夜中、それまで夢の世界にいた私は、ふと目を覚ました。
  なんのことはない。眠っていたのに突然目が覚めることは、割とよくあることだ。私は完全に目が覚めてしまわないように軽く目を開けて、壁に掛けられた時計をみた。時刻はすでに夜の一時を過ぎている。……これなら、あと五時間は眠れるかな。半分以上まだ眠っている頭の隅でそう考えて、私は寝返りをうった。
  そこで、私は異変に気付いた。
  私の横では、ヴィヴィオが小さな寝息をたてて、ぐっすりと眠っていた。多分、起こさない限り朝までずっと眠ったままだろう。
  けれど、ベッドの反対側、ヴィヴィオのもう片方の隣で寝ているはずのなのはの姿が、そこにはなかった。トイレかな、とも考えたけど、それにしては気配がない。ここからトイレくらいの距離なら、私の感覚ならいるかいないかの気配ぐらい判断できるのに。
  私は、ヴィヴィオを起こしてしまわないように、そっと起き上り、部屋を一瞥した。
  どう考えても、部屋の中になのははいなかった。
  今日は私もなのはも仕事が定時で終わったから、ヴィヴィオを寝かしつけてから、それから二人で一緒に眠りについたハズなのに。どういうことだろうか。
  私は、他の人に気付かれないように、起こしてしまわないように最小限の探査魔法を発動させた。そんなに遠くにはいっていないだろうし、探査妨害の魔法も使ってないだろうし、多分、すぐに見つかるだろう。
  探査魔法を発動させてから数秒後、案の定私はなのはの居場所を確認できた。
 「……?」
  そこは、なんとも不思議な場所だった。
  場所から判断して、放っておいた方がいいのかもしれない。でも、私がなのはのことをほったらかしにできるわけもないし、それに、すでに私の目も冴えてしまっていた。おそらく、このままだとなのはのことが気になってすんなりと眠ることはできないだろう。
 「…………行ってみるかな」
  小さな声でひとりごちてから、私はベッドから出た。乱れてしまったベッドを直して、起こしてしまわないよう、ヴィヴィオの頭を軽くなでてから、部屋の入口に向かった。
  そして、ドアノブに手をかけたところで、思いだした。
  今日の夜中は、いつもよりも少し冷え込むのだと。
  言われてみれば、いつもよりも少し肌寒いかもしれない。こんなことで風邪をひいてしまっては大変だ。もしヴィヴィオにうつしてしまったら、もう目もあてられない。ヴィヴィオがいるから、これまでよりも体調には気を使わないと。
  私は、薄手の上着を羽織ってから、なのはのいる場所に向かうことにした。


  少し錆びた鉄製の扉を開けた途端、夜風が私の頬をなぶった。涼しいな、と思ったけど、確かにいつもよりも冷たい風だ。長時間あたっていたら、身体を冷やしてしまうかもしれない。
  私は扉から出て、後ろ手で閉めてから、静かに、ゆっくりと、先に進んだ。
  私が今いるのは、隊員宿舎の屋上。天気のいい日には洗濯物が干されていたりするけど、今みたいな深夜にはなにも置かれていない、普段誰も立ち入ることのない空間だ。
  普段は誰もいないこの空間に、私の予想通り、なのはがいた。屋上の淵に腰かけて、足をなにもない空に投げ出している。本来ならそれは危険極まりない行動で、危ないから絶対にしないことなのだけど、なのはなら、私は納得してしまう。
  私はなのはに気付かれないように歩を進める。屋上は結構広いけど、それでも、屋上への扉から端っこまでは一分もかからない。案の定、私はすぐになのはの背後に辿り着くことができた。
  私は軽くため息をついてから、言った。
 「もう、なのは。危ないよ、こんなところに座ってたら」
  なのはは私の言葉に驚いたのか、一瞬ビクリと肩を震わせたが、私だということはすぐに分かったらしく、いつも通りの調子で、私の方に首だけで振り向いた。
