確実に勝てると、王都正規軍の頭、リック・ガーランドは思っていた。
  確かに自分達の軍には実戦経験はほとんどない。そもそも、この世界に存在する大陸は自分達の暮らしている一つだけしかなく、国も一つしか存在していない。戦争という、一国の軍と軍がぶつかりあうことなど、まずありえないことだった。
  そのため、大隊規模の実戦経験を持つ者は、自分を含めこの軍には存在していない。むしろ、遺跡の探索や、遺跡内外に存在する凶暴な大型生物達の相手をする、小隊規模の戦いの方が圧倒的に多かった。
  しかしそれでも、文書として残されていた過去のデータや戦術を学び、訓練を重ね、理論としては大隊規模の戦い方を知っている。いつか来るかもしれない脅威から一般市民を守るために、自分達は訓練を続けていた。
  そしてその訓練の意味は、抵抗勢力の王都侵攻阻止、という今回の作戦で初めて発揮されることになった。彼らの主義主張にあまり興味はない。自分達はただ、人々を脅威から守るために戦うのだ。
  やがて戦いが始まり、戦況は王都正規軍が優勢だった。
  根本的な人数の違いもあるが、実際、大規模戦線に関してはほとんど初陣に近い仲間達は、本当によく戦ってくれている。皆の努力があったから、この戦闘は被害もあまり出さずに集結すると……そう、思っていた。
  だが戦況は、部隊後方……街中からの奇襲によって一転した。
  始めから王都内に人を潜ませていたのか、裏切られたのか、詳細は分からない。ただ、確かな事実として、後方から奇襲されたという事実だけが現実だった。
  そして何より、実戦経験のなさが、状況を更に悪化された。
  奇襲による混乱で、部隊は一気に瓦解。
  陣形も作戦も何もなく、この泥沼の戦場で、どこから襲い来るかも分からない相手に対処することしかできない。
  無論それは、本来前線に出ることのない自分も同じこと。
 「おおおおおお!」
  襲い来る敵を相手に、相棒の突撃槍『シルバーソル』を振るう。
  ただ、突撃槍というものは、このような乱戦状況には圧倒的に向かない。一撃の威力はあるものの、密集地帯で、細かい取り回しができないからだ。
  本来単騎戦でこそ、威力を発揮するもので――
 「大将、リック・ガーランド! その首貰ったぁ!」
 「しまった!?」
  背後からの奇襲。
  リックはその脅威に反応しつつも、大型の突撃槍による迎撃が間に合わない。
  自身の思考に旋回速度が追い付かず、敵の刃が頭上に煌めき、諦めかけたところで、
 『Sirius form』
 『Adler form』
  自分に肉薄していた敵が、何かによって大きく弾き飛ばされた。
 「リック、大丈夫か!?」
  そうして、半ば呆然とする自分の前に現れたのは。
  複数の武器を操り、見たこともない戦闘着を着て戦う、別の世界から来た戦士――コルト・サウザンドの姿だった。




               ※




  戦場を見ると、思うことがある。
  人が命を奪いあってまで争う理由。その理由の建前はどうであれ……その本質は、どのような戦場でも変わりはない。
  イデオロギーの対立で、戦争なんて起こらない。
  そこにあるのは、他を顧みない、一部の人間の欲望。
  コルトはその中で、更にどす黒い理由を知っている。
  何故なら、自分も、自分の大切な人も、かつてそういう世界で、毎日を必死に生きてきたのだから。
 「コルト殿……すまない。手間をかけさせる。……だが、いいのか?」
  間一髪のところで、リックの危機を救ったコルト。
  大将の死亡というのは、部隊の崩壊を意味する。
  そういう意味でも、コルトの行為は、この世界の歴史に途方もない影響を与えるものだった。
