遺跡の探索は、比較的遅いスピードで行われていた。
  ただ奥に進むだけならばもっと早く探索することができるのだが、部屋の配置や内装にある程度の法則性が見受けられるとはいえ、例外がないとも限らない。そういう可能性を考慮して一部屋一部屋を虱潰しに探索しているので、どうしても時間がかかってしまう。
  それに加えて、人のカタチをした異形、ヒトガタに数回に渡って襲われた。実力に差があるためそこまで苦戦することはないが、一瞬で倒せるわけではないので、その分どうしても時間を消費してしまう。
  そのため、最深部……それまで遺跡の中央部に通っていた通路を遮る一際大きな扉に辿り着いた頃には、遺跡に突入してからすでに数時間が経過していた。
 「結構、時間喰っちまったな」
 「仕方ないよ。見落としがあったら嫌だしね」
 「まぁ、そうなんだけどさ」
  他の場所はすべて調べた。
  残るは、目の前の分厚い扉に閉ざされた、その先のみ。
  入口と同じかそれ以上の強度を誇る扉。おそらく防犯や緊急時に対する目的でここまで頑丈に造られているのだろうが、戦闘能力という意味ではともかく、直接的な破壊力で劣るフェイト、アカネでは、この扉を打ち破るには相当の時間と労力を費やしてしまう。
 「じゃあ、ラティオ。頼む」
 「うん」
  アカネの指示に従い、それまで後ろにいたラティオが前にでる。邪魔にならないように他の三人は後ろに下がり、ラティオが扉を破壊する様子を待つしかない。通常の戦闘ならともかく、こういった障害物の破壊に対しては、フェイトとアカネは限りなく無力に近い。
  戦闘能力と、純粋な破壊力は直結しない。
  例えば、フェイトは時空管理局での魔導師ランクはS+であり――魔導師ランクなど目安に過ぎないという点を考慮しても――管理局でもトップクラスの実力と戦闘能力を有し、特に最高速度に関しては五本の指に収まる。
  一方でアカネも、この世界では名の知れた実力者で、フェイトの見立てでは、少なくてもAAAランク以上の実力を有していることはほぼ間違いない。彼女の身の丈よりも大きなハルベルトを操る技術と、おそらく彼女が持つ魔力変換資質『炎』による攻撃力は、管理局のエースやストライカーに引けを取らない。
  だが、戦闘能力という意味では相当のレベルにある二人でも、直接的な破壊力という点では、まだ幼い少女であるラティオに劣る。
  フェイトの武器は、魔力変換資質『電気』による電撃系の魔法と、超高速機動による格闘戦。
  アカネの武器は、魔力変換資質『炎』による炎熱系の魔法と、ハルベルトによるリーチと重さを活かした格闘戦。
  双方とも強力ではあるが、電撃・炎熱共に、物質を直接破壊するという行為には向かない。
  先進魔法世界ではひとつの才能とされる、魔力変換資質。魔力を特定の属性に変換することに特化した魔力の在り方で、メジャーなところでは炎・電気・凍結だが、そのどれもが『対生物』に特化したものであり、こと物質破壊という観点においては、純魔力攻撃に劣ってしまう。
  戦闘能力が高く、尚且つ純破壊力に富んだ魔導師といえば、フェイトが良く知るところでは、砲撃魔導師の高町なのはや、後方支援型魔導師の八神はやて、物理攻撃特化型のヴィータがそれに相当する。
  もちろん、どちらが優れている・劣っているということではない。それはあくまでも得手不得手の問題であり、それを言えば、高町なのは・八神はやては近接戦や格闘戦が苦手だし、ヴィータは逆に遠距離戦や一対複数の状況に弱い。
  ただ、フェイトやアカネといった変換資質持ちの魔導師は直接的な破壊力に乏しく、ラティオの能力が、たまたまその欠点を補うのに適している、という話である。
  身構えるラティオ。感じるのは、この遺跡に突入した時と同じ、圧倒的な存在感。そこには何もないのに、何かがあるように感じる。たった一人の小さな少女から感じる、とてつもなく大きなもの。
  やがて、ラティオの腕のひと振りで、すさまじい轟音、振動と共に、分厚い扉がまるで粘土細工のように破壊された。
