「…………」
  王都アクアエリーの所々に存在する地下施設。
  元々古代の遺跡をそのまま使用しているだけのことはあって、その造りは堅牢確実。普段は王都に住む人々の物置として、そして有事の際には地下シェルターとして活用されている。
  その地下施設の中で王立研究所に最も近いそこはそれなりの広さがあるため、研究所関係者の他にも研究資料や貴重なアーティファクトが運び込まれ、他のシェルター内とは多少趣が異なっていた。
 「……それが、私達が調べたこの大陸の、真実です」
  その中で、彼らと同じようにこのシェルターに避難したシャーリーとステラ。戦闘能力を持たない彼女達では、戦争状態にある地上での行動はあまりにも危険すぎる。戦闘能力を持たない彼女達のような事務型の執務官補は、戦闘ではあまりにも無力なのだ。
  だが、戦闘能力を持たないからこそ、できることもある。
  それが、各々の専門知識を活かした事務的サポート。
  そもそも戦いの分野が、執務官と執務官補では異なるのだ。
 「……そんな、まさか……」
  そして今、シャーリーとステラが行っているのは、情報の共有。フェイト・シャーリーがこの王都に訪れてからはドタバタしていて、こうして落ち着いて調査したデータの検討をすることができずにいた。
 「私達も半信半疑だったのですが……フィニーノ執務官補が提供してくださったデータを見て、疑問が確信に変わりました」
  だからこそ、身動きが取れない今の時間を無駄にしないように、二人はデータの共有を進め、この世界の特異性の原因を調べていた。
  ステラの持つ情報は、王都アクアエリーに存在するモノリスや、王立研究所に残されている資料から抜き出したもの。
  シャーリーの持つ情報は、この大陸を南から北まで横断し、自らの手で作った調査情報。
  そしてそのデータを総括し……シャーリーの表情は、驚愕に変わった。この結果を予想し、冷静さを保つように努めているステラの言葉の端々からも、動揺が漏れ出していた。
  二人が発見した新事実は、幾つかある。
  その中で最も単純明快にして決定的な情報は、スキャナーが示す、この大陸の調査図だった。
  この大陸は、南部と北部に分けられる。
  いわゆる黒土で構成され、遺跡群の多い北部。
  痩せた赤土で構成され、遺跡の存在しない南部。
  まったく性質の異なる土壌が一つの大陸に共存すること自体は、別段不思議なことではない。
  だが、この世界の大陸が異常なのは、そのまったく正反対の性質を持つ土壌分布の間に、赤土から黒土への分布遷移を示す中間層が存在しないこと。
  北部と南部の分割の目安となる大陸中央部分を通過する緯線を境目に、土壌分布は、まるで二種類の張り合わされた合板のように、完全に切り替わっていた。
 「……こんなことが、ありえるのですか?」
 「……ありえませんよ、こんなこと。これじゃあ、まるで――」
  何の前触れもなく、中間層もなく、土壌の性質が切り替わることなんて、絶対にありえない。
  そのありえないことが現実に存在していると仮定すると、ますますありえない仮説が立てられて。
  だからこそ――シャーリーは、叫ばずにはいられなかった。
 「この大陸が、別の世界から来たみたいじゃないですか――!」








  古代遺跡モノリス。
  王都アクアエリーの中心部に入口があり、そこから地下深くまで続いている。この世界の住人達によって長年にわたる調査がなされてはいるが、その全容はまだ解明されていない。
  その理由として、この遺跡の構造が複雑で、とてつもなく広大であることが一つ。
  そして、もう一つは。
 『Haken Saber』
  黄金色の閃光が回転しながら、通路を駆け抜ける。
  その光は行く手を遮る障害物に止められることもなく、立ちはだかるそれらを切り払いながら、その身に込められた魔力が続く限り、前に進み続ける。
 「数が、多い……」
  コルトと別れ、ジャックを追跡するためにモノリスに突入したフェイト。
  そのフェイトの進行を邪魔するのはジャックではなく、この遺跡に生息する生物達だった。
  倒しても倒しても、無限に湧き続ける。
  おかげで、突入時にはあまりなかったジャックとの距離が、フェイトの目算で地下二〇階くらいの深さに潜った今では、真っ直ぐと伸びる通路にいるにも関わらず、ジャックの姿が見えないほどに離れていた。
 「……っ」
  無数に襲い来る生物達に、フェイトは苛立ちを覚える。
  これが、モノリスの最大の脅威。
