シグナムが恭也の元を尋ね、ドイツに向かった次の日。
  ヴォルケンリッターの主、八神はやてもまた、ヴィータの完治を見届けた後、日本を離れていた。長距離転移魔法を駆使し、向かうのはドイツに比較的近い国。魔法の存在しないこの世界において、幻想的な魔法文化の中心にある、長い長い歴史を重ねた古い国。
  その国の名は、イギリス。
  はやては今、ペンドラゴンの守護する首都ロンドンの郊外、緑の多い住宅街の外れにいた。
  手には、シグナムが持っていたような簡単なメモ程度の地図を持っている。しかし、シグナムと違うのは、はやてがここを訪れたことがあるということ。簡単な地図を持ってきたのは念のためであって、ここまで来ればおそらく地図なしでも目的の場所に辿り着くことができる。
  はやてがこの国に来たのは、はやてにもまた、訪ねたい人物がいるため。
  はやては先日、次元犯罪者の集団に敗北した。それも、自信のあったチーム戦で。
  そして、そこで敵方のリーダーに言われたことを、はやては気にしていた。
 『あなたは、リーダー失格だ』
  リーダーは、チームのみんなの模範であり、導く存在でなくてはならない。そのためには、リーダーはチームの誰よりも強く、すべてを一人でこなすことのできる、皆の目標の人物であるべきだ。仲間を助け、先頭で戦い、導き、護り、皆の中心、要であるべき存在だ。彼女は、敵方のリーダー、アンリエットと名乗る彼女は、そう言った。
  あの時、はやては言い返そうとした。何故なら、はやてのリーダー論とアンリエットのリーダー論は、微妙に違っていた。リーダーというものについて、二人が目標とするべき姿が違っていたのだ。
  だから本来ならば、価値観が違うと割り切って、アンリエットの言葉を無視するべきなのだろう。あるいは初めから、犯罪者の言うことだと耳を塞ぐべきなのかもしれない。それもまたチームを纏めるリーダーとして必要な思考の割り切り方であり、重要なことだというのは分かっている。分かっては、いるのだが。
 「それができんっちゅうのが、私の未熟なところなんよな」
  目的地に向かって歩を進めながら、誰に語りかけるでもなく呟く。
  そうやって、相手の言うことを完全に無視し切り捨てるということが、お人好しのはやてにはできなかった。敵に対しても非情になりきれない。お前は甘すぎる、そんなことではいずれ命を落としてしまう。そう言われたことも何度もある。頭では分かっているのだ。しかし、心が、それを許さない。
  だから今、はやては迷ってしまっている。
  自分が正しい、と思っていたリーダー論で戦って、結果として違うリーダー論を持つアンリエットに手も足も出なかったからだ。戦術的に敗北したというのもあるが、負けてしまったからこそ、アンリエットの言葉がはやての心に突き刺さっていた。彼女が根っからの悪人ではなく、何らかの目的のためにロストロギアを回収している、ということが分かっているから、尚更。
  実力では劣っていないハズだ。はやての仲間達はとても優秀であり、それこそ一騎当千の騎士達なのだ。彼女達が敵わない相手など、この世のどこにもいるハズがない。はやてはそう、仲間達のことを信じている。
  ならば、もしかしたら、自分の考えが間違っていたのではないのか。
  初めて負けたから、そういう風に考えてしまったのだのかもしれない。あるいは、元々迷っていたから……自分がリーダーとしてまだまだ未熟だと思っていたから、そう考えるのかもしれない。だが、一度そういう考えに至ってしまうと、その考えを覆すことは中々に難しい。忘れようと思っても、それは違うと否定しようとしても、自分の心が思ってしまったことは、それを更に覆すことが起こらないと、いつまでも自分の心に残り続ける。
  敵の言葉ですら聞き、無視すればいいのにきちんと考えてしまう。
  それが、常に考えることを止めようとしないことが、はやての強さであり、弱さでもあった。
 「あかんなぁ」
  そういう自分の心を理解して数年。それが正しいことなのか、間違っていることなのか、未だにはやての中では答えが出ていない。
  ただ、ひとつだけ言えることは、はやては今、迷っているということだった。
