暴風と、巻き上げられた砂塵に耐えることに気を取られ、風が止むまでの数秒間だけ、結界があった場所から意識を離した。
 「何が…………」
  一番最初にまともな視界を取り戻したのは、シャッハに守られる騎士カリムだった。
  それから次々と、訓練場にいる騎士達が視界を取り戻す。
  視界を取り戻した騎士達は皆例外なく訓練場の中央を見つめ、そして、言葉を失う。
  なぜなら、そこにいたのは、全身ボロボロ、満身創痍で、お互いのデバイスを十字に組み合わせるヴィヴィオとエリーゼの姿。
  そしてその対面、およそ訓練場の端の方にいる、騎士甲冑を装着した二人の姿。
  その二人の姿に、その場にいる騎士達全員が、心覚えがあったのだから。
 「……そんな……騎士リオンに、騎士ジョージ……」
  彼らは、聖王協会内でも名の知れた聖王騎士の二人。騎士リオン・フレイメルと、ジョージ・ウィタエ。リオンの砲撃魔法と、ジョージの無限に生み出される人形達のコンビネーションを知らぬ騎士は、聖王騎士には存在しないほどに。聖王教会騎士で、彼らの直属の部下に当たる者達が、揃って自らの上司を誇り、自慢にするほどに。
  彼らは強く、気高く、誇り高く。
  騎士の中の騎士とすら評され、そして、とても熱心な、聖王教徒であった。




 「…………やはり、そうですか…………」
  体勢を変えず、正体を顕わにした彼らを見つめながら、エリーゼが苦々しげに呟いた。
  聖王騎士達の知識に明るい彼女は、先ほどまで自分達を襲っていた敵について、なんとなくその正体を悟っていた。自分の気のせいだと、彼女は思いたかったのだ。エリーゼは聡い。故に、二,三度の攻撃を受けた時点で、彼らのコンビの正体に気付いていた。
  そして、自分のその予想を信じたくはなかった。
  なぜなら、リオンとジョージは聖王騎士団の分隊長で、聖王教会の幹部を務めるダイムラー家という縁の繋がりから、エリーゼとも面識があった。……面識がある、という一言では片づけられないほど縁が、エリーゼにはあった。
  やりきれない想いが、エリーゼにのしかかる。
  誇り高き聖王教会の騎士が、特殊な事情があるとはいえ、一介の一般人であるヴィヴィオを襲うことに。
  信仰に溺れ、騎士としての誇りを忘れたことに。
  そしてなにより、自分と旧知の仲である者が、自分が『友』と認めるに値すると判断した人間に危害を加えていることに。
  やり場のない怒りを、憤りを、覚える。
  それと同時に、自分の目の前の光景を信じたくない、という思いに駆られる。今の状況を認めず、耳を塞ぎ、目を閉じ、全てを放棄してここから逃げ出すことができるのならば、目の前のこの状況を無かったことにできるのならば、どれだけいいか。
  だが、そうすることをエリーゼは良しとはしない。無意識の内に、デバイスを握る手に力がこもる。
  彼女の中にある誇りが、責任が、それを赦さない。目の前の事態から逃げ出すなど、なによりも彼女自身が、赦さない。
  故にエリーゼは、複合魔法の体勢を解いて、ファーフニルを構えなおし、かつて、共に聖王への信仰を誓い、己の誇りを称えあった騎士達に対峙する。
  未練を、躊躇いを頭の中を入れ替える。
  彼らは、聖王の威厳を損ね、友を襲う、害悪。
  赦してはならない。情けをかけてはならない。
  聖王陛下を受け継ぐ、聖騎士として。
  彼らを倒す責務が、私にはあるのだから。 




  自分達のことを襲っていた敵の姿を確認し、ヴィヴィオは体勢を整え、第三形態を取るザイフリートを構え直す。砲撃特化した相棒を、まるで大砲を扱うかのように腰だめに構え、狙いをつける。
  その対象は、目前にいる聖王騎士二人。正体がバレたというのに、彼らは表情ひとつ変えない。まるで、そのような感情など持ち合わせていないとでも言わんばかりに。
  その姿が明らかになったからと言って、危機が去ったわけではない。
  不意に、やはりそうですか、と、エリーゼの呟きが聞こえた。その声は苦々しく、様々な感情が入り混じっていることが感じ取れた。
  ヴィヴィオも、今回の敵も聖王教会の関係者だろうとは予想していた。しかし、覚悟していたとはいえ、聖王教会の騎士に、本来人々を救う立場にある人達に襲われたことに、やるせない気持ちになる。
  それほどまでに人を狂わせる、信仰とはなんなのか。
  カリムやシャッハと知り合い、エリーゼの想いに触れ、信仰というものが悪いものではない、むしろ、人を高みに導くもの、あるいは救いうるものだと、特定の宗教を信じないヴィヴィオでも理解していた。
  それと同時に、信仰は人を狂わせることもあるも、ヴィヴィオは理解していた。
  ……いや。
