『 凍てつく足枷 フリーレン・フェッセルン !』
 『 炎の賢者 ブレネン・クリューガー !』
 『ニーズホッグ!』
  リリの元に向かうヴィータのことを、後方から援護する。はやてが放つのは、長距離狙撃砲フレースヴェルグと対を成す魔法ニーズホッグ。前者が敵射程外からの一撃必殺を狙った狙撃砲であるのに対し、後者は比較的近距離への速射を念頭に置いた砲撃魔法。詠唱にもそれほど時間がかからない。
  リリの強制催眠能力はヴィータにだけかけられているので、本当ならば後方から援護するはやて達にも、リリが生み出した鎧騎士の姿が見えない。だか、そこはもう一度受けた攻撃だ。対策は取ってある。ヴィータが認知した鎧騎士達の数と座標を、グラーフアイゼンを通してシュベルトクロイツに転送。その座標を狙って、情報を共有したはやて達がピンポイントで攻撃する。かなり高度なコンビネーション技術が必要だが、そこは夜天の主とその守護騎士だ。そのくらいのコンビネーション、示し合わせる必要もない。
  その魔法を放ち、リリの生み出した鎧騎士を破壊した後で、はやては改めて眼前のアンリエットに向き合う。
  そして、再び詠唱を開始する。
  はやては当初からずっとそうしている。何も考えず、ただ大魔法の詠唱のみを続ける。
  本来ならば隙だらけであり、非効率的なそれが、はやてに求められる戦闘能力。
 「……また、馬鹿のひとつ覚えの詠唱魔法か」
  そのはやてを、アンリエットが詰る。おそらく半分は相手を挑発するために、そしてもう半分は本心からの嘲りとして。
 「チームのリーダーなのに、仲間に頼りきりで自ら戦闘に参加せず、安全圏で何も考えずに詠唱ばかり。それが、リーダーのすることなのか!」
  はやてが敗北したあの夜のように、アンリエットは、はやてに対して、憤りを感じている。
 「答えろ、八神はやて! それが、仲間の命を預かったチームリーダーのすることなのか!」
  冷静そうな見た目と裏腹に、その心に燃えるのは苛烈とも言える感情。
  高い志に高潔とすら言える魂。自分に厳しく、を地で行く性格。仲間達とのやり取りを見るに、他人にも厳しいようだが、その裏側にはアンリエットなりの優しさが垣間見える。だからこそ、キョウヤも、アニタも、リリですらも、アンリエットに無条件の信頼を抱いているのだろう。
  同じチームリーダーという立場だからこそ分かる。
  アンリエットは、間違いなく仲間達に好かれている。
  彼女が持ち得るありとあらゆるものが、チームのリーダーとして仲間達を導くためのものに見える。本人は自覚すらしていないのだろう。だが、彼女の持っている才能のすべてがリーダーに必要なものだ。彼女は半ば無意識の内に、理想のリーダーを体現している。それなのに自分は、彼女が持っている、リーダーに必要なものをほとんど持っていない。
  アンリエットを見て、色々なものを持っている彼女がとてもキラキラ輝いているように見えて、何も持っていない自分を情けなく思っていた。
  ほんの、少し前までは。
 「それが、私に求められる能力やからや」
  そのアンリエットに、詠唱を続けながら、はやてが答える。
  その声は静かで、落ち着いている。
  ただ、その声の内側に、何か今までとは違うものが混じっていた。
 「なぁ、アンリエット。あんたは、確かに大したリーダーや。近接戦闘もいけるし詠唱魔法も使える。高い志と高潔な心は尊敬にも値する。人を導く能力もあるし、仲間に好かれ慕われる才能もある。あんたは間違いなくリーダーの器で……そんで、あんたから見れば、私なんてリーダーの風上にもおけんのんやろうな」
 「…………」
 「確かに私は、一人ではなんもできひん。近接戦闘もできんし、高速で動くことも苦手や。所有する能力は詠唱魔法のみ。どんな攻撃でもほとんど時間がかかるから、誰かに守ってもらわんと満足に戦うこともできん。仲間に頼りっきりで、自分は安全圏から呑気に詠唱攻撃のみ……自分でも情けないリーダーやと思うよ」
  でもな、とはやては続ける。