  明らかに物理法則を無視した、とてつもないエネルギーの奔流。
  それを、こんなに小さな女の子が操るのだ。
  回数に制限があるとはいえ、その潜在力は計り知れない。
  ラティオの様子を後ろで見つめながら、フェイトはそう思った。
 「良し、これで先に進めるな。ラティオ、御苦労様」
 「うん!」
  見慣れた……とまでは言わないが、すでに見知った光景となった、ラティオの能力。
   念動力 テレキネシス
  魔法の力ではなく何か別の力で物理法則に干渉する能力。この世界ではフォースと呼ばれ、畏れ、あるいは恐れられている力。次元世界ではおそらく、レアスキル扱いされるであろう力。実際には魔法とは根本から異なる力なのだが、次元世界ではレアスキル扱いされるだろう。そのくらいに珍しくて正体不明な力。
  実際のところ、目の前の物質を破壊する、という結果だけに注目すれば、彼女と似たような力を発揮する子供は次元世界にも少数ではあるが存在する。かつては、自分達がそういう扱いを受けていた。大人でも発揮できないような、莫大な力をコントロールする能力。
  だが、同じような力を持っているというのに、周りからの扱いは大きく異なっている。
  それが、世界というものなのだ。
 「何してるんだよ、フェイト。先に行くぞ?」
 「あ……ああ、ごめん」
  考えに没頭すると、どうも周りが見えなくなっていけない。
  思考を中断して、フェイトはいつの間にか先に進んでいたアカネ達に続いた。
  扉の先にあったのは、またしても先に続く通路と、その通路から続く別の部屋への扉。しかし、そのどれもが、今までにあった通路や部屋とは大きく異なっていた。
  なにせ、その通路にある扉は五つだけ。それも、通路の横側にある四つ扉の先は、今までにあった部屋とは趣のことなる部屋だった。
 「……診察室?」
  その部屋のことを、フェイトとシャーリーはそう結論付けた。今まで探索してきた部屋が入院患者用の部屋で、その先にあるのが診察室。内装からも、配置からも、この遺跡がかつての医療施設だと考えると、そう考えるのが妥当だろう。
  そして、最後の扉。
  その先の光景を、フェイトはなんとなく予想していた。
  ラティオの力を使って扉を破壊し、先に進む。
  破壊された扉の向こう側には、今までにない大きな空間が広がっていた。
 「……なんだ、この部屋は?」
  今までの部屋の数倍近い広さがある空間。部屋中に並ぶのは、フェイトが見たこともない、だけどなんとなく用途が予想できる機械。液体の入った瓶や容器、他にもいくつもの用具が並ぶ棚。部屋の左右にある、別の部屋へと続く扉。そしてその部屋の中央にあるのは、患者を寝かせるための診察台と、いくつものマニュピレータ―が伸びる、いかにも、といった様相の機械だった。
  手術室。
  先進文明出身のフェイトから見れば。この部屋を表現するには、その言葉が一番しっくりきた。どうやら文明こそ違えど、手術室というものは同じような文明レベルでは大体似たような姿形になるらしい。
 「これは、また」
 「予想通りですね。ここは、かつて存在していた文明の医療施設だった、ということは」
 「広いお部屋だね〜」
 「さて、何があるかな〜?」
  それぞれの感想を述べながら、四人は部屋の中央にある手術台に近付いた。
 「これは?」
  その手術台の上には、何だか良く分からないものが置かれていた。
  まるで腐りかけの生肉のような赤黒さ。見た目も液体化しかけた生肉のような感じで、匂いを嗅げば腐った肉の悪臭がしてきそうだ。だが実際にはそのような悪臭がすることはなく、よく見てみれば生肉、と言うよりも嫌な色をしたゲル状の物体だった。
  そもそも理屈で考えて、こんな最低でも数百年単位で閉鎖されていた場所で、生肉のような生モノが腐りかけとはいえ原形を留めているわけがなかった。こんな場所にあるということは、医療具か薬か、なのだろう。色具合からして、人工血液か人工筋肉のようなものなのかもしれない。
