金属と金属――刃と刃がぶつかり合う音が、訓練場に響き渡る。
  周囲に満ちるのは、撒き散らされた濃厚な魔力エネルギーと、闘気。それらの、戦いの場の空気に慣れていない者がその場に踏み込めば、その重圧に中てられてしまうほどの密度。そして、それと同時に理解するだろう。これは殺し合いではない。己の魔導と誇りをかけた試合なのだと。あるいは命よりも大事なものをかけた、本気の真剣勝負なのだと。
  その戦いの渦中にいるのは、一人の女性と、それに相対する二人の少女。
  女性は凛とした佇まいの赤毛のショートヘアで、戦闘用の軽装に身を包んでいる。その両腕に振るわれる得物は、双剣型のデバイス『ヴィンデルシャフト』
  そして少女の一人は、ブロンドの長髪を風になびかせる、碧い瞳の少女。手足がすらりと長く、戦いの中にあっても全身から高貴な雰囲気がにじみ出ている。構えるのは、十字槍型のデバイス『ファーフニル』
  そしてもう一人の少女は、紅と翠の瞳を有する少女。この中で一番小柄だが、この中で最も何かを感じさせる。相棒は、ひし形十字を模した魔導師の杖。デバイス『ザイフリート』
 「ヴィヴィオ!」
 「はい、エリーゼさん」
  唐突に、十字槍を構えた少女が叫び、相対する赤毛の女性に向かって飛び出す。身長よりも長い十字槍をまるで自分の手足の延長であるかのように自在に振るい、その長さを利用した遠心力の乗った重い一撃を放つ。それと同時に、彼女の傍に八発の魔力弾が並走する。その魔力光は虹色。一撃を放つ彼女の十字槍の切っ先の動きに連動して四発が動き、残りの四発は赤毛の女性の動きを封じるように、左右から先行して女性に迫る。遠心力の乗った一撃に加え、魔力弾の威力が付加された、必殺の攻撃。
  避けることの叶わないそれらの連撃を――その女性、シスターシャッハは――薙ぎ払った。一瞬の動き、たった一度の閃き。それだけで牽制の四発の魔力弾をたたき落とし、その反動と勢いを遠心力に加算して更に力を上乗せ、頭上から迫りくる十字槍+魔力弾の一撃を、双剣を交差させ、受け止めた。
  鈍い金属音が響く。
  必殺の一撃が通らなかった。だからと言って、怯んだり動揺したりするほど、この少女達は温くない。相対する女性は明らかな格上。自分達の攻撃がすんなりと入ることなど、端から期待していない。だから、その一撃を入れるために。先の先を読み、一人ではなく、二人の最上級のコンビネーションで、攻め立てる。
  攻撃は最大の防御。そのことを、彼女達は肌で感じ取っていた。
  受け止められ、勢いが完全に殺されたファールニルを、エリーゼは、何の躊躇いもなく――手放した。
 「っ」
  流石に予想していなかった手段に、シャッハは一瞬だけ表情を曇らせる。その僅か一瞬以下の隙をエリーゼは見逃さない。魔力で固めた空を蹴り、上からの攻撃を防ぐために胴体ががら空きになっているシャッハの懐に潜り込む。その移動の運動エネルギーを殺さず、地面を力強く踏み込む。震脚。踏み込んだ動きを、全身の動きに連動させ、右の拳をシャッハの身体に打ち込む。
  拳が身体にめり込むその刹那、シャッハは自身の胸の位置を中心に回転し、エリーゼの拳を回避する。この一撃は当たると思っていたので、回避されたことを認識しても、その拳を止めることができない。天地が反転した状態で、エリーゼの頭上に来るシャッハ。エリーゼが体勢を整えて振り向くよりも、シャッハが回転を終えて地面に着地する方が早い。
  シャッハの視線が回転運動によりエリーゼの背後に向いたところで、シャッハが目を見開く。
  すでに、チャージが完了していた。
  光輝く、ベルカ式の魔法陣。ひし形十字のフレームを取り囲むのは、ミッドチルダ式の環状魔法陣。その洩れ出でる魔力の揺らめきだけで、その威力がありありと想像される。その魔力光は、虹色。ベルカの地にて、希望の色を示す、聖なる光の輝き。
  ヴィヴィオが、シャッハに狙いをつけていた。
 『Divine Buster』
 「ディバインバスター!」