 「でもな、そんな私のことを、心の底から信頼してくれる仲間がおる。その剣士の力を、破壊の力を、癒しの力を、守護の力を、祝福の力を、火炎の力を、私に預けてくれる仲間達がおる。……多分、私がどんな無茶な命令を出しても、それを命を賭して実行してくれる、大切な仲間が、家族が、私にはいる。こんな、一人ではなにもできない、弱くて情けない小娘の私のことを、やで?」
  仲間達との絆は、闇の書の……夜天の魔導書の呪いから始まった。それは両者の意志の届かないところで起こったことで、そのどちらもが、直接的にお互いに出会うことを望んではいなかった。言うなれば、選択の余地なく無理矢理主従の関係を結ばされたようなもの。
  だが、今の彼女達には、そんなこと関係ない。
  自分達の関係は、夜天の魔導書の主と、その守護騎士の関係。
  そういう前提条件を抜きにして、彼女達はお互いを心の底から信頼し合っている。
  主従の関係だとか、血の繋がりだとか、そんなことは関係ない。
  そんなものが無くても、彼女達は仲間同士であり――家族だった。
 「だから私は、その信頼に全力で答えないとあかん。せやけど、私がみんなの信頼に報いるこことができるのは、たったのふたつだけ。時空管理局でも最強クラスの保有魔力による愚直な詠唱魔法と、みんなのことを、何があっても信頼すること。それだけや」
  だから。
 「私はそのふたつを、命を賭けて全うする。発動に時間がかかるけど、勝負を決することができるほどの、どんなに不利な状況でも一撃でひっくり返すことができるだけの大魔法。大切な人が残してくれたこの魔導と魔力で、戦況を左右するだけの大規模魔法。それを、どんなことがあっても詠唱し続ける。固定砲台? 上等や。私は敵からも揶揄される固定砲台でええ。その代わり、どんなことがあっても、私の一撃は誰にも負けへん。私の一撃が仲間達を助ける。『はやてに任せておけば大丈夫』みんながそう思ってくれるだけの、戦況をひっくり返す、一撃必殺の大魔法」
  それが、私にできる数少ないことのひとつ。
 「そして、私は何があっても、どんな状況でも仲間のことを信じる。敵の攻撃は絶対に私の元には届かない。どんな攻撃でも、みんなが凌いでくれる。私のことを護ってくれる。どんな状況でもどんなに強大な敵でも、みんなやったら絶対に負けへん。私に何があっても、私のことを助けてくれる。だから私は、愚直に詠唱魔法を唱え続ければええ。その剣に断てないものも、その鎚に破壊できないものも、その湖に癒せないものも、その盾に守れないものも、その風に祝福されないことも、その炎に燃やせないものも、この世の何処にも存在しない。だから私は、どんなに強い敵も怖くない。私の詠唱を遮るものなんて、この世の何処にもあらへんのやから」
  昔から、はやてが知人達に公言していることがある。
  七人チーム戦なら、私達に負けはない。
  結局のところ、その一言にすべてが集約されていたのだ。
  何があっても敗北を赦さない勝利の一撃。
  何があっても仲間のことを信じ続ける。
  そこに理屈も何も存在しない。
  私は大切な人達のことと、彼女達が信じることを信じる。ただそれだけのこと。
  それが、こんなに弱いリーダーである私にできる唯一のことであり、最後の夜天の主としての矜持であり、そして。
 「私一人ではどうしようもなく無力。やけど、七人チーム戦では絶対に負けない。これが『最後の夜天の主』八神はやてが導き出した、チームリーダーとしての、ひとつの答えのカタチや」
  何も難しく考える必要はない。
  私は大好きな仲間達のことと、彼女達が信じることを心の底から信じただけだ。
  それが、はやてが導き出したリーダーのひとつのカタチ。
  常に先頭で戦い、仲間達を導くことでその信頼に報いることを至上とするアンリエットのリーダー像とは対極に位置する答え。
  共通していることは、仲間の信頼に、自分が持てる凡てで応えること。
  それが、絶対。
  そのことだけが、リーダーに必要とされる唯一にして絶対の条件。
  それさえ護っていれば、人の数だけ、信念の数だけ、リーダーのカタチがある。答えがある。
  それが、はやてが出した結論。
  私は、仲間達のことを心の底から信じている。
  それくらい胸を張って言えるようでないと、リーダーなんて務まらない。
