「まさか、未だにあれだけの大型生物が残っているとは……迂闊だった」
  とある山の麓。土砂崩れが起こり、顕わになった遺跡の入り口の前。
  そこに、服の一部を返り血で紅く染める若い男の姿があった。
 「まったく。レミントン博士も、厄介なものを創りだしてくれたものだ」
  その若い男……ジャックと部下達から呼ばれている男は、誰に語りかけるわけでもなく、静かに呟いていた。
 「今の装備ではあれを相手にすることはできない。今回は諦めるしかない、か」
  独り言を続けるジャック。
  その声には、謎の大型生物に襲われたという恐怖も、部下達が瞬殺されたことに対する感慨も篭っていない。その言葉から感じられるのは、ただ淡々と事実を受け取っている、ということのみ。
  事実、ジャックは、自分の部下達が自分のことを守るために死んだことに対して、僅かの悲しみや後悔といった感情を抱いていない。
  彼らが死んだことが事実。
  その事実以外はどうでもいい。
  死んでしまった人物には興味がない。
  そういう感情を抱くことを、彼自身は少しも不審だと感じていないのだ。
 「それにしても……フェイト、だったか。あの女性」
  仲間の死にすらも大した興味を示さない。
  そのジャックが興味を示したのは、部下達を死に追いやった生物のことではなく、突然この世界に現れた女性のことだった。
 「僕の能力についてきたことといい、あの装備といい……まず、この世界の住人じゃないね」
  そう呟くジャックは、どこか嬉しそうだった。
 「僕と同じなのか、それとも違うのか。まぁ、どちらにしても、この世界に大きな影響を与えることに、代わりはない」
  誰に言い聞かせるでもなく。
  ジャックは、独り言を続ける。
 「君はきっと、この世界の歴史を動かすキーマンになることは間違いない」
  穏やかで、淡々とした静かな口調。
  だが、そこまで呟いて――ジャックは唐突に、嗤った。
 「こんなところで、終わらないで欲しいな。君には、もっと活躍してもらわないといけないのだから」
  それは口角だけを持ち上げて嗤う、奇妙な嗤い方。
  誰もいないその場所で。
  ジャックは一人、嗤っていた。








            ※








  別に、逃げても構わないのだ。
  いや……フェイトの立場を考えれば、ここは逃げるという選択肢を選ぶべきなのだ。
  管理局だけでなく、次元世界全体にある鉄則。
  もし自身が管理局の管理下にない、発展途上の世界で行動することになったならば、自身の正体が先進世界の住人であることを現地民に悟られてはならない。現地民との干渉は最低限に抑え、できることなら関わらないことが望ましい。
  何故なら、その世界の歴史は、その世界の住民だけで紡ぐべきもの。本来ならば干渉することのない世界……特に、優れた技術力や知識を有した先進世界の何かしらが干渉することで、その世界の歴史が捻じ曲げられてしまうことは十分にあり得ることであり、すでに起こったことなのだ。
  事実、過去に先進世界の技術や知識が発展途上の世界に流出し、その世界の歴史が大きく変化したことは、すでに幾度か起こってしまっているのだ。そして、そうして変化してしまった世界が迎えた歴史の終焉は、滅亡。
  外部から流入した優れた技術――生活を豊かにし、あるいは誰かを助けるための技術は、最終的には戦争に――誰かを殺し、破壊することに使われたのだ。
  それは人間という群生が持つ業のようなもの。
  たまたま得ることのできた技術を一人占めしようとし、あるいはその知識で圧倒的な富を生もうとし、戦いそして滅ぶ。例え滅ばなくても、その世界の歴史は修復不可能なくらいに疲弊し、傷付き、ゆっくりと世界の寿命を終えるのを待つことしかできなくなる。
  何よりその世界のために、先進世界の住人は、発展途上世界の住民に関わるべきではない。
  ならば、フェイトはどうなのか。
  止むを得ない事情があるとはいえ、フェイトはすでに、後戻りができないくらいにこの世界に干渉してしまっている。先に考えた通り、ここでフェイトが取るべき手段は逃走。今すぐ眼前の大型生物に背を向け、アカネの期待を裏切って、ラティオの視線を無視して、その自慢の神速で、この場からすぐさまいなくなるべきなのだ。
  だが、それがどうしてもできない。その選択肢を選択することができない。
  その選択肢が選べなかったから、非情になりきることができなかったから、シャーリーが傷ついてしまったというのに。
