「……じゃあ、お世話になっても、いいですか?」
 「うむ。それでいいんだ」
 「よーし、ロッテお姉さん、はりきっちゃうよー」
 「ロッテ。あんまり張り切り過ぎて、この前みたいに食器棚をひっくり返さないでね」
 「ちょっと、アリア。それは言わないでよー!」
  リーゼ姉妹のやりとりに、グレアムが笑う。それにつられて、はやても笑顔になる。
  日常の中の何気ない笑い。その穏やかさに、暖かさに、はやての疲れた心が癒される。
  この仕事が終わったら、溜まった有給を使って、みんなで三日くらいゆっくり過ごそうかな。みんなも、有給を消費できてないみたいだし。……うん。そうしよう。それで、どこかに遊びに行ったりして、家でゴロゴロして、無為な時間を過ごそう。きっと、そういう無為な時間が、今の私達には必要なことだから。護りたいと思った大切なことを、もう一度思い出そう。大切な家族と一緒に、温かい時間を過ごそう。これからも頑張れるように。
  急に家族の温かさが恋しくなったはやては、久しぶりに、仕事を休みたいと思えた。
  一体いつ以来なのだろう。仕事を休みたいと思えたのは。自分は未熟だと思って、休んでいる暇なんてないと思って、管理局から与えられる有給も全然消費していない。あんまり有給を消費しないものだから、人事部の人達に無理矢理休まされたこともあるけど、そういう休みの日にも、本当の意味で休んではいなかった。それだけ余裕が無かったということなのだが、今思うと、随分なものだと思う。
 (……まぁ、なのはちゃんよりはマシなんやけどな)
  聞くところによると、高町なのは三等空佐の有給も相当溜まっているらしい。確か三年前、機動六課時代に人事部の人に泣きつかれた時には、すでに半年間は働かなくていいぐらいに溜まっていると言っていた。ただでさえ有給を消費しないのに、休日の緊急出動とかも多くてその代休すらも消費しないから、管理局の有給貯蓄記録を日々更新しているそうな。
  幼馴染は、自分のように余裕がないわけでもないのに、どうしてこうもワーカーホリックなのだろうか。
 「はやては、今夜何が食べたい?」
 「あー、そうですね、……せっかくですから、イギリスの家庭料理が食べたいです」
 「ようし。じゃあ、ロッテお姉さんが、とびきりの英国料理をご馳走してあげよう」
 「英国料理ね。確か、冷蔵庫には…………あー、ロッテ。買い物に行かないと駄目ね」
 「んー。庭の野菜じゃ足りない?」
 「野菜はいいけど、お肉がないのよ。元々、今日買いに行くつもりだったから」
 「そっか。じゃあ、急いで行かないと、遅くなっちゃうね」
 「そうよ。だから、今から行きましょう」
 「あの、すいません、私のためにわざわざそんな」
 「気にしなくてもいいよ、はやて」
 「そうだよー。子供は遠慮なんかしないで、お姉さん達に任せなさい」
  胸を張ってそう言うロッテに、もう子供って歳でもないんだけどな、とはやては思う。
 「お父様。そういうわけですので、パパっと買い物に行ってきます」
 「ああ。今日の夕飯、期待しているよ」
  素敵な笑顔でそう言うリーゼ姉妹に、グレアムが笑顔で返す。
  そうして、リーゼ姉妹が買い物に出かけようと、席を立った
  その時。
 『!』
  グレアム邸の庭を包み込む、穏やかな空気が変化した。殺気と悪意に充ち溢れた、嫌な空気。
  気のせいかと思った。気のせいだと思いたかった。
  だが、この独特の空気を、間違えるハズがない。
  このような時に、このような場所で、人の負の感情の中でも特に破壊的な感情に染まった空気……戦場の空気が発生したことに驚きつつも、身体はその空気に対応し、臨戦態勢を取る。騎士甲冑を構築する前にシュベルトクロイツを起動、体勢こそ座ったままだが、いつでも次のアクションが取れるように構える。
  そして、リーゼ姉妹と、グレアムも。それまでの日常を生きる穏やかな雰囲気から、姿勢を変えず、一瞬でスイッチを切り替えたかのように僅かな隙も見られない雰囲気を放つ。隠居してもう長いというのに、こんなに一瞬で気持ちを切り替えられる。歴戦の勇士とその使い魔は伊達ではないということか。
 「……まったく。私に、隠居生活を楽しませてはくれないのかね」
 「これで何度目だっけ?」
 「さぁ……。十回を超えたあたりから、もう数えてないわよ」
 「……それってもしかして、いわゆるお礼参り、って奴ですか?」
 「そうよ。私もお父様も、現役時代の数十年の間に相当怨みを買ったらしくてねー。今でも、たまにそういう手合いが来るんだわな、これが」