  ただ、色と見た目の感触が本当に腐りかけた生肉のようで、今にも悪臭が漂ってきそうで、できれば触りたくなかった。
 「こ、これはミートチャックじゃねーか!?」
  しかし、そんな嫌な見た目をしているというのに、それを一目見た途端、アカネが驚きの声を上げて、それを手に取った。
 「ミートチャック?」
  聞きなれない単語に、フェイトとシャーリーは首を傾げる。
  一瞬翻訳機の調子がおかしくなったのか、とも思ったが、そういうわけでもなさそうだ。
  正直、この腐りかけの生肉のような物体の用途は想像もつかない。
  ただ、アカネの驚きようから、その腐りかけの生肉のような物体が貴重なものであることは容易に想像できた。
 「アカネ、それは何なの?」
 「ああ、これはな――」
 「ほほう、ミートチャックが残っているとは。この遺跡は大当たりだね」
 『!?』
  不意に聞こえたのは、若い男性の声。
  この場に存在するはずのない、ありえない人物の声。
  その声に対して、フェイトとアカネは一瞬で身構えた。
 「……どうやら、嫌われてしまったようだね。そんなに身がまえなくても、僕は特別危害を加えるつもりはないのに」
  その声の発信源は、破壊された扉の前……部屋の入口に立っていた。
 「良く言うぜ。そんなに血走った目をした仲間を引き連れているってのに」
 「ああ、気に障ったなら謝るよ。でも、彼らにも信念があるんだ。そのところは汲んでやってほしい」
  ハルベルトを構えるアカネに、その人物は実に落ち着いた声で語りかける。
  静かな声から僅かに滲み出る、常人とは明らかに異なる雰囲気。その声を聞くだけで、その視線に射竦められるだけで、背筋に冷たいものが走る。その静かな声色の奥に潜むのは、掛け値なしの狂気。冷静で、落ち着いていて、だからこそ恐ろしい、真性の狂気。
  ほんの一瞬前まで、何の気配もなかったのに。
  この遺跡に誰かが入ったら分かるように、感知魔法を入口にしかけていたのに。
  自分達以外にも、この遺跡には侵入者を排除するヒトガタがいるのに。
  それらのすべてを通過して……そこに、五人の仲間を連れたジャックが立っていた。
 「そんな、さっきまで誰もいなかったのに!?」
  驚きの声をあげるシャーリー。
  身構えるフェイトとアカネ。
  そして、怯えてアカネの後ろで震えるラティオ。
  彼女達の動揺をまったく意に介さない素振りで、ジャックは続けた。
 「……一応、要求だけ告げてみようか。その手にしたミートチャック。それを素直に渡してくれれば、君達に危害は加えない。できればラティオも渡してくれれば言うことはないんだが、そこまで要求するのは欲張りかな」
 「っ!」
  アカネの背後で、ラティオが一際大きく震える。
 「ラティオ、大丈夫だ。こんなゲス野郎に、お前のことは絶対に渡さない」
 「そうだよ、ラティオ。あなたのことは、私達が守るから」
  今にも泣き出しそうなくらいに震えるラティオのことを慰めながら、淡々とした口調で告げるジャックの要求を、フェイトは頭の中で反芻する。
  今は、どうやって気配もなくここまで来たのか、ということはあえて考えないことにする。そんなことを考えていても、この状況が打破できるわけではない。ジャックが仲間を引き連れて一瞬で現れた。その事実を呑み込まないと、事態が好転することはない。
  それだけ、目の前の青年は厄介な存在なのだ。
  もしかしたら、魔導師ランクS+のフェイト、推定ランクAAA以上のアカネが共闘しても勝てないかもしれないくらいに。
  この世界の住民がミートチャックと呼ぶ物質。腐りかけの生肉のようなそれは、間違いなく貴重なアーティファクトなのだろう。使用用途こそフェイトは知らないが、そのことは二人の態度から見れば明らかだ。
  問題なのは、これをジャックに渡すことが現状として得策なのか、ということ。
  これを渡せば、こちらに危害を加えるつもりはないと言うジャック。
  そんな甘言を、簡単に信じていいのか?
