フェイトとシャーリーは、ミリアの住んでいた集落にもう一泊することになった。
  ミリア達にもう少しゆっくりしていって欲しいと言われたこと、もっと詳しい話を聞いておきたかったこと、そして何より、これから大陸を探索するために必要な路銀を得るために、フェイトは集落での滞在期間を一日だけ延ばしたのだ。
  その成果として得られた追加の情報の中に有用なものはなかったが、集落の人達の好意もあって、集落の仕事を手伝うことでフェイト達は多少まとまった路銀を得ることができた。その仕事とは、単純に木材収集のための木々の伐採である。本当は付近にいるトロルコングの駆除を依頼されたのだが、木々の伐採程度ならばともかくこの世界にいる生き物の命を奪うということはこの世界への干渉の度合いが大きく、また、フェイト自身が命を奪うということを躊躇ったため、生命探査の結果この付近にトロルコングはいない、ということにして断ったのだ。ちなみに、スキャナーによる探査の結果、本当に集落の付近にトロルコングは存在していなかった。フェイトが倒した個体も、どうやら森の奥深く……本来の生息地へ戻ったらしい。
  そうして多少のまとまった路銀を得て、集落の住民達に惜しまれながら、フェイト達は集落を後にした。
  二人が向かうのは、大陸南側と北側の境目からもう少し南側にある中継都市、ガーベッジ。そして最終的な目的地はこの大陸の北側にあり、この大陸ひいてはこの世界で最大の都市、アクアエリー。この大陸を治める王のような存在も、アーティファクトや遺跡などの研究をするための巨大組織の本部もそこに存在する、名実共にこの世界の要。
  これが通常の任務ならばこの世界への干渉をなるべく小さくするために、一気にアクアエリーに向かうのが正しいのだが、フェイト達はできるだけこの世界の情報が欲しかった。時空管理局の次元航行艦二隻の消失、この世界での政治情勢の変遷、異変。複数のロストロギアの存在。そして情報を集め、この世界の文化に触れて見て、フェイト達はこう結論付けた。
  この世界には、何かある。
  すでに執務官として一〇年近いキャリアを積んだフェイトの勘が告げている。
  消えてしまった仲間達……クロノ達を助けるためには、この世界のことを知る必要がある。
  それに、この世界のロストロギアがどれほどのものかは分からないが、少なくてもひとつ、管理局の次元航行艦を二隻も消失させるだけの秘匿級ロストロギアが存在し、発動している。誤作動を起こしているのか、それとも誰かが使っているのかは、判断がつかないのだが。
  とにかく、そんな危険なものを野放しにしておくわけにもいかない。
  だが、この世界は文明レベルが低く、先進文明の世界に住むフェイト達が最低限以上の干渉することは認められていない。
  故にフェイトに求められていることは、なるべくこの世界に干渉しないようにしながら、この世界の情報を集め、クロノ達を助ける手がかりを見つけ出し、秘匿級ロストロギアを回収すること。
  なんとも無茶な条件だが、それが必要なのだから仕方がない。
  その条件を満たすために、フェイト達はまずガーベッジに向かうことにしたのだ。
  集落で得た情報によると、ガーベッジは大陸北側と南側の中継拠点であり、大陸南側で最も大きな集落で、人と物が集まる場所。更に現政権……この大陸を治める王のような存在、そして現在の統治体制や大陸南北にある生活水準の差に不満を持つ抵抗勢力『オリハルコン』の拠点も近くにあり、彼らの活動も盛んなのだとか。
  人や物が多く集まる場所には、自然と情報が集まる。
  その基本に忠実にフェイト達は野宿や休息を挟みながら飛行魔法で移動、近くまで通常なら有り得ない高速で進行し、それから改めて徒歩でガーベッジに向かい。
  そして、現在。
  フェイト達は、ガーベッジの入口にいた。
 「ここが、ガーベッジ……」
 「はー、人が沢山いますねー」
  自分達の住む文明レベルよりも良く言えば発展途上、悪く言えば程度の低い文明レベルの世界だと聞かされると、人はどうしてもその世界のことを低く評価してしまう。
  だが、考えて見れば、それでもそこに住む人間はいるのだ。辺境の村や集落には人口は少なく、そしてこのガーベッジのような物も情報もある土地には人が集まるのは道理。そうでなければ、この世界の経済が成り立たない。
  二人の驚きは、そのことを改めて思い知らされたことによる、感嘆の類のものだ。
 「大体、どのくらい人がいるんだっけ?」
 「スキャナーによると、大体一万人……といったところですね。その内の何人がこの街の住人で、何人が放浪者なのかは、分かりませんが」
  そう説明するシャーリーの横を、大量の積荷が乗った台車が横切る。その台車を運ぶのは。
 「……犬?」