  狂信者達から見れば、信仰に殉じようとしない私達が異常なのか。
  何が正しくて、何が間違いなのか、今のヴィヴィオには分からない。
  信仰というものがあまりにも大きすぎて、判断が付かない。
  だけど。
  エリーゼの想いを知り、一晩考え、ヴィヴィオはひとつの答えを見つけていた。
 「……関係ないよ」
 「……ヴィヴィオ?」
 「関係ないよ。聖王教徒でも、そうでなくても、なんであろうとも」
  関係ない。
  相手が何を信じようと、何を信じまいとも、関係ない。
  なぜなら、大事なことは。
 「言葉にしないと、想いは伝わらない」
  尊敬するママに教えてもらった、大切なこと。
 「だから、お話を聞かせてもらうために、あなた達のことを、倒させてもらいます」
  しっかりとした声で、ヴィヴィオは眼前の二人に宣言した。
  聖王教徒であろうとなかろうと、関係ない。
  お話を聞いてもらうために、大切な友達を護るために、ヴィヴィオは戦う。
  その大前提に、変わりはないのだから。
 「……そうですわね。ヴィヴィオさん、あなたの言う通りです」
  何かを悟ったかのような、先ほどとは違う穏やかな声で、エリーゼがそう言った。
 「お話を聞かせていただくために。ヴィヴィオ、私も、協力します」
  そして、眼前の二人の騎士にも聞こえるように、エリーゼはそう告げた。
  エリーゼの言葉にヴィヴィオは頷いて了承を伝える。
  これほど心強い仲間の、友達の願いを断る理由など、存在しないのだから。
  そして二人同時に、示し合わせたわけでもないのに、同時に、正面を見据えた。
  二人の眼前にいるのは、二人の騎士。気高く、強く、清き信仰を持つ、誰もが尊敬してやまなかった、騎士の中の騎士と言うべき存在、だった、二人。
  二組の視線がぶつかり合う。
  それが合図であったかのように、まるで何かに弾かれたかのように、二人の騎士は動きを見せた。ジョージの周囲に魔法陣の展開も無しに召喚される、八体の木偶人形。その大きさは成人と同じ程度。漆黒の結界の中と同じように、ナイフのような鋭利な刃物を持っている。
  それと同時に、ジョージの一歩後ろに控えるリオンが、砲撃魔法のチャージを開始する。途端、リオンの前に薄紫色の魔力球が形成される。魔力球には、その光の色と同じ色である薄紫色の光の筋が集まり、その大きさを、内包された魔力を段々と巨大化させていく。
  見間違えるハズもない。
  それは、高威力を誇る砲撃魔法でも最高の境地、収束魔法。
  絶大にして絶対の威力を誇る、最強クラスの攻撃魔法。
 「エリーゼさん!」
 「分かっていますわ、ヴィヴィオ!」
  収束魔法のチャージを、手をこまねいて見ている場合ではない。
  ただでさえ防御が困難な収束魔法を、今の自分達が耐えきれるとは思えない。
  ヴィヴィオも砲撃魔法のチャージを開始、リオンのチャージを妨害するためにエリーゼが前に飛び出す。残り少ない魔力を躊躇わず脚部に収束、一瞬で解放し、爆発的な速度を発揮させる。間合いがほとんど一瞬で詰められ、リオンに肉薄する。
  それを、ジョージは許さない。
  ヴィヴィオとエリーゼ、リオンとジョージ、二組の中間地点、エリーゼの進行方向上に、召喚した八体の木偶人形を配置する。
 「邪魔ですわ!」
  掛け声と共に、エリーゼもヴァルキューレを召喚する。翼の生えた馬に乗る鎧騎士ではなく、軽装の鎧を装備し背中に直接羽根を生やした、空戦高速軌道形体のヴァルキューレを三体。得物は刃渡り二メートルを超える斬馬刀。その身体を構成する素材は、白銀色の光沢を放ち、軽量を特徴とするマグネシウム。ただし斬馬刀を構成する素材だけは、マグネシウムの数倍の硬度を持ちながら重量はマグネシウムの倍程度という高性能を誇るチタン合金。
  木偶人形をヴァルキューレに任せ、エリーゼ自身はリオンに接近しようと、木偶人形の隊列をすり抜けたところで。その正面に立ちはだかる影がひとつ。リオンの数メートル前に、戦斧を振りかぶるジョージの姿。
  予測していた事態に、エリーゼは表情を変えない。
  ジョージの直前でブレーキをかけ、発生させた勢いを相殺。それと同時に両腕に、全身に強化魔法を展開。迫りくる凶刃に、第三形態のファーフニルを構え、備える。エリーゼの目の前で戦斧が勢いよく振り降ろされ、数瞬後、身体の芯を震わせるような衝撃が全身を襲う。
  それをエリーゼは、ファーフニルを前に突き出し、その柄の中央で受け止めた。
 「っ……」
  歯を食いしばり、攻撃に耐えるエリーゼ。人形の召喚だけではない。彼自身もまた一流の騎士であったことを、エリーゼは痛感する。