  加えて、コルトはこの世界の支配者階級とはいえ、一部の人間に自身の正体がばれており、その上で彼らと親交を結んでいるのだ。事実、今コルトが助けた王都正規軍の最高責任者であるリックとは、ここしばらくで個人的に仲良くなっている。
  これでは、自分の感情でこの世界の歴史に干渉していると言われても反論することはできない。
  そういった事情を知っているからこその、リックの言葉なのだが。
 「構わん。事情が変わった」
  事態は、そのような悠長なことを言っている場合ではなくなっているのだ。
  そもそも、『発展途上世界にはなるべく干渉しないことが望ましい。発展途上世界において、先進世界の技術や情報を流出させてはならない』という決まりは、あくまでもその世界の歴史を不用意に捻じ曲げないための道義的配慮であり、自分の身の安全よりも優先して達成すべきことではない。事実、管理局側でも、身の安全と引き換えにしてまでこれを守ることは推奨していない。
  ましてや、次元犯罪者の歴史干渉を防ぐことよりも優先されるべきことでは、決してない。
  この戦いは、ジャックという歪んだ狂気によって造られた、正に無意味な戦い。
  そのような戦いを静観することは、管理局の仕事ではないのだ。
 「……どういうことだ?」
 「詳しい説明をしている時間はない。ただ、俺が王都正規軍に加勢して、『オリハルコン』を“誰も殺さずに“止めることを許してほしい」
  普段のコルトからは考えられないほどの、真剣な表情。
  コルトは情に厚く、どちらかと言えば感情で動く方の人間だが、決して愚か者ではない。むしろコルトのことを上辺でしか知らない人間が驚くほどに、コルトはリアリストだ。
  矛盾した内面を持つようだが、実はそうでもない。
  現実的な考えに基づいた状況判断をし、その上で、そうすることが必要だから、あるいはそうすることが最善だと判断したから、管理局の決まりをぶっちぎるのだ。
  感情で動くだけの熱血直情家では、管理局で執務官なんてやっていられない。始末書を千枚も仕上げながらも、なんだかんだで執務官でいられることが、彼の本質的有能さを端的に表現していた。
  今回も、そういった思慮の上で王都正規軍に付くことを決断したのだ。
  王都正規軍は、元々数や錬度で圧倒的に抵抗勢力を上回っている。今は乱戦状態であり、戦況が抵抗勢力に傾いているから王都正規軍が不利なだけであって、隊列を整えるかあるいは戦況が王都正規軍に傾きさえすれば、数で劣る抵抗勢力を抑え込むことができる。
  この無用な戦いを早く終わらせるために、多少の犠牲が出ても絶対数を少なくすることのでき、戦闘後も混乱の少ない正規軍一万に味方する。何も考えていないようで、その実現場の状態に基づいた論理的な思考の元行動しているのだ。仮に抵抗勢力の方が客観的に見て有利な立場にあれば、コルトは迷わずそちら側に付いただろう。
  これがもしフェイトだと、どちらの陣営につくこともできず、犠牲を出さないように戦い動くため、最終的には誰も傷つけない代わりに自分が傷つくだろう。そして自分を犠牲にした上で、この戦いを終結させる。フェイト・T・ハラオウンとはそういう人物であり、それができるだけの実力と信念があるのだ。
  フェイトは、本当の意味で理想を追い求める。目の前の一も全体の千も助けようとする人。
  コルトは、大局で戦況を判断する、目の前の一を犠牲に千を助けることができる人。
  どちらが正しいというわけではない。
  それはあくまでも個々人の資質の問題であり、それを踏まえた上で、コルトは人選を決めたのだ。
  物事を割り切ることのできる自分が、迅速かつ冷静な判断の必要とされる戦場へ。
  誰かのために本気で戦うことのできるフェイトが、この戦いの黒幕であるジャック討伐へ。
  適材適所というやつだ。
