周囲を取り囲む気配。
  夜天の夜空に吹く風に、気温とはまた別の冷たさを感じる。
  自分達以外にはそこに音を発するものはなく、だからこそ、その異様な気配を強く感じてしまう。
  何よりも異質なのは、自分達を取り囲む空気。
  殺気に近いとは思うのだが、それとは少し違う気がする。
  言うなればそれは、大量生産された殺気。まるで工場の製造ラインで造られたかのように、周りの気配は多く、同じものだった。
 「…………囲まれた、か」
  はやての呟きと同時に、雲の中から殺気の主達が現れる。
  全員が同一の黒いフードで全身を覆い、傍目からはすべてが同じ人物に見える。勿論彼らはそれぞれが別々の人間ではあるのだが、見た目だけではなく、彼らが放つ気配までもがほとんど同じものなので、実は同じ人物が沢山いるのではないか、という有り得ない錯覚を感じてしまう。彼らを見分ける唯一の手段は、彼らがフードから突き出した腕に握られているデバイスのみ。それもほとんどが管理局の官給品であるため、ミッド式の魔導師、近代ベルカ式の騎士、といった分類はできても、個人個人を見分けることはできなかった。
  尤も、はやて達には、彼らを見分ける気など毛頭ないのだが。
  それでも、はやて達には分かることがあった。
 「……ざっと、八〇人ってとこかな」
 「はやてちゃん。あの人達って、もしかして……」
 「ああ、そうやろうな」
  リインの声にはやては頷く。
 「ここにいるのは全員が、私達を襲った管理局の局員、やろうな」
  これははやての憶測だが……仲間達の表情を見る限り、彼女達も同じことを感じているようなので、おそらく正しいのだろう。
  はやて達は以前に、操られた管理局の局員の集団に襲われた。強い催眠下にあった彼らを倒し、拘束した後で、彼らは管理局に送り返したハズなのだが。数で判断するに、はやて達が管理局に護送したそのほとんどが、今、はやて達の眼前にいるようだ。
 「どういう、ことなんでしょうか……」
 「気味が悪いな……」
  シャマルは疑問を、アギトは不信感を顕わにしながら、それぞれの感想を呟く。
  どうして、管理局に送り返したハズの彼らが、今また自分達の前にいるのか。いくら操られていたからと言っても、彼らがしたことは立派な犯罪だ。罪に問われることはないだろうが、それでも取り調べをしたり、あるいは催眠の影響を取り除くために、しばらくは管理局の保護下に置かれるのが普通だ。
  それなのに、彼らは今ここにいる。
  その事実が示していることは。
 「逃げだしたんか、それとも、解放されたんか……」
  結果は同じでも、両者の意味合いは大きくことなる。
  強い催眠下にあったのならば、管理局の保護下から逃げ出す、ということも有り得るだろう。実際問題としてかなり難しいことではあるが、人数が80人近くに上るのだ。それだけの人数の、一般局員とはいえ武装隊所属の魔導師達や騎士達に抵抗されたら、もしかしたら逃げ出すこともできるかもしれない。
  だが、解放された、となると、話はまた変わってくる。
  同じように催眠下にある局員が何らかの手段を使って、彼らの拘束を解除すれば、まとめて逃げ出すことも可能だろう。それが地位を持つ人間であればあるほど、そういった行為は容易になる。
  あるいは、黒幕が直接解放したのか。
  そうだとすると、ただでさえ笑えない話が本当に笑えないものになってしまう。
  八〇人という人数の局員を怪しまれることなく催眠下におくことができる人物は、自然と限られてくる。催眠下に置くための条件までは分からないが、どのような方法であっても、八〇人という人数に怪しまれることなく接触する必要があり、それができる人物というのは、どうしても管理局内で高い地位を持った人間に限られてしまう。
  その黒幕が、自分の命令ひとつで彼らを解放できるほどの地位にいるとすれば。
  最悪、この事件そのものが捻じ曲げられてしまう可能性がある。癌細胞というものは、厄介なものほど発見しにくく、そして症状が現れた頃にはすでに手遅れになっていることが多いのだ。
  管理局にも、もしかしたら癌細胞が強く根付いているのかもしれない。それも特大の、次元世界を揺るがしかねないほどのものが。
 「…………」
  だが、今はそんなことを真面目に考えている場合ではない。
  八〇人もの催眠下にある管理局武装隊所属の魔導師達が、自分達に牙をむいている。それが現実。
  まずは目の前の脅威に立ち向かわないと、落ち着いて物事を考えることもできない。
  しかし。