  魔力の奔流。全てを屠る必殺の一撃。非殺傷設定になっているハズなのに、本能が危険を告げる。命の危機を感じてしまう。その砲撃は、エリーゼには当たらない。エリーゼの頭上にいる、無茶な体勢をし、すぐには回避行動に移れないシャッハに向けられている。その砲撃は僅かな時間で射程圏を撃ち抜き、エリーゼの頭上を、吹き飛ばした。
 「やった!?」
  今の一撃は、シャッハに直撃したと思った……が。
  異変に最初に気付いたのは、シャッハの傍にいたエリーゼだった。
 「ヴィヴィオ、後ろ!」
 「え!?」
  振り向く。振りかぶられたヴィンデルシャフト。
  ヴィヴィオは反射的に防御結界を展開する。魔法ではない。絶対防御を誇る無敵の盾、ヴィヴィオのみが使用することのできる固有スキル、聖王の盾。ヴィヴィオの意志に反応して、虹色の防壁がヴィンデルシャフトの一撃をほとんど反動もなく食い止める。
  だが、ヴィンデルシャフトは二振りの双剣。
  反対側から迫る二撃目を、ヴィヴィオは、通常の魔力防壁で受け止める。反射で発動できるような通常の魔力防壁では、シャッハの一撃に耐えるのは辛い。聖王の盾と違い、相殺しきれなかった威力がヴィヴィオを襲う。
 「う……わ!?」
  そのまま、下から掬いあげられるように弾かれるヴィヴィオ。足が地面を離れ、浮遊感が全身を襲う。咄嗟に体勢が整えられない。視界に映るのはシャッハが更に振りかぶり、三撃目をヴィヴィオに叩き込むための予備動作。両腕を同じ側に振り、二つの刃を一点に同じ方向からぶつけることで、最高の破壊力を加える一撃。分かっているのに、シャッハの方が動きが早く、対応できない。
  不意に、視界に映る姿が一変する。エリーゼが弾かれたヴィヴィオとシャッハの間に割り込んだ。三撃目をシャッハは止めず、そのままエリーゼに叩き込む。十字槍の穂先を地面に突き刺し、両腕で支える。ファーフニルの柄のほぼ真ん中に直撃する三撃目。柄がしなり、穂先を突き刺した地面が抉られるが、エリーゼは弾かれない。反撃に遷るために穂先を地面から引き抜き、即構えの体勢に入る。身体を限界まで捻り、柄の中心を左手で持ち、石突に右手を添える。身体の捻りと両腕の力を最大限に発揮できる、突きの構え。そこまで構えて。
  エリーゼの首筋に、正面から、ヴィンデルシャフトの切っ先が突きつけられていた。
  十字槍の柄に加えた一撃で止めずそのまま振り抜き、それまでのように遠心力を加えた重い一撃でなく、左腕に持つ刃だけを真っ直ぐと突き出した、迅さ重視の一撃。首筋に突きつけられた刃を下手に払おうものなら、その勢いを利用され、遠心力の乗った右腕の重い反撃が来るだけだ。この不安定な姿勢で、その反撃に対応することはできない。
 「ザイフリート!」
 『フォルムU・バルムングフォルム』
  その間にヴィヴィオは体勢を整え、ザイフリートのフォルムUを発動させる。形成されるのは銀色に輝く刃。ひし形十字の意匠は鍔の部分に反映される。柄と鍔の付け根部分がスライドし、内蔵されたカートリッジがロードされる。排出された薬莢が地面に落ちる頃には、ヴィヴィオはシャッハの背後に着いていた。
  エリーゼを助けるために、振りかぶったザイフリートを八双の構えから切りつける。
  しかしその刃がシャッハに届く寸前に、ヴィンデルシャフトの刃が、ヴィヴィオの首筋に辿り着いていた。動きを止めざるをえないヴィヴィオ。一瞬にも満たないほんの僅かな時間。ヴィヴィオは首筋につきつけられた刃を見つめながら、気付く。シャッハの足元に、自分のものではない薬莢が転がっていることに。条件は同じ、一発のカートリッジロード。生じた差は刹那よりも短い。たったそれだけの時間差で、勝負が決していた。 




  何かに集中していると、時間はあっという間に過ぎてしまう。誰しも、何かに熱中して気がついた頃には時間が過ぎていたことがあるだろう。
  それは、ここにいる二人の少女にも当てはまる。
  朝、まだ太陽が昇り切らない頃から訓練を始めたのに、いつの間にか太陽が真上に来ているのだから。夏の日差しは容赦がない。朝はまだしも、直接太陽の光が降り注ぐ昼時に野外で本気の勝負を繰り広げるなど、そんなことを繰り返していたら身体が持たない。ただでさえ辛く厳しい訓練なのだ。昼時は誰しもが避けたかった。