  その上で“誰も殺さずに”という条件を自分に課したのは、何も管理局の局員特有の義務感からではない。
  いくら割り切れるからといったところで、人の命というものは、あまりにも重いものなのだ、ということが一つ。
 「……断る理由がないな。君のような人間が敵になるというのであれば全力で阻止しなければならないが、味方になると言うのならば、それを拒む必然性がない。……頼りにさせてもらうぞ、コルトよ」
 「ああ。ありがとう、リック」
 「なに。礼を言うのはこちらの方さ」
  ほんの数日前に知り合ったとは思えないようなやり取り。
  王都正規軍リック・ガーランドは、コルトの戦闘能力を完全に信用していた。
  そうでもなければ、出会って数日の男が自分達の指揮下に入らずに戦場で暴れることを肯定することはないだろう。
  それだけ、信じられているということなのだ。
  コルトという男一人が、この泥沼の戦闘を収束させるということが。
 「……で、敵のリーダーは誰なんだ?」
 「『オリハルコン』のリーダーという意味では、ジャック・メサイアがリーダーだ。だが、どうやらこの戦場では、キース・ディエルが奴らを指揮しているようだ」
 「キース・ディエル?」
 「『オリハルコン』のナンバー2だ。……はっきり言って狂人だが、その実力は本物だ。気をつけろよ」
 「ああ。任せろ」
  最後に一言そう言い残し、コルトはリックに背を向けた。
 「こんな戦い、絶対に終わらせてみせる」
  そして何より、コルトがこの戦いで死人を出さないと決心したのは、コルトの過去にも理由がある。
  造られた戦争。
  一部の人間のエゴのために大勢の人間が犠牲になり、戦う姿。
  イデオロギーの対立が原因の戦争など、絶対に起こり得ない。
  そう思い知らされた、今のコルトの根幹を造り上げた出来事。
  とある世界を滅亡まで追い込んだその事件で、コルトは。
  十年近くが過ぎた今でも癒えない傷を背負った少女のことを、良く知っている。




           ※




  そもそも、抵抗勢力の勝利条件とは何なのか。
  この世界に新たな秩序をもたらそうとする彼らにとって重要なのは、現時点でこの世界を統治する最高権力者になり替わる、ということだ。
  そのリーダーの思惑がどうであれ、抵抗勢力の構成員達は、何もこの世界を滅亡に導きたいわけではない。多少の犠牲には目を瞑ってでも現状を革命するべきだと立ち上がったから、今こうして戦っているのだ。
  だが実際のところ、今のこの世界の社会情勢は本来ならば革命のような事件が起こるほど悪いわけではない。むしろ、この世界に存在する住民達の中に、社会情勢のせいで明日の生活にも困るような有様の人間はいないのだ。
  この戦いは、ちょっとした価値観の違いを煽り、暴走させた、造られたものであり、その真実はどうであれ、この戦いに参加するほとんどの者達は、この戦いがイデオロギーによって起こったものだと考え、そして抵抗勢力の構成員達は、自分達のことを聖騎士か何かだと勘違いしている……させられている。
  彼らの根底にあるのは、一種の信仰のようなものだ。
  むしろ生活が豊かだから、このような感情による争いごとを引き起こせた……というのは、皮肉なことでしかない。
  そんな彼らの戦意を喪失させるには、彼らの信仰の象徴を打ち砕くこと。
  下手に武力で鎮圧しても、彼らの心は変わりはしない。信仰とも呼ぶべき妄信こそが、彼らの信念なのだ。そのようなものを武力で打ち砕くことができないのは歴史が証明しているし、何より、そういった人間の思考をコルトは痛いほどに知っている。
  だからコルトは、彼らの今の象徴であり導き手であり、この戦いの最高責任者である、抵抗勢力ナンバー2を狙う。
