夜の暗闇が、地上に存在するすべてのものを覆い尽くしている。
  通常ならそれでも月がほのかな光を放っているため地上はそれなりに明るいのだが、今は銀色の月も雲に覆われ、その力を無力化されていた。あるいは、地上だけに限定すれば、人工の光が人々の存在する場所を照らしてはいるが、それも誰もいない空の上では、関係のないこと。人工的な光は、人がいるからこそ意味を持ち、人がいるところにのみ存在するのだ。
  ゆえに、月明かりに照らされていない今、本来人間が単独で存在できるはずのない空の上で、相手の顔も確認できないほどに暗いのは道理。当然のこと。
  その、本来人間が存在できない夜天の空に、一人の少女。時空管理局特別捜査官、八神はやてが、いた。白と黒と金色で構成された騎士甲冑を身に纏い、背部の四対の黒い翼、スレイプニィルを活用し、はやては夜空に浮いていた。その手に握り締めるのは、剣十字を模した魔導騎士の杖、ベルカ式非人格型アームドデバイス・シュベルトクロイツ。
  夜風が、雲間を抜け、はやての鳶色の髪の毛を揺らす。
  風になびいた髪を軽く押さえ、優雅に夜天の夜空に浮かぶその姿は、さながら――夜天の主。
 「はやてちゃん。結界の設置、完了しました。これで、どんなことがあっても近隣に被害は出ません」
 「御苦労さま、シャマル」
  言いながら、はやては振り向き、微笑んだ。
  はやての後ろには、六つの人影があった。はやてと同様に、彼女たちも漆黒の空に浮かんでいる。普通の人間が彼女たちの姿を見たら、自分の正気を疑うか、あるいはその姿に、畏れおののくだろう。
  その様子は、夜天の主に従える、騎士達を彷彿とさせる。
  実際、彼女達は、夜天の主に仕える守護騎士達なのだから、そう見えて当然なのである。
  その内の一人、八神はやての守護騎士である、ヴォルケンリッター『湖の騎士』シャマルが、これまた優しい笑顔でかぶりをふった。
 「いえ。サポートが、私の役目ですから」
 「まったく、シャマルがいてくれて、いつも助かるな」
 「ああ。私たちには、こういう細かい魔法は向かんからな」
  ヴォルケンリッター『鉄鎚の騎士』ヴィータが軽口をたたくように、『剣の騎士』シグナムが、しみじみと噛み締めるように、はやてと同様にシャマルをねぎらった。このやりとりは、いつも戦闘の前に行う軽口のようなものである。それは『お前にまかしておけば大丈夫だ』という、長年の功績から培われた信頼の証でもあった。
 「……でも、どうしてこんなところに、またあんなものが現れたんでしょうか?」
  守護騎士ヴォルケンリッターの中でも一際小さな騎士『祝福の風』リインフォースUは、心底不思議だと言わんばかりに小首を傾げた。その声も仕草も、騎士とは思えないほどに幼く、あどけない少女のものだった。
 「さぁな。本来魔法の存在しないこの世界において、過去十二年間に起こったロストロギア被害は、大小合わせてこれで四度目や。……もしかしたら、呪われとるんかもしれんな」
  リインの疑問に、はやてはため息交じりに答えた。
 (まったく、ホンマ、この街は呪われとるんやろうか)
  誰に聞かせるわけでもなく、はやては心の中で呟いた。
 「しかも、今回も、こんな大きな事件になってしもぉたしの」
  呟きが、声となって漏れ出でる。本当に、自分達の故郷は異常なようだ。大体、どうしてこの街には、魔法世界でもそうそうお目にかかれない種族や、魔法なしに高位の魔導師を圧倒する存在が両手の指の数ほどもいるのだ。魔法の存在しないこの世界において異常な魔力値を持つ突然変異体も二人いたわけだし、本当に、どうなっているのか。
 「……でも、なにが来ようと、あたしらでぶちのめせばいいんだろ?」
  はやての苦笑交じりの呟きに、リインとさして変わらない大きさの新米ヴォルケンリッター『烈火の剣精』アギトが、力強く答えた。
 「ああ。何が起ころうとも、我々の手で止めればいいだけのこと」
  そしてそれに、この中で唯一筋骨隆々の男『盾の守護獣』ザフィーラが続く。