  おそらく彼らは、この遺跡の侵入者を排除するために造られたのだろう。
  その性質も、数も、能力も、明らかに自然発生する類のものではない。どう考えても侵入者を排除、あるいは撃退する能力に特化し、生物であるという利点を活かして、有機的な配置が為されている。
  この生物達が一体どうやって数百年もの間この遺跡を守り続けてきたのか、という疑問は後まわしだ。
  今はとにかく、先に進まねばならない。
  だが、フェイトの行く手を遮るのは、遺跡に住む生物だけではなかった。
 「RRRRR……」
  襲い来る金属の拳。
  フェイトはそれを避け、後方にステップを踏む。追撃に放たれる弾丸は、シールドで防御する。
  ガードロボット。
  樽のように円柱型で硬質の胴体に、金属でできた拳。上下左右に動き赤く光るモノアイに、頭に二門設けられた軽機関銃の台座。
  質量兵器の使用が禁じられている管理局統治下の先進世界ではお目にかかることのできない、重火器を標準装備したガードロボットも、フェイトの行方を阻んでいた。
 「…………」
  ガードロボットの胴体は硬く、ハーケンセイバーが効かないことは実証済み。
  ならば。
 『Plasma Smasher』
  バルディッシュの音声と共に放たれる、フェイト愛用の雷撃砲。ただし、対ガードロボット用として、通常よりも物理破壊ではなく電撃を重視している。
  高電圧の雷撃を食らい、煙を上げて機能を停止させるガードロボット。
  しかしこちらも、一体二体倒したところで、すぐに次がやってくる。
  不幸中の幸いなのは、モノリス内部に人間はフェイトとジャックくらいしかいないので、追跡魔法が有効だということ。迷路のように入り組み、先に進むにつれて地下に進んでいく構造をしているモノリスで、迷わずに先に進めるというのはかなり大きなことだ。
  尤も、行き先が分かっていても、ジャックがこの遺跡で何かをする前に追い付かなければ意味がないのだが。
  あの時、ジャックは自分のことをこう言った。
  この世界の過去から来た人間だと。
  そしてジャックは、地上が混乱している隙に、この遺跡に突入した。
  ならばジャックは、この遺跡の正体を、そして使い方を知っているのではないか。
  この世界に残る、アーティファクトと呼ばれるロストロギアの数々。フェイトはまだその一部しか目にしていないが、それらがフェイトの所属する管理局のテクノロジーを上回っていることは理解できる。
  そして今フェイトがいるモノリスは、存在する場所から見ても、規模や警備の厳重さから見ても、かなり重要な建造物で……かつての古代文明の中心だった可能性が非常に高い。
  そんな場所を、ジャックのような狂人が支配すれば、どうなるのか。
  最悪、次元世界を巻き込んだ大事件に発展するかもしれない。
  ジャックを止めるか、大規模次元犯罪が起きるか。
   その二択以外にありえないほどに、実態は切迫していた。
 「……バルディッシュ!」
 『limit U release. Full Drive, Zamber form』
  最早、力の出し惜しみをしている場合ではない。
  出力リミッターを解除。フルドライブ、ザンバーフォームを展開。身の丈ほどもある魔力の刃の切っ先を前に向け、構える。
 「ストライクドライバー、起動!」
 「Catapult frame open. “Linear rail” start」
  速度に優れ突破力に乏しいフェイトが、A.C.Sの発案者であり親友である高町なのはの魔法を参考にして、このような状況を想定して編み出したA.C.Sドライバー。
  高速で、障害物を薙ぎ払いながら一気に突き進む。
  A.C.Sドライバーのコンセプトはそのままに、フェイトなりのアレンジを加えた魔法。
  ザンバーフォームのバルディッシュの切っ先を前にして、突撃槍のような構えを取る。己の身体を最大限帯電させ、同時に進行方向へ向けて魔力のレールを構成する。魔力による通常の加速に加えて、自身の身体に帯電させた電気エネルギーと魔力カタパルトの電気を反発させて、己の身体を加速する。
  その様を一言で表現するならば、超電磁砲。
  魔力カタパルトはそのまま砲身、自身は砲弾。推進力は魔力と電磁的反発力。
  超高速戦闘に優れ、その分破壊力や突破力に乏しいフェイトが、ある程度の機動性を犠牲に突破力を突き詰めた新しい魔法。
 『リニアレールドライバー、ファイア!』
  加速は一瞬で終了する。音速の壁を超え、付加した電力で金色に輝く様は、正に閃光。