  自分達は正しく、正しい者が戦闘に勝利する。そのような考えの元、一万対三千という無茶苦茶な戦力差で戦闘を開始した彼らの信仰を打ち砕くのだ。一度始まったこの戦いこそ止まらないかもしれないが、彼らの戦意は相当弱まるだろう。そうなれば、あとは正規軍に任せればいい。
  だから。
 『Flugel form』
  敵味方入り乱れる戦場を駆け抜けながら、コルトはアームドデバイス『ムラクモ』を変化させる。第六形態、大剣型のアトラーフォルムから、第五形態フューゲルフォルムへ。
  一瞬の輝きの後にコルトの両手に収まるのは、柄と刃の付け根が曲線を描く“へ”の字型の両刃剣と、片手で振れるサイズの小型戦斧。
  間髪入れずに、コルトは右手にしたへの字型両刃剣を前方に投擲する。魔力を加えられたそれは多少の衝撃に屈することもなく、目の前に立ちはだかる一般構成員達を次々と薙ぎ払う。
  そして横から襲い来る構成員達も、左手に持った小型戦斧で薙ぎ払い、戦場を駆ける。
 「もらったぁ!」
  背後からの奇襲。振りかぶられた刃。
  頭上から迫りくる剣戟に、コルトは少しも表情を歪めることなく、姿勢を低くする。次の瞬間、それまでコルトの頭があった位置には、つい先程前方に投擲したはずの、への字型両刃剣の姿。振り下ろされた刃の軌道を変えることもなく、構成員の顎に、両刃剣がクリーンヒットする。
  跳ね返り、自分の元に帰ってきたへの字型両刃剣を後ろ手で掴み、コルトは更に前へと進む。
  アームドデバイス『ムラクモ』第五形態、フューゲルフォルム。
  複数の形状のデバイスを操り、かなり変則的な戦い方をするコルトの持つ武器の中でも更に異質、その存在そのものがトリッキーな武器の組み合わせ。
  右手に持つのは、への字型両刃剣……片刃のブーメラン。
  左手に持つのは、小型戦斧……ハンドアックス。
  投擲と斬撃を同時に行うそれは、二刀流と呼ぶのも憚られる。
  おそらく次元世界でも数人しか使いこなせないであろうデバイスを手に、コルトは抵抗勢力を薙ぎ払う。異変に気付き、コルトの前に次々と抵抗勢力が立ちはだかるが、そのすべてを一蹴する。元はただの一般市民、駆けるコルトを止められる者は存在せず、その通った後は、この混沌の戦場で、まるで道のように開けていた。
  そして、その道の先には、三千の抵抗勢力の中でも、特別な姿をした者。
  年の瀬は、おそらく三十前半程の男。その全身を保護する赤鉄色の鎧と、それに施された禍々しい装飾から、遠目にもその姿を確認することができる。背中には身長と同じほどの太刀を担ぎ、リーダーらしく後方から戦況を見ていたようだが、コルトの接近に気付き、接敵と同時に、背中の太刀を横薙ぎに振りぬいた。
  だが、その攻撃をコルトは回避し、一旦距離を取る。
  お互いの間合い。どちらからでも斬りかかることのできる距離で、しかし両者とも動かない。
 「……何者だ?」
 「……コルト・サウザンド。王都正規軍の助っ人で、ジャックの言う、別の世界から来た人間だ」
 「ほう。お前が、か。話には聞いていたが……そのお前が、この俺に何か用でもあるのか? まさか、俺を倒しに来たとでも?」
 「……その前に一つだけ、聞いておきたいことがある」
 「何だ?」
 「お前は、ジャック・メサイアの真の目的を知っているのか?」
 「…………ああ、そのことか。知らないわけがないだろう? なぁ、お前はどうして、俺が『オリハルコン』のナンバー2でいられるんだと思う?」
 「…………強いから、か?」
 「いや、違うね。確かに俺は『オリハルコン』の中でも二番目に強いが、それだけじゃない。考えてみろ。もしも『オリハルコン』の真っ当な構成員……まぁ、自己陶酔の極みに近いあいつらが真っ当なのか、ということは別でな。あいつらがナンバー2だった場合、ジャックの狂気に気付かずにいられると思うか?」