  何が正しくて、何が間違っているのか。
  それはおそらく、永遠に答えの出ることのない問答。それでも、考えずにはいられない。目的地への道すがら、はやてはそのことを、ずっと考え続けていた。何度も同じ問いかけをしても、その答えを見つけることができない。たったひとつの冴えたやり方。そんなもの、この世に存在しているのだろうか。
 「…………ん?」
  自分自身への問いかけに没頭し、俯きがちに目的地に向かっていたはやては、ふと、顔を上げた。すると自分の眼前には、個人の邸宅と公共の道路を隔てる簡素な門。その後ろには、広めの庭を有したいかにも西洋建築の建物。初めて見たときは、まるでおとぎ話の中に出てくるお家みたいだな、と思ったものだ。
  そこまで来てようやく、はやては自分が目的地に到着していたことに気付いた。
 「……おお」
  自分は、ほとんど無意識で目的地まで来たのか。それだけ考えに没頭していたということに、軽く驚く。
  しかし、いつまでも驚いてはいられない。
  門の横に取り付けられた呼び鈴に手を伸ばし……その手を、呼び鈴に触れる直前で止める。一旦、深く息を吸い込んで、吐き出す。なんとなく、深呼吸。少し、緊張しているのかもしれない。
 「……よし」
  心を決めて、呼び鈴を押す。少しだけ待つ。
  それから、門の奥にある家の扉が開き、中から落ち着いた雰囲気の女性が出てくる。私服の上に淡いピンク色のエプロンを着た彼女は、はやてを見て少し驚いた表情を浮かべた。その女性のことを、はやては良く知っている。
 「お久しぶりです、リーゼアリアさん」
  彼女の名前は、リーゼアリア。
  かつてはやての保護者をしていた、地球出身の元時空管理局提督、ギル・グレアム提督の、双子の使い魔の片割れ。素体は猫。妹のリーゼロッテと違い落ち着いた性格で、大人の女性の雰囲気を漂わせている。見た目こそ若いが、すでに数十年の時を生きている。その経験は伊達ではない。
  アリアは門の前までやって来ると、門を開けて微笑んだ。
 「久しぶりね、はやて」
  わざわざイギリスまで御苦労様ね、と微笑むロッテに、はやてもまた笑顔で返す。
 「私が、グレアムおじさんに相談したいんですから。それなら、こちらから出向くのが礼儀ってもんです」
  はやては、グレアム元提督に会うために、わざわざイギリスまでやって来た。

 



  紅茶の良い香りが鼻孔をくすぐる。色は透き通った琥珀色。その高貴な香り、洗錬された色。そのひとつひとつに、ただの液体であるというのに、まるで本物の貴族のような気品が見受けられる。イギリスは紅茶の本場。紅茶にあまり詳しくないはやてでも、目の前のカップに入った紅茶が、かなりのレベルのものであることが理解できた。
  はやては今、手入れの行き届いたイギリス庭園に設けられたイスに座っていた。丸くて白いテーブルに、同じ色をした四つのイス。おそらく、こうやって庭でお茶をするためのものなのだろう。流石は、紅茶の国の住人。映画やドラマの中でしか見たことのない文化が、生活に根付いている。
  そして、そのイスのひとつ、はやての向かい側に座り、静かに紅茶の入ったカップを傾けている壮年の男性。以前会った時よりも白髪が増えた気がするが、それでも、隙の見えない堂々とした佇まいと、強い意志の籠った瞳は変わっていない。ギル・グレアム元提督。かつて『時空管理局歴戦の勇士』と呼ばれていたほどの人物であり、はやてのこの世界での保護責任者、そして、過去の後悔から、とあるロストロギアごとはやてを永久封印しようとした人物である。と言っても、その事実を聞いたところで、はやては彼を咎めることも怒ることもなかったのだが。故に、はやてが自立し、グレアムの庇護を離れた今でも、二人の関係は比較的良好だった。日本にいる幼馴染達のように頻繁に連絡を取り合うことはしないが、年末のあいさつはするし、出会うことがあれば、こうしてお茶をするくらいの間柄ではある。
  グレアムにはやてが直接会うのは、もう数年ぶりになる。はやてが管理局の仕事で忙しかったのもあるし、会う理由がなかったから、というのもある。そのグレアムに会いに、はやてはわざわざイギリスまでやって来た。それだけの理由ができたからだ。