 「…………犬、ですね」
  ミッドでも見かけそうな、体高一メートル程度の大型犬数匹。
  この世界では、犬に荷台を引かせるのだろうか。
 「……あ、フェイトさん。あっちを見てください」
 「え?」
  シャーリーの指さす方向に視線を向けるフェイト。
  その先には、今の荷台よりも更に大きなものを運ぶ、馬のような生き物の姿があった。
 「……馬、なのかな?」
 「馬、に近い生き物なんでしょうね」
  この世界にはまだ動力機関というものが存在していないのだから、馬車があるのは当たり前だ。しかし、フェイトもシャーリーも、馬車以外の交通手段があるということまでは頭が回っていなかった。犬ぞりというものが存在していることは知っていたが、まさか馬の代わりに犬を使うとは思っていなかったのである。
 「何と言うか、異文化コミュニケーションですね」
 「……そうだね」
  何度経験しても、自分達の住む世界と違う文化には驚かされる。
 「……とりあえず、今夜の寝床を確保しようか」
 「そうですね。いつまでも、ここにいるわけにもいきませんし」
  いつまでも街の入口で突っ立っているわけにもいかない。
  フェイトとシャーリーはとりあえず、この街にある大衆酒場を探すことにした。




  大衆酒場を探したのには理由がある。
  こういった発展途上の世界でそれなり以上の規模を誇る街では、宿屋というものは大抵が大衆酒場や食堂と共同経営されている。おそらく、先進文明のように宿泊することそのものがサービス産業になっているのではないからだろう。あくまでも泊まるために宿屋が存在する。その宿泊客の食事を賄うためにも、食堂や大衆酒場を共同経営するのは、双方にとって都合が良い。
  そして、そういった大衆酒場の場合、多くの人や情報が集まりやすい。旅の人……外部から来た人間がそこで一夜を明かすことや、その街の住民が酒場で酒を飲むこともまた良くあることだからだ。人が集まる場所に情報が集まるのは当たり前。
  故にフェイトとシャーリーは、昼間は街を回って、夜は自分達が止まる宿屋に併設されている食堂兼大衆酒場で、情報を集めることにした。
 「じゃあ、シャーリー。これからの仕事のおさらいを」
  この世界の宿屋の一室で、フェイトがシャーリーに真剣な面持ちで尋ねる。
 「何が起こるか分からないから、基本的に二人一組で行動する。明るい内は街中……旅の商人を中心に、暗くなったらここの酒場にいる人から情報を得る。できれば、この世界の地図、大陸図を手に入れること」
 「最優先事項は?」
 「自分の身を守ること。そして、私達が先進文明の住人だと気付かれないようにすること、です」
 「上出来だ」
  満足気に頷き、フェイトは表情を和らげる。
 「でも、その前に」
 「お腹が空いたので、食事にしましょう!」
 「うん。そうだね、シャーリー」
  腹が減っては戦は出来ぬ。
  例えどこの世界にいようとも、それは道理である。
  フェイトとシャーリーは自分達に充てられた宿屋の部屋から出て、あまり広くない廊下を歩き、階段を降りる。こういった酒場が併設された宿屋の場合、一階が酒場、二階が宿屋になっていることが多い。
  二人がこの街にやって来た時には、すでに太陽は傾きかけていた。無理矢理先進文明の時間に合わせると、大体午後二時くらいだろうか。お昼ご飯には少し遅いが、それでも食事を取ることは大切だ。それにフェイトとシャーリーの個人的感情としても、この世界の食事には興味があった。
 「さて、お昼ご飯はどんなものでしょうね〜」
 「どうだろうね?」
  階段を降りながら、シャーリーが良い笑顔で呟く。
  最初に訪れた集落で分かったことなのだが、この世界の食事はかなりレベルが高い。それどころか、食事が娯楽のひとつになっているようだ。
  まるで、先進文明のように。
 「文明レベルは低いのに、文化レベルが妙に高い」
 「私は、そういった文化の発展は専門じゃないですけど……このくらいならまだ、誤差の範囲かと。この世界の王のような人はかなり良心的な統治をしてますし、そのおかげで生活に余裕があるみたいですから、そうやって文化が発展するのはむしろ道理なのかもしれません」
  フェイトの疑問を即座に解決するシャーリー。
  法務関係以外の専門知識においては、フェイトはシャーリーに及ばない。
  そういったサポートこそが、執務官補佐の仕事なのである。
 「案外、統治者が古代文明人の生き残り……とかだったりして」
 「否定はできない可能性だね」
  宿屋に併設された大衆酒場……昼間は食堂を経営している……の席に座り、お店の人に二人分の食事を注文してから、シャーリーがフェイトに話しかける。聞かれたら不味そうな話をしているが、そこはすでに対策済み。簡単な認識誤解の魔法を発動させたので、周囲の人達は他愛もない話をしているように認識させられる。