  フェイトの執務官としての最大の欠点。
  それは、情を捨てることができないこと。
  目の前の命を切り捨てるということに、誰かの期待を裏切るということに、大きな躊躇いを覚えてしまうのだ。
  それは、執務官にとって、致命的な欠点になりうることは自分でも分かっている。
  それでも、どうしても非常に徹することができない。
  おそらく、過去のトラウマも、その性格の一部となっているのだろう。
  見捨てられるということが、どれだけ辛いことなのか。
  フェイトはその辛さを、痛さを、苦しさを。心の底から、良く知っている。
  それと、もうひとつ。
  フェイトはすでに、一〇年以上執務官として仕事をしているのだ。
  有能で、管理局でも有数の個人戦闘能力を持つからこそ、そういった難しい現場に立たされることも数多くある。 実際、執務官としての経験だけなら、すでに義兄のクロノ・ハラオウン元執務官よりも多くの現場を経験しているのだ。
  それだけの経験をすれば当然、任務を完全には遂行できないこともある。非情に徹しきれずに、拾えるはずだった命を落としたこともある。非常に徹したから、千の命の代わりに一の命を犠牲にしてしまったこともある。自分が未熟だったばかりに、救えなかった命もある。規則を守ったから、見捨てざるをえなかった命もある。
  そういった事件を思い出すたびに、どうしても考えてしまう。
  もしかしたら、あの時拾えなかった命を、拾うことができたのではないか。
  もし自分がもっと優秀だったら、犠牲なんて出さずに済んだのではないか。
  あのとき別の選択肢を選んでいれば、もっと良い結果になったのではないか。
  考えても栓無いことなのは、痛いほどに分かっている。
  一度失った命は、絶対に戻ってこない。
  だからこそ、拾える命は拾いたい。
  救える命は救いたい。
  自身が無力だから、規則に縛られたから、誰かを救えないなんて、そんなのはもう絶対に嫌だ。
  故にフェイトは、この場で逃走という選択肢を選ぶことが、どうしてもできなかった。……いや。その表現は、微妙に異なる。
  アカネとラティオを見捨てて逃げるという選択肢を選ぶことをしたくないのだ。
  もう、後悔したくないのだ。
  思い出して枕を涙で濡らす夜なんて、もうたくさんだ。
 「最悪の状況だね」
 「ああ。最悪だ」
  眼前の巨大生物に相対したまま、二人は苦笑する。
  フェイトもアカネも、逃げるという選択肢を取ろうとはしない。
  どうして、アカネですら逃走しないのか。
  これまで幾度か肩を並べて、あるいは背中合わせで戦ってきたフェイトには、アカネの考えがなんとなく理解できていた。
  最近、この世界の生物はおかしい。本来ならば遺跡内部にいるような生物が遺跡の外にでて人を襲ったりするのだ。他にも動物の異常行動は頻繁に起こっており、何が起こるか分からない、という現状がある。
  そんな異常状態で、この誰も見たことがない大型生物を野放しにしたらどうなるのか。
  この大型生物には、極めて高い戦闘能力がある。
  しかも、この遺跡は、この世界では大都市なガーベッジに程近い。
  もし、この大型生物が、街にやって来てしまったら。
  そういう惨状が起こる可能性を無視できるほど、アカネは情に薄くないのだ。
  それは、それまで完全に無関係だったラティオを、ジャック達から救い出した経緯からも推測することができる。
  情に厚く、困っている人を放っておくことはできない。目の前の悪を無視することができない。自分が見ず知らずの誰かを守ることができるから、余計なお節介と分かっていても、戦わずにはいられない。
  結局のところ、フェイトとアカネは似た者同士なのだ。
  目の前の、誰かが悲しむ可能性を無視できるだけ、器用な性格ではない。
  だから。
 「――倒すぞ、フェイト」
 「うん、分かった」
  戦う覚悟を決めた。
  誰かを護る覚悟を決めた。   見ず知らずの誰かの命を救う、その覚悟を決めたのだ。
  だから――戦いは、これからだ。












  魔法少女リリカルなのはsymphony phaseV


  第七話 weapon












  フェイトの戦闘スタイルは、高速機動戦。
  管理局最速クラスの移動スピードと雷撃主体の魔法を駆使して敵を翻弄する。近距離でそのスピードに肉薄するのは至難の技で、しかし距離を取ったところで、詠唱魔法や範囲魔法の餌食になってしまう。