 「だから私は、あんたが言う愚直な詠唱を唱え続けるよ」
  事実、はやては今回の戦闘で、どれだけ詠唱中に敵に接近されても、詠唱を中断して回避行動を取ろうとはしなかった。当然だ。回避行動なんて取る必要はない。仲間が絶対に護ってくれる。はやては心の底からそう思っているのだから。
 「護ってくれるみんなの想いに報いるために。私は、一撃必殺の魔法を放ち続ける。…………それだけや」
 「…………」
  独白を終え、はやてはアンリエットと見つめあう。
  その強い眼差しを直接受けて、絶対に視線を逸らさない。
  二人の間にあるのは、言葉を介さない言葉の応酬。
  傍から見れば無言で見つめあっているだけの二人だが、そこには当人達にしか通じないやり取りがある。
  そして……先に沈黙を破ったのは、アンリエットの方だった。
 「…………成程。雰囲気が変わったというのは、私の気のせいではなかったようだ」
 「…………ここは、褒められたと礼を言うべき、なんかな?」
 「好きにすればいい」
 「そうか。なら、素直に喜ばせてもらうわ」
  二人の間に流れたのは、穏やかな空気。
  肩をすくめるはやてと、そっけないアンリエットの仕草。
  雑談とも皮肉とも取れる、不思議な言葉の応酬。
  しかし、すぐに空気が切り替わる。
 「……認めよう、八神はやて。貴女を、私と対等の存在だと」
 「……おおきに」
  構えこそ、表情こそ、今までのそれと変わらない。
  だが、二人の心は、すでに臨戦態勢。
 「……最後に、ひとつだけ」
 「なんや?」
 「私は、私を信じてくれる仲間と、私の帰りを待つ故郷の皆の為に戦う。貴女は、何のために戦う?」
 「……約束したから。私が幸せにしたかった人に」
  あの聖なる雪の夜に誓ったこと。
  今は亡き、幸せにしたかった大切な人。
  彼女から受け継いだ力を、正しいことに使う。
  だから
 「戦うよ。私は、私が信じる人達のために」
 「そうか」
  頷き、アンリエットは得物を構える。
  それに合わせて、はやても、仲間達も、それぞれに構える。
 「覚えているか? 勝利した者の特権を」
 「負けた方は、勝った方に、お互いの探し物を譲るんやろ?」
  この戦いの建前は、お互いの探し物を手に入れるため。
  しかしその実、ここにいる誰もが最早そんなものはどうでもよかった。
  騎士と剣士。
  悲しみ打ち砕く者と、悲しみ抱える者。
  仲間に信じられる者と、仲間を信じる者。
  お互いの信念をかけた真剣勝負。
  お互いの探し物など、ただの副産物にすぎないのだ。
  詰まる所、ここにいる全員が証明したいのだ。
  どちらの持つ信念が正しいのか。
 「『緋色の求道者』アンリエット・フレイル」
 「『最後の夜天の主』八神はやて」
  どちらともなく、静かに名乗り上げる。
  名乗り口上。
  両者がこの戦いで賭けるのは、己の信じるもの。
  信じるもののために戦う二人の決闘者。
  両者はゆっくりと歩み寄り……先に飛び出したのは、アンリエットの方。
  はやては近接戦闘が得意ではない。だからこそ、一瞬で勝負を決めるために一気に距離を詰める。
  しかし。
 「悪いな、アンリエット」
  そのアンリエットを見て、はやては微笑んだ。
 「この勝負、私の勝ちや」
  瞬間、
  アンリエットを直撃した、オレンジ色の閃光。
  音速を超える速度で飛来したそれをアンリエットは回避することができず、かろうじて障壁で受け止めた。が、その威力は絶大。一瞬にしてアンリエットの障壁が砕け散る。その一瞬でアンリエットは身体を逸らし、飛来した何かの軌道をずらす。あの一瞬でただ障壁を張って攻撃に耐えようとするのではなく、端から障壁が破壊されることを前提として、攻撃を逸らせるように障壁を配置したアンリエットの判断力にははやても舌を巻く。
  その直後にアンリエットを襲ったのは、鈍色の球体。まるで彗星の如き勢いで襲いかかるそれを、アンリエットは刃で受け止め……弾き飛ばす。鈍い金属音が夜天の夜空に響く。速度を伴った質量のある物体を弾き飛ばすのは並大抵のことではなく、ただでさえ不意を突かれたアンリエットには、咄嗟に次の行動に移れない。