  大陸北部にのみ点在する遺跡。そして、大量に存在するアーティファクトと呼ばれる、十中八九ロストロギア。
  それらの存在から、この世界には古代文明のようなものが存在していた、と考えるのが自然な流れだ。そういった優れた古代文明が滅び、すべてリセットされた状態で新たな文明が始まることは、次元世界ではよくあることだ。それだけ、人類という存在はしぶとい。
  そういう意味では、シャーリーが述べた可能性も、案外当たっているのかもしれない。
  一概にそうとは言えないが、未発展文明の人間と先進文明の人間、どちらが合理的で民草のことを考えた善良な統治をするか。そんなことは、どんな人でも感覚で理解することができる。
  先進文明の生き残りが良心的な統治を行っているから、文明レベルと文化レベルに不均衡が生じる。
  しかし、その可能性には矛盾がある。
  その説が現実だとすると、最低でも一人、多くて数人程度、この世界にあったかもしれない古代文明の生き残りが存在していることになる。それならば、その生き残り達は今一体何歳なのか。
  彼らの子孫が変わらぬ道徳観と価値観を持っている……と考えることもできるが、それはかなり無理のある仮定であり、他の人達、この世界の一般住民との隔たりがありすぎる。古代文明人の優れた知識と政治力を有した人間が一人でもいて、彼の持つ知識や技術が後の世に還元されない理由がない。これだけ情報網が発展していて、そのことを知らないわけがない。
  あるいは、この世界の住民全員が古代文明の生き残りなのかもしれないが。それならば、どうして遺跡に彼らが自由に入ることができないのか。
  仮にこの世界に優れた古代文明があったとしよう。それならば、大陸北部に点在する遺跡は古代文明時代の建造物であり、中にあるアーティファクトも当時の生産物だということになる。
  しかし話を聞く限り、遺跡の内部にあるものを彼らはどうこうすることはできないし、それ以前に、遺跡を守るように内部に生息する生き物達が遺跡内部に入ることを許さない。
  もし彼らが古代文明人の生き残りであり、その生き物達が古代建造物の番人のような存在であるのならば、古代文明人である彼らはその遺跡内部に自由に出入りでき、古代建造物を利用することができるハズだ。それができないということは、少なくてもこの世界に住む住民の大半は古代文明人の生き残りではないことになる。
  もしくは、元々特定の人物しか中に入ることのできない建造物なのかもしれないが、そんなものが大陸北部のあちこちに存在するものなのだろうか。内部に入ることのできる限られた人物が揃って全滅するものなのだろうか。揃って全滅してしまう程度の人数しかいない建造物がそんなに存在することはあり得るのか。仮にそうであるとしても、それならば、誰でも入ることができる建造物がひとつもない、大陸北側にしか遺跡が存在しない、というのもまたおかしな話だ。
  何にしても、この世界の住民達を古代文明人の生き残りだと考えると、遺跡関係で矛盾が生じるのだ。
  それを承知で、シャーリーはこの意見を述べたのだが。
  要は、お互いにリラックスするための雑談の域を出ない推察なのだ。
 「何にしても、実物を目にしてみないことには、判断がつきませんね」
 「……そうだね。遺跡というものが、どのくらいの規模で、どのくらいの技術力を有しているのか、分からないしね」
  そしてそれは、あくまでも推測の域を出ない事柄でしかないのだ。
  考えることは大事だが、それは今考えても栓無きこと。
 「はい、注文の日替わり定食二人前ね」
 「あ、ありがとうございます」
  そんな結論の出ることのない推測を話し合っていた二人の前に現れたのは、ここの従業員である四〇歳過ぎと思われるおばさんの姿。二人が注文していた食事を運んで、そのまま席から離れる。
 「……魚だね」
 「魚ですね」
  何が出てくるかまったく分からないので適当なものを注文したのだが、二人の前に運ばれてきたのは、先進文明ではおそらく焼き魚定食と呼ばれるものだった。しかも大きさや形状からして、川魚の可能性は低そうだ。
 「ここ、大陸の内陸部、なんですけどね」
 「どうやって、新鮮な魚をここまで運んできたんだろう?」
 「でも、これ、川魚かもしれませんよ。ほら、近くに川や湖もありますし」
 「……シャーリー、これが川魚に見える?」
 「……見えませんね」
  比較的腐りやすい海産物を内陸で食べるためには、それなりの運送手段が必要である。しかしこの世界程度の文明レベルでは、そのような高度な運送技術は未発達のハズだ。
  ここは違う世界であり、こういった魚が河川に生息しているのかもしれないので、一概に決めつけることはできないのだが。