 「……ああ、その通りやな」
 「なにも難しく考えることはねー。障害があれば、アタシのグラーフアイゼンでぶっつぶせばいいんだ」
  ヴィータが自身の愛機、グラーフアイゼンを握りしめ、そう断言する。
 (まったく、その通りやな)
  なにも難しく考えることはない。
  何が起ころうとも、自分の勤めを全うすればいいのだから。
  そして、それができるだけの力が、仲間が、自分には在る。
 「……はやてちゃん、来ました!」
  シャマルの言葉に、その場の空気が一変する。
 「正面、距離約一キロ。……ああ、早いです! このままだと、五分もしない内に遭遇します!」
  その場を一瞬で包み込んだのは、張りつめた緊張感。さきほどまで軽い気持ちで話していた守護騎士たちの表情が、姿勢が、精神が、引き締まる。彼女たちが見つめるのは、今はまだ遠くに、しかしすぐにこの場所にやってくる、正体も人数も分からない、何者か。
 「……さぁ、お仕事の時間や」
  言い、はやては重圧な焦げ茶色の革表紙にベルカの文様である剣十字の紋様をあしらったストレージデバイス『夜天の書』を、それぞれ起動させる。白い光と共に、夜天の書は、その姿をはやての前に顕現させた。
 「みんな、準備はええか!」
  シュベルトクロイツを握りしめ、はやては叫んだ。
 「もちろんです」
 「いつでもいいぜ」
 「大丈夫です」 
 「問題ありません」
 「私も大丈夫です」
 「いつでもきやがれってんだ」
  シグナムは刀剣型のアームドデバイスデバイス『炎の魔剣』レヴァンティンを、ヴィータは鉄鎚型のアームドデバイス『鉄の伯爵』グラーフアイゼンを、シャマルは『風のリング』クラールヴィントを、ザフィーラは己の肉体を、リインははやての傍らでストレージデバイス『蒼天の書』を、アギトも自身の体をシグナムの傍らで、それぞれ、構えた。
  眼前に見据えるのは、得体の知れない敵。
  立ち向かう心は、全員が同じもの。
  準備はすでに完了。残るは対象の到着のみ。
 「……いくで、みんな!」
 『了解!』
  六人の声が、漆黒の夜空に響き渡った。




  これから戦いが起こる、この街。
  その名を、海鳴市、と言う――















  魔法少女リリカルなのはsymphony phaseU


  第一話 邂逅















  対象は、すぐにはやてたちの前に現れた。彼らははやてたちの姿を確認し、十メートルほど離れた場所に急停止した。人数は四人。暗くて顔はよく見えない。しかし、その無駄のない立ち振る舞いに、空中での静止状態でもぶれることのない重心。何より、全身から滲み出る雰囲気が、彼らに戦いの心得と、そしてこちらに敵対する意思があることを如実に示していた。
  はやては彼らの様子を確認すると、一歩前に出た。
 「私は、時空管理局特別捜査官、八神はやて二等陸佐。あなたたちには、魔法使用禁止世界での魔法使用と、ロストロギアの不法所持の疑いがかかっています。武装を解除して、私たちに身柄を預けなさい。そうすれば、あなたたちには弁護の権利があります」
  そして、普段の関西弁ではなく標準語で、はやては告げた。それは、時空管理局の局員が犯罪者に向けて告げる常套句。法の執行人が、犯罪者達に投降を呼びかける言葉。実際、この口上が告げられた時点で素直に拘束されれば弁護の機会が保障され、刑の軽減も行われる。
  だが、はやても知識として、そして自分の経験で、嫌になるほどに思い知らされていた。
  この口上で犯罪者が素直に拘束された事例など、ほとんど存在していない事実を。
 「……ほう、この世界には魔法は存在しないのか」
  はやての口上に対し、相手の内の一人、彼らのリーダーと思しき人物が呟いた。相変わらずその姿も表情もよく見えないが、その声は、はやてとそう変わらない年頃の女性のものだった。
 「魔法の存在しない世界でも働くとは。どうやら時空管理局とは、私が思っていた以上に大きな組織のようだな」