  そういえば、グレアムは年を取ってからは落ち着いているが、若い頃は相当やんちゃで、かなりの無茶をしていたらしい。なんでも、潰した犯罪者組織や違法施設の数は管理局の歴代記録に残っているとか。管理局歴戦の勇士、と呼ばれるほどの経歴だ。それだけの組織を潰せば、それ相応の怨みを買うのだろう。
  ……つまりそれって、特別捜査官なんて犯罪者組織から怨みを買うための役職のようなものについている私は、引退後にお礼参りされることが確定してるんよなぁ……、と、今更ながらに思い出して、はやてはかなりげんなりした。
  隠居後くらい、のんびりと余生を過ごさせてほしいものだ。
  そう、はやては思う。
 「にしても、お父様。これ、お礼参りにしては少しおかしくありませんか?」
 「ああ……アリアもそう思うか」
 「おかしい、ですか?」
  アリアとグレアムの言葉に、はやては首を傾げる。
 「ああ。お礼参りなら、怨みを持った人物が限られているから、殺気は私かリーゼ達に集中するんだ。それなのに、この家の周りを包囲している連中は私達だけでなく、はやて君にまで殺気を向けている。殺気の質もいつものものと少し違うし、それに、お礼参りに大人数で訪れる時に、ここまで分かりやすい気配は出さないさ。大人数で組織的に動く時には、もっとこう、不意打ちを狙うというか、自分達の存在をギリギリまで抑えようとするものだがね」
  はやてはまだプライベートで襲われたことがないので、グレアム達の言うような違いは分からないが、それでも、このグレアム邸を包囲している輩が結構多いことは分かる。人数で言うならば、大体二十人前後といったところだろうか。
 「……アリア。結界は張ったかね」
 「はい。問題ありません」
 「ロッテ。準備は?」
 「いつでもいいよ、お父様」
  紅茶を飲みながら、まるでガーデニングの指示でもするかのように、淡々と戦闘準備を整えるグレアム。ティーカップ片手だというのに、例え今目の前にいるはやてが襲いかかったとしても、瞬時に捌けるだろう。そう思わせるなにかが、グレアムにはあった。
 「早くカタをつけないと、夕飯が遅くなるしねー」
  随分と軽い口調で言うロッテだが、他の二人も同じ意見のようだ。
 「はやて君。空間系の詠唱魔法は得意かね?」
 「へ? あ、ええ、そういうのは私の十八番です」
 「では、協力して欲しい。おそらく、これからすぐに、二十人ほどの魔導師が一斉に襲い掛かってくるだろう。それは我々三人で抑えるから、はやて君は我々のことは気にせず詠唱をして、残った魔導師達を一撃で薙ぎ払うだけの大魔法を発動させてくれないかね」
 「え……」
  はやてが次の言葉を発しようとした途端に、四方からこの家を包囲していた魔導師達が飛び出した。その数は二十。全員が黒いフードに身を包み、顔を隠している。フードから出ているデバイスから推測するに、ミッド式とベルカ式の混成部隊のようで、二十の内の十四は武器を持って突貫、残りの六が見える位置に飛び出した後で、ベルカ式の騎士達の後方で詠唱を開始した。
 「ふぅ。やれやれだね」
  気の抜けた溜息の後、はやてを除く三人が飛び出す。
  デバイスを持たないというのに、グレアムは誘導魔力弾を八発瞬時に生成、直後一番近くにいたミッド式の魔導師に肉薄する。一番近くと言っても、その距離は十メートル近くあった。それだけの距離をほぼ一瞬で零にする。
 「!?」
  その速度に、フードに隠れた顔から動揺が伺える。条件反射で詠唱を中断し、デバイスで防御しようと試みる、だが、もう遅い。次の瞬間には、魔導師の鳩尾めがけて、魔力で強化加速されたグレアムの拳がめり込む。老齢だというのに、それを感じさせない鋭い動き。グレアムの動きに反応して、手近にいたベルカ式騎士の三人が後方からグレアムにそれぞれのデバイスで切りかかる。
 「シュート」
  グレアムのコマンドと同時に、地面スレスレから飛び上がった魔力弾が、彼らの顎を寸分たがわず打ち抜く。完全に死角である後方からの奇襲を、グレアムは逆に不意打ちで迎撃する。残った魔力弾は、倒したベルカ式騎士達の後ろにいたミッド式魔導師へ。まさかこちらに攻撃が来るとは思っていなかったのか、飛来する魔力弾への対応も遅く、結果として五発の魔力弾の内二発の直撃を受ける。
  グレアムが飛び出すのと同時に、リーゼ姉妹も、それぞれ手近にいたミッド式魔導師に肉薄していた。違うのは、アリアはステップを踏むように軽快に動いたのに対し、ロッテはグレアムと同じように一瞬で距離を詰めた、力強い動きだということ。