  一方で、アカネの戦闘スタイルは、中距離格闘戦。
  リーチの長いハルベルトと持ち前の炎熱系能力を駆使し、敵の間合いに入る前に相手を迎撃することを旨としている。下手に距離を詰めればハルベルトの重い一撃を食らい、距離をあければ周囲の空間ごと焼き尽くされる。
  かなり厄介な二人の戦闘スタイルだが、その真価は、周囲に遮蔽物のない開けた空間で発揮される。超高速を活かすにはある程度の距離が必要であり、また、閉鎖空間での炎熱系攻撃は自分達を巻き込んでしまう恐れが高い。
  つまり、この遺跡のような限定空間、密閉空間では、その能力を満足に振るうことはできないのだ。
  本来ならば、目の前にいる大型生物の真価も、狭い空間では発揮されにくいのだが。この大型生物の攻撃は、伸縮自在の両腕により放たれる突きと、その長い首を伸ばした噛み付き攻撃が主体なのだ。そういった攻撃は、むしろこのような狭い空間でこそ発揮される。
  まるで、このような狭い場所で戦うことを想定されたかのような身体の造り。
  戦闘場所によるハンデ。
  それに加えて、フェイトは未だ意識の戻らないシャーリーを、アカネは二人のような戦闘手段や移動能力を持たないラティオを抱えている。
  状況は圧倒的不利。
  それでも、二人は戦うことを選んだ。
  戦う前に、フェイトとアカネはそれぞれ、抱えていたシャーリーとラティオを背負い直そうとする。
  しかし、こちらの準備が完全に整うのを待つ道理が、相手側には存在していない。
  こちらが体勢を整えようとした直後に襲い掛かってきたのは、三叉槍のように分かれた爪による猛攻。一撃一撃が早く、信じられない速度で引き戻され、二本しかない腕が数本あるように感じてしまう。
  その猛攻を辛うじて避けながら、フェイトはシャーリーを、アカネはラティオをなるべく自分の背中に密着させて、バインド魔法でお互いの身体をしっかりと固定する。これで、両腕を自由に使えるようになった。それ以外の制限はまだ残っているが、両腕が使えると使えないでは前提条件が大きく異なる。
  そうしてようやく、こちら側の準備が整った。
 「バルディッシュ!」
 『Yes,sir』
  それまで片手で持つだけだったバルディッシュを両手で持ち替え、構える。
  それから、容赦なく襲い掛かる突きを、今度は余裕を持って回避する。
  見切り。
  全神経を研ぎ澄まし、五感で敵の行動を完全に把握する高等技能。
  伸ばされた腕はフェイトの真横を通り過ぎ、
 「はああああ!」
  その腕が再び引き戻される前に、フェイトはザンバーフォームのバルディッシュを振り下ろした。魔力の刃を通して伝わるのは、肉を断ち切る独特の感覚。予想外の柔軟性と硬さを持ち合わせ、普通の肉体よりも筋繊維の強度があるようだが、フェイトはそれを諸共せず、完全に切断した。
  切り離された腕は血しぶきを撒き散らしながら勢いそのままに飛んで行き、通路の後ろ側に音を立てて落下した。
  アカネも同様に腕を切り落とし、肉が落ちる鈍い落下音は二つ聞こえる。
  一瞬で両腕を失った大型生物。
  その間合いを一気に詰め、本体への攻撃を加えようとするフェイトとアカネ。
  だが。
  次の瞬間、再び二人に襲い掛かるのは、先ほどまでと代わらぬ突きの応酬。
  それを認識したのは視覚ではなく、強者としての、二人の研ぎ澄まされた感覚。
 「な!?」
 「嘘!?」
  その攻撃を、フェイトは魔力の刃の腹の部分で受け止め、アカネはハルベルトで弾き飛ばす。
  ギリギリで攻撃を躱し、認識したのは、大型生物の胴体から更に伸びる、四本の腕。切断した二本を加えて合計六本。
  つまりこの生き物は、最初の腕と同じように高速で伸縮自在の四本の腕を隠し持っていた、ということか。
  二本でも厄介だった攻撃の手数が単純に倍になり、その脅威は更に増す。
  これでは、容易に近づくことができない。二倍に増えた突きを、二人は時に回避し、時に叩き落す。そうしながらも、二人は大型生物の隙を窺い……最初に切断したハズの二本の腕が、ほとんど元の形に再生していることを確認した。
 「高速、再生能力!?」
 「ちょっと、そんな能力まであるの!?」
  驚く暇もなく、再生した腕が攻撃に加わる。合計六本の、三叉槍のような腕による連撃。迂闊な反撃はできない。気を抜けばあっという間に串刺しにされる。背中にシャーリーを背負っていることもあり、攻撃を掠ることすらも許されない。