  全身を襲う衝撃のせいで、エリーゼは一瞬だけ動きを、思考を停止させる。普段ならば意識を保つことができるのだが、今のエリーゼにはたったそれだけの余裕も、体力も、魔力も、ほとんど残されていない。
  その隙を、ジョージは逃さない。
  再び戦斧を振りかぶるジョージ。
  次の瞬間、エリーゼの背後から、エリーゼの身体をかすめ、四発の魔力弾が超高速で飛び出した。その魔力光は、虹色。表情を僅かに歪ませ、振りかぶっていた戦斧の軌道をずらし、最低限の動きで魔力弾を撃墜する。
  その間に、エリーゼはジョージから間合いを取っていた。後ろではなく、高度を落とし、今までいた位置から更に下に下がる。エリーゼは一人で戦っているのではないのだ。隙が生じてしまうのならば、その隙を補ってもらう。お互いが求めるタイミング求める場面での援護をする。二人の間には合図も何も要らない。それが、戦友というものだ。
 「ディバイン……」
  虹色の光が、ザイフリートの砲身となる部分に収束する。
 「バスター!」
  ヴィヴィオの声と共に、放たれる魔力の奔流。エリーゼだけではなく、ヴィヴィオも疲弊しているためその出力はいつもの半分程度だが、それでも、直撃すれば無傷では済まされない。虹色に輝く純魔力エネルギー。その光の砲撃は、ジョージではなく、魔力の収束を続けるリオンに向けられていた。
 「!」
  表情に焦りを滲ませ、リオンの傍らに移動するジョージ。戦斧を突き出しベルカ式の魔法陣を展開、リオンを守るための防御の体制に入る。それとほぼ同時に、ヴィヴィオの砲撃がジョージの展開した防御魔法陣を直撃する。いくら術者が疲弊していても、元々が純魔力による破壊に特化した砲撃魔法。音を立て、大気を震わせ、容赦なく防御シールドを削り取る。
  しかしそれでも、今のヴィヴィオの魔力では障壁を破壊するには足らず、やがて、ヴィヴィオの砲撃魔法が終了する。
  残された僅かな魔力を使ったヴィヴィオの砲撃魔法、切り札とも言える最後の一撃を防ぎきったことに、ジョージは顔を歪める。勝利を確信し、相手を見下した、下卑た笑い。
 「私のこと、忘れていらっしゃいませんこと?」
  その声で、ジョージの歪んだ笑顔が、一瞬で払拭される。
  ジョージから少し離れた場所で、第三形態のファーフニルを突き出すエリーゼ。その構え方は十字槍のそれではなく、魔法の杖のもの。足元に展開する魔法陣はベルカ式。魔力光は橙色。ファーフニルの第三形態は他の形態とは違い、近接戦闘ではなく詠唱魔法の使用に特化した形態。
  そして、すでに詠唱は完了していた。
 『ムスペルヘイム!』
  爆発。シールドどころか周囲の空間を巻き込んで、鉄すらも熔解する超高温の火炎の奔流が荒れ狂う。その効果範囲は先ほどヴィヴィオに行使した時の半分どころか三分の一程度。だが、効果範囲を絞った分、威力は落とさないように調整した。エリーゼの魔力光と同じ橙色の爆炎が二人の騎士を包み込む。効果範囲外にいるエリーゼの頬を、火の粉の混じる熱い風が弄る。
  その爆炎は数秒間続き、魔法の効果は終了する。やがて、炎が収まり、更に数秒後に、未だ治まらない風に流されて、効果範囲内を覆い尽くしていた煙がはれる。
 「……さすが」
  思わず、感嘆の声をあげるエリーゼ。
  エリーゼとヴィヴィオの攻撃を喰らってなお、ジョージは防壁を維持していた。自分達がひどく疲弊しているとは言え、その威力は本物のハズだ。それを防ぎきるとは、さすがは聖王騎士といったところか。
  ジョージが攻撃を防いだことで、状況が反転する。
  なぜなら、リオンの魔力の収束は、すでに完了していたのだから。
 「エリーゼさん!」
  ヴィヴィオが叫ぶ。
  その声に頷き、エリーゼはヴィヴィオの元に戻った。
  そして二人並び、全力の魔力を込めて防壁を展開する。残った魔力のありったけを込めた、二人のベルカ式複合防壁。
  あれだけの魔力、至近で喰らえば確実に墜とされる。
  リオンの前には、リオンの身長と同じ程の直径を持つ薄紫色の魔力球。収束された魔力が、リオンは腕のひと振りで、解放される。
  ヴィヴィオとエリーゼに迫る、莫大な純魔力。大気を震わせ、周囲に漂う魔力すらも巻き込み、轟音を立てながら、ヴィヴィオ達の防壁に激突する。
  そこでヴィヴィオとエリーゼは、気付く。
  防壁を削る魔力が、リオンが収束した魔力よりもかなり少ないことに。
  不審に思い、二人はリオンの収束した魔力球に視線を向ける。
  瞬間――収束された魔力の塊である魔力球が、薄紫の強烈な光を放ち、炸裂した。
 「!?」
  あまりに突然の、網膜を焼かんばかりの閃光に、ヴィヴィオとエリーゼは視界を失う。
  そして同時に、リオンの狙いを看破する。