 「なにを……」
 「一応聞いておく。お前らは、私たちの邪魔をするのだな?」
  有無を言わせぬ言葉。こちらからの質問も受け付けないし、相手側もこちら側に何かの疑問をぶつけてくることもない。そう、感じさせられる。
  どうやら、相手には余計な話をするつもりは一切ないらしい。その声は力強く、確固たる意志と決意に満ちていた。それも、少なくてもはやてにはその声色から、悪意のようなものは感じなかった。代わりに感じ取ったのは、覚悟。確固たる目的のためにことを成す。純粋で真っ直ぐな、信念によって形作られたものだった。
  はやては、その声を知っていた。
  この声は、この声を放つ人物は、何を言っても、何があっても、自分の信念を曲げたりしない。自分が悪いことをしていると知っても、知っていてもなお、己が信念のために、誰かのために、自分の行動を貫き通す。そういう人間の声だ。かつての、自分の守護騎士達のように。あるいは、同じ世界で育ち、今は別々の夢に向かって歩き続ける、強くて優しい幼馴染達のように。
  悪人ばかりが目立つ次元犯罪者達の中にも、こういう人達は結構いるのだ。友のために、家族のために、愛する人のために、大事な故郷のために、己自身の夢のために。大切な信念の元に覚悟を持ち、戦う人達。
  そういう人達に対する、お話を聞かせてもらうための方法はひとつ。
  そういう人達は、戦って勝たないと、話なんて、聞かせてもらえない。
  はやては小さくため息をつき、シュベルトクロイツを構えた。
 「……まぁ、そうなるわな」
 「そうか。残念だ」
  それは時間にして一分にも満たない言葉のやりとり。しかしたったそれだけの言葉で、すべては決した。
  交渉は決裂。
  シュベルトクロイツを構えるはやてに対して、彼女は腰に下げられていた細身の剣を抜いた。それを合図に、後ろに控えていた残りの三人も、身構える。少し冷たい夜風の吹く夜天の空が、空気が、張り詰める。
  それは、戦いの合図。
 「このような争いなど、している暇はないのだがな」
 「こっちも、無意味に戦ったりしとおない。あんたらがこっちの話を聞いてくれれば、それで済む話や」
 「それはできない。お前たちが頭の固いと評判の時空管理局の者であると分かった以上、我々が目的とすることを許可するとは、思えないのでな!」
  叫ぶが早いか、彼女は十メートル近くあったはやてとの距離を一瞬で詰めていた。
 「!?」
  はやてが気づいたときには、すでに彼女の持つレイピアがはやての目の前で振りかぶられていた。
  はやては咄嗟に、振り下ろされる刃を構えていたシュベルトクロイツで受け止めた。ガキィン、と、金属同士が力に任せてぶつかり合う嫌な音が聞こえ、二人の動作が停止する。レイピアとシュベルトクロイツとの鍔迫り合いとなり、二人の動きは膠着した。
 「主はやて!」
  一番反応が早かったのはシグナムだった。
  シグナムがレヴァンティンを振りかぶり、脚部に収束した魔力を爆発させ、レイピアを持つ彼女に横から切りかかった。自身の体重に加え、魔力の爆発により発生した加速を加えた、迅くて重い一撃。
  しかし、その一撃が命中することはなかった。
  シグナムの剣は、更に間に入り込んだ一人によって食い止められていた。
 「……悪くない太刀筋だ」
 「なにを!」
  声色から、それは男だと認識できた。
  しかし、月の隠れた闇夜では、それ以上のことを確認することはできなかった。
 「はやて!」
 「主はやて!」
  シグナムに一歩遅れて、ヴィータとザフィーラがはやてを助けるため、グラーフアイゼンを、己の拳を振りかぶり、はやてと鍔迫り合いを続ける女に襲いかかった。シグナムに後れを取ったとはいえ、その速度も威力も反応速度も申し分なし。しかし。
 「リリ! アニタ!」
  依然はやてとの鍔迫り合いを続ける女が、名前を呼んだ。
 「…………」
 「はいよ!」