  生物兵器も、ガードロボットも関係ない。
  その身に触れたものは一瞬で破壊され、僅かな障害にもならない。
  いかなるものであろうとも、フェイトの行く道を遮ることはできない。
 『閃光の女神』フェイト・T・ハラオウン。
  その二つ名に相応しい姿で包囲網を突破したフェイトはやがて通路を通り抜け、開けた空間に飛び出した。
 「ここは……」
  リニアレールドライバーを解除し、加速の勢いを殺しながら地面に着地する。
  ざっと見の目算で直径約五〇〇メートルのドーム状の空間。こういった空間は今までにも何ヶ所か存在していたが、これほど大きな空間は始めてだった。しかし、いくらか物が置いてあった他の空間と異なり、その空間の中央に位置する巨大な機械以外には、特にこれといったものは存在しない。
 「…………」
  周囲を警戒しながら、フェイトは中央にある機械に近付く。
  高さはおよそ五メートル。フェイトの目線よりも高い場所にはフェイトの身体ほどの大きさがある球体の物体がはめ込まれており、その下にはその機械を操作するのであろうコントロールパネルがある。
  フェイトはその機械に近付き、改めてその機械を観察する。
  球状の物体はガラスのような透明な物質でできており、その内部には黒色のガスを封入しているように見えた。得体の知れない物質。その球体を数秒間観察し……フェイトは、その中に見慣れたものが浮かんでいることを確認した。
 「……クラウ……ディア?」
  最初はなんとなくそう思ったに過ぎない。
  なぜなら、クラウディアは本来数百メートル級の大きさがあるXV級次元航行艦であり、目の前の球体の中にあるそれは、ほんの数センチ程度の大きさしかないのだ。だが、よく見れば見るほど、それはクラウディアによく似ていた。
  そしてそのクラウディアの傍には、クラウディアと同型の戦艦の姿があったのだ。
 「まさか……スノーストーム?」
 「――へぇ。それは、そういう名前なんだ」
 「!?」
  不意に聞こえた声に、フェイトは一瞬で反応する。
  胸の内に生まれた疑問を押し殺し、臨戦態勢へ。声の聞こえた方向へ刃を構える。
  その刃の先、声の聞こえた方向には、フェイトがこの世界で幾度となく出会った存在……抵抗勢力『オリハルコン』のリーダーで、この世界を戦乱の渦に巻き込んだ張本人、ジャック・メサイアがいた。
 「思ったよりも早かったね。もっと手こずると思ってたんだけど」
  相変わらずの佇まい。
  戦意も殺意も感じられない、穏やかな口調。
  だがこの男が、何の感慨もなく人を殺すことを、フェイトはよく知っている。
 「彼の相手をしていたらね。少しばかり、時間を取られてしまったのさ」
  まるで独り言のようにそう呟き、ジャックはこの空間の隅を一瞥する。
  それにつられてフェイトが視線を向けると、そこには、血を流して倒れる男性の姿があった。
  フェイトが以前に出会ったハンター、アカネと似たような格好。武器を所有していること等からみて、彼もおそらくハンターなのだろう。そこまで考えて、フェイトはアセリアが『今モノリス内を探索している人が一人いる』と言っていたことを思い出した。
  その彼が、こんなところで血を流して倒れている理由。おそらく死んではいないが、こんなところにこのまま放置すれば、どうなるか分からない。急いで治療しなければ、間違いなく命に関わることは、素人目から見ても明らかだった。
 「……優しいね、君は。見ず知らずの人間を心配するなんて」
 「貴様……!」
  警戒心をむき出しにするフェイトに対し、ジャックは態度を変えない。
 「なぁ、フェイト。君は、この機械が何のために造られたか、想像できるかい?」
  すでに、ジャックの興味はその男性にはないらしい。その男性がいてもいなくても彼の様子は変わらないのだろう。フェイトに話しかけた時とそのままの態度で、ジャックはフェイトが先程まで観察していた機械を一瞥した。
 「…………」
 「この機械はね、かつての牢獄なんだ」
 「牢獄?」
 「この機械の内部には、特殊な空間があってね。三次元空間では適用できない物理法則に基づいて成り立っているから、内部からは干渉することができず、当然空間の外側にでることもできず。内外の時間差も激しく、一度閉じ込められると、外側から機械を操作しなければ出ることのできない、永遠の牢獄。尤も、外部からならこの空間を無効化する機械があるし、今はこの中には、彼らくらいしかいないようだがね」