  フェイトは改めて、目の前の人物達を観察する。
  彼の背後には、武器を構えた五人の若者達。ジャックに従っているということは、彼らもレジスタンス……オリハルコンと呼ばれる抵抗勢力の構成員。その構えや雰囲気から、彼らもそれなりの手錬であることが伺えるが、少なくても一人一人はアカネの足元にも及ばないだろう。
  だが、抵抗することが躊躇われるほどに、ジャックの力が未知数だ。
  高速機動戦を得意とするフェイトですらも反応できない速度。気配を感じさせることなく、一瞬で移動できるだけの能力。事実、今も先日も、フェイトはジャックの移動を捉えることはできなかった。
  ただでさえ、このような閉所ではフェイトの真価を発揮することはできないのだ。これで戦闘になれば、相当の脅威となることは間違いない。
  そもそも、自分は先進世界の住民なのだ。この世界の人達の争い事に頸を突っ込むべきでなく、今だって、干渉せずにシャーリーを連れて逃げ出すのが一番の得策なのだ。
  しかしその選択肢を、フェイトは真っ先に選べないでいた。
  何故なら、目の前の青年から感じるのは、他に例えようのない、静かな狂気。抵抗しなければ危害を加えるつもりはない。彼の条件を易々と信じることがフェイトにはできなかった、というのもある。
  そして何よりフェイトの個人的感情として、今更アカネとラティオを裏切るということが、激しく躊躇われた。
  執務官として、この世界の住民に個人的な感情を持つことは許されないのに。
  仕事だ、と割り切れないところがフェイトの強さでもあり、弱さでもあり。
 「……渡せるわけ、ないだろ」
  惑うフェイトに対して、はっきりと拒絶の言葉を、アカネは口にしていた。
 「アーティファクトも、ラティオも……。お前なんかに渡してやる、理由がない」
  構えを解こうとしないアカネの言葉を聞いて、フェイトは心の中で焦りを覚えた。
  最適な決断を、即座に下すことができない。
  執務官としての仕事を、先進世界の住民としての態度を取ることも、個人的な感情を優先してアカネ達の手助けをすることも、選択することができない。
  責任と優しさの間で揺れ動くフェイトの心。
  そこにあるのは、躊躇いと責任感。
  その、心の迷いが。
 「……そうか。残念だよ」
  相変わらずの静かな、しかし破格の狂気を孕んだ男は。
 「君達と、戦うことになるなんて」
  一瞬で、フェイト達の視界から姿を消し。
  次の瞬間には。
 「…………え?」
  シャーリーの胸が、鋭い刃で貫かれていた。








            ※








  フェイトは普段から温厚な方で、基本的に落ち着いている。
  それは本来の人柄のせいもあり、執務官の仕事中は特に、常に冷静沈着であろうと努めているから、ということもある。そのため、フェイトが感情的になることはほとんどない。例外を上げるとすれば、プライベートで自分の子供達が関わることくらいか。
  だからだろうか。
  その光景を目にした時、フェイトは自分の見たものが一瞬理解できなかった。
 「…………あ…………」
  一瞬でジャックの姿は視界から消え失せ、同時に気配もかき消えた。
  次にフェイトがジャックの気配を感じたのは自分達のすぐ近く、シャーリーの背後から。
  躊躇い、戸惑った心が、フェイトの感覚を惑わせていた、ということも関わっているのだろう。
  気付いた頃には、時すでに遅く。
  フェイトが視認したのは、シャーリーの胸から、血に濡れた刃が突き出ている光景だった。
  ジャックの左腕の服の裾から飛び出しているのは、刃渡り三十センチ程の両刃の短剣。アサシンブレードと呼ばれる、暗殺者用の仕込み武器。普段は左腕の服の裾の中に隠していて、特定の力を加えると刃が姿を現し、相手に気付かれないように接近してから、隠していた刃で対象を貫く。
  成程。無音無気配ができるジャックにはピッタリの武器ではないか。
  そう――冷静であろうとするフェイトの心は、状況を分析していた。
  突き刺された刃。傷口周りの服が血に染まる前に、刃は引き抜かれた。それから数秒の間をおいて、シャーリーがその場に崩れる。
 「ぁ…………か、はっ…………」
  貫かれたのは右胸。意識はある。出血は早く、すでに背中が血に染まり始めている。肺に穴が空いたのか、息苦しそうな声が漏れる。
  その彼女の後ろに立つジャックの表情は、ただひたすらに無表情。血に濡れたアサシンブレードを見ても、誰かを貫いても何の感慨も感じない。人として、すでに狂ってしまった、それは人殺しの表情。