  収束された魔力は攻撃のために使用されず、ほとんどが光に変換された。それこそ、目に入れば視界が数秒は完全に失われてしまうほどの閃光。あまりの強烈な光に痛みすら感じてしまう。外界の情報の七割を視界から得る人間に対して、最上級の撹乱。
  つまりリオンの目的は、攻撃ではなく、目くらまし。
  そう、この場から、逃走するための――。
 「待って!」
  ほとんど何も見えないほどに掠れた視界で、それでも必死にリオンとジョージの姿を探す。辛うじて、ほんのわずかだけ見えたものは、二人の騎士のおぼろげな姿。思った通り、ヴィヴィオ達に背を向け、その場から立ち去ろうとしていた。
  このままでは、逃げられる。
  無意識に、二人に向けて手を伸ばすヴィヴィオ。
  しかし、その手は虚しく空を切り、二人の騎士はヴィヴィオから遠ざかっていく。
 『プリズナーボルグ』
  その時、ヴィヴィオの耳に、少年とも少女とも判断が付かない、中世的で、あまり感情の抑揚が分からない落ち着いた声が届いた。
  その声の主のことを、ヴィヴィオはよく知っていた。
  瞬間、特殊なカタチをした魔力が自分達の周囲を、おそらく訓練場全体を取り囲むのを感じた。目が見えなくても、この感覚、この能力のことを、ヴィヴィオは知っている。
  戦闘機人、オットーのIS・レイストーム。
  ミッドチルダ式魔法に酷似した、広域攻撃及び結界能力といったものに応用の効く魔力エネルギーの運用能力。その能力の内のひとつ、プリズナーボルグ。『結界』と同等の性能を持ち、対象の檻外への移動・逃走を物理・魔力両面で阻害して閉じ込める。先程までヴィヴィオ達を閉じ込めていた黒色の檻とは違う、しかし効果の似た、絶対結界の在り方のひとつ。これを自力で突破することの困難さは、すでに証明されている。
  時間が過ぎ、麻痺していたヴィヴィオの視界が、段々と開けていく。
  やがて、ヴィヴィオの瞳に写されたのは、 想像通りに訓練場全体を取り囲む、半透明の緑色の隔壁。
  その隔壁と同じ色の足場で、いつでも攻撃用のレイストームを放てるように構えるオットー。
  ヴィヴィオ達の反対側、二人の騎士を挟んで対面に、己のIS・ツインブレイズを構えるディード。
  オットーが生成した足場に、騎士甲冑を装着し、ヴィンデルシャフトを構え、二人の騎士を鋭く睨みつけるシャッハ。
  プリズナーボルグの範囲外、訓練場を取り囲むように展開する、正規の聖王騎士達。
  そして、プリズナーボルグのすぐ外側、観客席の全体を見据えることのできる場所に、その瞳を捕らえただけで竦んでしまうような視線を向ける、騎士カリム。
  包囲が、完了していた。
 「騎士リオン。騎士ジョージ。両名に告げます」
  プリズナーボルグの外側で、小さな、しかしはっきりと聞こえる声で、カリムが告げる。
 「あなた方は、完全に包囲されています。もはや抵抗は無駄なことは、あなた達も知っているハズです」
  カリムの声が、訓練場全体に響き渡る。
 「聖王教会騎士団長、カリム・グラシアが命じます。あなた達に騎士としての誇りが残っているのならば、武装を解除し、大人しく投降しなさい。もし、抵抗するのであれば」
  カリムの言葉に応じ、待機していた聖王騎士達が、得物を構えた。
 「聖王騎士の名にかけて、あなた方を、捕縛します」
  聖王教会の誇る堂々たる布陣に、ヴィヴィオは思わず息を呑んだ。
  同時に、理解した。
  付け入る隙というものを、まったく感じ取ることができない。個々の騎士達がかなりの力量を持っている。その彼らが、仕事という義務感でなく己の誇りを持って、彼らにデバイスを向けている。
  これが、聖王教会騎士団の本気。
 「すごい……」
  口から洩れるのは、ただただ純粋な嘆息の声。
  これなら、いくらなんでも逃げだすことはできないだろう。二人の騎士を、この事態の解決の鍵となるかもしれない二人を、逃がさずに捕まえることができる。
  そのことをヴィヴィオは確信し、そして安堵した。
  二人の騎士、リオンとジョージは聖王教会騎士団でも上の地位にいる者だし、もしかしたら、これを契機にこの件はいっきに解決するかもしれない。もう、アリカやエリーゼのように、私のせいで友達が巻き込まれることもなくなるかもしれない。もう誰も、傷付かないようになるかもしれない。
  そんな期待を持って、ヴィヴィオは実質的に動きを封じられた二人を見た。
  途端、背筋がゾクリと、冷たくなった。
  頭に浮かんだ期待と、安堵感が、一瞬で吹き飛んだ。
  二人の瞳からは、まるで生気というものを感じ取ることができなかった。
  そう、まるで、生きることを放棄したような、そんな瞳。