  ミートチャックで傷を塞ぐことができても、失った血液を取り戻すことはできない。ただでさえ、意識を失うほどに体力を消耗しているのだ。僅かなダメージが追い討ちになりかねないことを、フェイトは痛いほどに理解していた。
  だからこそ、フェイトは反撃ができない。
  僅かな判断ミスで、シャーリーの命が消えかねないのだから。
 「くそっ!」
  思わず、攻撃を躱しながら悪態をつくフェイト。
  だが、敵の大型生物の猛攻は収まらず、それどころかますます激しさを増していく。
  攻撃に押され、それまでいた大部屋から通路に追いやられ、段々と入り口に近づいていく。
  そしてそれは、アカネも同じ。
  ラティオはまだ小さな子供であり、不安定な念動力以外の戦闘手段を持たない。元々身体の弱い彼女には、敵の攻撃を掠っただけで致命傷になりかねないのだ。
  敵の攻撃を捌きながら魔法を使おうにも、攻撃を捌くのに精一杯で別の魔法を使う余裕がない。加え、敵は高速再生能力を有している。そんな相手に中途半端な攻撃は意味を成さない。だが、それ以上の威力のある詠唱魔法をこんな閉所で使えば、こちらにも影響が出てくる。
  だが、反撃の手段がない。
  逃げるという選択肢を選ぶこともできない。
  今でこそ、フェイト達は攻撃を躱し続けているが、それもいつまで続くかどうか。
  このままの状況が続けば、ジリ貧になることは間違いがない。
  何とかして、反撃の糸口を掴まないと。
 「フェイト、さん…………」
  不意に聞こえた、か細い声。
  今にも消えてしまいそうなその声に、しかしフェイトは敏感に反応した。
 「シャーリー!?」
 「フェイトさん、すいません、こんなことになって……」
  意識を取り戻したシャーリー。
  だが、傷はまだ完全に塞がったわけではなく、出血して失った血液自体は回復していないことからも、まだまだ予断を許さない状況だ。
 「ううん、アレは、私の、判断ミス!」
  三本の腕を同時に大きく弾き飛ばし、大型生物から一旦距離を取る。伸縮自在の腕の射程距離は五メートル前後のようで、それ以上離れれば腕を伸ばしてくることはないようだ。だが、その距離を詰めて射程距離に持ち込もうと、予想外の速度でこちらに近づいてくる。
  このしつこさといい、的確な行動を取る点といい、やはり、迂闊に逃げることも許されそうにない。
 「本当に、厄介な化物だな」
  距離を取りながら、今度はアカネが悪態をつく。
 「…………」
  大型生物と一定距離を保つように後退を続けるフェイトとアカネ。段々と遺跡の出口に近づいていく。他の誰かがこの新しく発見された遺跡に近づき、この生物と遭遇してしまうことを考えると、できれば遺跡の中で倒してしまいたい。
  何故なら、遺跡の外でこの大型生物に大魔法を放ったところで、その高速再生能力の前にどれだけ通用するのか、まだ分からないのだから。
 「……フェイトさん、アカネさん」
  小さな、だけどしっかりした声。
 「シャーリー?」
 「……状況は、なんとなく分かりました。閉所で、お二人の真価が発揮できないんですね?」
  シャーリーの的確な指摘に、フェイトとアカネは静かに頷く。
 「うん。私の力は、こういう狭いところでは上手く活かせないから」
 「私もそうだ。こういう場所で炎は使えない」
  フェイトもアカネもすでに経験を積んだ本物の兵だ。
  だからこそ、自分達がこういった閉所でその真価を発揮できないことを、良く知っている。
 「そんなこと、ありませんよ……」
  しかしその言葉を、シャーリーは否定した。
 「どういう、こと?」
  敵との間合いを保ちながら、フェイトは背中のシャーリーに視線を向け、気付いた。
  息も絶え絶え、意識を繋ぎとめるだけで精一杯のハズのシャーリーが、微笑んでいることに。
  その表情を見て、フェイトは思い出す。
  長年連れ添ったパートナーだからこそ、フェイトは知っている。
  この顔は、シャーリーが何かを思いついた時の顔だ。
 「……シャーリー。作戦、任せてもいいかな?」
  そしてもうひとつ、フェイトは知っている。
 「……はい。もちろんです」
  こういう表情のシャーリーが思いついたことは、必ず成功するということを。
 「あなたをサポートするのが、私の仕事ですから」




  シャーリーの策に耳を傾けている内に、いつの間にか遺跡の入り口に近づいていた。