  その隙を狙い、はやては、アンリエットに肉薄する。
 「な……」
  立て続けに起こった不意打ちと、予想外のはやての行動に僅かに動揺するアンリエット。表情こそ分かりやすいが、鍛え上げられた感覚は、見た目ほどの動揺を行動に反映させない。だが、その僅かな動揺が勝敗を分けることもある。
  また――アンリエットも、心のどこかで思いこんでいたのかもしれない。
  はやての近接戦闘能力なんて大したことはない。だから、近づかれたところで大した被害は起こりえない。その、無意識下にあったほんの僅かな油断が、更にコンマ一秒以下の隙を生み出す。
 「スペルキー『解き放て悪魔』」
  はやての言葉と共に、はやての手元に突如として莫大な魔力の流れが生じる。
  それはすでに詠唱が完了し、発動直前の大魔法に匹敵する大きさ。
  はやての足もとに展開したのは、古代ベルカ式の魔法陣。その色は白。あの聖なる夜に降り積もった、真っ白な雪の色。
  幸せにしたかった大切な人から受け継いだ、その人が一番得意だった呪文。
  今ではそれは、はやての一番得意な魔法だ。
 『デアボリック・エミッション!』
  はやての周囲の空間ごと飲み込む魔力の奔流。空間作用型の広域殲滅魔法。
   解き放て悪魔 デアボリック・エミッション
  バリア発生阻害能力のある球形の純粋魔力攻撃で、スフィアを中心に広範囲に渡って魔力攻撃を充満させる。本来ならばはやての資質『遠隔発生』で遠距離からも発動できる魔法なのだが、はやてはそれをあえて零距離で発動させた。防御の暇を与えないために。
  魔法が発動する直前、アニタがアンリエットを援護するために八体の木偶人形を召喚したが、それでは間に合わない。はやての魔法は、召喚された木偶人形を周囲の空間を薙ぎ払った。
  無論、アンリエットも。
  デアボリック・エミッションを発動させる直前にアンリエットを襲ったものの正体は、シグナムの放ったシュツルムファルケンと、ヴィータの放ったコメートフリーゲン。
  はやて達は初めからこれを狙っていた。
  複数の魔法の波状攻撃。
  分断され、それぞれの戦いに専念していたシグナムとヴィータが放ってくれた強烈な一撃。このコンビネーションは、同じようにそれぞれが分断された最初の戦闘時にはできなかったことであり、今の三人だからできた攻撃だ。
  そして、はやても。
  デアボリック・エミッションの発動には、本来長い詠唱を行う必要がある。それを一気に短縮したのが、はやてがグレアムの下で蒐集した魔法。
 『 遅延呪文 ディレイスペル
  一度詠唱が完了し、後は発動させるだけとなった魔法を魔導式に込めた魔力ごと封印し、特定のスペルキーを告げることで解放させる特殊魔法。この魔法は本来リーゼ姉妹が編み出したものだ。はやてが日本に戻る際に、二人は快くこの特殊魔法をはやてに蒐集させてくれた。
  その特殊魔法を、はやては活用した。
  アンリエットとのやり取りの直前から会話中も続けていた詠唱は、会話の途中で途切れていた。それは詠唱を中断したものではなく、詠唱が完了して封印していただけなのだ。自然に会話していたためアンリエットもそのことに気付けず、こうして策にはめることができた。魔力の循環も魔法陣の展開もなしに発動前の魔法に干渉する遅延呪文。その存在そのものが数ある魔法の中でも異質なものなのだから。
  この策が成功したのはそれに加えて、はやての信念がアンリエットを聞き入らせるまでに成長したことと、シグナムとヴィータが自分達の戦いを継続しながら、アンリエットの警戒の枠外から攻撃してくれたことが大きい。
  従者は、主のために。
  主は、従者のために。
  信じる仲間のために戦ったことの結果が、これ。
  周囲の空間を黒色の魔力で覆う空間殲滅攻撃。
  その悪魔のような猛威も収まり――はやてが確認したのは、意識を失い夜天の夜空に力なく浮かぶアンリエットの姿。
  あれだけの不意打ちの後に、極至近距離での大規模魔法。
  それに耐えきる存在など、この世界にあり得るのだろうか。
 「アンリエット!」