 「さすがに、八〇人は骨が折れるな……」
  グラーフアイゼンを構えたまま、ヴィータが苦笑した。
  ヴィータの言うとおり、八〇人という人数に対しこちらには七人しかいない。それでも、はやて達が七人チーム戦で後れを取ることなどそうそうないので、普段ならばこれだけの人数差であっても笑い飛ばすことができる。
  七人が、万全の状態であれば。
  先ほどまでのアンリエット達との戦闘で、はやて達はすでに一戦を終えている。その結果として、個々人に差があるとはいえ全員が魔力を消費し、そしてシグナムが重傷を負っている。放っておけば命に関わるため、しばらくはシャマルの治癒魔法を受けなければならない。
  つまり、はやて達を包囲する操られた魔導師達との戦闘では、シグナムとシャマルは戦線を離脱しなければならないということだ。
 「確かに、少し辛いかもしれんな……」
  七人チーム戦であれば、例え管理局の武装隊の一〇〇人規模の中隊相手でも勝利する自身と自負がはやて達にはある。だが、その七人のうち二人が戦線を離脱するとなると、どうしても苦戦を強いられてしまう。
 「さて、どうしたもんか…………」
  五人で八〇人を迎え撃つため、はやては頭の中で策を巡らせる。相手の狙いは、ほぼ間違いなくはやて達が所有し、回収したロストロギア。そのロストロギアには、この事件の黒幕がこれほどの人数を差し向けるほどの価値がある。絶対に、彼らに渡すわけにはいかない。
  故に、はやては考える。
  彼ら全員を倒す必要はない。ただ、自分達と所有するロストロギアを守り、彼らから逃げ遂せる手段を。
 「八神はやて」
 「なんや、アンリエット」
 「お前は確か、七人チーム戦なら絶対に負けない自信がある、と言ったな?」
 「……ああ。それが、どないしたんや?」
 「そして、お前達は騎士シグナムとシャマルを、私達はキョウヤとリリを守りながら戦わなければならない」
 「…………?」
  意図が見えないアンリエットの言葉に、はやてが首を傾げる。
  はやて達と共に、操られた魔導師達に包囲されたアンリエット達のグループ。彼女達も仲間が……キョウヤが負傷し、未だ意識が戻らないため、万全の態勢ではない。それに加えて、リリの能力がすでに催眠下にある彼らに通用するのかどうかも分からない。強制催眠能力以外に戦闘能力を持たないリリの弱点がそういう形で露呈するとは、はやても思っていなかった。強制催眠能力が使えないと、リリはただの空を飛べるだけの幼い女の子なのだ。
  はやて達は、治療を受けるシグナムと治癒魔法に集中するシャマルを守りながら戦う必要があり。
  アンリエット達もまた、治療を受けるキョウヤと戦闘能力をほとんど持たないリリを守りながら戦わなければならない。
  そんな状態で、無駄口を叩いている余裕などないハズなのだが。
 「……何が言いたいんや?」
 「……私とアニタが、お前の指揮下に入ろう。そうすれば、人数は七人だ」
 「……なんやて?」
  アンリエットの意外な言葉に、はやては自分の耳を疑った。
  アンリエットとアニタが自分の指揮下に入る、だと?
  確かにそうすれば戦う人物がはやて、リイン、ヴィータ、ザフィーラ、アギト、アンリエット、アニタとなり、七人チーム戦が可能になる。アンリエットとアニタの能力はお墨付きであり、補充戦力としても申し分ない。
  だが、まさかアンリエットが自分の指揮下に入るというのは予想していなかった。
  アンリエットは誇り高く、プライドも高い。リーダーとしての自負の強い彼女が、誰かの指揮下に入って戦う姿を、はやては想像できなかったのだ。
 「そんな鳩が豆鉄砲食らった顔をするな。敗者が勝者に従うのは戦いの常だ。それに、私とて、自分のプライドだけを考えて仲間達を不利な状況に追い込むことを良しとしない。私はただ、リーダーとして、今はお前の指揮下に入るのが最善だと判断した。……それだけだ」
 「…………」
  アンリエットの言葉に、はやてはただ舌を巻くしかない。
  本当に、アンリエットは誇り高い。だからこそ、自分のプライドを殺してでも自分の指揮下に入ることを選んだのだ。全ては、仲間達を護るために。
  つい先ほどまで敵だった人間の指揮下に入る。
  下らない見栄や維持に囚われず、最善の決断を下すことができる。
  これほどまでに柔軟で、志高い人物が、今の管理局に一体どれだけいるのだろうか。
 「……分かった。アンリエット、貴女の協力に感謝します」
 「それでいい。今だけとはいえ、お前は……いや、貴女は私達のリーダーなのだ。無様な真似は許さんからな。覚悟しておけ」