  後数十メートルも後退すれば、遺跡の外に出ることになる。
 「……しっかしまぁ、面白い作戦だな」
 「……お気に召しませんでしたか?」
 「いや。私一人じゃ絶対に思いつかない作戦だ。だから、私はシャーリーの作戦に従うさ」
  相手から意識を離さず、何が起こっても即座に対応できるように神経を集中させる。
  その状態を保ったままシャーリーの話を聞き、アカネは微笑んだ。自分一人だったら考え付きもしないシャーリーの作戦が、心底面白いと言わんばかりに。
  シャーリーとの付き合いの長いフェイト自身も、意識を取り戻してすぐに状況を把握できる理解力と、すぐにそれだけの作戦を思いつく発想力、頭の回転に改めて驚かされる。
  そして、こういった事態で、本来取るべき行動を無視し、自分の我儘を優先させたことを理解してくれる、その優しさと心使いに感謝する。
 「ラティオも、大丈夫だな?」
 「うん。どこまでできるか分からないけど……やってみるよ」
  アカネの背中で、ラティオが頷く。
 「じゃあ、準備はいいですか?」
  シャーリーのその言葉に、フェイト、アカネ、ラティオの三人が反応する。
  張りつめた空気が肌を弄る。
  その感触をあまり味わいたくないと考える自分と――神経が研ぎ澄まされるその感覚が、どこか心地いいと思う自分。
  二つの相反した意識を持つ自分が折り重なって、戦闘態勢の自分が構成される。
  その感覚はやはり、悪くない。
 「……………………いくぞ!」
  アカネが叫ぶ。
  その声と同時にアカネは踏み込み、それまで空けていた距離を縮める。対し、フェイトは更に後ろに下がる。
 『そは磁力の檻。大いなる雷の加護の下、その身を穿て』
  地に足を着き、詠唱開始。マルチタスクが必須の魔導師でも、広範囲高威力の詠唱魔法と他の魔法の同時行使はできるものではない。
 「ラティオ!」
 「うん!」
  敵に接近するアカネ。その急な動きに怯むことなく襲い掛かる六本の腕。
  迫る六本の突きを一瞥し、アカネは自分の身体とラティオの身体を繋ぎとめていたバインドを解除し、金属の床を蹴って飛び上がる。ハルベルトは腰だめに構え、その斧刃に火炎を付加し、巨大な円を描くように振りぬく。
 「はあっ!」
  自分の身体を中心軸とし、まるで独楽のように一回転する。
  その攻撃が普段と異なるのは、アカネが付加した炎が超高密度であるということ。本来ならば刀身全体に付加する熱量をあえて刃の部分にのみ圧縮して付加した。こうすることで火炎の密度を高め、単純な切断だけでなく高熱で焼き切る要素も加わり、より切断力の高い斬撃を放つことができる。
  このアカネの攻撃の要は、高密度の火炎の斬撃で確実に六本の腕を薙ぎ払うこと。これがもし普通の剣のような武器だったら、攻撃範囲が狭く、別々の方向から迫る六本の腕を一度に薙ぎ払うことはできない。だがアカネの愛用するハルベルトのリーチを活用すれば、一気に六本の腕を薙ぎ払うことができる。なまじ速度が速い分、六本の腕は別々の方向から迫るのに、ハルベルトの攻撃範囲内に入るのがほとんど同時になり、タイミングを合わせやすいのだ。
  一方で、飛び上がったアカネの下。アカネの身体から離されたラティオは姿勢をできる限り低くし、アカネが飛び上がると同時にその下を通り抜ける。相手の腕を薙ぎ払ったのとほとんど同時に姿勢を戻し、構える。
  途端、ラティオの腕に感じるのは、圧倒的な存在感。そこに何もないのに、そこに大きな何かがあるように錯覚してしまう。それは、分厚い鉄板ですら容易く破壊するだけの破壊力を有する一撃。
  相手は高速再生能力を持っている。
  だが、その再生は一瞬ではない。構えるラティオの無防備な姿を確認したところで、攻撃するための三叉槍のような腕はもう存在していない。攻撃ができるほどに再生するのに要する時間は数秒。その間に、ラティオの一撃が大型生物に直撃する。
  残された、異様に伸びた口の部分による噛み付きも
 「させるか!」
  アカネの投げたハルベルトが、ラティオの眼前一メートル程の位置で口と牙のある首のような部位をその場に縫い付ける。口元を串刺しにされ、大型生物は鳴き声にならない泣き声をあげる。元より、槍・斧・鉤の特性を併せ持つハルベルト。ただの戦斧のような凡庸な使い方をするようでは、その真価を発揮することはできない。無論、それだけの多様な効果は、生半可な腕前の持主では活かし切ることができない。