  グレアムは、現役時代は提督の他にも艦隊指揮官、執務官長を歴任し、人の上に立って戦ってきた立場の人物である。つまり、時空管理局でも屈指のリーダー経験がある人物ということだ。はやてはここで、ひとつの答えを出すつもりでいた。
  リーダーとしての、自分の在り方を。
  しかし、わざわざイギリスまで来なくても、はやての周りにはリーダーは大勢いる。リンディ総務統括官やレティ提督、陸士108部隊の部隊長でありはやての師匠でもあるゲンヤ・ナカジマ三佐。聖王教会には聖王教会騎士団長を務める騎士カリム。今は次元航行任務に就いているクロノ提督やフェイト執務官、戦技教導隊の高町なのは三佐だって、人の上に立って戦う存在だ。かつての幼馴染達は、立場の違いこそあれど、人の上に立つ立場になっている。彼女達は優秀だ。部下にも慕われている、リーダーの在るべき姿のひとつだろう。きっと、はやてにも的確な助言をくれるだろう。それを良く知っていてなお、はやてはグレアムの元を尋ねた。
  理由は簡単だ。
 (結局私は、みんなに甘えすぎなんよなぁ……)
  はやてが自分の未熟さを痛感したのは、機動六課での出来事が大きい。確かに周りは、歴史に残る事件を解決させた奇跡の部隊の部隊長として、自分のことを評価してくれる。しかし、はやてはそうは思っていなかった。後手に回り、時空管理局地上本部は襲撃された。機動六課本部は敵に蹂躙され、ヴィヴィオだってさらわれた。最終決戦の時にも、自分は前線指揮に追われて、最後まで突入することができなかった。ゆりかごの駆動炉でヴィータを助けることができたのも運が良かっただけだし、最終的にスカリエッティ一味を全員捕らえることができたのも、他の隊員達が極めて優秀だったからこその戦歴で、自分の力は関係なかったと思っている。それに、そもそも機動六課の設立ですら、彼女らの助けがなければ成しえなかった。はやては思う。結局自分は、誰かに甘えてばっかりの、未熟で情けないリーダーなのだと。
  そこに、今回の出来事だ。敗北は教えてくれた。はやてが感じていたことを、悪い形で証明してしまった。自分は未熟なリーダーだ。そんなことは百も承知だ。だが、間違っているとは思っていなかった。自分は自分が正しいと思う理想像を描いて、これまで戦ってきた。その理想像を、アンリエットは真っ向から否定した。そうなると、考えてしまう。自分の思い描くリーダー像ですら、間違っていたのかと。
  だから、はやては、グレアムの元を尋ねたのだ。
  グレアムは、十三年前に時空管理局を辞め、それ以降は隠居生活を送っている。もちろん、機動六課設立にも関わっていない。立場的には中立であり、普段のはやてのことを知らない。それに、はやてが知る人達の中では、一番の年長者だ。
  彼女達に甘えすぎて、親しくなりすぎた。
  だから、普段の自分をあまり知らない人に、客観的な意見をもらいたかったのだ。
  自分の在り方。
  チームのリーダーとしての、八神はやての在り方を。
  自分に起こった出来事、今思っていることは、すでにグレアムにメールで伝えてある。だから、今のはやてにできることは、ただグレアムの言葉を待つことだけだ。
  グレアムの前で、彼の言葉を待つはやて。
  それに対し、グレアムは、手に持っていたカップを置いてから、口を開いた。
 「どうだね、この紅茶は。こちらの知人に貰ったものなのだが、中々に良いものだろう?」
 「え? え、ええ、確かに、かなり良い紅茶ですね」
  確かに美味しい紅茶だ。カリムも紅茶を好み、教会に行ったときに出されるものは紅茶だが、彼女が勧める聖王教会印の紅茶にも負けないほどの逸品だった。だが、グレアムの言葉は、はやてが予想したものではなかった。
  戸惑うはやてを余所に、グレアムは続ける。
 「これは自慢なのだが、紅茶を淹れる者の腕もいいからね。紅茶を淹れるのは単純なようで難しい。僅かな温度差で紅茶葉は開かなくなる。それでは、折角の香りも味も損なわれる。だが、きちんと神経を使って、心を込めて淹れれば、紅茶はきちんと応えてくれる。まるで、人間関係みたいだとは思わないかね?」