  次の瞬間、リオンとジョージはお互いに向き合い、自身の得物を構えた。その切っ先の対象は、明らかに、お互いの首筋――
 「やめ――」
  反射的に、ヴィヴィオの身体は飛び出していた。
  が。
 「あ……」
  訓練場の端と端。距離にして百数十メートル。時間にして一秒と僅か。それだけの間合いを。それだけの時間で詰めることは、さすがのヴィヴィオでも不可能だった。
  ヴィヴィオの視界に映ったのは、凄惨な光景。
  騎士リオンの頸と胴体はすでに繋がっておらず。
  騎士ジョージの上半身はすでにこの世に存在していなかった。
  そして、残された身体から吹き出す、紅の鮮血。噴水の水の如く噴き出す、ひたすらに紅い血液は、まるで、咲き誇る紅い彼岸花のようにすら見えた。
 「あ……あぁ……」
  自身の魔力による加護を失い、重力に従って落下するふたつの身体を……肉塊を、呆然とした気持ちで見つめるヴィヴィオ。落下線上、その周辺に、紅い血が撒き散らされる。次第に、訓練場の地面が紅く染められていく。やがて、ふたつの肉塊は、グシャリと、鈍い音を立て、衝撃で肉片と残った血液をぶちまけ、地面に激突した。
 「ぁ…………」
  次第に、ヴィヴィオの視界が、紅く染まっていく。
  眼下に広がるのは、撒き散らされた人間の血液と、かつて人間だったモノの欠片。
  その内の、かつて人間の頭だったモノと――すでに何も見ていない――視線が重なった。
  虚ろな、ナニモノも見ていないそれは、ヴィヴィオの瞳を、顔を、しっかりと映していた。
 「…………ぁぁぁあああああ!?」
  ヴィヴィオは叫んだ。意識せず、無意識の内に、心から。
  そして、ヴィヴィオの意識は、そこで途絶えた。




         ※




  聖王教会、医務室。
  医務室と言っても、それは任務後の聖王騎士団員も利用するほどのもので、簡単な手術、例えば単純骨折や浅い裂傷程度などなら問題なくこなすことのできる程度の設備を持つ、言うなれば小さな病院のようなもの。
  ベッドの数は少ないが、そもそも入院することを想定していないので、最低限で充分なのだ。
  その聖王教会医務室の一角。
  数少ないベッドの内のひとつに、ヴィヴィオは寝かされていた。
 「……落ち着きましたか、ヴィヴィオさん」
 「…………はい。多分…………」
 「……その調子だと、大丈夫そうではありませんね」
  溜息混じりのシャッハのその声色には、言葉面ほど責める様子はなく、むしろヴィヴィオのことを心配していることが感じ取れた。
 「無理することないわよ、ヴィヴィオ」
 「エリーゼさん……」
  ヴィヴィオのすぐ隣のベッドで、ヴィヴィオと同じように寝かされているエリーゼが顔だけヴィヴィオに向けて、そう言った。
 「あのようなものを見て平気だなんて、そっちの方がどうかしていますわ……」
  エリーゼの言う、あのようなものとは、先ほどヴィヴィオが見た、見てしまった、惨劇のこと。
  いくら強く、第一線級の力を持つヴィヴィオとエリーゼも、まだ年頃の女の子。あのようなものを見て、まともでいられるほど、人間の死に慣れていない……慣れては、いけない。
  医務室に寝かされるヴィヴィオとエリーゼ。二人は隣同士のベッドに寝かされ、その周囲を取り囲むように、カリム、シャッハ、セイン、オットー、ディードがいた。シーツに隠れて見えないが、ヴィヴィオもエリーゼも、全身いたるところに包帯を巻かれている。全身包帯ぐるぐる巻きになるのはヴィヴィオにとって二度目の経験だが、今回は以前よりも包帯やガーゼの量が多い。それが少し窮屈だった。
  最も、身体を動かそうと思っても、今のヴィヴィオではどういうわけか思ったように身体を動かせないのだが。
 「ヴィヴィオさんもエリーゼさんも、全身傷だらけですが、どれも命に別条はありません。一週間もすれば包帯も取れる、とのことです」
  医者から説明を受けたのか、シャッハがヴィヴィオとエリーゼの顔を交互に見ながら、二人の容態を説明する。
 「ただ、問題は、二人の魔力です」
 「……魔力?」
 「はい。明日にでもヴィヴィオさんとエリーゼさんそれぞれに詳しいお話を聞かせていただくと思いますが、お二人共、あの黒色の結界の中で、相当な激戦を続けていたでしょう?」
  シャッハに言われ、ヴィヴィオは思い返す。
  あの、漆黒の空間の中での、数時間に及ぶ攻防。
  かろうじて耐えきることができたが、あれがあと三十分も続けば、おそらく自分達はやられていただろう。
 「それに加えて、あの正体不明、聖王教会騎士達でもお手上げなほどの堅牢な結界を破壊するほどの攻撃、そして結界破壊後の戦闘。これらによって、ヴィヴィオさんもエリーゼさんも、魔力の限界を超えてしまっているんです」