 「フェイトちゃん」
  その顔は、やっぱりいつも通りの微笑みを浮かべていた。
  そんななのはの姿に、私の心臓は一瞬だけ跳ね上がった。いつもなら眠っている時間だから、なのはの長いとび色の髪はまとめられることなく無造作に肩の後ろに流れている。服装は、就寝時のお約束の格好である、長袖で少し大きめのサイズのピンク色のパジャマ。毎日毎日、何度となく見慣れてきた姿。けれど、いつもと違うシチュエーションが、私の心を揺さぶった。やっぱり、なのはは可愛い。分かり切っていることを私は改めて認識させられた。十年前の私だったら、一瞬で顔を真っ赤にして、とてもうろたえていたことだろう。
  だけど、今の私は、あの頃の私じゃない。
  私は、自分が羽織っていた薄手の上着を脱いで、それをなのはの肩にかけた。
 「……ほら、なのは。今夜は冷え込むんだから、そんな薄着で外に出たらダメでしょ」
  少し諌めるように言いながら、私はなのはの隣に座った。
 「え、でもフェイトちゃんが……」
 「私はいいの。なのは、ずっと外にいたし、身体冷えてるでしょ」
  私の言葉に、なのはは少し考え込むような素振りを見せたけど、私の有無を言わせない口調に納得したのか、
 「……ありがと、フェイトちゃん」
  そう言ってから、上着と一緒に、自分の身体を抱え込んだ。
 「で、どうしたの、こんなところで」
 「にゃはは。なんだか、寝付けなくて」
 「……それで、こんなところに一人で?」
   「うん。フェイトちゃんやヴィヴィオを起こしても悪いから、ここで空でも眺めてようかなって」
 「そっか」
  なのはは、本当に空が好きだ。空が好きというか、飛ぶことが好きなのかもしれない。なのはが空が好きなことは、なのはに関わる人なら誰でも知っている。だからこそ、なのはは少し危うくて、誰かが護らないといけないことも。
 「……あったかいね……」
 「……そう、かな?」
 「あったかいよ。フェイトちゃんの温もりが、伝わってくるみたい」
  しみじみと、噛み締めるように、なのははそう言った。
  私はなんだか照れくさくなって、視線をなのはから、空に向けた。
 「…………わぁ…………」
  今夜は綺麗な満月だった。屋上には明かりなんてないのに、妙に明るかったのはこのせいだったのか。満月は銀色の光を漆黒の夜空に向けて、あるいは地上に向けて放っていた。宿舎の周りには隊舎以外に大きな建物がないから、比べるものがなくて、私たちまで空に浮かんでいるように感じる。
  いつもよりも大きな満月は、手を伸ばせば掴めそうな気がした。
 「キレイ、だね」
  私は、思わずそう呟いていた。
 「うん。そうだね」
  すぐ隣から、なのはの声が聞こえた。
  満月の明かりだけが、私たちを照らしている。月の光の中に私たちがいるのか、それとも私たちが月の光なのか。あるいは、私たちは照らされている闇夜なのか。そのくらい、世界と私たちの境界はあやふやなものに感じた。それはきっと、とても静かで、ここには私たち以外が存在していないから。
  静かに、時は流れた。
  不意に、私は、肩に重みを感じた。暖かくて、心地よい重み。
  私は軽く視線を肩に向ける。やっぱり、なのはが私にもたれかかっていた。目を閉じて、眠っているかのように、私の肩に体重を預けている。私はなにも言わずに、なのはの身体を抱き寄せた。なのははそれに逆らうことなく、むしろ、身体を私により近づけようとする。まるで、私にすべてを託すかのように。私は、なのはの華奢で小さな身体を軽く引き寄せてから、ぎゅっと抱きしめた。
  こうして抱きしめると、時々思うことがある。
  なのはは、管理局では『管理局最強の砲撃魔導師』と言われている。それは私もそうだと思うし、事実、砲撃魔法でなのはに敵う者は今の管理局には存在していない。名実共に最強の称号を持つなのは。だから、なのはのことをよく知らない人は、なのはのことを鬼神のごとき力を持った人だと思っている。