  故に、エリーゼとヴィヴィオは、お昼の鐘が教会から聞こえた時に訓練を終了し、訓練場の隅にある大きな木の木陰に腰掛け、ゆっくりと汗を拭っていた。
 「うはぁ……」
  バリアジャケットはまだ解除していない。何故ならば、ヴィヴィオとエリーゼは数時間の炎天下での激闘で、下着まで汗でべっとりと濡れているのだ。戦いの終わった今では、正直下着が肌に張り付いて、ベタベタして気持ちが悪い。そのため、今下手にジャケットを解除しようものなら、私服までべたつきそうで。それは流石に嫌だった。訓練のたびにこうなので、ジャケットを解除するのはシャワーを浴びる直前、ということにしている。
 「この不快感は……馴れませんわね」
  身体に張り付いた生地をはがしながら、エリーゼも呟く。エリーゼは誇り高い騎士だが、それ以前に年頃の女の子なのだ。戦闘中はともかくとして、それ以外では、こういったことを当然気にする。
 「……シャワーが浴びたいなぁ……」
  大きな木に身体を預けたまま、ヴィヴィオが呟いた。訓練が終了すると同時に倒れ、その後しばらくは起き上がれないほどに疲弊していた訓練開始初期に比べれば、そんなことを気にする余裕がある分だけ、かなりの進歩である。最も、今でも体力も魔力も限界まで削られ、しばらく動きたくないまでは追い込まれているのだが。
 「でしたら、今日の講評をしましょうか」
  対して、ヴィヴィオとエリーゼの前に立ち、二人を見下ろしているシャッハは、汗こそかいているものの、極めて涼しい顔をしていた。これが本物の騎士なのか、それともただシャッハが無頓なだけなのか。二人にはまだ判断がついていない。
 「切り込みも悪くありませんし、コンビネーションもできています。ですが、まだ相手の『先』までしか読めていません。それ以上の戦闘では『 さき さき 』を読むことが求められます。ヴィヴィオさんもエリーゼさんも、ディバインバスターを当てるところまでは良いのですが、それから先が続いていません。その僅かな隙が、これからの戦いでは死活問題になってきます」
  淡々と、今日の訓練の講評をするシャッハ。的を得た的確な評価に、ヴィヴィオとエリーゼも余計なことを考えず、シャッハの言葉に集中する。
 「……しかし、最初のエリーゼさんの遠心力を乗せた一撃の動きに、ヴィヴィオさんの魔力弾の動きを連動付与させて破壊力を高めた攻撃。あれは二人の息が完全に合っていないとできるものではありません。聖王教会に所属する騎士でも、あの一撃を防ぐことのできる者はそういないでしょう」
  駄目な部分ははっきりと駄目だと告げる。良い部分は良いと褒める。指導の基本のようで、それができる人は中々いない。どうしても悪い部分に目が行きがちで、優れた部分への評価が二の次になってしまう教官が多い中、シャッハは基本に忠実で、堅実な訓練をしていた。
 「個人の資質で言うならば、ヴィヴィオさんは接近戦に弱いです。具体的に言うならば、懐に飛び込まれた時の対応が遅れます。砲撃主体の戦闘スタイルを中心とするならば、懐に入られた時に瞬時に対応できるようにするか、懐に飛び込まれないよう、効果的な機動をするべきです」
 「はい……」
 「エリーゼさんは逆に、距離を置かれた時の対応があまり良くありません。ファーフニルの射程は他の得物に比べて長めです。だからこそ、その射程に無意識にこだわってしまい、敵と離れた時の対応が疎かになりがちです。せっかく詠唱魔法も使えるのです。それも駆使できるようにならないと」
 「はい」
  素直に頷くヴィヴィオとエリーゼ。
  傍から見たらとんでもなく要求のレベルが高いのだが、この二人は他の騎士達とまともな訓練をしたことがないので、自分達の実力の高さをあまり理解していない。故に、シャッハの言うことが普通だと思っているので、何の反発も抱かずに素直に受け入れているのである。ちなみに、二人の同年代くらいの騎士だと、まだ『敵から目を逸らすな』『自分の間合いを見極めろ』のレベルである。
 「それでも……当初に比べたら破格の成長ぶりなのですけどね。特に、ヴィヴィオさんが」
 「私ですか?」