 「―――――――――」
  バルディッシュを起動。リミットをUまでリリース。ザンバーフォーム。バリアジャケット・インパルスフォームへ換装。その間、わずか一秒。
  それだけの時間で、フェイトは頭の中が沸騰したような錯覚に囚われた。
 「きさまぁぁぁぁ!!!」
  一瞬で、魔力を全身に循環。見慣れない金属の床を蹴り、バルディッシュを振り抜く。神速の刃。例え鋼鉄ですら、その太刀筋を遮ることはできない。迅く鋭い一撃は、すでに誰もいなくなった空間を虚しく通り過ぎる。
 「あああああ!!」
  刃を振る速度を緩めない。踏み込んだ右足を軸に回転し、自分の背後に現れたジャックを遠心力も上乗せした渾身の力で薙ぎ払う。肉を切りはらう感触をフェイトは予想し、しかし実際に感じたのは、何か金属に遮られる感触。それでも構わない。その金属ごと切断する勢いで、フェイトはジャックの身体を薙ぎ払った。
 「む…………」
  弾き飛ばされたジャックの手に握られているのは、両刃の片手剣。片手でも振るうことができるように造られた細身の刃。右手に片手剣、左手にはアサシンブレード。正体不明の空間移動能力を最大限に活かすための、威力や重さではなく速さと隠密性を主眼に置いた装備。
  そんな細身の剣がフェイトの渾身の薙ぎ払いを受け止めたということは、ジャックは魔導師でもあるということ。少なくても武器の強化ができるくらいの能力は有しているということか。
  そこまで分析し、
 『Sonic』
  バルディッシュから放たれる、初老男性を模した機械音声。
  しかしその声は、音速を超える超音速により遮られ、
 『move』
  そのコマンドが完全に宣言される頃には、
 「プラズマランサー――――」
  ジャックとの数メートルの距離を詰め、ザンバーブレードを振りかぶるフェイトと、
 「ジェノサイド」
  その背後に生成される、一〇〇発を超える雷弾の隊列。
 「シフト・ファイア!!」
  ジャックに振り下ろされる、神速の太刀筋。
  その両サイドから迫る、電槍の猛攻。
  轟音を立て、金属の壁に数十の穴が穿たれる。神速の刃が空気を切り裂く音は聞こえない。
 「ターン!!」
  壁にめり込む直前で停止した電槍の数は、約半数。それらすべてが環状魔法陣で取り囲まれ、ベクトルを変換される。ターンのコマンド。生成された環状魔法陣を新たなカタパルトとし、更に魔力を込めて再発射する。昔はただベクトルを変換し再射出することしかできなかったが、今は新たな魔力を込めて再射出することができる。
  その様はまるで、粒子加速器。
 「プラスファイア!!」
  照準は自分の背後。威力を増し、空気を貫く電気の槍がフェイトの背面を完全に覆い尽くす。
  対象を失った電槍はそのまま高速で直進し、その先にあった壁や棚、機材に新たな穴を穿つ。
  即座に振り返り、ザンバーブレードを構えるフェイト。
  その先、部屋の中心を挟んだフェイトの対面には、驚きの表情を浮かべるジャックの姿があった。
 「驚いた。まさか、僕の気配を察知できるのかい?」
 「…………」
  問いかけに答えず、フェイトはジャックのことを睨みつける。
  もしかしたら、初めてなのかもしれない。
  ここまで、誰かを憎らしいと思ったのは。
 『ディフェンサープラス』
  床に倒れ伏すシャーリーと、事態を把握できず動くことのできないラティオをシールドで包む。それから、ジャックを警戒しながら、フェイトはシャーリーの傍に歩み寄り、傷の具合を確認する。
 「フェ、イト……さん、す、いま……せん」
 「喋らないで」
  苦しそうに謝るシャーリーの声を遮るフェイト。元よりフェイトには、判断を迷ってシャーリーを傷つけさせてしまった自分を責めるつもりはあっても、シャーリーのことを責めるつもりは毛頭なかった。
  シャーリーの傷は、右の肺を貫通している。今すぐに死ぬような傷ではないが、早く処置しないと出血多量と窒息の二つの要素で命が危ないし、この傷では、なまじ意識が残っている分、かなり苦しいだろう。
  とにかく、すぐに処置しないと。
  今は、先進文明がどうこうの事情よりも、シャーリーの命の方が重要だ。
  フェイトはシャーリーの腰のバックルを開け、中から応急処置用の道具を取り出そうとし。
  しかしそれは、アカネの手によって遮られた。
 「アカネ?」
 「フェイト。これを使うんだ」
  アカネがフェイトに差し出したのは、先ほど発見した、腐りかけの生肉のような物体。