 「…………」
 「答えはノーだ。そんなわけがない。きっとそいつはジャックの狂気に気付いて、自分達の存在意義を誰かに問うだろう。疑問に思い、他の奴らにもそれを話すだろう。『オリハルコン』ってのは、ただでさえ不安定な組織なんだ。それこそ、膨らみきった泡みたいな、な」
  半ば一方的に語るキース。
  その表情はとても愉快そうで、まるで自分の武勇伝を自慢しているような、そんな感じがした。
 「だから、俺がナンバー2なんだ。奴の狂気を理解でき、それを支援しようと思える俺だから、ナンバー2に選ばれたんだよ」
 「……なら、お前もこの世界を進化させる、なんて考えているのか?」
 「まさか。……そんなこと、俺にとっちゃどうでもいいんだ」
 「どうでもいい?」
 「ああ、そうさ。……俺もな、狂ってるんだよ。そうでもなきゃ、こういう風に、人々を扇動して争わせる……なんてことに、悦びなんて覚えないさ」
  その時コルトの脳裏に浮かんだのは、過去に出会った人間達の姿。
  己が快楽のために争いを扇動し、己の欲の為にそれを支援した人間達。
  自分のために他人を犠牲にすることにむしろ悦びを覚える……そんな類の、絶対に分かりあえない人種の姿。
 「他人の不幸は蜜の味、ってやつだよな。騙されているとも知らずに、意味のない使命感に浮かされて喜んで死んでいくんだぞ? そうやって死んでいく奴らが、真実を知ったらどういう顔をするんだろうな? 俺は、そういう表情を見るのが好きなんだ。本当に滑稽で、愉快で、まるで特上の喜劇を見てるみたいで――」
 「もういい」
  静かな、完全に感情を押し殺した声で、コルトはキースを静止した。
 「なんだよ。ここからが、いいところなんだぞ?」
 「もういい。黙れ」
  いつもの飄々とした親しみやすさの完全に消え去った声。
  コルトも、自分自身が分かっている。
  こんな顔を、誰かに見られるわけにはいかない。
  それが分かっていても、感情を完全に抑えきることができない。
  …………昔の戦いを、思い出したのだ。
  あの時も、事件の黒幕には、こんな人間がいた。
  金儲け、なんて理由で戦争を煽るなら、まだ分かりやすい。
  だが、誰かが自分の掌で踊り殺しあう様を見るのが愉快で堪らない。あるいは、己の手で最も凄惨な方法で人を苦しめるのが大好きだ。自分は人の人生を操作することができると思い上がり、楽しみのために人を奈落の底へ叩き落とす。本人は、薄ら笑いを浮かべながら。
  結局のところ、思い上がりなのだ。
  自分は人の人生を操作できるほどの優れた人間で、そんな自分は自分のために人の人生を歪めてもいいという、独りよがりで身勝手な思い上がり。自分は安全な場所で、演劇でも見るかのようにそれを眺め、人の苦しみと悲しみに歓声を送る。
  そんな連中が起こした狂気を身を持って体験し、その狂気に今でも苦しめられる大切な人がいるコルトにとって、キースのような人物は、唾棄すべき存在でしかない。
  情に厚くて、だけどリアリストなコルト。いつも誰かのために怒って、誰かのために戦う。それでも感情だけでは動かないから、きちんと怒るべき相手と場所を考えて、その上で感情が理屈を上回ったら、覚悟を決めて、管理局の決まりを打ち破る。
  そんな彼が、己の感情それだけで本物の怒りを覚えるのは、いつ以来なのだろうか。
 「…………」
  無言で、バックルに差し込まれたカードを取り出し、裏返す。青色のラインが入った面を表にし、バックルに再び挿入する。表示されるのは、青色のPの文字。
 「――フルドライブ」
  そして、静かに宣言する。
  次の瞬間、コルトの全身を覆う白銀色の光。一瞬の輝きの後に、再びコルトがその姿を現す。