 「……なら、私も気を抜くことはできんな、アン」
 「……その名で私を呼ぶな」
 「いいやないか。アン、可愛いやんか」
 「そういう馴れ合いは苦手なんだ。それに、特別必要とも思えない」
 「……素直になればええのに」
 「放っておけ」
  お互いに皮肉とも取れる軽口を叩きあい、少し意地悪に微笑みあう。戦いの前に軽口をたたくというのは案外重要な行為だ。これからの戦いを気負いすぎないように、余裕を持って接する。そういう態度の表れのようなそれは、自分達には余裕がある、と言い聞かせる儀式のようなもの。
  それから、目の前にいる魔導師達の方を向く。
  彼らの方も、すでに準備は整っている。
  後はどちらかの陣営が、戦闘開始の笛を鳴らすだけ。
 「……アンリエット。どうして私は、戦わないことになっているの?」
  すでに得物を構えたアンリエットに、リリが抗議の声を上げる。相変わらず淡々とした、声の起伏の少ないリリだが、それでも初対面の時よりは言葉に感情が籠っていた。だからこそ、アンリエットが自分のことを戦いから外したことに不満を持っている、ということも感じ取ることができた。
 「……私だって戦える。後ろで守られるだけなんて、そんなの、……嫌だよ」
  それは、自分の感情を取り戻したリリだからこその言葉であり。
 『お前は戦うな』
  その言葉を否定する声が三つ、同時に聞こえた。
 「お前の強制催眠能力が、同じく催眠下にある奴らに効果があるかどうか分からん。そんな不確定な戦闘手段しか持たないお前を、無暗に戦線にだすことができるものか」
  アンリエットは、リーダーとして冷静な判断として、リリの戦線離脱を命令する。だが、その声からも、それが建前であることが容易に想像できた。
 「お前はようやく、闇の世界から抜け出すことができたんだ。だから、そんなお前のことをまた戦いの世界に、なんて、そんなことできるかよ」
  ヴィータがリリに告げるのは、ストレートにリリのことを心配する言葉。ようやく悲しみの世界から抜け出し、自分の感情を取り戻すことができたリリ。そんな彼女のことを、彼女の悲しみを打ち砕いた者として、これ以上血生臭い戦いの世界に関わらせたくなかった。
 「ヴィータの言うとおりだよ、リリ。やっと悲しみの世界から解放されたんだから、もう戦う必要はない。それに、知ってるでしょ? リリの大好きなヴィータだって、アンリエットだって、すごく強いんだから。私達にかかればあんな奴ら、すぐに倒しちゃうよ。……だから、リリ。あなたは、戦わないで」
  そして、アニタがリリに伝えるのは、リリにこれ以上辛い思いをさせたくないという想い。アニタはずっとリリのことを心配していた。勿論、他の仲間達も。だから、リリがやっと解放されたことが嬉しくて、そして、もう彼女は戦いの世界にいるべきではないと思っていた。一人の小さな女の子として、余計な悲しみとは無縁の普通の世界で過ごして欲しいと、心の底から願っていた。
  その想いは、ヴィータ達も同じ。
 「……………………分かった」
  不満気だったが、リリは仲間達の言葉に納得してくれた。おそらく、リリにも理解できたのだろう。仲間達が、リリに戦いに参加してほしくない、その真意を。
 「リリちゃん、こっちに」
  後ろに下がったリリを、シャマルが手まねきする。
  シグナムとキョウヤを治療しているシャマルは戦闘に参加できないので、自分とザフィーラの作った複合防壁の中で治療を続ける心づもりだ。単独でも堅牢な防御力を誇る二人の複合防壁の強度は折り紙つきだ。この中にいれば、よほどのことがない限り安全だろう。
  リリがその防御結界の中に入ったことを確認し、残りの七人はようやく臨戦態勢に入る。
  戦えない仲間達は絶対に安全な防壁の中にいる。足りないメンバーは、アンリエットとリリという、ほんの少し前まで敵ではあったが、高い誇りを持った強力な能力を持つ二人が補ってくれる。
  はやての憂いはすべてなくなった。
  だから後は、全力で戦うだけだ。
 「……準備はええか、みんな?」
 「いつでもいいぜ」
 「大丈夫です」
 「問題ありません」
 「いつでもきやがれってんだ」
 「誰に聞いているんだ?」
 「おっけーだよ」
  はやての問いかけに返ってくる声は、聞きなれたものとは違っていて。
  だけど、その声が頼もしいことに変わりはない。
 「なら、始めようか」
  言い、はやては改めて、眼前の敵に向き合う。
 「……いくで、みんな」
 『了解!』
  夜天の夜空に、六人の声がこだました。 