  夜天の夜空に力なく浮かぶアンリエットの元に、比較的離れた場所にいたアニタが近寄る。アニタも意識こそ失っていないが、身体を覆う服がボロボロになり、明らかに疲労していた。
  はやてはその二人を見つめながら、追撃をしようとはしない。
  もう、その必要がないからだ。
 「アンリエット、しっかり!」
 「…………ああ、アニタ」
  アニタに揺さぶられ、アンリエットは意識を取り戻す。
  そして、身体をアニタに抱きかかえられたまま、アンリエットははやてに語りかける。
 「……私達の負けの様だ」
 「……ああ、そうやな」
  お互いに静かに、言葉を交わす。
  それだけで、全てが決していた。
 「私達の、勝ちや」
  仲間を信じ、お互いのために助け合うからこそ、はやてはアンリエットに勝利した。
  その勝利を噛み締め……しかし、はやては勝利に驕らない。
  この勝利は、私一人で勝ち取ったものではない。
  私自身は、一人では何もできないか弱い小娘だ。
  そんな私がこうしていられるのは、大切な仲間達がいるから。
  みんながいるから、私は戦う。
  みんながいたから、私はここに在る。
  みんながいたから、私は、戦える。
  大好きな仲間達への想いを馳せ。
  この事件は、幕を下ろそうとしている。
 「お話……聞かせてもらうで。アンリエット」








          ※








 「シグナム…………」
  勝負を決した夜天の主の口から洩れたのは、大切な仲間の名前。
  その声にも、表情にも、先ほどまでのアンリエットを相手にした覇気のようなものを感じられない。
  その声に感じられるのは、ただ一人の、大切な家族を心配する年相応の少女のそれだ。
 「シャマル……シグナムは、治るのか?」
  治療を受けるシグナムの傍で、アギトが心配そうな声で尋ねる。
  はやてやアギトだけでなく、他の仲間達も同様に、治療を受けるシグナムのことを神妙な面持ちで見守っている。
 「傷は深いし、体力も気力も使いきってるけど……大丈夫。シグナムは強いから。『風の癒し手』の名にかけて、シグナムも、キョウヤさんも、私がきちんと治します」
  脇腹を半分ほどまで切り裂かれ、意識を失ったシグナムを包み込むのは、緑色の古代ベルカ式魔法陣の上に形成された、淡い緑色の光を放つ半球状のエネルギー体。『風の癒し手』シャマルの魔法のひとつ。この中にいれば、どんな致命的な傷を負った人間でも治療することができる。無論治療にも限度はあるし、死者を蘇らせることはできないが、シャマルの能力は高く、そして彼女の本領はこういった治癒魔法にある。流石に完治は難しいが、致命傷を負ったシグナムを生き長らえさせることはできる。
  そして魔法陣の上に横たえるシグナムの隣には、同じく致命傷を負ったキョウヤの姿があった。
 「すまないな、キョウヤまで治してもらって」
  そのキョウヤのことを――本人は表情に出さないようにしているのだろうが――心配そうに見つめていたアンリエットが、はやてとシャマルに礼を言った。
 「かまわんよ。もう勝負はついたんやし、私らにはあんたらを個人的に恨む理由もない。それに、管理局は倒した犯罪者を見殺しにするほど冷酷な組織やないからな」
 「困った時は、お互い様です」
  そのアンリエットに、はやてとシャマルはそれぞれに持論を語る。
  しかし、アンリエットにはまだ言いたいことがあるようだ。
 「それだけではない。私はキョウヤのこと以外にも、お前達に礼を言わなければならない」
  言い、アンリエットは仲間のうちの一人……ヴィータとそっくりの少女、リリに視線を向ける。
  視線を向けられたリリはと言うと、相変わらずの感情が伺えない無表情のままで、ボーっとこちらの様子を見つめている。ただし、今までと違うのは、リリがヴィータと手を繋いでいるということ。その小さな手を、ちょこんといった感じで、ヴィータに預けている。二人の顔はそっくりだが、瞳の色や髪の色の微妙な違いなど細部は異なるし、こうして並んでいるとリリよりもヴィータの方が若干背が高い。
  それに加えて、リリが今までと異なること。