  言い、ジャックは再び、機械を一瞥する。
  彼ら、とジャックの評した、球体の中にあるもの。
  その姿は、フェイトが見慣れたXV級次元航行艦で。疑いが、確信に変わる。
 「ということは……!」
 「ご明察。この中にいるのは、君の仲間達さ。……ああ、勘違いしないでくれ。僕は何もしていないよ。おそらく、周回軌道を回っていたから自動防御システムに引っ掛かったんだろう。運の悪いことにね」
  肩を竦めるジャック。
  その言葉に、やはり嘘は見受けられない。ジャックは狂人ではあるが、基本的に嘘はつかない。自らが狂っていることを自覚し……だからこそ、彼は嘘をつくことはない。
  その真意が掴めず、態度を硬化させるフェイトに対し、表情を変えず、ジャックは何故か、腰に下げている刃を抜いた。
  その仕草に、態度に、雰囲気、殺気も悪意も感じられない。これから演武でも始めます。たったそれだけの意味で刃を抜いた。そう言われても、疑わない者が多いだろう。
  それなのに、フェイトはなぜだが、背筋に冷たいものを感じた。
  好青年の仮面の下に隠した、破格の狂気。
  その一端を垣間見た気がして、フェイトは、思わず一歩後ずさった。
  得体の知れない感覚に、一瞬だけ、怯まされたのだ。
 「さて……では、問題だ。この機械の内部に封入されている特殊空間。その空間を維持している機械を破壊したら、その内部の空間はどうなると思う?」
 「…………」
 「元々、三次元空間には存在できない空間だ。もし、制御装置が破壊されたら……内部空間は崩壊するだろうね。その内部に幽閉した者達も含めて……ね」
 「!!」
  ああ――つまり、そういうことか。
  ここまで来てようやく、フェイトは理解した。
  いや。分かっているつもりで……その実、完全には理解していなかった。
  狂人が狂人たる所以。その思考が一般人には理解できない理由。
  この男は、何の悪意も罪悪感も抱くことなく、目の前の装置に封じ込められた数十人と言う人間を殺すことができる。その根底にあるのは、良心の欠如。人間らしい心を持つ者には理解できないそれは、おそらく誰にも理解できない。それだけ、この男の闇は深い。
  改めて思い知らされたジャックの感覚に、改めて恐怖する。
  この男が絶対的な力を手に入れたら……世界は、終わる。
  知識や経験ではなく、感覚が、本能が、叫んでいる。
  この男は……あまりにも、危険だ。
 「そんなことはさせない!」
  叫び、激昂するフェイト。
  感情を爆発させる。
  そこにあるのは、優しさ、想い、意志。おおよそ考えられる、善人と呼ばれる人間の感情。
  それに相対するのは、欲望でも怒りでもなく、狂気。徹底的に人間らしさを象徴する感情のない、狂人と呼ばれる人間の感情。
 「これが、最後の対決か」
  呟き、ジャックも改めて細身の長剣を構える。
  フェイト・T・ハラオウンと、ジャック・メサイア。
  本人達が望む望まないに関わらず、この世界の趨勢を決める最後の戦いが、始まった。




 「フフ」
  不敵な笑みを浮かべるジャック。
  その姿は次の瞬間、フェイトの視界から霞のように掻き消える。
 「!」
  瞬間移動能力。
  ジャックの特殊能力であり、それは魔力を利用する魔法ではなく、精神の力を利用する超能力に起因する。この世界の住民がフォースと呼び畏れ崇める、先進世界のフェイトから見ても異能の力。
 「後ろ!」
  確信があったわけではない。
  視覚からは一瞬で消え去り、ジャックは何の感慨も持たずに人を攻撃することができるため、感覚的にも完全にジャックの姿を捉えることはできない。殺気や躊躇いといった、人が誰かを攻撃するときに生まれる感情で、ジャックの位置を判断することはできない。
  だから、もし誰かに、どうしてジャックの位置を掴むことができたのかと尋ねられたら、フェイトははっきりとした答えを出すことはできない。
  それは幾百幾千という戦闘を重ね、最前線で戦ってきたフェイトが掴み取った、強者の勘、とでも言うべきものなのだから。
 「はぁっ!」
  振り向きざまに、ザンバーフォームのバルディッシュを振る。フェイトの魔力によって構築された刃から伝わるのは確かな手ごたえ。刀身に触れたのは、ジャックの左袖から飛び出したアサシンブレードの刀身。それを視認し、認識してから、
 「バルディッシュ!」
 『yes,sir』
  振り向きざまに、バルディッシュにコマンドを打ち込む。
