加筆修正版、四月馬鹿の悪戯心。
このお話はエイプリルフールのイタズラゴコロと対になっているお話ですが、こちらだけでも楽しめます。
始まりは、私――フェイト・ハラオウンの何気ない一言だったと思う。
「ねぇアリサ、エイプリルフールってなに?」
私はふと、少し前から思っていた何気ない疑問をアリサにぶつけてみた。
季節は春。もっと具体的に言えば、三月の三〇日。
私とアリサは、すずかと一緒にはやてのお見舞いに来ていた。お見舞いと言っても、はやてはもう退院直前。去年のクリスマスまでは闇の書……夜天の魔道書の呪いのせいで命すら危うい状況だったけど、今はその呪いもなくなって、今では自力で歩けないこと以外はもう完全に健康体みたい。
私が管理局の嘱託魔道師として初めて関わった闇の書事件。事件の間にも本当にいろんなことがあった。最後にだけ哀しい想いを残したけど、はやてもこうして元気になることができた。し、今でははやてたちとこうやって笑いあうことができて、新しい友達になることができて、本当に嬉しい。
この場になのはがいればもっと楽しいし、嬉しいんだけど……管理局の急なお仕事が今朝になって入ってしまって、今は次元の海の向こう側だ。それは、なのはが選んだ道で、仕方ないのは分かるんだけど……少しだけ、管理局が恨めしい。こうしてみんなと遊ぶのも楽しいんだけど、私はやっぱりなのはがいてくれた方が嬉しい。
「エイプリルフール? フェイト、それどこで知ったの?」
私の疑問に、アリサは不思議そうな声で尋ねてきた。どうも、私がこの行事のことを知っていることが意外みたい。私も、聞いただけでどんな行事なのか良く知らないんだけどね。
「えっとね、学校で、誰かが言ってたのを聞いたの。そんな行事もあるのかな、って思って調べたんだけど、この本にも載ってなくて」
そう言いながら、私は持ってきた手提げ鞄から分厚い本を取り出した。その本のタイトルは『決定! これが日本の伝統文化だ!』。私が日本の文化を勉強している本で、最近は持ち物に余裕があれば持ち歩くようにしている。この本に書いてある日本の伝統文化は本当にイロイロなものがあって、ずっと狭い世界しか知らなかった私が予想もできないことばっかりだ。そういう、知らなかったことを知ることは楽しいし、それに私も、なのはがいるこの世界になるべく早く馴染めるように、普段から勉強するようにしている。
「そりゃ、そういう本には載ってないでしょうね」
「?」
どこか呆れたように、アリサが呟いた。どういうことだろう。もしかして、この本にも載っていないことが、日本にはまだあるのかな?
「で、アリサ。それってどんな行事なの?」
「それはね……」
そこで、なんとなく、アリサの綺麗な翠色の瞳が怪しく光った気がした。
「それは?」
「…………一番好きな人に、嘘でもいいからすっごい告白をして驚かせる日よ。」
…………へ?
「え、ええ!?」
気付いたら、私は驚きのあまり叫んでいた。そのくらい、私は驚かされた。
好きな人に、こ、こくはく!?
「ああああ、アリサ、それって本当?」
「うん、そうよ」
だけどアリサは、さも当然のように頷いた。
うわぁ、どうしよう、どうしよう…………。顔が熱い。いや、顔どころか全身が熱い。まるで体の中が燃えてるみたいに熱い。それに、心臓が凄くドキドキする。もう、破裂しちゃうんじゃないかってくらい、心臓の鼓動がとまらない。
その理由は、きっと、自分がそうすることを想像してしまったから。夢にまでみたことを、何の心構えもなしに、不意に思ってしまったから。
一番好きな人、と聞いて、私は真っ先になのはのことを思い浮かべた。
今はこの場にいない、私の大好きな女の子。
まさか、なのはに告白するところを想像しただけで、こんなに心臓がドキドキするなんて。
エイプリルフールは、一番大好きな人に告白する日。
…………私、どうすればいいんだろう? 考えれば考えるほど、なのはのことが頭から離れない。大好きな人に、告白する。たったそれだけのことで、私の心は埋めつくされてしまった。
そして、ほとんどなのはに侵食された頭の隅で、思った。
日本の文化って、凄い。
病院から家までどうやって帰ったのか、正直よく覚えてない。アリサがやたら心配して家の近くまで私のことを送ってくれたのはなんとなく覚えてるんだけど、はっきり言ってそれ以上はなんだかよく分からなくなっていた。
ただ、気がついたら、私は見慣れた自分の部屋のベッドに転がっていた。
窓から差し込む夕日が、私のことを照らしている。部屋中が茜色に染まって、なんだか少し寂しい感じがする。窓から見える夕方の風景、茜色に染まった海鳴の街は綺麗で、お穏やかで。それは、私がこの街に住むまで知らなかった光景だ。だから、暇な時にはボーっと見つめることもある。だけど、今の私はそんなことをする気分にはなれなかった。
私の頭の中は、アリサの言葉でいっぱいになって…………厳密に言えば、アリサの言葉で発覚した、エイプリルフールの意味。そして、真っ先に思いついた女の子のことで、今の私の頭の中は埋めつくされていた。
……いや。
私の心は、いつでもあの子のことで一杯なのだ。
「……なのは」
高町なのは。
名前を呟いただけで、顔がまた熱くなってきた。思わず枕に顔をうずめて、それだけでは収まらなくて足をバタバタしてしまう。
私の心を埋め尽くしているのは、白い魔法の衣に身を包んだ、強くて優しい女の子のこと。
私だって、もう分かっている。