  それは仲間のアンリエットやアニタ達だけでなく、はやて達にもなんとなく分かった。
  それまで一切の感情を見せず、他人に関心を抱いているようには見えなかったリリが、ヴィータに全幅の信頼を寄せていることが。
  だから、なのだろう。
  手を繋いだ二人が、本当の姉妹に見えるのは。
 「……お前達は、リリのことを救ってくれた。リリを苛んでいた魂の牢獄から、リリのことを救いだしてくれたんだ。……私達では、リリのことを救えなかった。それなのに、元々敵であったお前達が、リリのことを救うとはな」
 「私からもお礼を言わせて。ヴィータ、みんな。ありがとう。本当に、ありがとう」
  アンリエットだけでなく、アニタも一緒に、はやて達に礼を言う。
 「私達は、何もしとらん。全部、ヴィータがしたことや」
 「ああ……。ヴィータ、ありがとう」
 「初めてだよ。あんな風に穏やかなリリを見たのは。それも全部、ヴィータのおかげ」
  そして、リリのことを救ったヴィータに、アンリエットは微笑みながら、アニタは涙をためた満面の笑みで、ヴィータにお礼を言う。
  それから。
 「…………ヴィータ」
 「…………リリ」
 「…………今までにないくらい、心がすっきりしてる。こんな風に感じるのは、きっと生まれて初めて」
  相変わらず、淡々と言葉を話すリリ。
  しかし、その声からも、表情からも、それまでの徹底した感情のなさを感じることは、もうない。
 「…………ずっと私は、あの世界の中にいるんだと思ってた。あの黒い世界でずっと一人で生きていくんだと思ってた。だけど、ヴィータが私のことを、あの世界から救い出してくれた。…………ありがとう、ヴィータ」
  ほんの少しだけ、嬉しそうに微笑むリリ。
  僅かではあるが、リリが感情を取り戻してきている。
  今でこそ感情の表現が上手くできていないが、それは時間が解決してくれる。リリはただ、自分が憧れていた仲間達の感情を体験していけばいいのだ。
  そしてもちろん、ヴィータの感情も。
 「ま、まぁ……アタシは、『夜天の主』八神はやての騎士だからな。『鉄鎚の騎士』ヴィータに、壊せない悲しみなんて、この世のどこにもありはしねーんだ」
  リリに真正面からお礼を言われて、照れくさそうにそっぽを向くヴィータ。
  だけど、その表情は、とても誇らしげだ。
  嬉しいのだろう。
  リリを支配していた悲しみを打ち砕くことができて。
  ヴィータが破壊したのは、リリのことを支配していた能力の中枢。……ヴィータの強い想いと、リリの強く拒否する気持ち。強い二つの感情で、人の感情を読み取るリリの能力中枢をオーバーフローさせた。幸いだったのは、リリ自信がまだ幼く、そして未熟だったからこその能力の暴走だったので、そのキャパシティは思っていたよりも低かった。
  きっとこれから、リリの心の中に誰かの感情や意志が流れ込んでくることはなくなるだろう。無論、強制催眠能力自体はまだ残っているし、その能力に付随する形で、誰かの心を読むこともできる。
  だが、誰かの感情がリリのことを苛むことはない。
  自分の意志の力で、自分の能力をコントロールできるようになったのだ。
  だから、ここにいる誰もが確信していた。
  もう大丈夫だ。
  これからはリリが、悪夢に苛まれることはない。
  微笑むリリを見て、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑んだアンリエット。
  彼女に笑いかけながら、はやては自分が言ったことを思い返す。
  管理局は、冷酷な組織ではない。
  それは本当なのだろうか。
  ヴィータやシグナム、みんなの話を聞いて、自分が体験したことを鑑みて、はやては考える。
  自分達のことを襲撃してきた管理局の魔導師。彼らは一部を除いて、皆一様に操られていた。
  特筆すべきは、そのほんの一人の例外と、彼らを操った人物のこと。
  デイル・ピットマン。
  操られていないのに、狂っていた存在。
  彼は間違いなく管理局武装隊の一員で、役職は分隊長。それなりの地位を得た男だったのだ。