  先に動いたのは、アンリエットとヴィータだった。
 『対艦剣戟・朧』
  短い詠唱の後、アンリエットの持っていたレイピアが巨大化する……いや、違う。レイピアに魔力を付加して包み込み、それを固定化したのだ。今のレイピアは細身の長剣ではない。刃渡り五メートル近い肉厚の大剣。対艦剣戟と言うだけあって、本当に戦艦にもダメージを与えられそうな威圧感を感じる。刀身を包み込むのは緋色の魔力刃。その巨大な剣を、アンリエットは片手で軽々と扱う。
 『Zerstorungsform』
  一方でヴィータが起動させたのは、アイゼンのフォルムフィーア。巨大な鎚に巨大なドリル。アンリエットの持つ対艦剣戟状態のレイピアに引けを取らないほどの大きさ。その巨大さを一言で表すのならば、圧巻。ドリルの反対側にあるブースターを開きっぱなしにして、力のままにアイゼンを振り抜く。
 『おおおおおおお!!』
  そして、二人同時に自分達を包囲する魔導師の集団に突っ込む。アンリエットは右薙ぎに、ヴィータは左薙ぎに、お互いの得物で眼前の魔導師達を薙ぎ払う。リーチが大きい二人の攻撃に巻き込まれ、その戦艦ですらも一蹴してしまいそうな攻撃に、一気に十数人の魔導師が戦闘不能に陥る。
  だが、相手の規模は約八〇人。それだけの人数相手に十数人を削っても、まだ戦いは終わらない。
  ヴィータとアンリエットの切り込みの直後、はやて達のことを包囲していた魔導師達が散り散りに分かれる。先程のように一か所にある程度固まっていれば大攻撃で一気に殲滅できるので楽なのだが、こうもバラバラに動かれると各個撃破する必要があるので、どうしても時間がかかってしまう。
 「フン。多少は知恵があるようだな」
 「そりゃ、操られてるとはいえ、あいつらは管理局武装隊の魔導師だからな」
  操られている魔導師達のことを皮肉るアンリエットと、一応仲間なので擁護するヴィータ。軽口を叩きあう二人だが、今は自然と背中合わせに構えていた。
  一方で、散り散りに分かれた魔導師達の幾人かが、はやて達後方組に迫っていた。
 「いいのか、ヴィータ。助けに戻らなくて」
 「……問題ねー」
  アンリエットと背中を合わせ、周囲を警戒しながら、ヴィータはどこか誇らしげに呟く。
 「あっちには、ザフィーラがいる」
  ヴィータとアンリエットを除く他の仲間達は、最初にいた場所から動いていない。当然だ。ここには、治療を受けるシグナムとキョウヤ、そして治癒魔法を行使し続けるシャマルがいるのだ。今は戦えない彼女達を一番真ん中に配置するのは当たり前であり、そして、今は動けない彼女達が狙われるのも、また道理である。
  周囲を取り囲むように、はやて達に迫る魔導師達。騎士が多いのか、管理局官給品のデバイスを構えている者が多い。そして、彼らのような近接戦闘に対抗できるような近接戦闘能力を、ここにいる仲間達は有していない。
  真っ向から対抗するための、戦闘手段は。
  迫る魔導師達。
  両者の距離が、残り十数メートルまで近づいた時。
 『真・鋼の軛』
  ザフィーラが宣言したのは、魔法のコマンド。瞬間、はやて達を中心にして、直径十数メートル規模の巨大な古代ベルカ式魔法陣が展開する。その色は、主と同じ白色。魔法陣の突然の出現に反応した魔導師達が警戒して動きを止めるが、もう遅い。次の瞬間には、はやて達に迫った魔導師数名は、足もとに展開された大型古代ベルカ式魔法陣から伸びた軛に、その身体を縫い付けられていた。
  ザフィーラの設置型範囲魔法『真・鋼の軛』。
