時空管理局・次元航行部隊。
  それは、無数に存在する次元世界を統括し、主に治安維持活動や災害支援活動等を行う、時空管理局の主要部署のひとつ。その活動範囲、活動内容は多岐に渡り、数ある次元世界のパトロール任務から、各次元世界で発生した超古代技術の異物、通称ロストロギア関連の事件を解決するのも次元航行部隊の役割である。次元世界全体を管理するという活動の特性上、対応する事件が次元世界を股にかけた大規模事件となることも多い。
  そのような大規模事件を早期発見し、未然に防ぐための次元航行艦による次元世界のパトロール任務であるが……。次元世界はあまりにも広く、大きい。どれだけの艦艇があろうと、どれだけ早期発見ができようと、管理局の次元航行部隊はどうしても人手が足りず、慢性的な人手不足に陥っているため、対応が後手にまわってしまうことも多々ある。
  そんな、次元航行部隊の内の一部隊。
  クロノ・ハラオウン提督を艦長とし、次元世界のパトロールを行うXV級次元航行艦『クラウディア』を母艦とする、クラウディアクルー。
  その中に席を置くひとりの女性。
  彼女の名前は、フェイト・T・ハラオウン。
  時空管理局の凄腕執務官として評判も高く、人当たりも良いので、上司からは信頼され、部下達からは憧れと羨望の視線を向けられる、いわゆるキャリアウーマンというやつである。欠点と言えば、少々心配症が過ぎるところと、小さな子供や自分の子供達にはいささか過保護になりすぎるきらいがあるということか。
  この物語は、そんな彼女の物語。
  ひとつの惑星の衰勢を巡り――いくつかの次元世界を巻き込み、後に『ML事件』と呼ばれるようになった出来事の、きっかけのひとつ。
  彼女は後に、この大陸で起こった事件のことをこう呼ぶことになる。
 『ヴェルト大陸事件』と。
















  彼女――フェイトは悩んでいた。
  フェイト専用に充てられた執務官室の職務机に座ったまま紅の混じる瞳を曇らせ、端正に整った顔を歪め、今にも頭を抱えて机に突っ伏してしまいそうな雰囲気を漂わせていた。フェイトは普段は聡明で穏やかな性格をしているのだが、悪い癖として、必要以上に考え過ぎて心配事や悩みを一人で抱え込んでしまう節があるため、たまにその感情が制御しきれず表情に漏れ出てしまうことがあるのだ。大抵の場合、そういった状況に陥った時点で一人で解決することは不可能になっているのだが、どこか頑固で負けず嫌いの気があるので、最初から誰かに相談することはない。
  しかし、フェイトがそこまで悩むことは仕事関連でなく、主にプライベートの、特に自分の子供達に関係することなので、管理局執務官としての立場からして見れば深刻な事態に陥ることはないのだが。ある意味、それも彼女の生真面目さと優しさの証明と言えよう。
 「フェイトさん、どうしたんですか?」
  頭を抱えるフェイトの背後から、よく聞きなれた声がかけられた。
  フェイトが振り向くと、そこには茶色の髪を長く伸ばした女性――フェイトの執務官補佐、シャリオ・フィニーノが、分厚い書類を胸に抱えて、少し心配そうな表情を浮かべていた。彼女との付き合いも長く、フェイトはシャーリーと呼んでいる。シャーリーの方もフェイトを執務官補佐としてだけでなく姉として慕っている節があるので、二人の関係は良好そのものだ。
  だから、割と突っ込んだ話や相談事もできたりする。
 「ああ、シャーリー。ごめんね、心配かけて」
 「いえ、とんでもない。それより、なにか心配ごとですか? 私でよければ、相談にのりますよ?」
  元よりシャーリーは優秀で、こういう風な気遣いもできる。アドバイスの内容も的確なものだ。そのため、こういう展開になった場合、フェイトの取る選択肢は決まっていた。
 「うん、ありがとう。……じゃあ、厚意に甘えちゃおうかな」
 「はい。喜んで」
  シャーリーは微笑んで、抱えていた書類をフェイトの腰掛ける執務官室の机の上に置いてから、言葉を切り出した。