  アカネの腕前があってこそ、投擲槍のような使い方も可能なのだ。
  そして、ラティオのチャージも完了する。
  放たれるのは、まるで大型トラックの衝突のような一撃。密閉された通路に響くのは、大型生物の強固な筋繊維が潰れ、体内で行き場を失った体液や内臓が裂けた皮膚の隙間から漏れる音と、その巨大な身体を支える太くて硬い骨格がひしゃげ、砕けて己の肉体を破壊する鈍い音。
  肉体を破壊されながら、大型生物は通路の奥側に押し込まれる。
  本来ならただの肉塊に成り果てるようなその攻撃を受けて、しかし大型生物は未だ再生を続けている。さすがに時間はかかりそうだがそれでも、十数秒後には元の姿に戻るだろう。
  その攻撃を確認してから、着地したアカネがラティオを抱えて後ろに下がる。
 「フェイト!」
  足元に展開した、黄色のミッドチルダ式魔方陣。
  周囲に循環するのは、フェイトのコマンドによって構成された指向性のある魔力の流れ。
  ただのエネルギーである魔力が変換され、周囲の空気に独特の雰囲気が漂う。
  そしてその魔力の流れの中心にいるのは、金髪赤目の女性。黒いバリアジャケットに身を包み、その手に戦斧型デバイス・バルディッシュを持つ、管理局最速の執務官。彼女の瞳は、まっすぐと大型生物を見据えている。
  その姿はまるで、雷を従える美しい女死神。
 『Magnetic Field』
  聞きなれた、男性の機械音声。
  瞬間的に感じる、巨大な魔力の奔流。
  直後、大型生物に襲い掛かったのは強烈な圧力。お互いに結合しようと蠢く肉片が金属の床に無理矢理押し付けられ、再生が阻害される。そのまま押し潰されてしまいそうなほどの圧力で、再生といった細かな動きですら封じられる。
  フェイトの詠唱魔法、マグネティックフィールド。
  対象を強制的に磁化させ、その対象の足元を対象とは別の極に磁化することで、対象を引き付ける。磁石と同じ現象だ。この魔法の場合は、対象そのものを磁石のようにしてしまうため、まるで本物の磁石のように対象そのものを磁力で縛り付けることができる。
  恐ろしいのは、例えば重りなどで押し付けた場合に圧力は面にのみかかるが、この魔法では対象全体が磁化しているので、外側だけでなく内側の構成物質ですら分子レベルで引き付けられることだ。構成物質そのものが引き付けられる対象となるため、対象物の強度など関係ない。この魔法が発動し続けている限り対象の構成分子はそれぞれがまるで磁石のように引き付けられ続け、内側から外側に向かう強烈な引力によって、いずれは自壊する。
  いくら再生力が強力であろうとも、破壊されバラバラになった組織が繋がらなければ意味がない。
  再生を阻害し、それ以上に肉体を自壊に追い込む。
  だが、それですら、フェイト達にとっては時間稼ぎに過ぎない。
  肝心なのは、この大型生物の攻撃と再生を封じた上で、完膚なきまでに破壊することなのだ。
 『烈風なりし天神、今裁きのもと撃ち砕け。颶風なりし雷神、今断罪のもと薙ぎ払え。プラズマランサー・バルカンファランクスシフト』
 『燃え盛れ、蒼き焔。焼き尽くせ』
  密閉空間では、フェイトやアカネの使う魔法のような、広範囲に影響を与えやすい雷撃系や炎熱系の魔法は使いにくい。密閉空間では本来拡散するべき魔力が狭い場所に密集し、本来の効果を発揮できないどころか、逃げ場を失った余剰魔力が自分達にも悪影響を及ぼすからだ。
  だが同じ密閉空間でも、フェイト達のいるような通路上の場所ではその条件は微妙に異なってくる。
  要は、大砲の砲身のようなものなのだ。
  その内部でどのような爆発が起きようとも、通路上の空間なら、ニ方向にしか攻撃の影響がでることはない。
  そして、もうひとつ。
  密閉空間だから余剰魔力の逃げ場がない、ではなく、余剰魔力ですら攻撃力にまわせると考えて魔法を使えば良いのだ。
 『撃ち砕け、ファイア!!』
 『Plasma Lancer Vulcan Phalanx Shift』
 『煉獄蒼炎!!』
  放たれるのは、無数の雷槍。機関砲の如きその攻撃は、動きを完全に封じられた大型生物の肉体を更に粉々に粉砕していく。
  加えて、アカネの放った炎熱魔法。小細工無し。ただ単純に、純粋な熱量にて対象を焼き尽くす。通常の魔法と異なる点は、あまりの高熱に炎が蒼色をしているということか。一万度を超える火炎が、フェイトが粉々にした肉片を確実に消し炭にする。
  どれだけ強固な再生能力を有しようとも。