 「……とりあえず、食べようか」
 「そうですね。考え過ぎは毒ですよね」
  考えることを一旦止めて、二人は目の前の魚のようなものを食べることにした。
  ちなみに、目の前の魚は食べた感じはやっぱり海の魚のようで、しかもとても美味しかった。予想以上に新鮮なのもさることながら、適度に油が乗っていて、身がしっかりしているのに、口の中でホロホロと柔らかく崩れるのだ。お腹が空いていたこともあって、二人の箸は進んだ。
  そうして、食事をほとんど終えた頃だった。
 『大陸北側に富が集中している。皆さんはそのことについて、疑問を持ったことはありませんか?』
  不意にお店の外から、大きな声が聞こえてきた。
  おそらく、魔法か何かで拡声しているのだろう。周囲の人達に聞こえるように放たれたその言葉は、喋り方や内容からして、演説のように聞こえた。
 「なんなんでしょうね、あれ」
 「ああ、あれは『オリハルコン』の演説だよ」
  シャーリーの疑問に答えたのは、たまたま近くに来ていた、先ほど従業員のおばさんだった。
 「オリハルコンの演説、ですか?」
 「ええ。あんたらは旅の人だろうから実物を見たことあるかどうか知らないけど、あれが噂のオリハルコンだよ。この街から少し離れたところにあるラジストって村を拠点にしてて、二,三日に一回くらいの頻度で、この街にやって来て演説するのさ。まったく、うるさいったらありゃしないよ」
 「……この街の人達は、オリハルコンの主張に賛同はしないんですか?」
 「……半々ってところだね。今の生活で充分ってのと、もっと豊かな生活がしたい、アーティファクトが欲しいってのと。私は、今の生活で充分なんだけどさ」
  私達みたいに革命なんてものに興味がない人間からしたら演説なんてうるさいだけさ、とおばさんは続けだ。
  そうこうしている内に、演説が激しさを増していく。
 『何よりも! 大陸北側の連中に貴重なアーティファクトを独占されていることこそが! 諸悪の根源であり、それを許している現在の統治体制も、同様の悪に他ならない!』
  最初は比較的落ち着いた語り口調だったのに、いつの間にかその声にも言葉にも激しい感情がこもっている。
  フェイトも、ミッドチルダにいる時だけでなく地球の海鳴市に住んでいる時にも、こういった演説を聞いたことがある。主張することが違うのは当然としても、こういう組織はどこの世界にでも存在して、そして似たような演説をするんだな、とフェイトは思った。
 「シャーリー。もう少し詳しく、彼らの話を聞いてみようか」
 「そうですね。彼らの主張を聞けば、何か分かるかもしれませんし」
  その演説内容や主張の善悪はともかくとして、こういった現地住民の声は貴重な情報源となり得る。
  残った食事を全て腹の中に収めてから、フェイトとシャーリーは店を後にした。




              ※




 『みなさんもご存じの通り、貴重なアーティファクトは大陸の北側にしか存在しない。だからこそ、アーティファクトが――』
  フェイト達が店の外に出た時には、演説者達の周りには結構な人だかりができていた。
  彼らが演説を行っているのは、フェイト達が宿泊する予定の宿屋から程近いところにある広場。この街の中心部にあるためかこの広場は結構広く、あちこちに露店が並んでいる。その広場の更に中央に陣取っているのが、抵抗勢力……『オリハルコン』と呼ばれている組織の人物なのだろうか。
 『だが、考えてほしい。大陸北側にしか遺跡がない。だからといって、大陸南側に住む我々のが、アーティファクトの恩恵を受けてはいけない理由にならないのではないか!』
  演説者の顔を見やすいようにするためか、高さ二メートルほどの簡単な舞台が設置されている。その周りで演説を聞いているのは、大体五〇人くらいか。全体の傾向として、年配の人よりも若者の方が多いようだ。
 『富は公平に分けられなければならない。住む場所によって、生活に差があってはならない。理不尽ではないか! 大陸南側に住んでいるからといって、より良い生活を求められないなど!』
  そして演説をしているのは、フェイトより少し年上の青年だ。ただ話しているだけなのにここまで声が大きく聞こえるということは、やはり魔法で拡声しているのだろう。ここからでは見えないが、もしかしたら足元には魔法陣が展開しているのかもしれない。
 「……フェイトさん」
 「なに、シャーリー」
 「……あの人の主張、なんだかすごく現代的……というか、私達の世界の左翼団体みたいなこと言ってますよ」
 「……やっぱり、シャーリーもそう思う?」
 「ええ。そりゃ、言ってることは一意見として十分有りだと思いますが……あまり、現実が見えてないように思えます。私達が住んでる世界だったら、こんなこと主張しても、誰もついてきませんよ」