  本当にお茶飲み友達に話しかけるかのように、グレアムの声は穏やかだ。これが、かつては時空管理局の勇士と呼ばれていた人物とは思えないくらいだ。
  しかし、はやてが聞きたいのは、そのような紅茶談義ではない。
 「最近はお湯ではなくミルクで紅茶を淹れることもあるそうだが、それはいけない。ミルクで紅茶を淹れてしまっては、本来の香りの半分も味わうことができない。レモンを入れるのも、個人的には好きではないな。レモンはあれで刺激が強い。そんなものを使っては、紅茶本来の味というものが」
 「あの、グレアムおじさん」
  焦れたはやては、グレアムの言葉を遮る。自分には時間がないのだ。確かに自分達には時間が必要だが、今こうしている間にも、犯罪行為が行われているかもしれない。今、自分にはなにもできないのは分かっている。分かってはいるのだが、心は納得しない。答えを求め、はやてはグレアムを促した。
  そんなはやての様子を見て……グレアムは、苦笑した。
 「ふむ……。これは、重症だね」
 「重症?」
  思わず、グレアムの言葉を復唱してしまう。自分は無傷だ。どこも怪我などしていない。
  はやては、グレアムの言葉の真意が掴めなかった。
 「ふふ、懐かしいな。私にも、君と同じような時があったからね。君の焦る気持ちは、良く分かるよ」
  だがね、とグレアムは続ける。
 「そのために、心の余裕を失ってしまってはいけない。常に張りつめている糸は、僅かな力で簡単に切れてしまう。私も君のような時期があったからあまり偉そうなことは言えないのだが、時には、ゆっくりと休養することも必要なのだよ」
  それは、他の人達にも言われ続けてきた。
  はやては、思い詰め過ぎなのだと。たまには休めと。
  だが、そんなこと、言われなくても分かっている。
  私は、そんなことが聞きたいんじゃなくて
 「そんなこと言われなくても分かっている、と思っているね?」
 「!?」
  自分の心の内を指摘され、はやては驚く。
  そんなはやてのことを、グレアムはどこか愉快そうに見つめていた。
 「若いうちは、確かにがむしゃらに突き進むことも悪くない。だが、それではいずれ疲れてしまう。転んでしまう。その時、全力で転んでしまっては、立ち直れないかもしれない。疲れて立ち上がることができなくなるかもしれない。あるいは、道を間違えていて、もう引き返せないところまで来てしまっているかもしれない。だから、たまには足を止めて、自分を見つめ直すことも必要だよ。こうして、紅茶を飲みながら、ね」
 「お父様」
 「お父様ー」
  グレアムの言葉に続けて、二人の女性の声が聞こえる。片方は落ち着いたもので、もう片方は活発なものだ。
  彼女達が、グレアムの双子の使い魔、リーゼアリアとリーゼロッテ。二人はエプロン姿で、手にはこんがりと焼けたクッキーの盛りつけられたお皿を持っていた。
 「おや、クッキーかね」
 「はい。久しぶりのお客様ですし、せっかくですから」
 「今日のは自信作だよ、お父様」
  まるで、本当の親子のようなやり取り。平和な光景。日常に溢れる幸せ。グレアムとリーゼ達の掛け合いは、そういったものを体現しているようだった。そんなものを見て……はやては不意に、自分がそういうことを忘れかけていたことに気付いた。家族と過ごす、大切で穏やかな時間。色々なものに囚われて、忘れかけていた。
  背中に嫌な汗をかく。
  そういう幸せを護るために、私は戦い始めたというのに。
  そういう幸せを失いたくないから、私はリーダーとしての能力を求めるというのに。
  どうやら自分は、ひどく疲れているようだ。少なくても、失いたくないと思った大切なことを、思いだせなくなってしまうくらいには。
 「……気付いた、ようだね?」
  グレアム提督の言葉に、はやてはただ頷くことしかできなかった。
 「平和で穏やかな時間を知っているからこそ、そのありがたみが分かるんだ。それを理解できない者には、それの大切さは一生かかっても分からんよ。だから、はやて君。今くらいは、紅茶を飲んで、ゆっくり休んでいかないかね?」
  最早、ぐうの音も出ない。