 「で、どうしたんです? やっぱりエリキャロ関連ですか? それとも、ヴィヴィオのことですか?」
 「す、鋭いね……」
  おもわず、フェイトはたじろいでしまった。
  どうやら、自分の悩み事の内容は決まっているらしい。
  長い付き合いになると、自分の悩み事なんて簡単にわかるということか。そこまで分かり合えている、ということが嬉しい半面、私って単純なのかな? と思わず考えてしまう。
 「……実はね、エリオとキャロのことと、ヴィヴィオのことの両方なんだ」
  けれど、そこを考えても仕方がない。
  フェイトはとりあえず、相談事を話すことにした。
 「それはまた、珍しいですね。同時に三人のことで悩むなんて」
  エリオとキャロ。そしてヴィヴィオ。
  この三人とフェイトは、フェイトが身寄りのないエリオとキャロを保護責任者として、幼馴染である高町なのはの養女となったヴィヴィオを法的後見人として保護している、という割と複雑な関係で繋がっている。フェイトは心優しく情に厚い方なので、まるで本当の子供のように三人と付き合っているのだが、いささか過保護になりすぎるきらいがあった。
 「あのね、ヴィヴィオはザンクト・ヒルデ魔法学院に通ってるでしょ?」
 「はい。そう聞いてます」
 「でね、今日からザンクト・ヒルデ魔法学院は夏休みなんだ」
 「はい」
 「それでね、エリオとキャロも、しばらくお休みを取れてなかったから、今度纏めて二週間くらいの夏休みが貰えたんだって」
 「はい」
 「だけど、私は、私たちはこれから長期の次元航行任務。例え何が起ころうとも、よほどのことがない限り、この任務の途中で帰ることはできない」
 「ですね」
  次元航行部隊の任務のひとつに、長期の次元航行任務がある。
  ただ単純に、戦艦に乗って次元世界の海をパトロールする任務である。そのほとんどは平和に、何事もなく終わるが、年に一、二件は放っておくと次元世界を巻き込みかねない重大な事件を発見するので、次元航行部隊ではかなり重要視されている、基本業務のひとつである。
  運が悪くない限り比較的楽な任務なのだが、次元航行艦に乗り込んで次元世界を周るため、容易には自分の家に帰れないことが欠点である。その拘束期間は、最低でも一ヶ月。何らかの事件を発見すると、下手をすれば三ヶ月くらい拘束されることもある。
  ただ、管理局は厚生福利がかなりきっちりしているし、次元航行任務後には長期の休暇が取れることもあり、それほどそのことを嘆く局員もいない。そういうものなのだ、とほとんどの職員は割り切っている。
  ……のだが、ここに例外がいた。
 「そんなに拘束されたら、エリオとキャロとヴィヴィオと一緒に夏休みを過ごせないな〜、って」
 「あ、ああ……」
  フェイトは思い返す。
  ほんの数時間前に、自分のことを見送ってくれたヴィヴィオの姿を。
  通信で、励ましの言葉を送ってくれたエリオとキャロの姿を。
  本人達は気丈に振舞って、元気に送り出したつもりなのだろうけれど、明らかに寂しがっていた。もしかしたら自分の勘違いかもしれないけれど、やっぱり寂しがっていたんじゃないかと、フェイトは思う。
  いくら物分りが良いと言っても、ヴィヴィオはまだ九歳であり、エリオとキャロは十三歳である。十三歳とはいえ、エリオとキャロは親や家族の温もりを知らず、愛情に飢えている。特にヴィヴィオは、まだまだ親に甘えたい盛りの年頃なのだ。自分達の関係は複雑なものがある。だからこそ、甘えたいときに思いっきり甘えさせてあげるのが、例え血のつながりはなくても、親代わりである自分の務めだと思う。
  今までは、なんとかヴィヴィオの長期休暇に合わせてなのはと一緒に休暇を取ることができたし、エリオとキャロとも、折を見ては会って一緒に遊んだりしていた。
  だけど、今年はそうはいかない。もしかしたら、これからもこんなことがあるかもしれない。
  寂しい想いをしていないか。悲しい想いをしていないか。
  それが、フェイトの目下最大の悩み事である。