 「……そうだね」
  フェイト達が住む先進文明ではあまり受け入れられない考え方。反資本主義的な思想で、共産主義的な思想……現実が見えていないと失笑される内容でも、民衆には割と受けるのかもしれない。それが文明レベル……基礎教養の違いであり、価値観や文化の違いでもあるのかもしれない。
  だが、問題は、民衆がその意見に賛同していることではなく、そのあまりにも現代的な主張を一体どこの誰が言い出したのか、ということである。
  カリスマ、と言ってしまえばそれだけなのかもしれない。歴史とはそういうものである。たった一人のカリスマがそれまでの社会情勢をひっくり返す。そこにあるのは、普通の人が考え付くことか、民衆が理解できる程度の、それでいて少し先に進んだ意見、そしてその画期的な思想を実行に移す行動力。少なくても、これだけの人数を扇動するということだけでも、かなりの才能だ。
  フェイトは今、そういう人物が歩む軌跡の途中を見ているのかもしれない。
  ただ、それだけなのかもしれない。
 「…………」
  それなのに。
  どうして自分は、それだけのことだと心の底から思えないのだろう。
  目の前の人だかりの中で熱弁を振るうあの青年のことを、どうして私は不審に思っているのだろう。
  引っかかることが多すぎるから、こうして何もかもを疑ってかかってしまうのだろうか。
 『悲しいかな、待っていても今の状況が改善されることはない。ならば、我々は戦おうではないか!』
  考え方が現代的すぎる。
  その主張では、まるで現代の共産主義者達のようではないか。
 『一人一人の力は確かに弱い。だが、皆で力をあわせれば、どんな困難にも打ち勝つことができる! 我々が、勝利することができる!』
  言葉に感情がこもり、そして周囲の観衆の熱気も、加速度的に増加していく。
  その光景を、フェイト達はただ見守るしかない。
 『さぁ、手を取り合おう。我々『オリハルコン』と共に力を合わせ、新しい秩序を創り出そうではないか!』
  壇上の男が最後の言葉を言い終えた瞬間、まるで怒号のような歓声が響き渡る。
  狂乱すらも感じる熱狂。新しい考え方に、意志に、主張に、惜しみない拍手と称賛を送り、そしてその新しい秩序を創るために惜しみない努力を尽くすことを誓う。
  この歓声が正しいのか、それとも間違っているのか。
  それは、後の歴史が決めることだ。
 『我々の次の目標は、新しく発見された遺跡内部に眠ると思われるアーティファクトの獲得だ! 北の連中に奪われない内に、我らが宝を手に入れる! 我こそはと思う勇士は、我の元に集え!』
  観衆があげた歓声が周囲の空気すらも震わせる。
  あの青年が言ったことに、観衆達が反応しているのだ。
  我らと共に、戦おうではないか。
  ここにいる民衆も自分達の仲間だと。
  そんなことを言われれば否応なしに盛り上がる。民衆から支持を得ていれば尚更だ。
 「…………」
  そう言えば。
  これだけ騒いでいるのに、これだけ堂々と現政権を打ち倒すと主張しているのに、治安維持隊のようなものが来る気配がない。まさか、そういった警察や自警団のような組織が存在しないとは思えない。少なくても、現政権に対する不穏分子を打ち倒すための組織が存在するはずだ。
  もしかして、そういう組織は存在しないのだろうか。
  それならば、ますます意味が分からない。
 『そして、我らは新しい力を手に入れた!』
  フェイトがどれだけ考えようとも、そんなことはどうでもいいとばかりに、演説はまだ終わっていない。
  フェイトが見ている中で、演説を続ける青年の仲間と思われる男達が、誰かを壇上に押し上げる。どうやらその人物は抵抗しているようだったが……数人の男達には敵わない。抵抗空しく、青年の傍に立たされる。そうすることでようやく、フェイトはその人物の姿を確認することができた。
  その人物は、小さな女の子だった。年の瀬は十二歳前後ではないだろうか。まだまだ少女の域を出ない顔立ちで、小柄な体格と垂れ目がちの瞳から、大人しそうな印象を受ける。
  そして彼女は少なくとも、いや、明らかに、自分の意志であの壇上に立っているわけではなさそうだ。
  現に今でも、彼女は二人の男に抑えつけられるようにして壇上にいる。それだけでなく、彼女の両手には、まるで手錠のような金属の腕輪が付けられている。その金属の輪は分厚い錘のようで、明らかに、その重量が彼女の身体に負担をかけていた。
 『ここにいる我らが同志は、幼き身体にフォースの加護を受けている! しかも、かなり強力なものだ。この力があれば、例え一〇〇人の兵士が相手でも、怖れる必要はない!』
  同志、だと?