  ザフィーラの保有する捕縛魔法『鋼の軛』を設置型トラップに改修した魔法で、効果範囲内に対象が足を踏み入れた瞬間に魔法陣が展開、無数に発生する軛が、魔法陣上にその身体を縫い付ける。効果範囲こそ十数メートル程度とあまり広くないが、この中に足を踏み入れたが最後、その身体を軛で魔法陣に縫い付けるまで、軛の猛襲は止むことを知らない。魔法陣の上に存在する限り、その猛攻を回避し、中央で護られる主の元に辿り着くことは、事実上不可能。
 「『盾の守護獣』ザフィーラ」
  魔法陣を展開させたまま、静かな声で宣言するザフィーラ。
 「我らが主には、指一本触れさせん」
  その声から溢れるのは、自負と決意。
  静かな低い声の内に、熱い何かを感じさせられる。
  だが、『真・鋼の軛』には、決定的な弱点がある。
  それは、設置型のトラップということと、その魔法の特性上、魔法陣の上……平面のみが効果対象なので、今はやて達がいる空中等では、真上や真下からの接近に対応することはできない。魔法陣から伸びる軛はあくまでも魔法陣から伸びるので、魔法陣から離れれば離れるほど、接触に時間がかかってしまうからだ。
  それなのにザフィーラは、それ以上の積極的な防御行為を取ろうとはしていない。
  何故ならば。
 「そは硫黄と黒鉛の嵐」
 「捕縛せよ、凍てつく牢獄」
  聞こえたのは、静かな詠唱。
  たったそれだけの言葉で、主の安全が確保されている。
  だから、ザフィーラは安心して、設置型魔法の発動にだけ集中できるのだ。
 『 燃える気体 ブレネン・カズ !』
 『 凍結の棺 フリーレン・ザルク !』
  はやて達の頭上を焼き尽くすのは、アギトの放った『 燃える気体 ブレネン・カズ 』。通常の炎熱系魔法のように熱や火炎で対象を攻撃するのではなく、範囲空間内の酸素を不完全燃焼させ、有毒の一酸化炭素と一酸化硫黄を発生させることで相手を昏倒させる魔法だ。
  そして、はやて達の下方を氷結させているのは、『 凍結の棺 フリーレン・ザルク 』。リインの保有魔法『 凍てつく足枷 フリーレン・フェッセルン 』の強化改訂版。本来は設置型である『凍てつく足枷』に、指向性を持たせて強化した範囲型捕縛魔法。魔力を付加した氷の内部に対象を閉じ込めるので、脱出は難しい。
  両者の魔法とも攻撃型にすれば対象を殺すことも可能だが、このふたつの魔法はあくまでも捕縛魔法である。有毒ガスの濃度は相手の意識を昏倒させる程度に、氷の棺の強度は相手の動きを完全に封じる程度に抑えてある。
  三重にかけられた捕縛魔法。
  相手の数が多いのならば、範囲魔法でまとめて倒してしまえばいい。
  しかし、はやて達のことを護っているのは、敵をこちらに近づけさせないための魔法であり、迂闊に接近した相手を捕縛し戦線から離脱させるための魔法。相手の攻撃を防ぐための防御魔法ではない。この守りでは、相手の魔導師が一人でも詠唱魔法を唱えれば、たちどころに突破されてしまうかもしれない。
  詠唱魔法を唱えることができれば、の話だが。
 「ツェアシュテールングスハンマー!」
 「剛剣乱舞戟!」
 「行って、木偶人形達!」
  詠唱を開始する魔導師達をアニタの木偶人形達が妨害し、詠唱を中断させる。それから、ヴィータとアンリエットの強烈な一撃が、彼らを一瞬で薙ぎ払う。数がいる相手に対し、撃墜担当のヴィータとアンリエットだけではどうしても対応が間に合わない。そこに、アニタが無限に召喚できる木偶人形で詠唱を妨害し、ヴィータとアンリエットが攻撃するための時間を稼いでいるのだ。
  操られている、信念を見失っている魔導師ごときが、はやてのように、守ってくれる仲間達のことを完全に信頼できるわけがない。アニタの妨害にあって、魔導師達は面白いように詠唱を中断し、防御行動を取る。