  その声に反応して、残りの二人が彼女の傍に現れるのと、ヴィータ、ザフィーラがそれぞれの得物を振りかぶったのはほぼ同じタイミングだった。ヴィータのグラーフアイゼンは二人の内の無口で小柄な方に、ザフィーラの拳は二人の内の元気よく返事をした方に阻まれた。
 「な!」
 「くぅ!」
 「リイン!」
 「はいです! 『凍てつく足枷・フリーレンフェッセルン!』」
  はやての指示と同時に、リインが氷結捕縛魔法を放つ。周囲の水分が対象、この場合は敵チームのリーダーの周りに収束し、一瞬で凍りつく。彼女ははやてと鍔迫り合いを続けたまま、氷の中に閉じ込められた。
 「やったです!」
 「まだや、リイン!」
  はやては迷わず、相手を閉じ込めた眼前の氷の塊から離れた。刹那、氷塊は内側から爆散し、彼女が飛び出してきた。その右手には先ほどのレイピアをしっかり握りしめている。
  一旦氷の中に閉じ込められたというのに、彼女の表情には一切の恐れも驚きも無し。彼女が相当のてだれであることは、火を見るよりも明らかだ。
 「……これは、長い夜になりそうやな」
  はやては苦笑を浮かべ、体制を整えた。
  その時、それまで月を覆っていた雲が晴れ、彼女たちの顔が月明かりに照らされる。はやてたちはようやく、自分たちが戦っている相手の顔を確認することができた。
  はやてと敵対する彼女の瞳は切れ長で、その意志の強さを色濃く表していた。年の瀬はやはりはやてと同じくらいか。髪の毛は長いブロンドで、月明かりに照らされてキラキラと輝いている。顔の造りは全体的に整っていて、月明かりを背にする彼女はまるで一枚の絵のようですらあった。その細身の身体を包み込むのは、飾り気のない軽装の甲冑。中世の女騎士。そう、はやては感じた。
  その美しさと凛々しさに一瞬見とれながら、はやては尋ねる。
 「……あんた、名前は?」
 「アンリエット。アンリエット・フレイル」
 「そうか。……アンリエット、私ら時空管理局は、あんたらがとあるロストロギアを集めとることは知っとる。なら、それを集める目的はなんや?」
 「…………もしお前が私に勝ったなら、そのときに教えよう。八神はやて」
 「そうか」
  はやては夜天の魔導書を起動し、魔法の発動シークエンスを開始する。
 「なら、この勝負、私に勝たせてもらうで!」  








  一方その頃。
  ヴォルケンリッターたちもそれぞれ、敵対する相手の顔を確認していた。  








 「な……!?」
  シグナムの口から洩れるのは、戸惑いの声。いつも冷静なシグナムらしくない、明らかに動揺しきった声。
  シグナムは、自分の見たものが信じられなかった。思わず、それを凝視してしまう。
 「? そんなに、俺は変な顔してるか?」
  ほんの数十秒前、はやてを助けるためにアンリエットに向けて放ったシグナムの攻撃を防いだ男。
 「き……恭也殿!?」
  彼の顔は、海鳴市にいた頃にシグナムが剣術家として懇意にしていた高町なのはの兄、高町恭也とまったく同じ顔だった。似ている、とかそういう話ではない。生き別れの双子の兄弟ではないのか、というぐらい、二人はそっくりだった。
  彼の顔を見て、シグナムは不安に教われる。まさか、恭也殿が次元犯罪に手を染めてしまったのか、と。しかし、妹の高町なのはと違って彼は剣術家としては超一流だが、魔法資質はまったくなかったハズである。それが、自分たちと同じように空を飛びながら戦うなど、可能なのだろうか。
  シグナムの懸念をよそに、彼もまた怪訝な顔をして、シグナムを見つめていた。
 「どうして、俺の名前を知っている?」
  彼の言葉に、シグナムの心臓は飛び跳ねた。最悪の考えが、脳裏をよぎる、が、そこでシグナムは気付いた。もしあれが本当に恭也殿ならば、もう五年以上昔のこととはいえ、何度か手合せした自分のことを忘れているハズはない。それに、恭也殿の得物は二刀一対の小太刀だったハズだ。一方、眼前の男の得物は一本の長刀だ。……ならば、他人の空似なのか? しかし、それにしては似すぎている。
  シグナムには、彼が恭也と無関係な人間とは思えなかった。それほど、彼と恭也はそっくりだったのである。