  魔力の限界を超えている。
  シャッハがこれから言わんとすることを、ヴィヴィオはなんとなく理解していた。
 「……つまり、私達は限界以上に魔力を行使してしまったから、思ったように身体が動かせない、と。そういうことなのですか?」
 「そういうことです、エリーゼさん」
  魔導師とそうでない人の差とは、つまるところ自分の意志で行使できるほど魔力を持っているか、ということに過ぎない。生きていれば、多かれ少なかれその身体には魔力が宿る。つまりそれは、魔力というものが生き物の命に密接に関係しているということだ。
  そのため、普通の人間であれば魔法を行使することができない=魔力を消費することがないため、魔力の減少が体調に影響することは特殊な状況を除いて存在しないのだが、魔法を行使することのできる魔導師はそうはいかない。
  魔力を消費すれば当然疲労し、やがて体力がなくなったときと同じような状況に陥る。そして肉体の限界を突破すれば肉体にダメージが残るように、行使できる魔力の限界を突破すれば、その影響が精神や肉体に出てくる。
  今のヴィヴィオとエリーゼは、魔力の限界を超えたために、その影響が肉体に現れ、身体を動かすことができなくなっているのだ。
  この症状は、魔力が回復するにつれて身体も元に戻るのだが、この症状が出た時点ですでに限界以上の魔力を行使し体内の魔力生成機関に負担をかけてしまっているため、普段よりも魔力回復速度がかなり遅くなってしまい、連鎖的に肉体の回復も遅くなってしまうのが通例だ。
  それでも、時間をかければ魔力は回復し、魔力生成機関の回復力も元に戻るのだが、限界を飛び越え、あまりに負担をかけすぎてしまうと、最大魔力量の一時的な減少、肉体への後遺症など、深刻な問題が発生してしまう。そしてついには、一生魔力を生成することのできない身体になってしまうことも。
  誰かを助けるためなら躊躇うことなく限界を突破し、自分の身体に負担をかけることを厭わない、管理局最強の砲撃魔導師。彼女が後遺症に苦しんでいる姿を一番間近で見ていたヴィヴィオには、魔力の限界を超えるということに、複雑な思いがあった。
 「あなた達はまだ若いので魔力の回復は早いですが、少なくても、今日一日は身体を動かすことができない、とのことです」
 「そうですか……」
  身体が動かせないのは不便だが、どうしようもないことなので、ヴィヴィオはおとなしくせざるを得なかった。しかし、今のヴィヴィオにとって、身体を動かせない、気を紛らわせられないというのは、辛いことだった。
  じっとしていれば、嫌でも、あの光景を思い出してしまいそうで。
 「あの……騎士カリム」
 「何ですか? エリーゼさん」
 「その……騎士リオンと、騎士ジョージは……」
 「…………」
  まるで何かにすがるかのようにカリムに問いかけるエリーゼと、苦虫を噛み潰したかのような、哀しい顔をするカリム。それだけで、エリーゼの問いに対する答えになっていた。
 「そう……ですか……」
 「申し訳ありません、エリーゼさん」
 「……謝らないで下さい。騎士カリム。あなたは、何も悪くありません。仕方のないことなのですから」
  仕方のないこと。
  たった一言で言い表すには、あまりにも辛い出来事。
  明らかに肩を落とし、悲しい顔をするエリーゼに、ヴィヴィオはかける言葉が無かった。
  エリーゼだけではなく、ここにいる全員が、重く沈んだ気持ちだった。
  仲間だと信じていた、古くからの友に裏切られ、友を襲われ、そして彼らは自害した。事情を聴くことすらも許されず、彼らの後ろで糸を引いている存在についても全く情報を引き出せなかった。罪を贖わせる時間すら、与えられなかった。
  つまりそれは、この事件が一切の進展を見せなかったということ。
  また、同じことが起こるということ。
  信じている友が裏切り、友を襲う。悲しませる。
  その事実が、この場にいる全員の心を苛んでいた。
  どうしようもない。どうすることもできない。
  このままでは、また、被害者が、犠牲者が増えるばかり。
  そのことが、たまらなく悔しくて、悲しかった。
 「……これ以上考えても、仕方ありません。皆さん、一旦、頭の中を入れ替えましょう」
  そう言い、カリムが手を叩いた。
  確かに、カリムの言うとおりだ。
  今ここで考え込んでも、何も始まらない。
  そんなことよりも、これからのことを考えることの方が大切だ。
 「そう言えば、ヴィヴィオさん」
 「はい?」
  シャッハに声をかけられ、ヴィヴィオは反応した。