  その身を包むのは、軽装の鎧。篭手も、肩当ても、鎧も、フォートも、グリーブも、そのすべてが必要最小限。唯一の防御手段は、左腕に装着された小型の盾くらいのもの。相手の攻撃を防御することよりも、回避し受け流すことを念頭に置いた装備。
  そして両手に握るのは、細身両刃の双剣。単体の大きさとしては、コルトが普段から愛用する片手剣と同等。ただし、鐔を取り外し、柄から刃の先まで完全に直刃にすることで、徹底的な最適化を施されている。
 『Procyon form』
 『sturm form』
  ストレージデバイス『ツクヨミ』第三形態、プロキオンフォーム。
  アームドデバイス『ムラクモ』第十形態”フルドライブ“スタームフォルム。
  機動力重視のバリアジャケットと、攻撃力重視の双剣型デバイス。
  複数の得物を使いこなすコルトが最終的に導き出した、一つの最強の答え。
 「……抜けよ。キース・ディアル。お前の思い上がりを、俺が破壊する」
  静かな怒りを湛えたコルトに対し、それでも表情から嘲りが消えないキース。
  口元を醜く歪めたまま背中の太刀を抜き、改めてコルトと対峙する。
  その瞬間、コルトは、前に飛び出していた。 




 「……っ!」
  一気に息を吸い込み、呼吸を止める。
  イメージは、爆発。地面を蹴り、その衝撃で足元が弾けるほどの強烈な踏み込み。
  すでに剣は構えている。右腕は振り上げ、左腕は後方に伸ばす。
  跳ぶ。誰よりも迅く、誰よりも遠くへ。
  踏み込む。何よりも深く、何よりも強烈に。
  “迅竜瞬動・閃”
  かつてコルトが戦場で出会った騎士に三つだけ習った、とある武術の奥義。
  習った期間は一年にも満たないような短い期間で、それでも、コルトが師と呼べる人物は、その時に教わった、たったの一人だけ。
  すでに滅んでしまった世界にあったとある流派の、最後の一人の後継者。
  その技のほとんどは失われてしまったが、その誇りと魂だけは、コルトの中に生きている。
 「な!?」
  不意打ちに近い高速撃に、キースの表情から嘲りが消える。
  そんなことお構いなしに、コルトは双剣を振りぬく。上から下へ、左から右へ。丁度太刀筋が十文字を描くような剣戟を、キースは間一髪で受け止める。瞬間、戦場に響き渡るのは、鈍い金属音。音の余韻は、周囲の騒音にかき消される。
 「お前、卑怯――」
  攻撃の手を休めない。
  止められた斬撃の反動を利用し、返す刃で太刀を押し切る。そのまま弧を描くように右手を振り上げ、振り下ろす。同時に左腕を左下に下ろし、円弧状に両腕を振り上げる。その勢いを殺さず身体ごと回転し、下段突き。地面を削るほどに低く円を描き、再び身体ごと回転。全身のバネと勢いを上乗せして両腕で斬り払う。
  その状態から両腕を突き出し、右足を更に踏み込む。刃が交差するように突き、両側に切り開く。後ろにステップを踏み、反撃を回避する。
 「くそ――」
  コルトの狙いは、太刀そのもの。
  再び踏み込み、右腕振り上げ振り下ろし。半秒ずらして左腕も左右対称の軌道。切り上げ切り下ろし薙ぎ払い。横から縦へ。斬戟から突き。無作為なようで、その一撃一撃の威力が抜けることはない。乱舞、乱舞、乱舞。双剣の最大の武器、両手武器には敵わない圧倒的な手数を武器に、敵を攻め続ける。
 「この――」
  敵の状態など、関係ない。
  防御を一切度外視し、徹底的に攻め続ける。
  “轟竜乱舞・砕”
  武器破壊であり、対人攻撃。
  十重二十重の剣戟の軌道は、しかし最終的には同じ個所を通過する。
  圧倒的火力。前の攻撃の衝撃が消えぬ内に次の攻撃を一点に叩きこむ。
  同じ個所への連続衝撃は、確実に疲労破壊を呼び起こす。
  耐え止まぬ金属音。嵐のような猛攻。