 「ええ。途中から訓練に加わったエリーゼさんもですが、特にヴィヴィオさんの成長速度は目を見張るものがあります。もう、AAAクラスくらいの実力があるのではないですか?」
 「AAAクラスですか……」
  AAAクラスと言えば、確かほぼ独学で魔法戦闘を学んでいたなのはが、今のヴィヴィオと同じ年代で習得していた魔導師クラスである。ここまで訓練して、ようやく当時のなのはに追いつくことができた。そのことが、ヴィヴィオには少し嬉しかった。
  少しは、憧れの人に近づいていることに。
 「では、今日はこのくらいにしておきましょう。先日伝えた通り明日は私の都合がつかないので訓練はなしですが、明後日は今日と同じ時間にあります。遅刻したりしないように」
 『はい』
  ヴィヴィオとエリーゼが同時に返事をする。
 「それでは、今日はここまで」
 『ありがとうございました』
 「ありがとうございました」
  立ちあがって、シャッハに頭を下げる二人。しかしすぐに、木に体重を預けた。
 「あらあら。今日も駄目ですか」
 「はい……」
 「まだ……回復しませんよー」
  シャッハの訓練は、訓練初期よりも更にスパルタになっていた。なにせ、本気で命を取りに来ているとしか思えない攻撃を繰り出してくるのだから。毎回毎回毎回毎回、寿命が縮まる思いである。体力も魔力も、毎回限界まで削り取られる。動くことはできるが、動きたくないというのが本当に正直な気持ちだった。
  訓練後の、いつもの光景である。
 「ヴィヴィオ―、エリーゼさんー」
  そして、このタイミングでこの声が聞こえるのも、最近のいつもの光景である。
 「アリカちゃん」
 「アリカ」
  聖王教会のある側から走ってこちらに向かって来るアリカの姿が見える。大きめの淵のついた帽子をかぶり、服装はライトグリーンのキャミソールと、ヒラヒラしたミニスカートで、その手には、大きめのバスケットが握られていた。
 「今日も訓練お疲れ様です」
  二人の前にやってきて、アリカが労いの言葉をかける。その優しい物言いと言葉、そして鈴蘭のような爽やかな笑顔に、ヴィヴィオとエリーゼは毎回癒しを感じていた。
  聖王教会第一訓練場閉鎖事件から二週間。夏休みも、半分が過ぎていた。
  あの事件の後、エリーゼはヴィヴィオとカリムに、自分も訓練に混ぜてくれるようにお願いをした。下心も何パーセントか含まれていたのかもしれないが、それ以外の九割以上はエリーゼは本気だった。あの事件で、エリーゼも何か思うところがあったのだろう。それから毎日、エリーゼはヴィヴィオと一緒に訓練を受けている。
  訓練は朝四時から始まる。夏なので日が昇るのが早く、この頃には空が明るくなり始めている。訓練場に集合し、まずは準備体操から始め、基礎的な魔力運用法と身体の運び方、教会騎士風の体術の訓練、応用的な魔法戦闘の訓練といった具合に訓練は続く。そして最後、太陽が空の真上に昇り切る頃に、真剣勝負の模擬戦が始まる。最初の頃は訓練だけで疲弊し、模擬戦では二人掛かりで五分ともたなかったが、最近では十分くらいはもちこたえられるようになっている。しかし、まだシャッハに一撃を加えることはできていない。エリーゼとシャッハの魔導師ランクにはそれほどの差がないのに、である。いかに魔導師ランクというものが目安程度のものであるか、魔導師ランクをすでに所有しているエリーゼは思い知らされた。ヴィヴィオは魔導師ランクを持っていないので、良く分かっていないのだが。
  訓練の後は大抵お昼時なので、そのまま昼食を取る。これも事件後、アリカが『何か協力をしたい』と申し出たので、二人の昼食はアリカが用意してくれる。何気にアリカは料理が上手いので、二人はアリカの作る昼食を毎回楽しみにしていた。
 「今日は何、アリカちゃん?」
 「今日はねー、じゃーん。クラブハウスサンドを作ってみましたー」
  アリカがバスケットを開けると、そこには宣言通りのクラブハウスサンドが詰め込まれていた。種類が豊富であり、色どりも豊かなので見ていて飽きない。肉も野菜も、選びたいものが選べる。パンだけ見ても、厚切りの全粒粉で作った少し茶色くて香ばしい食パンと、こんがりと焼けたベーグルの二種類がある。パン屋に置いてあるみたいだ、とも思うけど、それと違うのは、中の具材から本当にアリカの手作りで、パン屋のそれよりもおいしいということだ。