  グレアムは、そこまで見越していたというのか。
 「幸いにも、時間はある。ゆっくり紅茶を飲んで、美味しいお菓子を食べた後に私の話を聞いても、遅くはないと思うが、どうだね?」
 「そうだよ、はやて。せっかく私達が用意した紅茶とお菓子なんだから、楽しんでもらわないと、悲しいな」
 「今回のは自信作だよー。だから、期待してね」
  ロッテとアリアも、グレアムの言葉に続く。
 「……はい。そうさせて、もらいます」
  大事なことを忘れていた。
  最初の気持ちを、忘れかけていた。
  なるほど、確かに私は、疲れているみたいだ。これじゃ、みんなに心配をかけるわけだ。
  だからはやては、今は目の前の紅茶とお菓子を楽しむことにした。
  少なくても、目の前の紅茶とお菓子には、罪はないのだから。 








  しばらくぶりに会うグレアムと、リーゼ姉妹と、はやては世間話に花を咲かせた。と言っても、グレアム提督も隠居の身、穏やかな毎日では、人に語ることのできるイベントなどたかが知れている。故に、会話の中心ははやてだった。なにせ、直接出会うのは数年ぶり。機動六課で起こった出来事や管理局の近況報告、はやてから見たグレアムの弟子、クロノ一家の様子など、話題は尽きることはなかった。もとより、はやては話すことが好きな方だ。美味しい紅茶やお菓子のおかげもあってか、会話は弾む。
  やがて、お菓子がすべて無くなってしまったときに、グレアムが口を開いた。
 「さて……どうだね、はやて君。今の気分は」
 「……正直、自分でも驚いてます。まさか自分が、こんなに疲れていたなんて」
  グレアムやリーゼ姉妹と会話をして、はやては改めて感じていた。自分が思い詰め過ぎていて、自分が思っていた以上に疲れていたことを。肉体的に、ではない。精神的に、本当に自分でも驚くぐらいに疲弊していたのだ。
  そして、はやてが自分でも気付かなかったことを引き出させた、グレアムの手腕、会話術にも舌を巻く。
 「十三年前、君がヴォルケンリッターの面倒を見る、といとも簡単に決心したときから薄々感じてはいたのだが、今までの話を聞いてようやく確信した。君はどうも一人で抱え込む性質のようだね。機動六課のことも、そして、先日の件のことも」
 「…………はい」
  散々、仲間達に言われてきたことなのに、情けないことに、今になってようやく、はやては自分のことを自覚した。
  良く言えば責任感が強い。悪く言えば一人で抱え込む性格。なんとも、難儀なものだ。
 「それに、自分に厳しくもある。それは本来ならば美徳なのだが、君の場合、それが強すぎて毒になってしまっている。自己評価もかなり低い。若いうちから自分の実力に自惚れるのも良くないが、そこまで自分のことを卑下するのも、同じくらいよくない」
 「……もう、ぐうの音も出ません」
 「はっはっは。だがまぁ、そうやって自分の能力のことを思い悩めるのも、若者の特権だ。何事もいきすぎは良くないが、そうやって考えることは、悪いことではない」
  流石は、はやての交友関係内での最年長者といったところか。珍しいことに、グレアムの言葉に、はやては反論の言葉すらでなかった。
 「……で、リーダーの資質について、だったね?」
  空気が変わる。
  それまでの穏やかな空気、孫と祖父が話をしているような空気が、一瞬で張りつめた。これから真面目な話をする、という合図なのだろう。はやては思わず、佇まいを直す。しかし、だ。まさか、これだけの威圧感のようなものを、目の前の一人の老人が出しているというのか。先ほどまでとのギャップに、はやては驚かされる。
 「自分のリーダー論が、正しいのかどうか。確か、アンリエット……だったか。彼女の言うリーダー論は……」
 「『チームのリーダーとは、チームの誰よりも強く、すべてを一人でこなすことのできる、皆の目標の人物であるべきだ。仲間を助け、先頭で戦い、導き、護り、皆の中心、要であるべき存在だ』……だ、そうです」
  グレアムの言葉に、はやては続ける。
 「ふむ。……で、君はそのリーダー論を聞いて、どう思ったのかね?」
 「正直、戸惑いました。いきなりそんなことを言われて、しかも、私が思ってたリーダーの理想像とは、違うものでしたから」