  こうすれば、相手にむざむざと詠唱を完了させることもない。
  攻撃は最大の防御なり。
  いつもとは違うメンバーだからこその、いつもとは少し違う戦法。
  その、いつもと違う攻撃方法が、何故だか思っていた以上にしっくりくる。
  まるで、長年共に闘ってきたパートナーのようで。
  それでもやはり、いつもの仲間達が良いな、と思えるのは、これもまた道理。
  いくら相性が良くても、仲間達が大切な人達であることに変わりはないのだから。
  そして。
 「……詠唱完了。みんな、私の元に戻って!」
  仲間達が最も待ち望んでいた、最後の詠唱が完了する。
 「おう!」
  その声に応え、離れて戦っていたヴィータとアンリエットが、何の躊躇いもなく戦線を離脱する。残っている魔導師達は当初の半数、四〇人程度。その中には比較的高位の魔導師……管理局武装隊の分隊長クラスも混じっており、それなりに苦戦していたのだが、二人は彼らとの戦闘を一瞬で放棄した。
  理由は簡単だ。
  これから放たれるのは、一撃必殺の大魔法。どんなに不利な状況でも一撃でひっくり返すことができるだけの大魔法。そのたったのひとつの魔法で、戦況を左右するだけの大規模魔法。
  その攻撃の前に、私達の戦闘はこれ以上の意味をなさない。
  その一撃の、信頼する主の礎となるために、私達は戦っていたのだから。
  はやての詠唱を中断させようと、近接系の魔導師達が接近してくる。あるいは、詠唱系の魔導師達が一斉に詠唱を開始する。だが、そのすべてが間に合わない。意味を成さない。仮に間に合ったところで、その攻撃のすべてが、『夜天の主』の元に届くことは、永遠にありえない。
 『 解き放て悪魔 デアボリック・エミッション 最大出力 オプティマル・エートラクズフェイグカイト !』
  瞬間、夜天の夜空を支配するのは、黒色の魔力流。バリア発生阻害能力のある球形の純粋魔力攻撃による空間作用型の広域殲滅魔法。それの、最大出力。時間をかけて練り上げたSSクラス魔導騎士八神はやてが放ち得る最大出力。敵でも味方でも関係ない。効果範囲内にいるものをすべて薙ぎ払い、滅ぼし尽くす。全方位から襲いくる魔力の奔流に対抗するための攻撃魔法は存在せず、身を守るための結界魔法も阻害され、蹂躙される。
  その様は正に、すべてを喰らい尽くす悪魔の如し。
  そうして、解き放たれた悪魔がすべてを殲滅し。
  惨劇の後。
  悪魔がいた後に立っていられる者は、この世のどこにも存在しなかった。
 「…………」
 「…………終わった、か」
 「そのようだな」
  すべての魔導師達の意識が完全に途切れたことを確認した上で、はやて達は全身から力を抜き、張りつめていた神経を和らげた。
  これで、自分達に襲いかかる脅威はすべて排除した。
  もう、悩むことも憂うこともない。
  この事件は解決したのだ。
  そう。海鳴の街で始まった、この事件だけは。
 「…………そういえば、私達はまだ、お前に渡していなかったな。勝者の証を」
 「……ああ、そういえばそうやったな」
  アンリエットはそう言うと、懐からふたつの何かを取り出した。
  それは、青い水晶のような結晶の欠片。おそらく元は直径二〇センチ程度の青い球体結晶だったのだろうが、アンリエットの手にあるそれは、その球体が砕けたものだった。
 「……これが、そうなんか」
  はやてはアンリエットからその欠片を受け取りながら、静かに一人ごちた。
 「無限エネルギー生成結晶……通称『ブルースフィア』」 








