  生成されるのは電撃の槍。プラズマランサー。魔力光は黄色、その数は八。バルディッシュでアサシンブレードの伸びるジャックの左腕を弾き、その隙に電撃の槍を叩きこむ。
 「ファイア!」
  ほとんどゼロ距離から放たれたプラズマランサーは、通常ならば絶対に直撃するというタイミングで……しかし、空しく宙を切る。
  魔力循環も予備動作もなしに、任意の空間に移動する能力、瞬間移動能力。
  最早神速の域に達するフェイトが、攻撃をあてることができない。
  今の攻撃も直撃するとは思っていなかった。
  高速戦闘を得意とするフェイトにとって、戦況の先読みは必須。こちらの攻撃で相手がどのような行動を取るのか予測し、回避も防御も不可能なタイミングで、最高の一撃を叩きこむ。速度を武器にする魔導師の基本的な戦闘スタイル。常に相手の一歩先を読むことが求められる戦いにおいて、この程度の自体はフェイトの予想の範囲内。
  だが、よもや、回避行動を取ったジャックがまだ自分の視界の内にいるという未来までは、予測することができなかった。
 「!?」
  通常ならば、回避不可能なタイミングで放たれたプラズマランサー。
  そして今度は、通常ならば回避不可能な位置・タイミングで、ジャックのアサシンブレードが煌めいた。
  プラズマランサー回避後、ジャックが再び転移したのは、フェイトの背後ではなく、真正面。プラズマランサーだけでなく、魔力弾系の魔法は基本的に術者の周囲に形成されて、放たれる。その性質上術者の真正面……それも、拳が当たるような距離は、どうしても射程距離外になってしまう。
  至近距離なのに、射程外。
  その間隙を、ジャックは突いたのだ。
  迫りくるアサシンブレード。その刃は確実にフェイトの左胸を狙っている。
  防御しようにも、シールドを張るほどの時間はない。手にしたザンバーブレードは大きすぎて、至近距離にいるジャックに対応できない。高速戦闘を主体とするフェイトにとって、ここまで不意打ちで懐に潜り込まれる経験は、ほとんどないと言ってもいい。
  だから。
  咄嗟にバルディッシュを握っていた右手首を捻り、その柄頭でアサシンブレードの軌道を逸らすことができたのは、フェイトにとってもほとんど奇跡に近いことだった。
 「へぇ……」
  フェイトの至近距離で、どこか感心したような表情を浮かべるジャック。
  攻撃が弾かれ、この至近距離だと今度は自分の身が危ないというのに、危機感を表情に浮かべない。
  その表情をいぶかしみ、反撃ではなく回避を選ぶフェイト。
  だが、ジャックはバックステップを踏んだフェイトと同時に、前にステップを踏む。
  二人の距離は変わらない。ジャックが手を伸ばせばフェイトに触れられる距離にいることは変わらない。
  距離を詰めながら振りかぶったジャックの右腕からは、左腕のそれと同じ造りのアサシンブレードが覗いていた。
 「二刀流!?」
  アサシンブレードの、二刀流。
  そんなの、聞いたこともない。
 「これなら、どうかな?」
  微笑を携えたジャックの、至近距離からの突き。
  その刃を、フェイトは再び柄頭で受け止める。だが、予想外の一撃に完全に受け止めることができない。刃が柄頭をかすり、バリアジャケットの脇腹が切りさける。
  フェイトの身の丈ほどもあるザンバーブレードの柄頭。それはどう考えても、至近距離での防御には向かない。そもそも、そんな部分を戦闘に使用することが想定されていない。
  対し、ジャックのアサシンブレードとは、至近距離での取り回しと隠密性を徹底的に追及したもの。武器同士の打ち合いは想定されていないが、他の武器と違い腕に固定されていることもあり、至近距離での取り回しはあらゆる刃でも最上級に優れている。
  戦況は、圧倒的にフェイトの不利。
  いくら高速戦闘が得意でも、加速を得る前に妨害されてしまっては、その能力を活かすことはできない。
  距離を開けることもできず、ジャックの連撃を受け止める。だが、それもいつまでもつのか。
  フェイトの表情には、焦りが浮かんでいた。
 「……いいね、その表情。生と死の狭間で、生きるために必死にもがく表情は、いつ見ても素晴らしい」
 「この……!」
 「人が最も輝くのは、生きるために必死でもがく姿だ。そして、人が最も成長するのは、命をかけた戦いの中だ。争い、憎み、恨み、必死に生きようとすることで、人間は次のステージに進む。……それは、歴史も証明している」
 「……だから、この戦いを起こしたのか!」