  この世界の住人がミートチャックと呼ぶ物質。
 「……これを?」
 「これはな、この世界でもまだ数個しか発見されてない、超貴重なアーティファクトなんだ。珍しいだけのことはあって、その効果も絶大でな」
  説明しながら、アカネはシャーリーの傷口にミートチャックを乗せた。
  すると、ほんの数秒前まで溢れ続けていた出血が止まり、少しづつ、少しづつだが確実に、傷口が塞がっていった。
 「これは……!?」
  有り得ない現象にフェイトは驚きの声を上げる。
 「こうしておけば、大抵の傷は塞がるんだ。あんまり大きな傷だと塞ぎきれないんだけど、あいつのアサシンブレードは手首よりも細い刃だからな。だから、これでも何とかできるみたいで良かったよ」
 「 肉を塞ぐ物 ミートチャック 。その名に相応しい効果だよ」
  その声に答えるように、声を上げるジャック。
  その言葉をフェイトはあえて無視し。
  シャーリーの安全を確認し、ゆっくりと立ち上がってから、改めてジャックのことを睨みつけた。
 「……どうして、シャーリーのことを攻撃した?」
 「どうしてって……。戦闘の鉄則だろ? まずは、弱い者から確実に」
  何の躊躇いもなく、何の感慨もなく。
  ジャックは、シャーリーのことを殺そうとした。
  だが、そんなことではない。
  それは、彼の狂気の一旦にしか過ぎない。そう、フェイトは感じていた。
 「何が、あなたの目的なんだ?」
 「アーティファクトを手に入れることだよ。ミートチャックなんて貴重なもの、手に入れておいて損はないさ」
 「そうじゃない。あなたが、こんなことをしている理由だ」
 「…………ああ、そういうことか。やっぱり君は、他の人達とは全然違うね」
 「何を…………!」
  あくまでも自分のペースを崩さない、淡々とした口調。
  その態度に、声色に、フェイトは苛立ちを覚える。
  それもそうだ。
  執務官らしく、常に冷静であろうとするフェイトだが……仲間を傷つけられて平気でいられるほど、フェイトは役に徹し切ることができない。
  だから、フェイトはジャックのことを睨みつける。
  個人的な感情も含めて、彼のことを、敵だと認識する。
 「……やれやれ。どうやら、嫌われてしまったようだね?」
 「あなたを好きになる理由がありません」
  ばっさりと切り捨てたフェイトの態度に、ジャックは苦笑した。
 「そうなると、僕も君達のことを敵だと認識する必要がある」
 「何を言ってるんだ。端から、お前達は私の敵だよ」
  そしてアカネもまた、ジャックに対する敵意を隠そうともしない。
  それ故に。
  周囲の空気が張り詰める。
  フェイトが珍しく顕わにした敵意と、アカネの敵意。ジャックの落ち着いた、それでいて普通ではない雰囲気と、こちら側に明らかな殺意を向ける、ジャックの部下達。
  一触即発。
  誰かが動けば、すぐにでも殺し合いが始まりそうな、ピリピリとした空気。
  殺気で、首の後ろがチリチリする。
  微妙な均衡の上に成り立つ、一時の静寂。
  それを破ったのは。
 「…………仕方ない。僕達の目的のために、君達にはここで諦めて――」


 「GRAAAAAAA!!!」


  咆哮。
  耳を劈き、空気を震わせ、神経を逆撫でする。
  理性ではなく本能に訴えかけてくる、それは原初の恐怖。
  いつの間に、そこにいたのか。
  どうして、そこにいるのか。
  その咆哮と同時に――見たこともない生き物が、フェイト達と同じ空間に存在していた。








  何が起こっているのか、フェイトには理解できなかった。
  ただ、一番最初に理解できたことは、純粋な事実として、たまたまその生き物の一番近くにいたジャックの部下が、一瞬にして物言わぬ肉塊に姿を変えたということ。
  フェイトは咄嗟にシャーリーを抱え、部屋の出口に退避する。傷口はもう大体塞がっていて、意識こそ失っているが、このままミートチャックに触れていれば意外と早く回復しそうだ。アカネもまた、フェイトと同じようにラティオを抱えて、部屋の出口に退避していた。
  それから改めて、フェイトはその生き物のことを観察した。
  その生き物の姿を一言で表現するならば、怪獣。まるでセイウチのような太い胴体に、蛇のように伸びる首。大きく開いた口からはみ出す牙はまるで鋭い刃のようで、そしてその首の先には口以外の感覚器官は存在していない。身体を支えるのは八本の脚で、胴体の横から突き出た両腕の先にはカメレオンのようなギョロリとした目玉と、三叉矛のように枝分かれした鋭い爪が飛び出していた。両腕はある程度伸び縮みできるらしく、その腕にジャックの部下は薙ぎ払われたのだ。