 「飲み物も、アイスコーヒーとオレンジジュースがあるよ。どっちでも好きな方を選んでくださいね」
  アイスコーヒーはエリーゼのリクエストだったりする。
 「いつもありがとう、アリカ」
 「いえいえ。私には、これくらいしかできませんから」
  飲み物の入ったコップを渡しながら、アリカがそう言った。
 「アリカちゃんは、本当にお料理が上手だよね」
 「一人で暮らしてた時期もあったからね。このくらいはできるよ」
  話をしながらも、テキパキと食事の準備を進めていくアリカ。
  その姿が可愛らしくて、ヴィヴィオもエリーゼも自然と頬が緩む。
  これが最近流行りの萌えなのかなー、とヴィヴィオは考えた。
 「はい、準備できたよ」
  いつの間にか、食事の準備ができていた。
 「それでは、いただきます」
 『いただきます』
  いただきますは、食材と料理を作ってくれた人に感謝をする言葉。ヴィヴィオとエリーゼは、本当にアリカに感謝をしながら、クラブハウスサンドにかぶりついた。
 「……うわー、美味しいよアリカちゃん!」
 「本当、私も驚きですわ」
  それから、美味しくて笑顔になるヴィヴィオとエリーゼ。訓練で疲弊した精神も、一発で覚醒するほどの美味しさだ。今回はクラブハウスサンドだが、アリカの作る昼食は毎回バリエーションが異なる。昨日はざるうどんだった。小麦粉から自分で打ったらしい。麺に満足のいく腰があり、暑かったので冷たいざるうどんはスルスルと二人のお腹の中に収まった。昨日と今日だけでも、これだけ傾向が違うのだ。二人にとって最近の昼食は、辛く厳しい訓練後の、ささやかな至福の時間だった。
 「ありがとう、ヴィヴィオ、エリーゼさん。おかわりも沢山ありますから、沢山食べてくださいね」
  そんな二人を微笑みながら、ゆっくりと見つめるアリカ。
  そうして、穏やかな昼下がりが、過ぎていった。




  訓練が終わって。三人で仲良く食事をして。
  その後は、基本的に自由時間だ。
  アリカがいれてくれたコーヒーを飲みながら、エリーゼは二人に今日の予定を尋ねる。
 「さて、今日はこれからどうしますか? 明日はお休みですから、大抵のことはできると思いますけど」
  訓練が始まった頃は、この自由時間を活かすことができなかった。極度の疲労のため、自分の部屋で寝ていることしかできなかったのだ。しかし訓練にも慣れた今では、こうしてこの後にすることを相談することができる。訓練後にすることはまちまちで、そのまま家に帰ることもあれば、三人でどこかに出かけることもあった。今は夏休みであり、そして三人は年頃の女の子なのだ。友達同士で仲良くどこかに出かけることがあったって、そのぐらい許されるべきなのだから。
 「んー、そうですねー。明日訓練がないのなら、これから買い物に出かける必要もありませんし……私は、特にしたいことはないですね」
 「ヴィヴィオはどうですか?」
 「私は、今日はちょっと調べたいことがあるので、この後は無限書庫に行こうと思います」
  特にしたいことがないアリカと、何かしたいことがあるヴィヴィオ。
 「あら、何か分かったんですか?」
 「いえ。ちょっと、気になることができたので」
 「ヴィヴィオ、お手伝いしようか?」
 「ええ。私も特にすることもありませんし、力になれるようでしたら、私もお手伝いしますよ」
  アリカとエリーゼの申し出。
  二人共親切で言ってくれているので、とても嬉しいし、ありがたいのだが――ヴィヴィオは、それを断った。
 「いえ。今日は、一人で調べたいことなので」
 「そうですか。力になれないのが残念ですわ」
 「ごめんなさい、エリーゼさん」
 「謝らないで下さい。ヴィヴィオには、ヴィヴィオの都合があるのですから」
  すんなりとひいてくれたエリーゼに、ヴィヴィオは心の中で感謝する。エリーゼは、察してくれた。これから調べることを、知られたくないことに。
 「じゃあ、今日はここで解散だね」