 「貴様……何者だ!」
 「……人に名前を聞くときには、まず自分から名乗るものじゃないのか?」
  非常識な顔をしながら、妙に常識的なことを言う。
  その声までも、恭也に似ていた。
  内心動揺しつつも、なるべく平静に聞こえるように、シグナムは告げた。
 「私は、ヴォルケンリッター『剣の騎士』シグナムだ。貴公の名は?」
 「俺は、キョウヤ・ユキサメ。仲間内からは『漆黒の剣士』なんて呼ばれるかな」
  その名までも、恭也と同じだった。そのことがさらに、シグナムの心を揺らす。しかし、名前がら、高町恭也とは別人であることが分かった。そのことに、シグナムは少しだけ安心した。
  自分の尊敬に値する剣士は、目の前の人物でない、ということに。
 「ではキョウヤよ。尋ねるが、お前は、高町恭也、という人物に心覚えはあるか?」
 「……知らんな。覚えにない。お前の探し人か?」
  その言葉にはなぜか、シグナムに対する気遣いが含まれているような気がした。
  ……まさか、な。
  シグナムは頭を振り、雑念を振り払った。
 「いや、そういうわけではない。ただ、知人とお前が、よく似ていたものでな」
 「そうか。この世には自分と似ている人間は三人いるとか聞くが、次元世界を含めれば、もっといても不思議じゃないな」
  シグナムの勘違いではなかった。敵だというのに、キョウヤの言葉には親しみやすさというか、どこか相手に対する優しさがあった。少なくても、今まで戦ってきたような次元犯罪者達のような悪意を感じることはない。そのため、眼前の人物を、シグナムは測りかねていた。キョウヤ・ユキサメ。彼のことを、根っからの悪人だとはシグナムは認識できなかった。
  だが、今はそんなことを、自分の感想を省みている場合ではない。
  少なくても今、彼は主はやてに対する敵なのだから。悪意がないからといって、手を抜くわけにはいかないし、手を抜けるような相手ではない。
  シグナムは心を半ば無理矢理切り替え、レヴァンティンを構える。相手に対する余計な気遣いは無用。先ほどの一撃を受け止めたことから、敵がかなりの実力者であることは自明。ならば、動揺した心で戦えば敗北は必至。そのような中途半端な状態で戦えば、自分の主を、はやてを、護れない。
  再び雑念を振り払う。意識を集中させる。対象は、眼前の敵、キョウヤ・ユキサメ。
 「……殺る気か」
 「ああ」
 「……好いな。真っ直ぐな瞳だ」
  キョウヤはそう呟くと、重心を下げ、自身の武器を構えた。瞬間、キョウヤの周囲を、濃厚な気配が包み込む。それは殺気ではなく、達人級の実力を持つ人間が放つ、闘気。気を抜けば中てられてしまいそうなほどに密度の濃い圧倒的な闘気に、シグナムの心が震える。
  キョウヤが構えるのは、月明かりに照らされ黒い輝きを放つ、黒刀。武器を見ることが好きなシグナムにとって、日本刀というものは今まで見たことのないタイプの武器であり、とても興味深いものだった。武士の魂、とまで呼ばれる誇り高さ、魔法技術の一切ない世界での、洗練された巧みの技、何よりも、日本刀の刀身が持つ清廉さを、シグナムは非常に好んだ。そのため、海鳴市に住んでいる頃には本などで見たり、恭也のつてで実物に触ってみたりと、それなりの日本刀の知識を持っていた。だが、そんなシグナムでも、峰だけでなく刀身すらも深い黒色で構成された黒刀を実際に見たのは、今回が初めてだった。
  未知の武器を使う、達人級の実力を持つ剣士に……仕事の最中だというのに、心が躍る。全力で戦うことができる。そのことにシグナムは歓びを感じる。気分が高揚する。全身の血が燃えるように、熱い。
  睨み合う、騎士と剣士。近づくだけで、皮膚が切り裂けそうな張りつめた空気が生まれる。
  数秒間、お互いに睨み合い続け、
 「はぁああッ!」
 「おおッ!」
  どちらともなく、両者は激突した。 




  最初の交錯は、純粋に武器と武器、力と力のぶつかり合いだった。