  一目見ただけで、その存在が異常だと思える存在。
  ジャックとはまた別の意味で、ありえない存在だと感じる。
  その目の前の生き物は、ヒトガタ以上に、何者かによって造られた存在だということは、容易に想像ができた。
  そうでなければ、このような生き物……存在するハズがない。
 「アカネ……あの、生き物は何?」
 「いや……あんな化け物、見たこともない」
  アカネですら、その正体を知らない生き物。
  ということは、目の前の生き物もまた珍しい存在で、貴重なアーティファクトがあった点といい、この施設はかなり重要な施設だったということか。医療施設だった、ということを鑑みれば、その重要性は推して知るべしなのだが。
 「これは……また、危険なのが現れたね」
  さすがのジャックもこの生き物の危険性を感じたのか、警戒している。
  ジャックの武器は、片手剣とアサシンブレード。この装備は対人戦闘ではともかく、対大型生物との戦闘ではあまり意味を成さない。
  そしてその生き物は、咄嗟に視界から逃れたフェイト達ではなく、殺気を放つジャックの部下達に意識を向けていた。
  彼らのうち残った四人はジャックを守るように陣形を組み、それぞれの得物を構えていた。一人一人が先ほどと変わらぬ殺気を放ち、それが、その生き物の神経を逆撫でしているのだ。
 「ジャック様には、指一本触れさせんぞ!」
  だが。


 「BRAAAAAA!!!」


  その生き物はが再び大きく吠えたかと思うと、次の瞬間には、彼らの内の二人が三叉矛のような爪に貫かれ、一人は首に噛みつかれ、血を噴き出していた。
 「な……!?」
  ほとんど一瞬で腕を伸縮させ、爪で相手を貫いた。
  急所を的確に捉え、一撃で相手を屠った。
  高速で腕を伸縮させるだけの筋力に、相手の急所を的確に狙えるだけの知能。
  ほとんど一瞬で仲間が殺され、物言わぬ姿になった様子を一番近くで見ていたというのに、最後の一人は咄嗟に次の行動を決めることができず。
  彼がただの肉塊になったのは、ほんの一秒後だった。
 「っ…………」
  血しぶきが舞い、引きちぎられた肉や内臓が飛び散る。
  凄惨な光景に、フェイトとアカネは表情を歪めた。
  だが、そのような光景が目の前で繰り広げられ、自分も返り血を浴びているというのに。ジャックは全く表情を歪めていなかった。
  恐怖で動けなくなったわけではない。仲間を失ったことを嘆くでもなく、目の前の脅威に恐怖するでもなく、反撃の一手を打とうと構えるでもなく、ただ純粋に、起こった事象を観察するかのように、その光景を静かに見つめていた。
  異様な態度を、フェイトとアカネはただ見つめることしかできない。
  二人に見つめられる中、ジャックは顔に着いた返り血を拭うと、
 「仕方無い。一旦引くか」
  そう、呟いてから。
  次の瞬間には、その場から消え失せていた。
 「!?」
  その現象を改めて目の当たりにして、フェイトは今度は驚愕に表情を歪める。
  ジャックは今、魔法陣の展開をするでもなく、魔力を循環させるでもなく。何の予備動作もなしに、この空間から姿を消した。
  ジャックがしたのが空間転位であることは間違いがない。
  問題なのは、本当に何の前触れもなく、空間を転位したということ。
  ただ空間を転位するだけならば、それなりのレベルの魔導師ならば誰でもできる。問題は、空間転位というものはかなりデリケートなもので、どんなにレベルの高い魔導師であっても、魔法陣の転移と長い詠唱か準備が必要だということ。機械の補助を借りても、綿密な座標指定と転送準備にはそれなりの時間がかかる。人力であろうと機械であろうと一瞬で移動することは不可能で、そのため、戦闘に空間転位を組み込むことは絶対に不可能な行為なのだ。
  そのセオリーを、少しでも魔法に関わる人物ならば誰でも知っているような常識を、ジャックは完全に覆していた。
  フェイトは考える。
  これが、ジャックの強さの秘密。
  予備動作なしでの空間への干渉。
  なるほど、そんなことをされてしまっては、相手に気配を感じさせずに一瞬で移動することも可能だろう。仲間を引き連れて長い距離を一瞬で詰めることも可能だし、相手の背後を取ることも容易だ。
  なんて厄介な能力なのだろうか。
  空間を自由に移動できるような相手を倒す手段が、果たして存在するのか?