  大の男達がよってたかって抑えつけて、無理矢理従わせて、同志だって?
  そんなの、馬鹿げている。明らかにおかしい。
  それなのに、その場にいる誰もが異を唱えようとしない。演説を続ける青年も、少女を抑えつける男達も、それを見つめる民衆も、それが当然だというように、熱狂的な歓声で彼女を迎えている。
  その光景を見て、フェイトはようやく、この演説の違和感に思い至った。
  狂っている。
  目の前にいる抵抗勢力達を突き動かすのは、強い使命感でも尊い志でもない。
  そこにあるのは、狂気。
  演説を続ける青年に微かに感じた狂気が、この違和感の元だったのか。真に恐るべきは、その狂気を誤魔化しつつ……いや、民衆をこんな演説のみで扇動し、自分達の行いを正当化していることか。それだけのカリスマを、これほどの狂人が持ち合わせていることが、悲劇だ。
  故にフェイトは想う。
  目の前の少女を、助けたい。
  理不尽な力に捻じ伏せられ、人生を捻じ曲げられてしまう名も知らぬ少女のことを、救いたい。
  それを心の底から願ったから。理不尽な悲しみを打ち砕きたいから、自分は管理局の執務官になったのだ。
 「…………ッ!」
  だが、しかし。
  そのフェイトの願いは、絶対に叶えてはならないことなのだ。
  目の前の少女を助けることは、野生動物に襲われるミリアを助けたこととは訳が違う。何故なら、歴史とは人が創るもの。そしてフェイトが助けたい少女のことを支配しているのは、善悪は別としても明らかにこの世界の歴史に大きな影響を与える人物。そんな連中から歴史変遷の重要ファクターとなり得る少女を救いだすのと、野生動物に襲われる名もなき少女を助けるのとでは、世界に与える影響が大きすぎる。
  だから、管理局の執務官としても、先進文明の住人としても、フェイトが少女に手を出すことは許されない。
  自分にはそれができるだけの力があるのに、目の前で起こっている理不尽を打ち砕くことができない。
  そのことが悔しくて、フェイトは唇を強く噛み締める。
  今までにも自分の無力を感じたことはある。自分の力及ばずに救うことのできなかった命もある。だが、力があるのに救えないというのはフェイトにとって初めての経験で……だからこそ、フェイトは自分の無力が赦せなかった。
 「フェイトさん……」
  心配そうにフェイトに声をかけるシャーリー。
  二人の前で、少女は諦めずにもがいている。強い子だ、とフェイトは思う。両手の動きは錘によって封じられ、身体を大男二人に抑えつけられている。仮にここから逃げ出したとしても、狂気に浮かれた周囲の聴衆達や抵抗勢力の構成員が彼女のことを逃がすとは思えない。
  それでも彼女は、諦めずにもがいている。
 「どうして……!」
  どうしてあんなに強い彼女が、こんな理不尽な仕打ちにあわないとならないのか。
  どうして私は、あの強い女の子のことを助けることができないのか。
 「誰か…………」
  怒りと憤りが、フェイトの中で膨れ上がる。
  感情が理性を吹き飛ばし、目の前の少女の元に身体が動きそうになる。壇上の少女とフェイトの距離はほんの十数メートル程度。そんな距離、一秒にも満たない時間で詰めることができるのに。
  自分は、何もすることができない。いや、何かをすることが許されない。
  どうして私は、こんなにも無力なんだ!
  ついに、感情が抑えきれず、
 「あの子のことを、助けてあげて!」
  フェイトは叫んでいた。
  しかし、その声は民衆の歓声にかき消され、
  次の瞬間、少女のことを抑えつけていた大男二人が、壇上から吹き飛ばされていた。
 「…………え?」
  あれだけ騒がしかった歓声が、一瞬でかき消える。
  その場に生まれたのは、有り得ないくらいの静寂。
  それを目撃していた誰もが、壇上に注目する。
  ほんの一瞬で壇上に現れたのは、短く整えられた赤毛と切れ長の瞳が特徴的な若い女性。フェイトと同じ年か、あるいはもう少し上か。体格は女性にしては大柄な方で、その表情からもその行動からも、攻撃的な性質が見受けられる。
  そして何より特徴的なのが、彼女が持っている武器。穂先に取り付けられた斧のような刃と、槍のような鋭い切っ先、更に斧の刃の反対側には鉤爪のような刃。その武器の情報を、フェイトは自分の知識の中から引っ張り出す。あれは確か、先進世界ではハルベルトと呼ばれる武器。切る、突く、引っ掛ける、叩くといった別々の動作がひとつの武器で出来る反面、その形状の異質さから、使役には相当の実力と才能が必要な、正に使用者を選ぶ武器。
  そんな女性が、壇上にいる少女を守るように、演説をしていた青年の前に立ちはだかる。
 「……気に入らないね」
  吐き捨てるように、赤毛の女性が言葉を放つ。
 「あんた達なんて、ただでさえ気に入らないのに、こんな女の子を、大の男がよってたかって従わせるなんて……ますます、気に入らない」
 「……君は、誰だ?」
 「お前らのような下種共に、名乗る名前はない」
 「…………いや、その斧と槍を組み合わせたような武器、赤毛で攻撃的な瞳……まさか『赤熱のアカネ』か?」
 「……私、結構有名人なんだな」
  驚愕に目を見開く青年と、自分の名前が知れていたことに驚く赤毛の女性。
  その二人の間に、武器を持った数人の男達が割り込む。
 「ジャック様、御無事ですか!?」
 「ジャック様に刃を向けるとは、無礼者め!」
  演説をしていた青年に背を向け、赤毛の女性に刃と敵意を向けていることから、彼らは抵抗勢力……オリハルコンの構成員なのだろう。
  一体、何が起こっている?