  お互いに渾身の力を武器に込め、相手に叩きつけた。双方の得物は激しく打ち合うものの、どちらが破壊されることもなく、そのまま鍔迫り合いと相成った。純粋な力は互角、と思われた。
 「くぅ……」
 「……レヴァンティン!」
 『Explosio!』
 「紫電一閃!」
  シグナムの掛け声と共に、レヴァンティンのカートリッジがロードされ、刀身が燃え盛る炎に包まれる。零距離で魔力を炸裂させ、シグナムはキョウヤを弾き飛ばす。障害物のない空中戦において、両者の間が開く。シグナムは攻撃の手を休めない。弾き飛ばされ、体制を崩したキョウヤに、更に追撃を加える。
 「陣風!」
 『Sturmwinde』
  レヴァンティンの刀身から放たれる、必殺の衝撃波。それにシグナムは炎による破壊力を上乗せし、渾身の魔力を込めて放った。斬撃はキョウヤに命中し、爆裂。上乗せされた炎による爆発を加えて、キョウヤを吹き飛ばした。
  爆発による煙が、キョウヤの周囲を覆った。
 「……姉御、さすがにやり過ぎなんじゃねえか?」
  シグナムの傍らに、若干後ろの方から様子を窺っていたアギトがやってきた。彼女は実は最初の、はやてとアンリエットの激突にほぼ一瞬で反応したシグナムに対応しきれず、それからシグナムがキョウヤと戦い始めたため、今まで置いてきぼりを喰らっていたのだ。しかし、騎士と剣士が一騎打ちを始めた場合、途中で割り込むことは物理的にも精神的にも不可能なので、アギトの行動は結果として正解とも言える。
 「いや、奴は強い。私でも勝てるかどうか分からん。それにな……」
 「それに?」
 「この程度で戦闘不能になるような輩が、自分のことを『剣士』などと名乗るとは思わん」
 「その通りだ」
  後ろから、声が聞こえた。
  シグナムは咄嗟に振り向く。が、間に合わない。それだけ、キョウヤの動きは迅かった。
  後ろに身体を向けた瞬間、全身に衝撃と圧力が走った。なんとか踏ん張ろうとするが、身体に付加された勢いを相殺しきることができない。シグナムは流されるまま、吹き飛ばされた。
 「ぐぅぅっ」
  全身に強い圧力がかかる。騎士の本能が、危険を告げていた。
 「……ぁぁああああ!」
  圧力でホワイトアウトしそうな視界に活を入れ、シグナムは体制を整えた。魔力で空中に足場を造り、足を魔力でたった今生成した足場に縫い付ける。急停止したことによる反動も、魔力で相殺。シグナムは急いでレヴァンティンを構えなおした、
  のと、キョウヤの斬撃がシグナムを襲うのはほぼ同時だった。すんでのところで、シグナムはキョウヤの一撃を受け止めた。キョウヤはしかし攻撃の手を休めない。一撃目をわざと半歩正しい間合いの外側から放っており、受け止められた斬撃の勢いををそのまま止められることなく振り抜く。弧を描き、下まで降り抜かれた刀を瞬時に持ちかえ、上方向に今度は一歩踏み込みながら振り抜く。しかしそれすらもフェイク。踏み込んだ足が地に着くのとほぼ同時にもう一方の足を斜め前に滑らせ、二撃目を受け止めたシグナムの横に滑り込む。同時に左腕を刀の柄から離し、腰に下げられた鞘を抜き、二本目の刀のごとく、居合の要領で横に薙ぐ。
 「くっ」
  シグナムは鞘での横薙ぎの一撃を、レヴァンティンの柄、握りこんでいる両手の隙間で辛うじて受け止めた。そこまでしてなお、キョウヤの猛攻は止まらない。
  右腕だけで持った黒刀はすでに、上段に振りかぶられていた。
 「くそッ!」
 『シュランゲフォルム』
  爆発。
  シグナムとキョウヤを中心に、火炎を主成分とした爆発が発生した。燃焼の副産物である煙が、シグナムとキョウヤを覆い隠す。
  が、数瞬後、シグナムとキョウヤ双方が、煙の中からお互いまるで反対の方向から飛び出してきた。飛び出した、というよりは、吹き飛ばされた、といった表現の方が正しい姿だったが。
  激戦止めやらぬ夜空に一陣の風が吹き荒み、爆煙を吹き流す。
  シグナムは目を凝らし、先を見据える。
  シグナムの眼前には、キョウヤの姿が顕在だった。