  なのは曰く『フェイトパパは甘すぎです』
  はやて曰く『親バカやねぇ』
  アリサ曰く『子離れも大事なんじゃない?』
  すずか曰く『まぁ、フェイトちゃんらしくて良いと思うよ』
  幼馴染達からはイロイロ言われるが、それでもやっぱり心配なものは心配なのだ。
  親が子供の心配をして何が悪いというのだ。
 「あ〜、まぁ、三人なら大丈夫だと思いますよ?」
 「……かな?」
 「はい。エリオもキャロもヴィヴィオもすごく良い子ですし、それにもう十三歳と九歳です。九歳って言ったら、フェイトさんやなのはさんはもう魔導師として働いてた頃ですよね?」
 「うん……」
 「だから、大丈夫です。なんたって、エリオとキャロはもう立派なストライカーですし、自然保護隊のエースです。ヴィヴィオだって、管理局航空部隊最強の砲撃魔導師のお母さんと、管理局次元航行部隊最速のお父さんの子供なんですから。それに、今回の任務でもなにも起こらなければ、エリオやキャロにヴィヴィオの夏休みにもきっと間に合うと思います」
 「…………うん、そうだね、そうだよね」
  シャーリーの言うとおりだ。フェイトはそう思った。
  エリオもキャロもヴィヴィオもいい子だし、強い子だ。三人とも、しっかりしすぎて逆に心配になることもあるけど、一人じゃない。
  だから、私がいなくても、きっと大丈夫。
  それに、今回の任務で、何も事件が発覚せず平和に終わったら、みんなの夏休みにもぎりぎり間に合うかもしれないのだ。
  そう考えると、少し落ち着いた。
 「ありがとう、シャーリー」
 「いえいえ。こちらこそ、そういうことを相談してくださって嬉しいです」
  そう言って、シャーリーが微笑んだ。
  まったく、よくできた補佐さんだ。
  シャーリーの微笑みを嬉しく思いながら、フェイトもシャーリーに微笑み返した。
 《緊急連絡、緊急連絡。フェイト・T・ハラオウン執務官、シャーリー・フィリオ執務官補佐、至急ブリッジに集合せよ。繰り返す、緊急連絡、緊急連絡――》
  一瞬で、フェイトとシャーリーは表情を変えた。
  艦内全体に、聞きなれたオペレーターの声が響き渡っていた。
  緊急連絡。
  それは、自然に発生したものであれ人為的なものであれ、次元世界に何らかの異変、事件の兆候を発見したということだ。
  通常、次元巡航艦が何らかの次元犯罪を発見した場合、その艦がそのまま事件の対策本部となり、そのクルーが事件を担当することが多い。
  つまり、
 「……楽しい夏休みは、お預け、ってことかな?」
 「……ですね」
  フェイトは苦笑した。希望を持った途端、その希望が打ち砕かれてしまったのだから。
  だけど、今はそんなことを嘆いている場合じゃない。
  こうしている間にも、泣いている人達がいるかもしれないのだ。
  そんな人達を放っておくために、私は執務官になったわけじゃない。
 「いくよ、シャーリー」
 「はい!」
  フェイトは勢い良くデスクから立ち上がり、ブリッジに向かった。








  ブリッジに着くと、すでに自分達以外の主要な役職の人物達は揃っていた。
 「来たか、フェイト執務官」
  フェイトの名前を呼んだのは、クロノ・ハラオウン提督。このクラウディアの艦長であり、そして、フェイトの義兄でもある。二人は本来名前で呼び合っているのだが、提督と執務官と言う立場もあり、公の場では、クロノはフェイトのことをフェイト執務官と呼んでいる。
  フェイトもそれに合わせて、クロノに向かって敬礼をする。
 「はい。フェイト・T・ハラオウン執務官、ここに集合しました」
 「同じくシャリオ・フィニーノ執務官補佐、ここに集合しました」
 「よし。では、状況を説明する」
  言い、クロノはオペレーターに指示を出す。クラウディアのブリッジは広く、立体構造をしている。前方には巨大なモニターがあり、一番下の段にはメインオペレーターのコンソールや操舵手席があり、艦長席は、ブリッジの一番上の部分にある。