 「ああ。そうだよ。互いに憎み、殺しあうことで人は進化する。だから、僕は戦争を起こしたんだ。この世界が、次のステージに進めるようにね。だからこそ……この世界は、美しい」
 「神にでもなったつもりか! そのために、たくさんの人が死んでいるんだぞ!」
 「神。いや、以前にも言ったが、そんなつもりはないよ。僕はただ、世界を進化させて……ついでに、自分が生きるために必死に相手を殺す光景……自らを高める光景が、そしてその時の本性をさらけ出した人間の表情が、見たいだけさ」
  その言葉に、悪意はない。
  ジャックはただただ純粋に、心の底からそう思っているのだろう。
 「そして、命と命をかけた戦いで負けてしまったのだから、死んでしまうのも仕方ない。自分のために誰かを殺すことのできない人間……人を犠牲にしてでも生きようとできない人間なんて、生きていく価値はないんじゃないのか?」
  ジャックの言うことは、フェイトには理解できないわけではない。
  彼が言うことは、ある種強烈に煮詰められた弱肉強食の概念。
  弱い者は死ぬ。強い者が生き残る。
  そうして生き残った者が、生き残れなかった者、勝利できなかった者を糧にして生きることは、人間の世界でも、動物の世界でも当然のことだ。
  その考え自体は理解できるし、否定もできない。
  弱肉強食を否定したら、世界は発展しない。
  確かに、管理局に所属する執務官の中でもフェイトは『甘い』と評されることが多いが、馬鹿ではないのだ。
  争いのない世界では、進歩は起こらない。
  そんなこと、フェイトだって理解している。
  だが。
  だからと言って、誰かを“食物”にすることを――命を弄ぶことを、肯定しているわけでは、断じてない。
 「ふ……ざけるなぁ!!」
  だからこそ、フェイトは激怒した。
  それまでアサシンブレードの刃を受け止めるために動かしていた右手を固定、手首の力だけで、一気に刀身を回転させる。
  高負荷に耐えられず、軋む右手首。そんなことおかまいなしに、フェイトは刃を動かした。
  誰かの犠牲の上にある世界。
  そういう世界をよく知っていて。そういった世界の悲しみを救いたくて。かつては自分もその犠牲に関わっていた人間だからこそ、フェイトは吼える。
  確かに、争い――広義で競争と言う概念を含む事象がなければ、世界は発展しない。相手が誰であれ、切磋琢磨を繰り返し磨くことで、人類は進歩する。そしてそれが誰かと競い合うことである限りどうしても敗者が生まれ、戦いに勝てない弱者が生まれる。そのこと自体を否定することはできない。
  だが、だからと言って弱い者を徹底的に切り捨てることが、本当の幸せなのか?
  誰かの犠牲を強いらなければいけない幸せに価値はない。
  勝負に負けた。
  だからと言って負けた者が幸せを享受できない世界なんて、誰が望んでいるんだ?
  本当の理想は、切磋琢磨の上で、お互いを尊重し合える世界。負けた者も勝った者も、弱者も強者もない。お互いを認め合い、競い合い、支え合い、高め合える世界。
  しかし、悲しいことに、それは絶対に現実のできない世界。
  人は愚かな生物で、主義主張が異なれば分かりあうことができないこともあると――フェイトは、知ってしまっている。
  幸せになれる人々と、その踏み台になる人間が絶対に生まれるのだということを、嫌と言うほどに理解している。
  だからフェイトは、執務官になったのだ。
  そうやって幸せな世界から零れてしまった人達を救うために、フェイトは戦っているのだ。
  故に、フェイトは激怒した。
  ジャックのやっていることは、確かにこの世界を進化させるのかもしれない。だが、誰かの犠牲を強いるその進化は、フェイトの主義主張に反するのだ。
  誰かが踏み台になることを強要するジャックは、傲慢であり、残酷であり、幸せを享受できる側の人間の一方的な都合でしかない。
  何より、ジャックのしていることは、己の快楽のために弱い人々を意味もなく足蹴にすることであり、他の人達にもそうすることを強要しているに過ぎない。
  人類の進歩を目指し、争いの仮定で弱い人々が生まれるのではなく、故意に弱い人々を量産し、彼らを踏み躙る行為自体を目的としているのだ。
  それはあまりにも独りよがりで、自己中心的な願望。
  命を自分の都合のいいように操り、人生を狂わせ、歴史を歪め、魂を弄ぶ行為。
  そして、人々を争わせて人間を進化させようとするなんて……そんなの、思い上がりでしかない。
  思い上がりで、人々を操り、殺し合わせるだって?