 「……やるな、シグナム」
  そう言うキョウヤは無傷というわけでもなく、頭から血を流していた。
 「……お前もな、キョウヤ」
  対するシグナムも、バリアジャケットの右腕部分が切り裂け、そこから血を流していた。
  今の攻防の結果は、痛み分け。
  キョウヤの黒刀が振り下ろされた瞬間、シグナムは自身の魔力変換資質『炎熱』を最大限に活用し、黒刀の刀身めがけて、魔力と火炎を極大まで付与させたシュランゲフォルムを展開し、更に、黒刀の刀身に触れた瞬間に魔力と炎を爆裂させるように設定していたのだ。まさに捨て身の無茶な戦いだが、それでも素直に一刀両断されるよりはよほどましである。
  そして今の攻防で、シグナムはキョウヤの強さを確信した。
  おそらく、まともに戦っても勝てないかもしれない、と。
 「アギト!」
  シグナムは決断する。キョウヤに確実に勝つために。
 「オッケー、姉御!」
  攻防に巻き込まれないように、しかし付かず離れずの距離から戦いを見守っていたアギトが、シグナムに接近し、シグナムの前に立った。
 『ユニゾン・イン!』
  そして二人同時に、コードを読み上げる。
  瞬間、アギトがシグナムの身体に溶け込むかのようにユニゾンした。シグナムの騎士服は自身の髪の色と同じ桃色基調だったものが、魔力光ともまた違う青紫基調に変化し、小手の色も鋼色から金色へ。瞳の色も薄紫色に変化し、髪の毛の色も薄く。そして背中には、二対計四枚の炎の羽。
  それは三年前のJS事件で残された、数少ない遺産の内のひとつ。
  相性抜群の、古代ベルカ式純正融合騎と正式なロード。ユニゾンデバイスと主との考えうる内でも最強の組み合わせ。
  彼女たちが持つ特性は、魔力変換資質『炎熱』。それは、自身の魔力を熱や炎に変換することに特化した特殊技能。シュランゲフォルムのままの、鞭状連結刃の姿を取るレヴァンティン。それに、ありったけの魔力と、炎を乗せて。
 「いくぞ、アギト!」
 《了解だ、姉御!》
  シグナムは瞬間的な加速で、キョウヤとの間合いから数十メートル単位で離れると、レヴァンティンを振りかぶり、
 「剣閃烈火!」
 《炎熱加速・衝撃加速!》
  アギトは、自身のユニゾン時の能力である炎熱強化を、レヴァンティンに更に付加させて、
  横薙ぎに、連結刃を振り抜いた。
 『火龍一閃!』
  レヴァンティンに付与された炎の温度はほぼ一瞬で数万度に達する。それは炎と呼ぶには生温い。字に直すならば、それは炎ではなく、焔。あまりの周囲との温度差に、周囲の空間すら歪んで見える。焔の他に付与された魔力、速度、威力も共に莫大で、どれかひとつ取っても直撃すれば致命傷は免れない。
  キョウヤは反射的に、横薙ぎの軌道を取る連結刃を、上に跳んで避けた。
  しかし。
 《分かってねぇなあ、キョウヤさんよ》
  シグナムと融合した状態のまま、キョウヤに聞こえるようにアギトが告げた。
 《火龍一閃はただの単体攻撃じゃねえ。中距離殲滅範囲魔法だ》
  アギトの言葉と共に、キョウヤの存在している場所から半径数十メートルが、今宵三度目の爆発をした。それは魔力による反応爆発ではない。レヴァンティンに付加された焔の熱量によって急加熱された周辺空気が、急激な体積上昇によって自然に爆発現象を引き起こしたのだ。純粋な熱量だけで、それだけの威力。しかし、そのメカニズム、威力共に通常の火薬による爆発となんら変わりはない。
  これがシグナムとアギトの合わせ技・火龍一閃。
  シグナムがアギトとユニゾンすることで発揮された、空間殲滅攻撃だ。
 《……しかしよ、姉御》
 「なんだ?」
 《さすがにこれは、死んだんじゃねえか?》
 「……いや、今回は魔力爆発は制御した。あれは純粋な熱量による爆発だ。彼ほどの剣士なら、死ぬことはないだろう」
  とは言え、油断は禁物。
  急な反撃に備え、シグナムはレヴァンティンを通常のシュベルトフォルムに戻そうとした、その瞬間。
 「!」
 《姉御、上だ!》
 「おおおおおおおおおッ!!」