 「なら、それでいいのではないのか? 彼女と自分では、目指すべきところが違う。目標が違えば、掲げる信念や主張だって変わるだろう。人の数だけ考え方があるんだ。思い悩む必要など、どこにもない」
 「それは、そうなんですが……」
  確かに、グレアムの言うことは正論である。相手と自分の考え方が違う。だから、リーダーに求めるものも違う。それで終わりの話だ。
  理屈では、そうなのだ。
  はやてだって、そんなことは分かっているのだが……
 「……私は、違うリーダーの理想像を持つアンリエットに負けて、仲間を……シグナムやヴィータのことを、守ることができませんでした。私の仲間達は、それこそ最強クラスの能力を持っていると、私は信じています。だから、チーム戦では、絶対に負けない自信がある。そこだけは、誰にも譲れない。そう、思っていました」
 「それなのに、負けてしまった」
  グレアムの言葉に、はやては頷く。
  そこなのだ。
  はやての心に引っ掛かっているのは、“違うリーダー論を持ったアンリエットに”負けたこと、そして“自分が正しいと思っていたリーダー論で戦って、仲間を守れなかった”ことのふたつ。どんなに自分が未熟でも、ここだけは譲れない。そう思っていた部分を、自分の考えとは違う人物に敗北し、否定されてしまったのだ。
  そのことが、はやての自信を揺らがせていた。
  自分の考えが、間違っていたのではないのか。
  自分の考えが間違っていたから、私は負けてしまったのではないか。
  自分の考えが間違っていたから、仲間のことを、家族を、守れなかったのではないか。
  リーダー対リーダ―。それで負けたことが、はやての心に引っ掛かっていた。
 「あれは、厳密に言えばチーム戦ではなかった。そう思うことはできないのかね」
 「できませんね」
  一蹴。
  アンリエット達との戦いは、個々人で分断されてしまい、厳密にはチーム戦とは言えなかったものなのかもしれない。それは、はやても考えたことだ。しかし。
 「チームが分断されて、不利な状況に陥った時点で、それはリーダーの責任です。戦術ミス、そう言われても、仕方無いことですから」
  チーム戦も、ある意味では個人戦の延長線上に過ぎない。結局、個人個人がに戦う、ということに変わりはない。だが、その個人の力を纏め、お互いに足りないものを補い合うのがチームというものなのだ。そして、優秀な仲間の技能を活かすも殺すも、戦術や方針を組み立てるリーダー次第。だから、本来の意図と反してチームメイトと分断されてしまった時点で、それはリーダーの失態だ。はやては、そう考えている。
 「ふむ。手厳しいね」
  グレアムはそう呟き、それから、はやてに問いかけた。
 「では、君の言う、リーダー論の正解とはなんなのかね?」
 「……分かりません。この前まで正解だと思っていたことも否定されましたし、もう、今の私には何が正しくて何が違うのか、分からなくなってきたんです。ですから、グレアムおじさんのところに相談しに来たんですけど……」
  正解とは、なんなのだろうか。
  何が正しくて、何が間違っているのか。
  自分が思い描くべきリーダー像とは、どのようなものなのか。
  それが知りたくて、はやてはここまでやって来た。
 「この地球の、とあるSF小説のタイトルに、こんなものがある。『たったひとつの冴えたやり方』。……知っているかね?」
  それは、タイトルだけなら日本でもとても有名な作品だ。元よりはやては本好きだ。タイトルだけでなく内容もきちんと把握している。だから、はやてはグレアムの言葉に頷いた。
 「なるほど、面白いタイトルだよ。たったひとつの冴えたやり方。……だがね、はやて君。正しいやり方というのは、たったひとつしかないものなのかね?」
 「え?」
  グレアムの問いかけに、はやては答えられない。
  戸惑うはやてをよそに、グレアムは話を続ける。
 「例えば、自分の大切な人を五人犠牲にすれば千人が助かる、という事態が起こったとしよう。まぁ、よくある謎かけではあるがね。ではその場合、どちらの選択肢が正しいのかね? 人数の多い方を助ける? 自分の大切な五人を優先する? それとも、若者らしく、両方助ける、という選択肢を選ぶかね?」