  人生を歪め、狂わせるのが、人類の進歩に一番いいだって?
  そうやって泣いている人々を足蹴にすることが愉しいだって?
  冗談じゃない!
  そんなこと、絶対に認められるものか!
 「はあああぁぁ!!」
  無理やり動かしたザンバーブレードでアサシンブレードを弾き、タイミングを崩す。生まれたほんの一瞬で可能な限りの魔力を収束・解放し、一気にジャックとの間合いを開ける。
  予想外の動きに表情を変えるジャック。そこに生じた、僅かな隙。
  ようやく。
  これでようやく、フェイトの得意な間合いを保つことができた。
 「ファイナルリミット・リリース!!」
 『Sonic Drive. Get Set』
  一瞬だけ、フェイトを包み込む黄色い光。
  その光の中から飛び出したのは、二本の刃。片刃の長双剣。フルドライブ・ザンバーフォルムよりも細身の刃で、しかし優に数倍の魔力密度を誇る。
  バルディッシュ第四形態・ライオットフォーム。
  そしてフェイトの身を包み込むのは、徹底的に装甲がそぎ落とされたバリアジャケット。フェイト最大の武器である速度を活かすために、防御力を完全に度外視し、超高速戦闘への最適化を追求した諸刃の剣。
 「オーバードライブ。真・ソニックフォーム」
 『Sonic move』
  間髪入れず、今度はジャックとの間合いを詰める。その速度は正に神速。短距離ならば瞬間移動と大差ないほどの機動力。
 「……っ!」
  振り下ろされるライオットブレード。その刃を、ジャックは右裾から飛び出すアサシンブレードで受け止める。高速で振り下ろされた、超高密度の魔力の刃。その一撃に耐え切れず、アサシンブレードは右腕に装着されている内部機構ごと破壊された。その反動で、ジャックの体勢が崩れる。
 「な……!?」
  ここにきてようやく、ジャックの表情に変化が生まれる。
  その顔を気にも留めず、フェイトは二撃目の攻撃を叩きこんだ。
  通常ならば完璧なタイミングで入れられた追撃は、しかし空しく宙を切る。
  先程と違うのは、体勢を崩したジャックは、フェイトから少し離れた場所に転移したということ。
  一〇〇メートルほど離れた場所に、改めてその姿を確認し、
  次の瞬間には、両者の間合いは再び元に戻っていた。
 「――――」
  瞬間移動。
  一瞬で別の場所へ移動することのできる能力。
  だが、その能力を使うのはあくまでも人間なのだ。
  莫大な消費魔力、そして紙並みに薄い防御性能と引き換えに得た、人間の反応速度を上回る超高速。
  一〇〇メートルもの距離を一瞬でゼロにするその様は、正に雷。
  超高速機動。人間の能力では、本物の光速となんら変わりない。見ることができるのは、僅かな閃き。
  刹那の煌めきが、ジャックの身体を弾き飛ばした。
 「ぐぁ…………」
  切り裂かれた左袖から覗くのは、破壊され、飛び散るアサシンブレードの内部機構。
  体勢を崩し、地面に叩きつけられそうになる直前で、ジャックは三度転移する。今度は、空間の中央にある装置の上へ。
  姿を現したジャック。その背後には、刃を振りかぶるフェイトの姿。
  瞬間移動を行う際に、それを決定するために思考することで起こるタイムラグ。
  フェイトの神速は、その人間の思考速度を完全に上回っていた。
  背後の存在に気付く暇すら与えられずに薙ぎ払われるジャック。
  反射的に、体勢を立て直そうとしたのだろう。今度はフェイトから十分な距離を取ろうと、先程よりも遠くに転移する。
  そのジャックのことを、フェイトは追撃しない。
  そうしなくても、勝負は決しているからだ。
 「……あなたの負けです。ジャック・メサイア」
  瞬間移動の速度を凌駕する超速移動。
  背後に転移されても、即座に回避することができる。
  距離をあけられても、一瞬で詰めることができる。
  形勢逆転。何人たりとも敵わない、圧倒的な能力を有する者にのみ与えられた特権。
 「これ以上の戦闘は無意味です。……どうか、降伏を。今ここで大人しく捕まれば、あなたには弁護の機会が与えられます」
  だからこそフェイトは勝利を宣言し、降伏を勧告する。
  それまで苦しめられてきた狂人にも平等に接し、降伏の……更生の機会を与える。
  それは、是非はともかくとして、同じ執務官であり今フェイト達と同じ世界にいるコルト・サウザンド執務官にはできないことであり。