  アギトの警告より一瞬早く脅威に気づいたシグナムは、防御するためにレヴァンティンを構える。しかし、伸びきった連結刃の状態から長剣の状態に戻すには、コンマの差で間に合わない。
 「くそっ!」
  シグナムは咄嗟に、腰に下げているレヴァンティンの鞘を抜き、遥か上空から自由落下を超える速度で落ちてくるキョウヤの、重さ、勢い、加速どれも申し分ない必殺の一撃を、魔力付与した鞘で受け止めた。
  が。
  刀の特性は西洋剣のような破壊ではない。技術ある者でないと活かすことすらできない、最上級の切れ味にこそ真価がある。ましてやキョウヤの持つ黒刀は、刀の中でも特に強度に優れた種類。その切れ味と強度を持ってして、すべてのベクトルを一点に集中すればどうなるかは、焔を見るよりも明らか。
  シグナムの構えた鞘は嫌な音と共に無残に破壊され、その黒い刃が、ユニゾン状態のシグナムの身体を切り裂いた。
 「ぐ、ああッッ!」
 《うぁあッ!》
  長い刻を戦ってきた騎士の勘で、シグナムは鞘が破壊された瞬間後ろに飛び退く。アギトも咄嗟に、シグナムの身を守るための防御魔法を展開する。
  しかし、そのどれも遅く、脆かった。
  キョウヤとの間合いを取った頃には、シグナムの身体にはバリアジャケットをも切り裂く一条の太刀傷が付けられていた、どころか、その傷からはかなりの量の鮮血が吹き出していた。
 「う、ぐ……」
  思わずシグナムは、その場にうずくまる。両膝を地につけ、倒れこまないように、上体を起こしたまま両手で傷を抑えるので精一杯だった。
 《姉御!?》
  ロードが大怪我を負い、魔法を維持できる状態ではなくなったので、自然アギトとのユニゾンも解除される。しかし、アギトにはそんなことを考える余裕など残っていなかった。アギトはユニゾンが解除されるやいなや、シグナムの前に回り込み、止血の魔法を全力展開した。
 「姉御、姉御! しっかりしてくれよ!」
  その顔はすでに血の気を失いかけているシグナム並に蒼白で、今にも泣き出しそうだった。
  シグナムは歯を食いしばり、泣き顔のアギトに答えた。
 「大丈夫、だ……。このくらいの、傷、どうという、ことは、ない」
  しかしシグナムはその言葉とは裏腹に、立ち上がることすらできなかった。本来ならばショックですぐに意識を失ってもおかしくないほどの大量出血と激痛の中にあってなお意識を保ち続けるのは、ひとえにシグナムの強靭な意志の力のためか。
 「く、ぅぅ……」
  そして、今まさに死にかけているのは、シグナムだけでなかった。
  キョウヤの身を包んでいた衣服はすでにほとんどが焼失し、腰のまわりに申し分程度に残っているのみ。それどころか、全身に酷い火傷があり、左足に至ってはもうほとんど炭化し、骨が見えるような状態だった。
  こちらも、通常なら焼死してもおかしくないような大怪我だった。
  それだけの傷を負ってなお、黒刀を杖のように空に展開した足場につき、キョウヤは立っていた。
  結果は痛み分けのようで、しかし当事者の中では勝負は決していた。
  騎士と剣士の一騎打ち。勝者は、いわずもがな、最後に立っていた方である。
 「……見事だ、騎士シグナム」
  この期に及んでも相手を称えるのは、本物の兵の証か。
 「……お前もな、剣士、キョウヤ……」
  それとも、ただの決闘馬鹿なのか。
 「私の、負け、か……。申し訳、ございません、主、はや、て…………」
  シグナムの声は段々と小さくなり、最後の方はもうほとんど聞き取ることができなかった。
  声と共にシグナムの身体から力が抜け、糸の切れた操り人形のごとく、そのまま前のめりに倒れこんだ。
 「姉御!?」
  足場として展開されているアギトのベルカ式魔法陣に広がるのは、炎以上に紅い血。
  アギトの全能力を止血に回しても、なお止まらない。
  なぜなら、アギトはリインと違って、治療系の魔法は苦手なのだから。
 「姉御! 姉御、姉御ぉ!」
  夜天の夜空には、アギトの悲痛な叫び声だけが、こだました。