この感情が、アリサやすずか、はやてたち『友達』に向ける感情でなくて、『愛する人』に向ける感情であることに。最初の頃は、『友達』を知らない頃は、これが友達になる、これが友達への想い、ということだと思っていた。でも、なのはと再会して、アリサやすずかたちと友達になって、クロノやリンディ母さんと家族になって、それから私はようやく気付いた。
この感情は、『友達』に向けるものでも、『家族』に向けるものでもないと。
『友達』のことを考えると、わくわくして楽しい気分になる。
『家族』のことを考えると、落ち着いて安心する。暖かい気分になる。
でも、『なのは』のことを考えると、胸がいっぱいになって、ドキドキして、体中がかーって熱くなって、なんだか苦しい。なのに、すごく幸せで楽しい気分になって、ふわふわして、わくわくして、なのはのことを考えずにはいられなくなる。幸せと楽しみと喜びと不安がごちゃまぜになったような、なんとも言えない気持ち。
明らかに、他の子に向ける感情と、なのはに向ける感情は違っていた。なのはのことを考えると、私はあんまりにも不安定だったのだ。
不安になった私は、なのはのいない時に、アリサたちに相談してみた。
そうしたら、アリサはどこか呆れたような表情をして、一緒にいたすずかは驚いた表情をして、はやてはなぜかニヤニヤしていた。
それから少しして、アリサが言った。
『……それは、恋ね』
『……恋?』
『言っておくけど、魚の鯉じゃないわよ。フェイト、なのはのことを考えると、胸がいっぱいになって、ドキドキして、体中がかーって熱くなって、なんだか苦しいのに、すごく幸せで楽しい気分になって、ふわふわして、わくわくして、なのはのことを考えずにはいられなくなる、んでしょ?』
『う、うん……』
『それはつまり、あんたがなのはのことを、友達として好きってことじゃなくて、ほとんど異性として、好きってことよ』
『? どういうこと?』
『つまりあんたは、なのはのことを愛してる、ってことね』
『!?』
そこからが大変だった。(アリサに言わせると、大変だったのはアリサたちだったらしい)
あんまりにも唐突なことに驚いたから、私は知恵熱を出して倒れてしまった。それに驚いたアリサや他のクラスメートたちに保健室に運ばれた私が目を覚ましたのは、それから三〇分くらいすぎてからだった。それから、たまたま非番で家にいたリンディ母さんにわざわざ小学校まで迎えに来てもらう羽目になった。あの日は、もうなにがなにやらで夜もろくに寝られなかったなぁ。
それに、一番困ったのは、次の日、なのはの顔をまともにみることもできなかったことだ。
それまでは普通にお話できたのに、なのはのことが好きだ、と意識してから、なんだか恥ずかしくて、なのはのことを見るだけで顔が真っ赤になって、心臓がドキドキした。なのはの顔を見ていたいのに、なのはのことを直視できない。なのはに話しかけられただけで、頭の中が真っ白になって、お話どころかまともな返事すらもできなかった。
そのときの私の様子はなのはの目にもそうとう異状に見えたらしく、心配そうな顔で『フェイトちゃん、大丈夫?』って、顔を覗き込まれたりもした。近づいたなのはの顔。吐息すらかかりそうな距離。ほんの少し身動ぎしただけで、唇が触れ合ってしまいそうな距離。私の顔が、なのはの瞳に映りこんで、それが私に見えるくらいの距離。
……正直に言うと、なのはのその行動で、私はまた意識が吹っ飛んで倒れそうになった。そのときはなんとか耐えたけれど、私はなのはに『大丈夫』と伝えるだけで精一杯だった。
なのはの顔をまともに見ることができるようになるまで、それから一週間くらいかかった。
「…………」
私はベッドから立ち上がり、窓に手をかけ、私の部屋から繋がっているベランダに出た。夕日はさっきより傾いて、空は鮮やかな茜色に染まっていた。階下からは、同い年くらいの子たちが騒ぐ声が聞こえてくる。きっと、一緒に遊んだ後で、これから家に帰るところなんだろう。耳を済ませると、もっと細かい会話の内容が聞こえてきそうだ。
なんだか、安心できる。
私がリンディ母さんの子供になってから知ることのできた、穏やかで平和な日々。
私は、ベランダの手すりに手をかけて、そのまま眼下を見渡した。その中に、広い庭を持った、比較的大きい、他の家がとは明らかに造りが違う家がある。和風建築、と言うらしい。
あそこが、なのはの家。
私に『友達』を教えてくれた子の家。
私に『好き』を教えてくれた子の家。
私の『一番』に、なってくれた子の家。
「…………」
私は、どうすればいいんだろう。
私は、なのはのことを好きになってしまった。こんなにも、愛してしまった。
だから、肝心なのは、これからどうすればいいのか、なんだと思う。
私は、なのはと恋人同士になりたい、んだと思う。なのはも私のことを愛してくれるなら、これほど嬉しいことはない。きっと、なのはと『友達』になったとき以上に、シアワセな気持ちになれると思う。もっと、お互いを分かり合えると思う。私は、なのはの全てを知りたい。なのはに、私の全てを知ってほしい。
でも、もし、なのはが私を愛していないことを知ったら。私たちは、もう今までの関係ですらいられなくなるかもしれない。
それは、怖い。すごく怖い。
なのはと『友達』ですらいられなくなるなんて、そんなの嫌だ。そんな世界、生きていたって意味がない。そう思ってしまうくらい、私はなのはに嫌われることを、拒絶されることを怖れていた。そのくらい、なのはは私の中で重要になっていた。いつの間にか、それだけ、私はなのはのことを愛してしまっていた。
だから私は、自分の感情を、気持ちを、このまま隠しておくべきなのかもしれない。
手を伸ばせば触れることのできる距離にいられる、今の関係を。
でも、でもっ…………!