  クロノの指示により、オペレーターがメインスクリーンに情報を表示させる。
  スクリーンに表示されたのは、クラウディアと同型のXV級次元航行艦の七番艦『スノーストーム』の全様と、スノーストームの現在までの航行記録だった。
  スクリーンを仰ぎ、クロノは説明する。
 「XV級七番艦『スノーストーム』から、数分前、緊急通信が付近の次元航行艦に向けて送信された。通信内容は『救援を求める』……そしてその直後、スノーストームのシグナルが途絶えた」
  クロノの説明に、フェイトとシャーリーが息を呑む。
  XV級次元航行艦といえば、次元世界を股に掛ける時空管理局の現在の主力艦だ。そのスペックは時空でも最先端クラスのもので、もし撃墜するとなれば、同じXV級の次元航行艦を充てるか。
  あるいは、第一級危険指定以上のロストロギアを使用するか。ロストロギア事件に関わることの多い次元航行部隊。その主力艦を撃墜しようとするならば、それこそ第一級危険指定ロストロギア並の力が必要である。
  つまり、スノーストームのシグナルが途絶えた、ということは。
 「……第一級危険指定ロストロギア事件の発生……!」
 「そうだ。まだ確証はできないが、その可能性が高い」
  スノーストームを撃墜……最低でも、常に発し続けているシグナルを停止させるほどの出来事。
  それが、どれだけの重さを意味しているのか。
  ここにいる全員が、そのことを痛いほどに知っている。
 「管理局の全艦艇の航行記録によると、スノーストームに一番近い位置にいるのは、このクラウディアだ。他の艦は軒並み別の任務に就いているため、追加の救援は最速でも二週間後。故にクラウディアは、任務を次元航行パトロール任務から、スノーストームの救援作業に変更する。また、この案件を第一級事件と扱い、行動する」
  艦長であるクロノから、指示が出される。
  その指示の意味を頭に刻みつけ、クルー達が仕事を始める。
 「スノーストームの最終位置は?」
 「ここから約十二時間の距離にある、第一九八管理外世界『ヴェルト』の衛星軌道上です」
  オペレーターの言葉と共に、スクリーンに惑星の姿が映し出される。
  その惑星の大きさは、地球の三分の二程度。太陽も地球のそれより小さいが、地球よりも近い位置に太陽があるので、気候としては、地球とそう変わらない。惑星面積の九割近くが海で、海洋の一割程度を占める大陸以外には、小さな島が点在するくらいでまともな陸地が存在しない。スクリーンに映し出された映像を自分の記憶と比べながら、フェイトはそう判断した。
 「文化レベルは、封建制度が崩壊を始めています。魔法技術は存在していますが、まだ発展途上で、技術体系として確立されていません。政治情勢として、封建制度の崩壊に伴い、大陸北部と大陸南部の関係が一触即発状態で、戦争がいつ起こってもおかしくない状況です」
  こういう発展途上の世界に下手に高度な文明を持つ管理局が接触すると、その世界の歩む道を捻じ曲げてしまいかねない。封建制度がまだ残っているということは、地球で言えば、まだ製鉄技術も満足に存在しない時代だ。そんな文明に管理局は接触できない。
  つまり、魔法技術は存在するものの、文明レベルが低すぎて、管理局が介入できない世界ということか。
  しかし、ならば、どうしてそんな世界の付近で、管理局の次元航行艦に異常事態が発生するのだろうか。
 「これが、ロストロギア関連の事件だとは確定できない。ただのスノーストームの整備不良の可能性も捨てきれない。だが……油断は禁物だ。フェイト執務官」
 「はい。心得ています」
  むしろ、そういう世界だからこそ、細心の注意を払って接触しなければならない。
  なぜなら、下手にその世界の歴史に介入してしまうと、それからその世界が歩むべき道のりを乱してしまう世界もあるのだから。過去、文明レベルの低い世界に管理局が接触した際に、そのイザコザやその世界に流れ込んだ管理局の高等技術により、とある世界が崩壊しかけたこともあるのだ。気を抜くことは許されない。