  フェイトにもシャーリーにも、今起こっていることが正確に把握できない。事象を正しく捉えるための情報が不足している。今少女を助けた赤毛の女性は、いわゆる治安維持組織の一員なのか、それとも抵抗勢力に対するまた別の抵抗勢力なのか。
  あるいは、それらとは全く別の存在なのか。
  フェイトは、その女性と少女の経緯を見守るしかない。
 「あー、そうそう。あんたたち」
  フェイトが視線を向ける赤毛の女性は武器を持った男達数人と相対しているというのに、警戒しようとする素振りも見せない。それどころか、自分達のことを呆然と見つめている観衆達に、気の抜けた声をかける。
 「そこにいたら、危ないよ?」
 「!」
  その声を聞いた瞬間、フェイトの身体に戦慄が走った。全身の神経が危険を告げる。反射的にシャーリーのことを抱え、その場から離れる。
  次の瞬間、フェイト達を襲ったのは、肌を焼きそうな熱風。民衆達の頭上を高熱の炎が通過する。それが、赤毛の女性がハルベルトに炎を纏い、横薙ぎに振ることで斬撃と共に炎を飛ばしたものだ、と気付くのは、彼女がハルベルトの刃を振り抜いた後のことだった。
  そのたったの一薙ぎで、彼女の前にいた男達が薙ぎ払われていた。一人残らず壇上から叩き落とされ、戦意を失っている。おそらく加減はしたのだろうが……彼らの身体を激しく焼いた火傷が痛々しかった。
  自分達の頭上を通過した予想外の炎と、それに籠る殺意。フェイトのように鍛え上げられた者でなくとも、その危険性を感じ取ることができるほどに分かりやすい驚異。
  途端にパニックに陥った民衆が、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。
  そんな民衆を尻目に、赤毛の女性は少女を守るようにハルベルトを構える。
  相対するのは、演説を続けていた青年。地面に転がっている男達が彼のことを守ったのか、それとも自力で防いだのかは分からないが、青年は無傷のまま、赤毛の女性と相対する。
  そして、数秒の沈黙の後、赤毛の女性が叫ぶ。
 「『赤熱のアカネ』紅刃一閃、推して参る!」
  もしかして、とフェイトは思う。
  歴史というものは、案外簡単に変わるものなのかもしれない。




  赤毛の女性……アカネと名乗る彼女は自分の位置を変えずに、手にしたハルベルトを腰だめに構える。攻撃対象の青年との距離は二メートル程度。それだけの距離ならば、ハルベルトのリーチにより一歩踏み込むだけで射程範囲内だ。
  それから間髪入れず、アカネは一歩前に踏み込み、ハルベルトを横薙ぎに振る。同時にハルベルトの斧刃の部分に炎を付与させ、破壊力を増す。離れた場所にいるフェイトでも、その炎の強さと、彼女の実力が理解できた。
  踏み込みは一瞬。
  打ち込みは苛烈。
  正に、演説の途中でいきなり乱入するほどに過激な性格をした彼女のことを表現したかのような剛の一撃は……しかし、虚しく宙を切った。
 「!」
  演説をしていた青年は、転がるように壇上から降りていた。地面に着地し、設置されている舞台から数メートルの距離を置く。アカネもその後を追いかけようとするが、檀上の少女から離れるわけにはいかないため、咄嗟に追撃をかけることができなかった。
  青年はそんなアカネを一瞥すると、なにか考えるような素振りを見せ、
 「ふむ…………一人……いや、二人か」
  そう呟き……視線を、フェイト達の方に向けた。
 「――――バルディッシュ!」
  叫んでいた。
  気付けば、バルディッシュを起動させていた。
  あれだけ、この世界の出来事には干渉しないように、と決めていたのに。
  その青年の視線に数メートルという近距離から射竦められ――フェイトは悟った。
  この男は、危険だ。
  思想が、とか、カリスマ的な能力を有しているとか、そういう話ではない。
  この男の存在そのものがあまりにも危険だと、フェイトの本能が告げていた。
 「演説をしている時から気になっていたのだが……君も、かなりできるね? それでいて、僕達の意志に賛同する意思がないどころか、むしろ否定すらしている。それに、僕の本質を直感で見抜いている」