  魔導師戦において、距離を詰める技術として一般的なものが、魔力を脚部に収束し、それを一瞬で解放することで爆発的な速力を得るというものである。要するに、地面を力強く蹴り、その反動で距離を詰めるというものである。瞬動術、と言えば馴染み深いものだろうか。原理や理屈こそ違えども、大抵の次元世界にはそれに類する技術があるものである。それを効果的に行うためには、なるべく一瞬で魔力を開放することと、小さなモーションで効果的に地面を蹴ること、そして着地の際の反動を効率よく殺すこと必須である。最初のふたつのポイントが重視されがちであるが、地面を蹴った後に目的の場所に着地する際に反動が大きすぎると、その反動のためにどうしても動きが止まってしまう。どれほど早い動きができても、着地に手惑い動きが硬直すれば、大きな隙になる。反動を如何に相殺するか。それが、この技術のミソである。
  そのセオリーをロッテはあえて無視し、反動全開で着地する。ロッテの機動はかなり早く、相応の負荷が足にかかる。それだけの反動を硬直なしで受け止めることは人の身体ではどうしてもできない。それは、努力ではどうしようもない人体構造の限界。
  その反動を、ロッテは求めていた。
  反動が足にかかるのと同時に、その足で強く踏み込む。本来なら身体が悲鳴をあげるところを、魔力付与による強化で耐える。作用と反作用の関係。足にかかる強烈なトランクション。その一連の動作で、通常ではありえない踏み込みの強さを発揮する。それが、ロッテが辿り着いた境地。そうして得た踏み込みの力を、身体の捻りを連動させて拳に乗せる。ロッテが住む英国よりはるか東の大国にて、震脚と呼ばれる技術。人体はすべて繋がっている。足の反動を腕に伝えて、更に魔力の付加された重い拳の一撃を、眼前の魔導師の腹部に叩き込む。あまりの威力と拳の重さに、魔導師の身体が浮き上がる。ロッテはその拳を更に振り抜き、魔導師を近くにいたもう一人の魔導師めがけて打ち出す。仲間の魔導師をぶつけられ、予想外の衝撃に詠唱が中断される。
  見る人が見たら、空中コンボと言われそうな動き。
  対して、アリアはロッテとは違うステップを踏むような動きで別のミッド式魔導師との距離を詰める。歩む過程こそ違えど、認知できないほどの速度で動くという瞬動術の基本は同じ。アリアは本来ロッテほど肉弾戦やそれに関わる肉体強化は得意ではない。その代わりにアリアが優れているのが、詠唱・非詠唱問わず、強化系ではなく放出・射出系の魔法。早い話が攻撃魔法である。
  距離を詰め、構えると同時に三発の魔力弾を形成、その魔力弾を拳に纏い、螺旋回転運動を付与した上で、拳と同時に相手の身体に叩き込む。肉体強化や震脚などの格闘戦の技術ではなく、純粋な魔法の技能を付加して、ロッテと同等の威力を発揮する。打ち込まれた魔力弾はその勢いを減衰させず、ロッテ以上に派手に相手を弾き飛ばす。そして、弾き飛ばされた相手を確認せずにステップを踏む。軽快な動きで移動する先は、もう一人のミッド式魔導師の背後。アリアの軌道に気付いた時にはもう遅い。後頭部に手刀が加えられる。
  戦いのセオリーとして、ミッド式とベルカ式の混成部隊の場合、ミッド式の魔導師を先に倒した方が良い。チーム戦において、一対一の戦闘を基本とするベルカ式の騎士よりも詠唱魔法を基本とするミッド式魔導師の方が攻撃の範囲が広く、やっかいだからである。
  ほんの数秒で敵勢力のミッド式魔導師を全滅させた。
  そして。
 「詠唱完了。グレアムおじさん、リーゼさん達、私の元へ!」
  はやての声に反応し、瞬時にはやての元に戻るグレアムとリーゼ姉妹。
  次の瞬間、はやての攻撃魔法が炸裂する。
 『エレクトリシェス・フェルド!』
  はやてが発動させた空間系雷撃魔法。指定した範囲空間内に電場を発生させる魔法であり、その電圧は魔導式に流し込む魔力次第で数万ボルトにも達する。はやてはこの魔法を非殺傷設定にしたが、彼らの意識を完全確実に薙ぎ払うために、かなりの魔力を魔導式に流し込んだ。元より、はやての適性は詠唱系の大魔法である。