 「では、本艦は現時刻を以て、スノーストームの救出任務に向かう。第一九八管理外世界の衛星軌道上に着き次第、付近の捜査及びフェイト執務官による単独捜査を行う。それから、無限書庫に、至急第百九十八管理外世界の情報の提出を依頼。他に何か質問の在る者は?」
  クロノの声に、誰も異論を挟まない。
 「本艦はこれより、第一九八世界に進路を向ける。十二時間後の到達までに、各自準備を整えておくように。では、解散」
  運が良ければ、スノーストームの整備不良による異常だけで済む今回の任務。
  しかし運が悪ければ、本来ならば接触することすら許されない発展途上の世界にて、スノーストームの捜索及びロストロギア捜査をしなければならない。
  このような世界に存在するハズのないロストロギア。
  だからこそ、何者かの意志が、悪意が働いているような気がして。
  最悪、次元世界を巻き込むかもしれない。フェイトは、そう思っていた。 








         ※








  そして、十二時間後。
  クラウディアブリッジのメインスクリーンに映し出される、外部カメラの映像。
  そこに映し出される、蒼い惑星。
  その世界の名は、ヴェルト。
  未だ発展途上の、世界の九割を海で構成された世界である。
 「無限書庫からの情報によると『文明レベルが低くて管理局が干渉することができないため、詳しい情報は存在していない。しかし、未確認ではあるが、大陸の所々に古代文明の遺産と思われる異物が確認される』……とのことです」
 「古代遺産の、遺物……」
  それは、大陸にロストロギアが存在している可能性が高いということ。
  そして、こうして現場付近に来てもスノーストームの痕跡すら残されていないということは、そのロストロギアが時空管理局の艦艇に影響を与えるほどの力を有しているということ。何者かが、そのロストロギアを行使している可能性が高いということ。
 「……フェイト執務官」
 「はい。すでに、転送準備は完了しています。後は、転送許可が下り次第第一九八管理外世界の捜査を開始するだけです」
 「そうか。では、転送ポートへ」
 「はい」
  クロノの指示を仰ぎ、フェイトはブリッジ後部にある転送ポートに向かう。そこには、すでに準備を整え、捜査に必要な機材等を収納した特殊なバックルを装備したシャーリーが待機していた。小さくて軽いバックルだが、内部は圧縮空間になっており、捜査用の簡易機材から緊急時の食糧まで、考えられる必要なものが全て収納されている。それを初めてフェイトが見た時は、地球のアニメを見た直後だったので、四次元ポケットを連想したものだ。
  今回の第一九八管理外世界操作任務は、フェイトとシャーリーの両名のみで行われる。第一九八管理外世界への干渉を最低限に抑えるため、というのと、下手をするとクラウディアもスノーストームのようになってしまう可能性があるから艦の防衛を優先する、という提督判断からだ。
  執務官は単独任務も多く、シャーリーは執務官補佐としてフェイトの手助けは慣れているので、そのこと自体に問題はない。
 「フェイトさん。こちらも、準備OKです」
  言いながら、シャーリーはフェイトの分のバックルを手渡す。
 「うん。ありがとう、シャーリー」
 「いえいえ。これが、私の仕事ですから」
  問題なのは、スノーストームのクルーの現状と、ロストロギアの存在の方だ。
  衛星軌道上に来ても、依然スノーストームの反応はない。第一九八管理外世界に不時着した可能性も考慮したが、衛星軌道上からのスキャンでは、スノーストームの存在は確認できなかった。XV級次元航行艦という、かなりの大型艦の姿が、である。
  クラウディアからの探査は続けているが、少なくても周囲には反応がない。
  一体何が起こっているのか。皆目見当もつかなかった。
 「よし。では、フェイト執務官とシャリオ執務官補佐の転送準備を――」
 「か、艦長! 異常事態です!」