 「もちろん、両方助けます」
 「二兎を追う者は一兎を得ず、という諺は、日本のものだったハズだがね。その選択肢を選んだせいで、誰一人として助けられなかったとしたら?」
 「う……」
  グレアムの言葉に、はやては言葉を詰まらせる。
  その様子を確認してから、グレアムは続ける。
 「この場合、正解はありえない、と思わないかね? 人によって選択することは違う。ならばなぜ、正解がありえない問いを、人は選択するのかね?」
 「それは……」
 「その人にとっては、それが正解だからだ」
  正解はありえない。
  その人にとっては、それが正解。
  矛盾した問いかけに、はやては混乱する。
 「おじさん、それはどういう……」
 「つまり、だ。冴えたやり方は、たったひとつじゃないんだよ。人の数だけ考え方がある。ならば、人の数だけ正解がある。人の数だけ、冴えたやり方がある。たったひとつしかない正解なんて、数学の世界でしかありえないことだと、私は思う」
  グレアムの真意を、はやては考える。
  正解はたったひとつしかない。そんなことはありえない。
  正しいとは何なのか。間違っているとは何なのか。
  私のリーダー論とアンリエットのリーダー論。どちらが正しいのか。
  考えるはやてのことを、グレアムは黙って見守っている。
  そして、どれだけ考えたのだろうか。
  はやては、ひとつの結論を導き出した。
 「……つまり、私のリーダー論と、アンリエットのリーダー論、どちらも正解、ということですか?」
 「その通りだよ。はやて君。正解はありえない。ならば、君が正しいと思えば、それが正解なのだよ」
 「でも、私は負けて……」
 「ならば、君の考えを正解にすればいい。もとより、正解なぞ存在していない。ならば、君が正解を創ればいい」
  私が、正解を創ればいい?
 「一人で無理ならば、仲間に頼ればいい。君が信じる、家族達を。先ほども言ったが、君はどうも一人で抱え込む性質がある。しかしだね。君が心配をかけないように無理をすればするほど、君の家族達は余計に心配するのだよ。だから、君は仲間に頼るべきなんだ。……君は、一人ではないのだから」
 「…………」
  正しいと思っていたこと。正しいと思わされたこと。
  間違っていると思っていたこと。間違っていると考えさせられたこと。
  たったひとつではない、冴えたやり方。
  考えがまとまらない。グレアムがはやてに語ったことは、はやての価値観を揺らがせるには、十分すぎるほどの力を持っていた。
  私は、私自身で答えを創るべきだ。
  ならば、私は、それを見つけ出すことができるのだろうか?
 「……まぁ、すぐには君の答えには辿り着かないだろう。だが、それでいい。考えて、悩んで、苦しんだその先に、君だけの正解がある」
  敵わないな。はやては、そう思った。
  年長者の余裕というものなのか。さっきから、呑まれっぱなしだ。
 「しかし、考えてばかりも良くない。行き詰ったら、思いきって休むことも必要だよ。というわけで。はやて君。せっかくだし、良かったら夕食も食べていかないかね?」
 「え、でも、そこまでお世話になるわけには……」
 「えー、いいじゃないの。せっかくなんだし」
 「遠慮することはないよ。父様だって、久しぶりにお客さんが来て、とても喜んでいるのですから」
  グレアムと、ロッテと、アリア。
  すっかり毒気の抜けたはやては、三人に勧められて、断るということをしなかった。
 「……じゃあ、お世話になっても、ええですか?」
 「うむ。それでいいんだ」
 「よーし、ロッテお姉さん、はりきっちゃうよー」
 「ロッテ。あんまり張り切り過ぎて、この前みたいに食器棚をひっくり返さないでね」
 「ちょっと、アリア。それは言わないでよー!」
  リーゼ姉妹のやりとりに、声を上げて心底愉快そうに笑うグレアム。
  日常の何気ない出来事にも、こうして楽しいことがある。
  そんな、大切なことを思い出しながら――はやてもいつの間にか、笑っていた。