  その再生能力が生物の身体能力の延長線上にある限り、灰にまでなってしまった肉体を修復することは、絶対にできない。
  二人の魔法を組み合わせて、細胞のひとつすら残さず、すべてを灰に変える。
  やがて、一分が過ぎた頃。
  攻撃の手を止めた二人の前にあるのはたんぱく質の塊ではなく、ただの炭素化合物の山。
  二人は数多くの戦場を経験してきた、歴戦の勇士。自分の能力を確実に把握し、得手不得手も良く理解している。そういう人間は、自分達に不利な場所での戦闘は極力避けようとする。止むを得ない状況でも、その状態を改善することを指針として行動する。
  だからこそ。
  こういう場所での戦闘を意図的に避けていたからこそ、経験不足で気付けなかった盲点。
  魔法にしても、何にしても。要は使い方なのだ。
  不利な場所だから自分達の力は活用できないと、そう思い込んでいた。
  その間違いに気付かされ、フェイトとアカネは改めて驚く。
  死に掛けの状態から自分達の思考を逆転させる作戦を考えたシャーリーに、あの大型生物を一時再生不能に追い込むまでのラティオの能力を、そして、閉所でも十分に戦える、自分達の実力を。
  課題も、考えるべきことも、まだまだ尽きない。
  だがここに来て、自分達はまだ成長過程にあるのだと、そう考えさせられたのだった。








          ※








  ミートチャックの効果でひとまず傷が塞がり、一命を取り留めたシャーリー。
  しかし失った血液は多く、体力的にはかなり消耗していた。
  そんな状態のシャーリーがまともに動けるハズもなく、そうは言ってもシャーリーの体力が回復するまでガーベッジに滞在するような時間的余裕もない。突然消え去ったクロノ達の状態が分からず、そしてジャックに完全に目をつけられてしまった以上、抵抗勢力の本拠地の近いガーベッジでの休息は得策ではないのだ。
  求められるのは、迅速な合流と、シャーリーが回復できる場所の確保。
  その全てを考慮し、フェイト達は進路を北に取った。
  目的地は、この世界での最大都市であり人口・経済・情報・政治の中心、王都アクアエリー。
  技術的にも発展しているアクアエリーでならばシャーリーの治療の手段と場所が確保でき、抵抗勢力の本拠地からも遠く、現政権の本拠地でもあるここに容易に接近することはできない。何よりアーティファクト研究の盛んなここでならば、クロノ達が消失した原因となったアーティファクトの手がかりが掴めるかもしれない。
  一番の問題は、アクアエリーまで移動する際にシャーリーの体力が持つのか、ということだったが、そこは先進世界の住民。フェイト達が持参した体力増強剤と、アカネが所持していたこの世界の気付薬のようなものを併用して一時的に体力を回復させ、フェイトの飛行魔法でアクアエリーに到着した。
  急いでいたため飛行手段を持たないアカネやラティオとは別行動になってしまったが、彼女達もミートチャックやそれまでに手に入れたアーティファクトを売るためにアクアエリーに用があるため、後で合流することになっている。ガーベッジ―アクアエリー間は徒歩で一週間程度らしいので、その間は、フェイト達の単独行動となる。
  そういうわけで、フェイト達がアクアエリーに到着してか三日が過ぎた。
 「…………」
  フェイト達が思っていたよりもこの世界の医療技術は優れており、ミートチャックで傷が塞がっていたこともあり、輸血と栄養補給、そして三日間の十分な休養を取ったシャーリーは、全快とまではいかなくてももうほとんど回復していた。
  尤も、輸血されたのは普通の血液ではなく、アーティファクトとして産出する人工血液のようなものだったが。一応スキャナーで調べてみたが、その人工血液はフェイト達の世界で使われているそれと遜色がないほどの出来だった。
 「どうかしたんですか、フェイトさん?」
  こっそり持参した薬を使っていたということもあり、ほとんど体力が回復したシャーリーは退院の許可をもらったため、フェイトとシャーリーは改めてアクアエリーを見て回っていた。
 「ああ、いや……なんでもないよ」
  少し立ち止まったことを尋ねられ、フェイトはなんでもないと首を振った。
  この世界での違和感なんて、今更のことで。だからこそ、多少の違和感には目を瞑ることにしたのだ。
 「……兵隊さん、ですかね」
 「治安維持と警察の役割を兼ねているのかな?」