  クロノの言葉を遮り、オペレーターからの悲鳴に近い声が聞こえた。
  その声に、クロノは冷静に対応する。
 「何が起こった?」
 「クラウディア周辺に、異常重力場が発生しています。それが原因で、周囲の次元が歪んで……ああっ、進行早い、このままだと、当艦は残り一分程度で、次元の狭間に飲み込まれます!」
 「なん……だと……?」
  突然の緊急事態に、クラウディアブリッジに緊張が走る。
 「ディストーションシールド展開! 何としても、次元の狭間に飲み込まれることを防ぐんだ!」
 「り、了解。ディストーションシールド展開…………駄目です、次元変調のエネルギーがディストーションシールドの出力を遥かに上回っています! これでは、足止めにもなりません!」
 「くっ……」
  クラウディアのセンサーが周囲の次元の異常事態を察知し、ブリッジ全体に緊急時のアラームが鳴り響く。けたたましいアラーム音は、聞く者の神経を逆撫でする。不安感を煽る。ここにいるクルー全員が知っている。アラームの鳴る事態ということは、クラウディアの存在の危機だということを。
  ブリッジに響くのは、アラーム音に加え、必死に対処するオペレーターの悲痛な声と、クロノが必死で指示を飛ばす声のみ。ただし、その行為全てに、効果が見られない。
  クラウディアには強力な防御シールドが搭載されている。しかしそれも、クラウディアが存在している次元空間そのものに干渉されてしまっては、あまり意味を持たない。それは、時空管理局ほどの技術力を以てしても未だ辿り着かない超高度な技術。
  それほどまでに強力な干渉を次元空間に行えるのは、第一級危険指定以上のロストロギアのみ。そしてその力に抗うすべを、XV級次元航行艦は持たない。
  諦める気は毛頭ない。だが、何事にも限界が存在する。
  クラウディアが、沈む。
  そのことを、ブリッジにいる誰もが予感した。
 「次元崩壊まで、後二十秒!」
 「…………フェイト執務官、シャリオ執務官補佐。転送ポートへ」
 「……提督?」
 「く、クロノ! 一体、何を考えてるの!?」
 「このままでは、クラウディアに僕達までもがスノーストームの二の舞だ。だから、全滅を防ぐために、フェイト執務官とシャリオ執務官補佐は第一九八管理外世界に降りて、ロストロギア……この事象の原因を突き止め、対応して欲しい。それが、僕達に残された唯一の道だ」
  時間がない。
  対応策も分からない。
  このままでは、クラウディアが沈む。
  全滅だけは免れないといけない。
  それが、クロノが提督として出した、唯一の助かる道筋。
 「だ、だけど……」
 「これは命令だ。フェイト執務官」
  言い、クロノは椅子から立ち上がり、フェイトの前に歩み寄った。
  それと同時に、転送ポートが起動する。
 「ちょっとクロノ、待って!」
  転送装置から飛び出ようとするフェイト。しかし、安全のため、一度作動を始めた転送ポートからは、出ることができないようになっている。故に、フェイトのもがきは、ただ虚しく手を動かすことしかできなかった。
 「……フェイト」
  そこでクロノは、提督の立場にいる任務中にしては珍しく、優しく微笑んで。
 「僕にもしものことがあったら……母さんと、エイミィと、カレルとリエラのこと……頼んだぞ」
 「お兄ちゃん!」
  フェイトが叫んだのは、大事な時にしか呼ばない、義兄妹の呼び方。
  不器用だが心優しい義兄を本当の兄のように慕う、フェイトの大切な呼び方。
  クロノは言った。大切な家族を、母を、妻を、子供達を、頼むと。それはクロノがあまり見せたがらない、家族への愛情。それは、自分の死を覚悟した男の言葉。
  そんなこと、言わないで!
  そう、叫ぼうとしたのだけど。
  転送ポートが作動し、その言葉がクロノに届かないまま、フェイトは第一九八管理外世界の陸地に転送される。
  ただ、最後の瞬間に。
  クラウディアが次元世界――衛星軌道上から消失するのが見えたような、そんな気がした。