 「フェイト!」
  不意に聞こえたアカネの声に反応し、シャーリーを抱えたまま、半ば無意識の内にその場から飛び退く。次の瞬間、フェイトがいた部分の床には三つの穴が穿たれていた。
  大型生物の突き。金属でできているこの遺跡の壁や床すらも貫く貫通力。
  バリアジャケットを着ているとはいえ、生身で食らえばひとたまりもない。
 「ありがとう、アカネ」
 「構わねーよ。それよりも……だ」
  アカネはラティオを抱えたまま、改めてその生き物を一瞥する。
  認識を改めねばならない。
  目の前の大きな生き物は、ただの大型生物ではなく……敵。ジャック達に向けていた敵意と殺気を今度はこちらに向け、今にも襲いかかろうとしている。どう好意的に見ても、こちらの説得に応じるとは思えないし、それに、適当にいなせるほど弱い生き物でもない。むしろ、リミッターを外した状態でようやく対等に戦えるほどの実力を有している。
 「うん。そうだね」
  分かっている。
  フェイトの感覚が、長年培ってきた経験が、何より自分の生き物としての本能が告げている。
  ここでこの生物を倒さないと、自分が殺される。
 「やるしかない」
  戦闘空間は、今までフェイト達がいた大きな部屋と、この遺跡の通路が限界だろう。しかし、いくら広めに造ってあるといっても、超高速戦闘を得意とするフェイトが実力を出し切ることができるほどの広さではない。ヒトガタはそれでも何とかなったが、この生物に対しては、その戦闘条件の不利さが大きくのしかかる。
  それに加えて、フェイトはシャーリーを、アカネはラティオを抱えている。この生物の攻撃範囲が広く、シールドを突き破りかねないためそうせざるを得ない。つまり、この生物と戦うにしても、逃げるにしても、魔法が使えない二人を抱えて動かないといけないのだ。
  状況は圧倒的に不利。
  手加減をしている余裕などない。
  ……最悪、最後のリミッターを解除する必要があるかもしれない。
  こんなところで出すのか? ライオットフォーム、真・ソニックフォーム。
 「……最悪の状況だね」
  つい、愚痴のような言葉を漏らしてしまう。
  せめてシャーリーに意識があれば有効な作戦を考えてくれたかもしれないのだが、未だにシャーリーの意識は戻らない。そもそも、アーティファクトの効果で傷が塞がるだけでも御の字なのだ。これ以上の要求は贅沢なのかもしれない。
 「ラティオ、あのデカイ一撃、あと何回できる?」
 「……後一回か、二回」
 「上等だ。あんな化物、私一人じゃ手に余る」
  化物。
  確かに、あれは化物だ。
  戦うためだけに生み出されたとか思えない。
  だが、眼前の化物の正体が何であろうとも。
  この大型生物を屠らなければならないことに、変わりはない。
 「……行くぞ、フェイト」
 「……了解」
  御託を並べる余裕はなく、泣きごとを漏らす余裕もない。
  どれだけのことができるか分からないが。
  フェイト達は、目の前の化物との戦いを、開始した。