  もちろん、アリカも同様だ。何かあることを察してくれたのか、いつものようにそれ以上は何も言わなかった。そのことが、友達の提案を断ることが、ヴィヴィオには辛かった。
  そして何よりも。
 「そうですわね。明日もお休みですが、何かあったら連絡を取り合いましょう。いつ、何が起こるか分からないのですから」
  空になったコップをアリカに返し、エリーゼが立ちあがる。それに合わせて、ヴィヴィオとアリカも自分の荷物を持って立ちあがった。
 「じゃあ、シャワーを浴びに行きましょうか」
 「はい」
  今日はここで解散だが、それよりもシャワーを浴びることが先だ。遊ぶにしても、家に帰るにしても、買い物に行くとしても、身体が汗でべとべとしている状態では嫌だ。
  だから、三人で一緒にシャワーを浴びに行く。
  これも、いつもの光景なのだ。 




             ※




  ここに来るのは、もう何度目になるのだろう。
  数えたこともないし、数える意味もない。
  無限書庫の無重力に揺られ、ある人を待ちながら、ヴィヴィオはそう思った。
 「待たせたね、ヴィヴィオ」
  思っていたよりも、その人は早くやって来た。
 「ユーノさん」
  ヴィヴィオが無限書庫で待ち合わせをする人物なんて、ここの司書長であるユーノか、なのはぐらいしかいない。
 「いえ、私も今来たところですから。それよりも、お願いに応えてくれて、ありがとうございます」
  そう言い、ヴィヴィオは深々と頭を下げた。
 「……本当は、僕もあまり乗り気はしないんだけどね」
  ヴィヴィオに対し、それまでの頬笑みを崩し、ユーノは苦い表情をする。
  今日ここにユーノを呼んだのは、他でもないヴィヴィオ自身なのだ。それは、ユーノに頼んででも、知りたいことがあったから。ユーノに頼まないと、知ることができないのだから。
 「……やっぱり、駄目ですか?」
  無理なお願いをしていることは、ヴィヴィオも承知している。
  でも、それでも、我を貫き通してでも、知らないといけないことなのだ。
 「……いや。君も無限書庫の司書なんだ。正統な理由がある以上、君の依頼は無限書庫司書長として聞き入れなければならない。……だから、これは僕のエゴ……みたいなものさ」
 「エゴ……ですか?」
 「君を、親友の娘を、僕自身にとっても親友である君を、これ以上危険なことに巻き込ませたくない。これは無限書庫司書長としての意見ではなく、ユーノ・スクライア個人としての気持ちなんだ」
 「そう……ですか」
  自分の身を案じてくれているユーノに、ヴィヴィオは感謝する。ユーノの言う通り、これを知ってしまえば、もう後に戻ることはできないかもしれない。今以上の危険に巻き込まれてしまうかもしれない。知ってはいけないものを、知らない方が良かったことを、知ってしまうかもしれない。
 「……ごめんなさい、ユーノさん。でも」
 「分かってるよ。君は、あの高町なのはの娘なんだ。絶対に自分を曲げないことくらい、僕は良く知っている」
  諦めたように、溜息をついて、ユーノは苦笑した。
 「じゃあ、調べようか。『ブルースフィア事件』……ミラージュ・フィアットが死亡した事件の、二年前の真実について」 




  なんとなく、予想はしていた。この事件の顛末。あの日あの時から、何かがおかしいと思っていた。事件が進むほど、その違和感は深まっていき、予感は確信に変わっていった。ユーノに協力してもらって調べたことについてもそうだ。知らない方が良かったのかもしれない。だけど、知らないわけにはいかない。この事件の中心にいる人物として。
  無限書庫の調べ物が終わった後、ヴィヴィオは時空管理局本局のとあるカフェテリアに向かった。ここでも、ある人と待ち合わせをしているのだ。
  約束の時間より少し余裕を持ってその場所に着いたのに、そこにはすでに約束の人がいた。
 「ごめんなさい、待たせましたか?」
 「ああ、ヴィヴィオ。いや、僕としては、仕事をするよりも君とお話していることの方が楽しいからさ。仕事をさぼらせてもらったよ」
 「……相変わらずですね。ヴェロッサさん」