  その優しさこそが、フェイトの強さであり……弱さでもある。
 「……降伏……」
 「そうです。そうすれば、あなたには――」
 「――――その甘さが、命取りなんだよ!!」
  叫ぶジャック。
  その表情に浮かぶのは、それまでの冷静な狂気ではなく、熱に浮かされたような、邪悪な笑み。右裾から飛び出した、しかし支えを破壊されて不安定なアサシンブレードの刃を右手で直接掴み、転移する。
  即座に反応し、背後を警戒するフェイト。
  だが、その警戒に意味はなく。
  ジャックの姿は、この空間の隅に倒れる、現地民の傍にあった。
  その姿を認識し、ジャックが掴んだ刃をその身に振り下ろそうとする姿を見て、
 「!?」
  フェイトは反射的に、現地民の傍に移動していた。
  見ず知らずの人間でも見捨てることはできない。守れる人間はすべて守ろうとする。どのような状況でも、誰も幸せな世界から零そうとしない。
  それは常に戦いの中に身を置く人間にしては、甘ったれと評される優しさで、しかし誰もが理想とする姿であり。
  咄嗟に彼のことを守ろうとしたフェイトには、振り下ろされた刃から自分の身を守るまでの余裕は、残されていなかった。
 「死ね! フェイト・T・ハラオウン!」
 「――――!!」
  振り下ろされた刃。
  薄いバリアジャケットを貫通し、身体を貫く痛みを覚悟して、反射的に両目を閉じるフェイト。
  だが、一秒が過ぎ、三秒が過ぎ、五秒が過ぎ。
  いつまでもその痛みは襲ってこない。
 「…………?」
  いつまで待っても襲ってこない痛みをいぶかしみ、恐る恐る、フェイトが目を開けてみると。
 「…………私の友に、よりにもよってこんな卑怯な手を使うたぁ……見上げた根性だな」
 「ハラオウン執務官が甘いのは確かにその通りだが……お前のような下種になり下がるよりは、よほど良いさ」
  フェイトの眼前で握られた刃を遮る、銀色のハルベルトと赤い片手剣。
 「あ…………」
 「待たせたな、フェイト」
 「すまんな。思ったより手こずった」
  そしてフェイトの前に立つ赤毛の女性と、人懐っこそうな青年の姿。
 アカネ・エディックスとコルト・サウザンドの姿が、そこにはあった。
 「ど、どうして……」
 「いやな、アクアエリーに着いたら、えらいことになってて驚いてな。避難所に行ってアセリアに聞いたら、フェイトがジャックを追ってモノリスに入ったって聞いたからさ。それで私も慌ててモノリスに突入して、この人に出会ったんだ」
 「……じゃあ、モノリスの探索許可証を持ってる最後の一人って……アカネだったの?」
 「ん? ああ、そうだよ。尤も、私は大陸中を渡り歩いてるから、あんまりモノリスのことは知らないんだけどな」
 「俺の方も、概ね同じような感じだな。抵抗勢力の頭を倒して、外の方が落ち着いたからモノリスに突入して、この人に出会った」
 「……でも、サウザンド執務官はともかく、アカネはどうして、こんな危険なところに……」
 「何を言ってるんだ? 仲間を助けるのは、当然のことだろ?」
 「仲間……」
 「……なんだか知らんが、再開を喜びあうのは後にしないか?」
  コルトの声に、フェイトとアカネは視線を正面に向ける。
  その視線の先にいるジャックは、いつの間にかフェイト達から距離を取っていた。
 「感動のご対面……というやつかな?」
  コルト達が入ってきた入口とは反対側にある扉。深く入り組んだモノリスの、さらに奥へと進むことのできる通路への入口。
  その前に、ジャックは立っていた。
 「……だが、三人相手は、さすがに辛いんでね」
  余裕のある口調を崩さないジャック。
  しかし、その表情からも、声からも、焦りのようなものが滲み出ていた。
 「…………先に、この遺跡を制圧させてもらうよ!」
  そう宣言し、踵を返すジャック。
  転移される。
  そう判断し、咄嗟に前に飛び出すフェイト。
  だが。
 「…………あ?」
  ジャックの歩みも、フェイトの動きも、わずか一瞬で停止する。
 「な……に?」
  状況が呑み込めない。
  予想だにしなかった結末に、この空間にいる誰もが言葉を失う。
  歩みを止めた、ジャックの姿。
  僅か一瞬でその身体が、壁から伸びた銀色の刃に、貫かれていたのだから。