  けど、それは間違いだと、私は思う。
  抱きしめてみると、なのはは意外と小さい。私の方が少し身長が高いから、なのかもしれないけれど、なのはの身体は抱きしめれば私の腕の中にすっぽりと納まってしまうし、それに、あまり強く抱きしめてしまったら、壊れてしまいそうなくらい華奢だ。
  こんなに小さな女の子が、本当に管理局最強の魔導師なのだろうか。
  こんな華奢な女の子を、戦わせてもいいのか。
  だから、私はいつも思う。
  この子を、なのはのことを、護ろう。
  いつだって、どんなときだって、私が、なのはのことを護り通そう。
  だって、私は、なのはのことが大好きなのだから。
 「……フェイトちゃん」
  ふと、なのはの声が聞こえた。
  私は、私の腕の中にいるなのはに視線を向ける。
  なのはは、上目使いで私のことを見つめていた。私と目が合うと、頬を上気させて、それから、少し照れくさそうに、瞳を閉じた。
  ……ああ、そういうことか。
  私は、なのはの気持ちを一瞬で理解した。
  私も、同じ気持ちだったのだから。
  私はなのはのことを抱きしめる腕に少し力を入れて、なのはの顔に、自分の顔をゆっくりと近付けていった。段々と、私たちの距離が縮まっていく。なのはのかすかな吐息すら感じることのできる距離。そしてゆっくりと、唇と唇が触れあった。なのはの唇は、すごく柔らかくて暖かい。何度もキスしてきたハズなのに、何度しても足りないと思う。次を求めてしまう。それは、なのはも同じようで。
  どのくらい、触れ合っていたのだろうか。
  どちらともなく、二人の距離が離れる。それでも、なのはの表情がやっと確認できるくらいの近さなのだけれども。キスした後のなのはの表情は、たまらなく可愛らしい。もちろん、いつものなのはもたまらなく可愛いのだけれども、こういう、私にしか見せてくれないなのはの表情は、格別だ。
  なのはのはにかんだような笑顔に、私も少し恥ずかしくなってしまう。
  だけどそれ以上に、目の前のこの子を、たまらなく愛おしく思う。
  ずっと一緒にいたい。
  もっと触れ合っていたい。
  もっと、なのはのことが知りたい。
  私は無意識に、手でなのはの頬に触れた。その手の上に、なのはは自分の手のひらを重ねてくれた。それから、なのはは微笑んだ。私も、そんななのはに微笑み返した。二人だけの、愛おしい人と一緒に過ごす、大切な時間。
  私は二度目の触れ合いを求めようと、なのはに顔を近づけた、けれど。
 「……くちゅん」
  私は、小さくクシャミをしてしまった。
  二人の間の時間が、一瞬止まってしまったような気がした。
 「にゃはは、フェイトちゃん、大丈夫?」
 「……大丈夫、だよ」
  しまった。
  せっかくなのはといい雰囲気だったのに、私が雰囲気を壊してどうするんだ。ああもう、私の馬鹿。せっかくの、久しぶりの二人っきりだっていうのに。
 「……確かに、今夜は冷えるね」
  なのはの優しい言葉が、今の私には少し辛い。
 「でも、上着は一枚しかないし……」
  なのはは考え込むような素振りを見せたが、何かを思いついたのか、すぐに笑顔になって、それから、私に言った。
 「じゃあ、こうしよっか?」


 「フェイトちゃん、あったかい?」
 「……うん、あったかいよ」
  ……なんなのだろう、この素敵な体勢は。
  私が持ってきた上着は、今は私が羽織っている。一枚しかない上着を私が羽織ってしまったら、なのはが寒い思いをしてしまう。けれど、なのはの考えた方法は、二人で一枚の上着を羽織る方法だった。
 「あったかいね、フェイトちゃん」
 「……うん、そうだね」