  シャッハの話は、今日、ヴィヴィオが結界に閉じ込められている間中ずっと、アリカがヴィヴィオ達のことを心配し、危険を承知で訓練場の観客席に残り、祈り続けていたということだった。
 「アリカちゃんが……?」
 「はい。もう日も遅いですし、今は家に帰らせましたが、アリカさんはずっとヴィヴィオさん達の身を案じていました。後日、ちゃんとお礼を言っておくように」
 「…………はい」
  シャッハの言葉に、ヴィヴィオは頷いた。
 「では、ヴィヴィオさんを騎士カリムのお宅に運びましょう。エリーゼさんも、今夜はカリムの家に泊まっていくように」
 「…………へ!?」
  シャッハの提案に、どういうわけか、ヴィヴィオが知るエリーゼからは想像もできないような頓狂な声が聞こえた。
 「今日はもう遅いですし、身体が動かせない今の状況で、エリーゼさんの自宅に帰るのも大変でしょう。それに、いろいろお聞きしたいこともありますし」
  カリム自らがそう説明し、言葉の最後に、エリーゼに向って微笑んだ。
 「もちろん、無理に……とは言いませんが。どうでしょうか?」
 「も……もちろん、問題なんてあろうはずがありません、騎士カリム!」
  エリーゼの変わりように、ヴィヴィオは苦笑した。
  そういえば、エリーゼは『カリム・グラシア様に祈る会』の名誉会員だったことを思い出した。そして、騎士カリムのことになると少々どころか、普段の冷静さ、落ち着きを結構失うということも。
  ニコニコ微笑んでいるカリムと対照的に、ワクワクドキドキ、といった様子で微笑むエリーゼ。
  おそらくカリムは、言葉で伝えた理由以外にも、深い考えを持ってエリーゼを家に泊めるようにしたのだろう。例えば、弱った二人を狙った襲撃に備えるため、とか。ヴィヴィオにもそのことは簡単に思いつくことができたが、はたして今のエリーゼにそこまで考えるだけの余裕があるのかどうか。
 (でも、こういう人間味が、エリーゼさんの魅力なんだよねぇ……)「
  気付けばいつの間にか、その場の雰囲気が穏やかなものになっていた。これは、カリムの力なのか、それともエリーゼのおかげなのか。
  出会ってから、僅か数日。
  たったそれだけの時間で、ヴィヴィオは、エリーゼのことを、なんとなく理解し。
  友達だと、思えるようになっていた。 


            ※


  ヴィヴィオはまだ気付いていないが、漆黒の結界から脱出するあたりから、エリーゼがヴィヴィオを呼ぶときに、ヴィヴィオさん、ではなく、ヴィヴィオと呼ぶようになっている。
  エリーゼもまた、ヴィヴィオと同じように、ヴィヴィオのことを友達だと、思えるようになっている。
  無意識の内に二人はお互いを戦友として認め、戦いの後には、その感情は友達に向けることになっていた。
  そのことにお互いが気付くのは、もう少し先のお話――














 「ふぅ……」
  明かりを消した、グラシア邸の一室。
  ベッドに寝そべったまま、ヴィヴィオは考え事をしていた。
  まだ、身体は思ったように動かせない。お話をすることはできるのだが、食事も、誰かの助けを借りなければ満足にできないような有様だった。ただ単純に身体が動かないのならば、魔力で身体を動かすこともできるのだが、今は魔力がまったく残っていないから身体が動かせないのだ。不便なことこの上ない。
  ヴィヴィオの頭には、先ほどまでの、みんなとの談笑の内容が残っていた。
  初めは今回の件の事情聴取のようなものをエリーゼと一緒に受けていたハズなのに、それが一段落する頃に、お茶とお茶菓子を持ったセイン、オットー、ディードが乱入してきてそのままパジャマパーティに突入、残りの聴取もお流れになってしまったのだ。
  セインを筆頭としたナンバースの明るさ、無垢さは、今のヴィヴィオには正直ありがたかった。
  おかげで、ほんの数時間前の凄惨な光景を、一時だけでも忘れることができるのだから。
 「…………」
  ヴィヴィオの脳裏には、未だあの光景が焼き付いていた。
  ヴィヴィオの眼前で、頸を刎ねる騎士ジョージ。上半身を吹き飛ばす騎士リオン。噴き出す鮮血。飛び散る肉片。虚ろな瞳は生気を感じさせず、左右で色の違うヴィヴィオの瞳を射抜く。それは、死という漠然とした恐怖をヴィヴィオに意識させた。
  自分が死と隣り合わせにあることを、分かっていたハズなのに、改めて理解させられた。
  言いようのない不安感が、じくじくと、ヴィヴィオの心を痛めている。
  考えても仕方のないことなのは分かっているのに、考えずにはいられない。
  なぜならヴィヴィオは、まだ九歳の女の子。人の生死について考えるには、まだ幼すぎるのだから。
 「……ねぇ、ザイフリート」
 『はい。お呼びですか、お嬢様』