  物語は続いていく。
  この騎士達の物語は、あくまでも後に起こる事件の、ほんのきっかけに過ぎない。
  ロストロギア・ブルースフィア。
  その青い結晶の恐ろしさを本当の意味で知るものは、この次元世界には、まだいない。
















































































皆様、いつもEXbreakerのご愛読ありがとうございます。

EXBreaker管理人、天海澄です。




ようやく、魔法少女リリカルなのはsymphony phaseUが完結しました。
phaseTが完結したのが1月頭ですから、ここまでに約4か月の計算になります。
相変わらずの遅筆です。すいません。




さて、今回の物語ですが、Tがヴィヴィオの成長物語だったのに対し、Uは八神家を題材にした騎士の信念のお話です。
敗北を通してもう一度自分達の在り方を見つめ直し、自分の信念を貫き通す。
そういう物語だったのですが、いかがでしたか?

13話構成でプロットを考えたのですが、無理に全13話にしたので次回から考えないようにします。

……正味な話、まだ物語を詳しく解説する段階ではありませんし、細かいところはにっきの方ですでにやっているので、とりたててここに書くことがありません。


ただ、ひとつだけ言えることは、TもUも、これからのphaseもひとつひとつが別々の独立した物語であり、すべてが最後の物語へ繋がるための序章にすぎません。
各phaseに伏線を混ぜたりしています。ここから、ぜひ物語の真相を予測して欲しいものです。


ところで、この長編を読んで『ここのSSの管理局も腐ってるな〜』と感じたそこのあなた。
Tを呼んだ時、『聖王教会は腐ってるな〜』と、感じましたか?
管理局が腐っている、そう感じた時点で、あなたはミスリードされています。
この物語の本当の黒幕に“呑まれて”います。
実質的には、管理局で起こったこともTで聖王教会に起こったことも、変わりはないのですから。

伏線と同時に、ミスリード用の素材もいくつか組み込んでいます。
この中から、ぜひ本物の複線を探して、物語を読んでいただければ作者は嬉しいです。




最後に。

天海澄は、皆様からの率直な意見や感想を随時募集しています。
短編でも長編でも、SSの感想や展開の予測等、私の大好物です。
誤字報告や展開的矛盾の指摘、お叱りの言葉、必要です。飴と鞭両方必要です。
あーでも、狙ってやった展開的矛盾は許してください。演出ですので。

それと、にっきの方も、余裕があれば立ち寄ってください。
毎回作者がヴィヴィオに貶されながらWebラジオ風に拍手レスをしています。
物語の解説やちょっとした裏設定、あとイベント告知なんかもしています。
ぶっちゃけ訪問者数が少ないので、作者は少しさみしいのです。




天海澄の書いたSSを読んで、皆様が少しでも楽しんでいただけたのならば、SS書きの端くれとして、これほど嬉しいことはありません。


それでは、これからも、EXBreakerと天海澄を、よろしくお願いします。




2009/05/12

天海澄