  チーム戦ではやてに求められる能力は、グレアムのような万能性でも、ロッテのような近接戦闘能力でも、アリアの様な巧みな攻撃魔法でもない。どれだけ詠唱時間を要しても構わない。誰かに守ってもらわないと戦えなくても構わない。その代わりに、他の追随を許さない、一撃必殺の大魔法。ただの一度の発動で戦局をひっくり返し、敵の全てを薙ぎ払う、広範囲高出力の空間魔法。その攻撃の前では、何人たりとも無傷ではいられない。その攻撃を防ぐことも回避することもできない。耐えきることなど、尚更に不可能。はやてに要求される能力はそういうものであり、そして、はやてにはそういう要求に応えられるだけの能力と莫大な魔力がある。
  はやてを守っていれば、私達の代わりに戦局をひっくり返してくれる。はやてが後ろにいれば、どんな敵でも倒すことができる。そういう信頼に応えるのが、はやてのチーム戦での役割なのだ。
  そのことを、誰よりも理解していたハズなのに。
  自分にはそれだけしかできない。だからこそ、それだけは、誰にも負けないようにしようとしていたのに。
  アンリエットに負けて、迷っていた。見失っていた。
  大事な、自分の役割。
  自分がするべきこと。信じること。
  それを、皮肉なことに、穏やかな日常を破壊する戦闘行為で、思いだせたような。そんな気がした。








  穏やかな日常を破壊した彼らは一人の例外なく、はやての攻撃魔法によって昏倒させられた。
  はやて達を襲撃したのは、管理局の武装隊で言うならば、一般隊員レベルの魔導師達。彼らもそれなりの実力を有するが、歴戦の勇士達の前では、そこらの有象無象とそう変わらない。
  敵の全滅を確認した後のグレアム達の行動は迅速なもので、意識を失って倒れた敵全員をバインドで拘束すると、時空管理局に連絡。一時間後には彼らを護送するための部隊が到着するようだ。そこまでの手順が手慣れたもので、これはよっぽど襲撃が多かったんだろなと、はやては少し複雑な気分になる。知人がそういう目に会っていたということと、明日は我が身ということ両方に、である。
 「…………」
  しかし、はやては地面に倒れ伏す彼らを見て、そういうこととはまた別の違和感を感じる。
  彼らの戦い方にも、着ているフードやその下の服装にも、普通の犯罪者達とは違う何かを感じるのだが、それが言葉にならない。
 「ふむ……。ミッド式の魔導師は、ベルカ式の騎士達と一緒に私達の前に姿を現す必要はなかったのだが。それこそ、私達から見えない位置で詠唱をすれば、もう少しは持ちこたえられただろうに」
  グレアムの呟きに、はやては反応した。
  そう言われてみればそうだ。人数が多いのだから、もっと効果的な動きや機動ができるハズである。それなのに、彼らはそうしなかった。素人でも、もう少しまともな戦術を組むだろう。
  元管理局の魔導師、歴戦の勇士でも、二十人で挑めば敵うと思ったのか……
 「……あ!」
  そこまで考えて、はやては気付いた。
  どうして、こんなことにすぐに気付かなかったのか。
 「どうか、したのかね?」
 「おじさん、リーゼさん、このデバイス……ほとんどが、管理局の官給品やないですか?」
 「あ……確かに」
  そう。彼らが持つミッド式の長杖も、ベルカ式の近接武器も、一部を除いて、ほとんどが管理局の、それも武装隊の官給品なのだ。そうでないデバイスを所持しているのも二人ほどいるが、それも既製品の域をでない。おそらく彼らが、この集団のリーダーなのだろう。
  管理局の官給品は市販されていない。
  つまりこのことは、彼らが管理局の職員であることを示している。
  どうして同胞であるハズの彼らが、自分達のことを襲う? 闇の書関連の怨嗟から? それとも、何か別の理由が?
  それに、戦い方もおかしい。
  相手は管理局の魔導師であり、装備品を見る限り、戦闘専門の武装隊である可能性が高い。彼らは戦闘のプロだ。そんな彼らが、オーバーSランクの集団である自分達にこれほどまでに雑な戦術を取るものか?
 「……おかしいですね、お父様」
 「ああ。何かがおかしいな。キナ臭いと言うか……」
 「裏がある、っちゅうことですね?」
  裏。
  それは、管理局の裏側。
  はやても感づいている、管理局の黒い部分。
  権力の笠を着て、自分達の欲望を満たす、一部の腐りきった上層部の考え。
  それでも、三年前のJS事件を機に、そういった者の大部分は粛清されたハズなのだが。
 「……あるいは、それとは関係のない、別の何か、なのかもしれないがね」
  確かな事実は、自分達を襲ったのは、管理局の職員であるということ。
  そして、その戦い方が、有り得ないくらいにお粗末なものだったということ。
 「一体、何が起こっとるんや?」
  はやての呟き。
  それに答えられる者は、この場には存在していなかった。