 「ザイフリートは…………死ぬこと、について、どう思う?」
  死ぬこと。
  生きること。
  殺すこと。
  誰かを助けること。
  誰かを助けるためには、誰かを殺さないといけないかもしれない。
  今生きていても、いついかなるときに死ぬのか分からない。
  生と死は表裏一体。それはまるでコインの裏表のようで。
  あまりにも遠くて、あまりにも身近すぎる、あまりにも純粋な恐怖のカタチだった。
 『そうですね…………。私には、死と言う概念が分かりません』
 「そうなの?」
 『はい。死ぬ、ということは事象として、言葉の意味としては理解しているのですが、私は死ぬことはありません。ですので、死ぬ、ということを、本当の意味では理解できないのです』
 「…………」
  ザイフリートは言葉を続ける。
  自分はデバイスであって、ヴィヴィオのような命を持つものではない。だから、自分にとっての死とは、おそらく機能停止した時なのだろうが、それは生命体の持つ死の概念とは異なるため、漠然とした恐怖や不安を抱くことはない、と。そもそも、デバイスは生き物ではなく、命を持っているわけではないので、機能停止を死と呼べるのかどうかも微妙だ、と。
 『ですが……確か、とある次元世界の哲学者が、こういう言葉を残したそうです』
 「?」
 『cogito, ergo sum. 我思う。故に我あり』
 「我思う、故に、我あり……?」
 『そうです。生きているということは即ち、自分というものの存在を自覚し、自分であることを思うから生きているのだと。自分と言う意思を持っている。故に、生きているのだと』
 「…………」
 『ですので、確かな意志を持っている私は、生きている、と言うことなのかも知れません』
 「……難しい言葉だね」
 『ええ。単純な言葉ですので、人によっては言葉の意味の捉え方も変わってくるでしょう。私の述べたこの言葉の意味も、ただの受け売り……ひとつの解釈に過ぎません』
 「そっか……」
 『ですがお嬢様。その言葉の意味は、私にとってはどうでもいいのです』
 「え?」
  それまでの前置きをぶち壊したザイフリートに、ヴィヴィオは驚く。
 『大事なことは、お嬢様が今こうして考え、思い、自分の意志を持って、生きているということです。お嬢様がどのように思い、どのように考え、どのような答えを出したとしても、私はただあなたに仕え、従うだけです』
 「ザイフリート……?」
 『自信を持って下さい。お嬢様。先程の言葉を借りるのならば、お嬢様が強い意志を持つということこそが生きるということであり、意志を持たなければ、それは死んでいることと変わりありません。お嬢様が生きてさえいてくだされば、微力ながら、私はお嬢様を全力でサポートさせていただきます』
  本来は無機質なハズの機械音声。
  しかしザイフリートの言葉からは、確かにザイフリートの意志が感じ取られ、そして、ヴィヴィオの痛む心に沁みこんできた。
  私は今こうして生きている。確かな意志を持っている。
  死ぬということは確かに怖い。だが、そのことに囚われ、自分の意志を失ってしまっては、それこそ死んでいることと変わらない。
  私は意志を持っている。だからこそ生きている。
  そう考えると、先ほどまで心を痛めていたものが、すぅっとひいていった。勿論、目の前で起こった惨劇そのものはまだ忘れることはできない。しかし、死ぬことに対して漠然と感じていた意味のない恐怖は、完全に払拭されていた。
 「……ありがとう。ザイフリート。だいぶ楽になった」
 『ありがたいお言葉』
  ザイフリートは基本的に無口で、必要なこと以外は喋らない。
  最後の言葉を言い終えた後は、ザイフリートは再び自分から語りだすことはなかった。
  けれど、ヴィヴィオにはそれで充分だった。
  必要さえあれば、ザイフリートは全力で、最善にして最高のサポートをしてくれる。
  なんとも、頼もしいパートナーではないか。
  私はまだまだ、未熟な魔導師だ。なのはママとレイジングハートみたいな関係じゃなくて、ザイフリートに相応しいパートナーには、まだ届かないと思う。だけど、ザイフリートは私の声に、言葉に、想いに、応えてくれる。そんなザイフリートのためにも、そして何より、私自身のためにも、私は自分の意志を貫こう。
  受け継いだのは勇気の心。
  手にしたのは魔法の力。
  この力は、誰かを助けるための力。泣いてる誰かを、助ける力。
  何が起こっても、私が私である限り、それは変わらない。
  目指すのは、ママみたいな、強くて優しい魔導師。
  絶対に諦めない。
  それが私の意思。
  誰かを助けることのできる魔法使いに、私はなるのだから。