  なのはは、私の膝の上にちょこんと座っていて、私が羽織っている上着を両手で私の上から押さえている。なのはが落ちないように、私は後ろからなのはのことを抱きかかえている。上着を羽織った『私』という上着を、なのはが羽織っている、といった感じだ。なのはが考え出した、二人が暖かい、素敵な方法。
  こうしていると、なのはの温もりも、心臓の鼓動も、直に私に伝わってくる。なのはの身体はとても暖かくて柔らかくて、なんだか甘い香りがする。心臓の鼓動は、トクトクと、一定のリズムを刻んでいる。これが、なのはが生きている証。私たちが一緒にいる証拠。
  こうしていると、なんだか安心する。
  屋上に冷たい風が吹き抜けた。でも私たちは、十分すぎるくらいに暖かかった。
  私は、なのはの頭に自分の顔を埋めた。なのはの髪からは、ほのかにシャンプーの香りが漂ってきた。今の私となのはの距離は限りなくゼロに近い、というか、ゼロだ。けれど、まだ足りない。
  私は、もっとなのはを感じていたい。
  自然と、なのはを抱きしめる腕に力が入った。それでも、なのはを押しつぶしてしまわないように、優しく、だけど。
 「……ねぇ、フェイトちゃん」
 「……なに?」
 「ずっと、こうしていられたらいいのにね」
 「うん、そうだね」
 「ずっと、一緒にいられたらいいね」
 「うん」
 「……ずっとずっと、一緒にいようね。フェイトちゃん」
 「もちろんだよ、なのは」
 「フェイトちゃんは、私のこと、護ってくれる?」
 「うん。いつだって、どんなときだって、私はなのはのことを護るよ」
 「……でも、私のせいで、フェイトちゃんが傷つくのは、嫌だな……」
 「大丈夫だよ、なのは。私は、フェイト・T・ハラオウンは、なのはを護るためなら、時空最強の魔導師になるから」
 「……ホントに?」
 「もちろん。私は、なのはのことを護るためなら、絶対に誰にも負けないよ」
 「……約束、できる?」
 「なにを?」
 「フェイト・T・ハラオウンは、高町なのはを護るために、絶対に傷つかない。なにがあっても、絶対に、私のところに帰ってくるって」
 「……誓います。私は、なにがあっても、なのはとずっと一緒です」
 「……絶対に?」
 「絶対に」
 「何があっても?」
 「神に誓って」
 「……ありがとう、フェイトちゃん」
 「……ううん。それは、私にとっては、当り前のことだよ」
 「それでも、ありがとう、フェイトちゃん」
 「……うん」
 「フェイトちゃん、大好きだよ」
 「私もだよ、なのは」
 『上着』を押さえるなのはの手に、力がこもった。
 「もちろん、ヴィヴィオのことも、私が護り抜く」
 「……違うよ、フェイトちゃん」
 「え?」
 「ヴィヴィオは、私たちの子供だよ。フェイトちゃんだけが護ればいいってものじゃない。私も、ヴィヴィオのことを護るから。二人で、私たちで、ヴィヴィオのことを護ろうよ」
 「……そうだね、なのは」
  ヴィヴィオが私たちの子供になってから、私たちは三人で過ごすことが多くなってきた。その分なのはと一緒に過ごす時間が減ったけど、それは全然嫌なことじゃなかった。むしろ、それはとても幸せなことだった。なのはとヴィヴィオと三人で、家族で過ごす時間は、私にとってなによりも大切な時間だ。そのくらい、私はなのはのこともヴィヴィオのことも愛している。
  けれど、それでもやっぱり、今みたいになのはと二人きりで過ごす時間も、私にとってはとても大切な時間だ。どちらかを選ぶことなんて、私にはできない。
  だから。
  もし、この世に神様というものがいるのならば、私は願いたい。
  神様。
  護ります。
  私は、何が起ころうとも、私の大切な人々を護り抜きます。
  だから、神様。
  願わくば、この幸せな時間が、いつまでも続きますように。


 「愛してるよ、なのは」
 「私も愛してるよ、フェイトちゃん」