  やがて、その連撃を締めくくったのは、渾身の力を込めた両刃振り下ろし。
  武器破壊。半ば捨て身の乱舞の真意にようやく気付いたキースがコルトから距離を取り、その一撃は太刀に掠っただけで終わる。
  だが、コルトも、キースも、気付いている。
  この乱舞が完結していれば、確実に太刀が破壊されていたことに。
 「…………」
  無表情。
  感情の一切を顔に出さず、コルトもキースから間合いを取る。
 「……お前、本当に正規軍側の人間か?」
 「……どういう意味だ?」
 「その戦い方は、秩序を守る側の戦い方じゃない」
  敵の構えを待たず、卑怯とも取れる速攻。
  一切の防御を捨て、乱舞のみの攻撃。
  微塵の躊躇いもない、驚異的な太刀筋。
  本来、良心のある人間である限り、相手が構える前には攻撃しない。敵の攻撃を恐れ、攻撃の際にも防御や回避を念頭に置く。人の心を持つ限り、相手が誰であれ人を傷つけるということに、人は僅かでも躊躇いを覚える。
  その、人間らしい心の……良心を持ち、だからこそ秩序側に回った人間としての心が一切感じられない戦い方に、キースですら動揺していた。
 「……外道に、容赦なんて必要かよ」
  対し、反大勢側であり、人としての良心を持たないキースに、コルトは答える。
  その声にあるのは、複雑な感情。
  押し殺された、熱い想いと、黒い感情。
  それは、人間の心を覆う『道徳』で包まれていない、ある意味で途方もなく人間らしい感情で。
  だからこそ――キースは、心の底から恐怖した。
 「お前のような人間には……絶対に理解できない」
  静かに。
  あくまでも静かに、コルトは告げる。
 「毎日を必死に生きる、人間の心がな」
  構える。
  身体の前で両腕を交差。右の刃が左腰に、左の刃が右腰に来るように、刃を帯びる。
  それは、双剣独特の居合の構え。
  鞘走りがなく、片側は右側に帯びられ――だからこその、双剣居合。
  敵を睨みつけるコルトの周囲に立ち込めるのは、圧倒的な闘気。
  魔力でも、超能力の類でもない。
  覚悟あるもののふでしか直視できないほどの、熾烈な気迫。
  魔力なしで、人は、ここまで進化できる。
  それだけの想いを、コルトは背負っているのだ。
  そのコルトが、キースのような人間に負ける道理など、この世のどこにも存在しない。
 「ひ――」
  激烈な踏み込み。同時に、太刀を盾にするキース。
  その反応速度は、遅くはない。だが――脆い。
  コルトの動きに速さはない。だが、敵との距離を詰めるその一歩一歩で、確実に大地を踏みしめ、砕き。
  やがて、キースの横を通過する。
  更に数メートル離れ、ようやく停止するコルト。
  コルトとキース、両者の間に動きはない。
  数秒の間の後、コルトがようやく構えを解き、フルドライブを解除し、刃を片刃剣――第一形態・ゴウカフォルム――に戻した、それと同時に、キースの構えていた太刀が刃の中央から折れ……同時に、上半身と下半身が離れたまま、大地に倒れ伏した。
  コルトがかつて教えられた三つの奥義の内の、最後の一つ。
  “崩竜居合・駆”
  その刃は、激甚であり、激刃。
  巨大な竜ですらも一撃のもと屠る――そんな意志の込められた双激。
 「…………次は、ジャックか」
  抵抗勢力のナンバー2が倒された。その動揺が広がりつつある戦場を一瞥し、しかしその興味はすでにここにはない。
  自分が為すべきことは為した。
  現場の頭が倒されたことで、おそらく、この戦いは収束に向かう。
  だから後は、すべての黒幕を倒すだけだ。
 「……無事でいろよ、ハラオウン執務官……」
  そう呟き、デバイスを起動したまま、コルトはモノリスに向かって走り出した。