  バルディッシュを構え、気配から全身の動きに至るまで、その男のすべてを警戒する。フェイトの戦闘スタイルは高速機動戦。自身が誰よりも素早く動くためには、それ相応の動体視力や反射神経が必要だ。故にフェイトは、その男がどんなに不意の動きを取っても、突然自分達に襲いかかってきても、反応できる自身があった。
  だが
 「できれば、武器はしまって欲しいかな。今日は、誰とも戦う気はないんだ」
 「!?」
  目の前にいた青年が一瞬でかき消え、その気配と声を、どういうわけか自分の後ろから感じた。フェイトは反射的にステップを踏み、戦闘態勢を維持したまま振り向くと、やはりそこには、先ほどの青年がいた。
  完全に見失っていた。
  その動きを、気配を、察知することができなかった。
  フェイトは戦慄する。
  今の青年の動きは、完全にフェイトの認識の外側にあった。
  超高速移動なんて、そんな生易しいものではない。
  反応できなかったのではない。相手が動いたことを認識することすらできなかったのだ。
 「僕達の意志に従わないのに、それだけの戦闘力を有する君達は……危険な存在だ」
  どうする? 
  フェイトは考える。
  この世界に干渉することはできるだけ避けなければならない。そのためには、目の前の青年には関わらない方が良い。だが現実問題として、こうして目を付けられてしまった。もうすでに敵として認識されているかもしれない。
  その上、戦ったとこころで、この青年に勝てる保証がない。どんな手段を使ったのかは分からないが、今の軌道。管理局でも最速クラスの実力を持つフェイトですら捉えることのできなかった動き。果たして、そんな相手に勝つことができるのか?
 「それに、新しい同志も奪われてしまった、か。……取り返せないこともないけど、それには労力がかかり過ぎる」
  自分の考えを纏めるかのように、男は静かに独り言を繰り返す。
  その態度はとても落ち着いていて、先ほどまで声を張り上げて演説をしていたとは思えないほどだ。おそらく、あの大げさとも言える演説は演技で、こちらが本来の性格なのだろう。
  落ち着いていて、冷静で。
  だからこそ、恐ろしい。
  感情的に暴れているのではなく、冷静に自分のことを見つめた上で、これなのだ。
 「……仕方無い。今回は諦めるとしよう」
 「なん、だって?」
 「……そんなに睨まないでほしいな。別に僕達は、今この瞬間に君をどうこうするつもりはないんだから」
 「…………」
  正直、相手の提案はフェイトにとって願ったり叶ったりだ。
  今この状況でこの青年と戦うことになったとして、おそらく、勝ち目は皆無。この世界への干渉を考慮しても、自分達の安全を考慮しても、今は逃げの一手が最善。
  だから、この青年と戦わなくて済みそうなことにホッとした自分がいて、そんな自分が情けなかった。
  悔しくて、バルディッシュを握る手に力が籠る。
  そんなフェイトを一瞥し、それから青年は視線をアカネと少女に移した。
 「今回はその子のことは君に預けるけど……これ以上僕達に関わると、碌な目に合わないよ?」
 「知ったことか。私は、気に入らないモノにはとことん抵抗することに決めてるんだ。昔っからな」
 「そうかい。それは、残念だ」
  残念そうに、青年はため息をつく。
 「『従え、さもなくば抗え』か。まったく、どこの誰が考えた言葉なんだか」
  そして、また独り言を呟く。
  自分の考えが言葉として漏れるのは、彼の癖なのだろうか。
  それとも、何か別の意図があるのか。
 「……それでは、君達にオリハルコンの加護を」
  最後に男はそう言い残し、次の瞬間にはその場から消え去っていた。
  まるで、正真正銘の瞬間移動。それも、魔力の循環も感じられないし、魔法陣の展開もない。
  どれだけ優れた魔導師でも、転移魔法を無動作無詠唱で発動させることなど、不可能だというのに。
 「…………」
  青年が消え去り、後に残されたのは、歯を食いしばるフェイトと、呆然とするシャーリー。
  同じく身構えたままのアカネと、彼女に守られるように立っている少女。
  そして――この広場には、他には誰も残されていなかった。