  とは言え、最高評議会が腐っていた組織だし、管理局を構成する人員は、万年人員不足と叫ばれているとは言えかなりの人数になる。それだけの人数がいれば、多少は操られてもいないのに狂っている人間がいてもおかしくない。
  問題なのは、彼のような人物を手駒とし、尚且つ今回操られた魔導師達総勢八〇人近くをまとめて操った人物がいるということ。それだけの人数に自然に誰にも怪しまれることなく術をかけられるとなれば、その人物は必然的に、管理局でもそれなり以上の高い地位にいるということになる。
  つまり、今回の事件の黒幕はかなり管理局の上層部に食い込んでいるということ。
  それだけ影響力のある立場にいるということは、それだけ有用な手駒を増やしやすい、ということである。
 「…………」
  嫌な予感がする。
  はやて達が持っているロストロギアはたったの三個。全部でいくつあるのかは分からないが、形状から察するにこのロストロギアの総数はおそらく三〇個程度だろう。その内のたったの三つのために、八〇人。それは、それだけの価値がこのロストロギアにあるということであり、そしてそれだけの人数を割く余裕があるということ。
  黒幕の懐の深さが見えない。
  一体どれだけ管理局に食い込んでいて、どれだけの規模を持っているのか。その真の狙いは何なのか。現段階では、まだ予測がつかない。
  だからこそ、恐ろしい。
  その真の目的に気付いた頃には、もう手遅れになっている気がして――
 「……む……ぅ…………」
 「シグナム?」
  それまで完全に意識を失っていたシグナムが小さな呻き声をあげた。その声に全員が注目し、その視線が集まる中で……シグナムは目を覚ました。
 「…………主はやて…………」
 「大丈夫か、シグナム?」
  目が覚め、しかし意識が覚醒しきらないシグナムに、はやては優しく声をかける。
  その声に反応し、シグナムは弱々しい声を上げた。
 「申し訳ございません、主はやて……。私はまた、負けてしまいました……」
 「シグナム…………」
 「それは違うぞ、シグナム」
  そのシグナムの言葉を否定したのは、アンリエットだった。
 「……アンリエット?」
 「お前はキョウヤを倒した。キョウヤの身体を袈裟切りにし、魂である黒刀を破壊した。そこまでして、どうしてお前が負けであろうか。……自身を持て、シグナム。お前は間違いなく勝利した。主のことを護り、自らの命と誇りをかけて信念を貫き通した。お前はまごうことなき、誇り高い一人の騎士だ」
 「…………」
  高いな、はやてはそう思った。
  自分達はほんの数分前まで敵同士であり、シグナムは自分達の仲間であるキョウヤを打倒した相手だ。倒されたキョウヤは未だ目覚めることなく、シグナムの隣で治療を受けている。そのシグナムのことを恨むどころか一人の誇り高き騎士だと認め、称える。それは、普通の人間においそれとできることではない。
  その高潔で貴い魂は尊敬に値する。
  心の底から、はやてはそう思い、
 「私から見れば、あんたも十分立派な騎士やけどな」
  はやてもまた、アンリエットを称えていた。
  シグナムを称えたアンリエットに対抗したわけでなく、その言葉は自然とカタチになっていた。
 「……ふん。褒め言葉として受け取っておこう」
 「素直やないな」
  アンリエットはその言葉を素直に受け止め、それでも皮肉気な彼女に、はやては苦笑する。
  そして、思う。
  彼女は潔い。
  だからきっと、この事件の解決に協力してくれるだろう。
 「アンリエット」
  それまでの穏やかな表情ではなく、真剣な表情でアンリエットに話しかける。
  その表情を読み取り、アンリエットの表情も引き締まる。
 「……私達の理由、か?」
 「そうや。それと、あのロストロギアの――」
  不意に、会話が途切れる。
  仲間達が周囲を警戒する。勿論自分達も。
  来るとは思っていた。
  絶対に何かが起こるとは思っていた。
  実現してほしくなかったが、やはり、それは起こってしまった。
 「……もう一頑張り、か」
  溜息混じりにはやてが呟く。
  八神はやてが担当したこの事件。
  解決するためには、あともう少し頑張りが必要なようだ。