  少しばかり呆れたようにヴィヴィオが見つめるのは、ヴェロッサ・アコース。本局の凄腕査察官にして、古代ベルカ式の数少ない継承者。カリムの義弟。極めて優秀なのだが、女好きなのと、仕事をさぼりがちなのが玉に傷だ。
 「仕方ないよ。性分だからね」
  ヴェロッサは悪びれる様子もなく、おどけたように言った。
 「カリムさんとシスターシャッハが怒ってましたよ」
 「まったく、カリムもシャッハもいつまでも僕を子供扱いして」
  拗ねたようにそう言うが、原因は自分自身にあることを自覚しているあたり、確信犯ではいのか。ヴィヴィオはそう思っている。
 「……で、ヴィヴィオ。君が僕にお願い、とは、どうしたんだい? 何か調べて欲しいことでもあるのかい?」
  一瞬で、雰囲気が変わった。口調も態度もそれまでのふざけた会話と変わらないのだが、視線が、醸し出す気配が、まるで別人だ。本人に悪気はないのだろうが、まるで探りを入れるかのように、心の中を見透かそうとしているかのように、自分のことを見ている――査察している。
  こういうところで、ヴェロッサの能力の高さを、ヴィヴィオは感じていた。
  その視線に押されそうになりながら、ヴィヴィオは一旦気持ちを整えてから、口を開く。
 「はい。調べて欲しいことがあるんです。それも、ヴェロッサさんにしか分からないこと、なんです」
 「ほう」
  ヴェロッサが査察官として極めて優秀なのは、その能力の高さもあるが、ヴェロッサの持つ古代ベルカのレアスキルにも一因する。
 「分かった。他ならぬヴィヴィオの頼みだ。そのお願いを受け入れよう。……で、何を調べればいいんだい?」
 「ありがとうございます。それで、ヴェロッサさんに調べて欲しいのはですね」
 「うん」 
  ヴィヴィオは自分の胸に手を当てて、答える。
 「私自身のことを、調べて欲しいんです」 








  ピースは揃った。
  コマも、すでに揃っている。
  後は、賽を投げるだけだ。








  ヴィヴィオは、どちらかと言えば頭が良い方だ。
  元の能力の高さ、生まれ持って植えつけられていた知識、聖王のゆりかごで学習した技能、無限書庫で学んだありとあらゆること。
  九歳にしては、ヴィヴィオは聡明だった。総明すぎた。
  だから、不信に思ってしまった。
  違和感を感じてしまった。
  だから、気付いてしまった。
  この事件の、真実に。真実の裏側にある、本当の出来事に。
 「…………」
  知りたくなかった。
  嘘であって欲しいと思った。
  思い違いであって欲しいと、心の底から願った。
  しかし、その願いは、無残にも打ち砕かれてしまった。
  調べれば調べるほど、自分の予感は確信に変わっていった。
  そして今日。
  それまで調べられなかった領域に足を踏み込んで、確信を得てしまった。
  今の生活は、ヴィヴィオにとってとても魅力的だった。朝早く起きて、クタクタになるまで訓練をして。仲の良い友達と一緒にご飯を食べて、それから一緒に遊んで。夏休みだから、学校のことを考えなくてもいい。毎日が充実していて、楽しくて。
  だからヴィヴィオは、怖れた。今の生活を、幸せを、壊してしまうことを。
  最後の望みに、ヴィヴィオは願いを託す。
  これがどうか、自分の思い違いでありますように。
  どうか、ただの思い込み、勘違いでありますように。
  私は、ただ、友達と、平穏な日々を過ごしたいんです。
  だから、どうか神様。
  エリーゼさんが信仰し、アリカちゃんが否定する神様。
  どうか、あの子のことを救ってください。
  あの子に、平穏な日々を、与えてください。
  もし、それすらも叶わないのならば。
  私は、あなたのことを、自分自身を、赦せません。
  一縷の望みに託し、ヴィヴィオは携帯端末のコンソールを開く。
  明日、全てを終わらせる。そのために。
  ピースは揃ってしまった。
  コマは、揃ってしまう。
  だから後は、賽を投げてしまうだけだ。
 「……もしもし、カリムさんですか? 私、ヴィヴィオです。これから少し、お時間いいですか? ――――」
  現実はかくも残酷なのか。
  救いは、有り得ないのか。
  そうならば。私は神様なんて。
  大嫌いだ。