  フェイトの視線の先にいたのは、二人で歩いている男性。簡単な鎧を装着し、腰には細身の両手剣を下げている。その装備と周囲を観察するような仕草から、二人は彼らのことをパトロール中の警察のようなものだと判断した。
 「うーん……?」
  彼らの姿を見て、今度はシャーリーが首を傾げた。
 「シャーリーも、やっぱりおかしいと思う?」
 「はい。何と言いますか、この世界とはバランスが悪い、って感じがするんですよ」
 「でも、一番の違和感は」
 「この街の造り、ですね」
  溜息をついて、二人は改めて周囲を一瞥する。
  王都アクアエリーの街並み。
  全体の造りとしては、街の中心から放射線状に延びる六つの大通りと、そこから幾何学的な模様を描く大小様々な道。上空からこの街を見たら、まるで幾何学模様が描かれた円盤のように見えるのだろう。円形都市と呼ばれる構造をしている。
  そして、他の都市とこの王都を隔てる最大の特徴として、街の中心部に進めば進むほど、先日調査した遺跡と同じような金属で出来た建物が多いということだろう。所々にあるのはそれまでと変わりない造りの建物なのだが、街の中心部にある建物や重要な施設は、謎の金属で作られている。
  古代文明の建造物をそのまま利用し、発展させた街並み。
  古代遺跡のような建物と発展途上文明の建物が同居しているというのは、中々不思議な光景だった。
 「そして街の中心部にあるのが、この世界最大の遺跡。この王都全体が遺跡のようなもの……って、何だか凄いですね」
 「うん。そうだね」
  シャーリーの素直な感想にフェイトは頷く。
  この王都の街並みは、どのような道を歩いても、最終的に街の中心部に辿り着けるようにできている。
  そして、この街の中心部にあるのが、この世界最大の遺跡。
  この大陸を貫かんばかりに地下深くまで遺跡が続いており、一番初めに探索が始まった遺跡でありながら、未だに探索が終了していない。それだけの広大さと深さを持ち合わせ、中に生息する生物の強さも他の遺跡とは段違い。
  この遺跡がかつて存在していたであろう古代文明の要であったことは想像に易い。
  つまり、この遺跡を調査すれば、クロノ達の手がかりが掴める可能性が高い。
  そういう可能性も考慮し、フェイトはこの遺跡を調査するつもりなのだ。
 「問題は、この遺跡の探索許可、か」
  ただし、王都から直接繋がる最大規模の遺跡ということで、この遺跡の探索には王立研究所の許可が必要なのだ。内部の生物が段違いに強いということも考慮すると、安全面からの配慮もあるのだろう。
  強行突破するという手もあるのだが、そうすれば先ほど見かけた治安維持部隊に攻撃されてしまう。遺跡の広大さや探査にかかる時間的に、彼らと波風立てるのはできるだけ避けたいところだ。
  となると、やはり王立研究所から探索許可を貰うことが必要になってくる。
  王立研究所。その名の通り、この世界を統治する王のような人物の名の下、遺跡や遺跡から産出するアーティファクトの研究をする組織である。その本拠地があるのは街の中心部、遺跡のすぐ傍にある。
  そのため、フェイト達は街の探索を兼ねながら、街の中心部に向かっていた。
 「シャーリーは、身体の方はもう大丈夫?」
 「はい。もうすっかり元気です!」
  明るい笑顔でガッツポーズをするシャーリー。
  しかしその笑顔を見て、フェイトは少し表情を曇らせた。
 「…………嘘、だよね?」
 「…………やっぱり、分かります?」
 「当たり前だよ。一体どれだけ、私がシャーリーと一緒にいると思ってるの?」
 「……ごめんなさい。正直、まだ本調子じゃありません。でも、悲観するほどでもありませんよ。一両日中には完全回復です」
 「だと、いいけど」
 「大丈夫です。私だって、子供じゃないんです。本当に駄目な時は、ちゃんと言います。だから、そんなに心配しないでください」
  お互いのことを気遣ったやり取り。
  でもそれは、仕事上の上辺だけのやり取りではない。
  仕事上の上司部下、そういう関係を除いて、二人はお互いのことを心配しているのだ。
 「……あ、あれですかね?」
  そういうやり取りをしている内に、シャーリーが何かを指差した。
  その先にあるのは、四人の兵に守られるように鎮座する遺跡の入り口と思われる建造物。
  そして。
 「…………え?」
  その入り口にいたのは、一組の男女。
  二人が着ているのは、フェイト達が着ているそれと同じ、管理局の特殊作業服だった。