私の心は、もうそれ以上を求めてしまっている。手を伸ばせば触れることのできる距離、ではなく、いつでも触れることのできる距離、にいることを望んでいる。いつもなのはの隣にいて、いつでもなのはのことを愛していられる関係を望んでしまっている。
それは、許されないことかもしれないのに。
「……私、どうすればいいのかな? リニス…………母さん」
無意識に、私は答えを求めていた。
ここにはもういない、大切だった人達に。
そして、その日がやってきた。
「ああああああああ…………」
私は、悩んでいた。
悩んでいるのは、当然今日の日のこと。
私は、壁にかけてあるカレンダーを見た。一月ごとにページをめくるタイプのカレンダーで、今日ページをめくったばかりだ。つまり、今日の日付は4月1日。古い日本の言葉で、四月朔日(ワタヌキ)といわれる日だ。なんでも、春になって暖かくなってきたから布団の綿を抜いて涼しくする日らしい。そう、私の読んだ本に書いてあった。こういう、日本語の言葉遊びみたいなのは面白いと思う。
だけど、今日の私には、そんなことはどうでもよかった。
なぜなら今日はエイプリルフール。…………一番大好きな人に、告白をする日だ。
…………一番好きな人に……告白…………。
「……あぅ…………」
考えると、また顔が熱くなってきた。昨日一晩考えたけど、やっぱりまだ恥ずかしいし、驚かせるほどの告白の言葉も思いつかない。
そしてなにより、私の心の準備ができてない。突然、一番好きな人に告白する、とか言われてもそんなに簡単には決心がつかない。そんなに簡単に決心がついたら、つくようだったらこんなに悩んだりしない。
もし、今日が学校がお休みの日で誰とも会う約束をしてなかったら『今日は会えなかった』と、自分に言い訳できたかもしれない。でも今日は、エイプリルフールであると同時に土曜日だ。授業は午前中で終わって、放課後にいつものみんなと出かける約束をしている。だから絶対に私は出会ってしまう。
私は制服に着替えながら、考える。
どうすればいいのか。
どういうことを言えば、一番ベストな結果になるのか。
高町なのは。
孤独の闇から私のことを救ってくれた私の最初で最高の親友で、そして、私の大好きな強くて優しい女の子。
なのはと、いつまでも仲良くしたい。いつまでも一緒にいたい。だけど、それ以上の関係を私は求めながら、同時に今の関係を壊すことを怖れている。どうすればいいのか、もうまったく分からない。
約束の時間は刻一刻と迫っている。もう迷っている時間も考える時間もない。
「…………覚悟を、決めないと」
私は独語して、自分の両頬を叩いた。パチンという乾いた音と、軽い痛みが私の意識を覚醒させる。覚悟を、心を、決めさせる。
とりあえず、私のことを決めてから。
話は、それからだ。
※
私が約束の場所に着いた時には、そこにアリサやすずかの姿はなく、なのはだけがそこで待っていた。
そのなのはの姿を見ただけで、私は心臓が止まるかと思った。まだそんなに咲いてないうす桃色の桜の木の下、落ち着いた表情で、たそがれるように一人で待つなのはの姿。その姿はまるで一枚の絵のように完成された光景で、あまりにも美しかった。なのはには、本当に桜色がよく似合う。
「あ、おはよう、フェイトちゃん!」
なのはは近づいた私を見つけると、満天の笑顔で手を振りながら私の元に駆け寄ってきた。
そういう細かい仕草に、表情に、私の心が奪われる。
「おお、おはよう、なのは」
不意に見てしまったなのはのあまりの可愛らしさに驚きと緊張で硬直してしまった私は、なんとか我を失わないように返事するのが精一杯だった。……いけない、こんなことでどうするんだ私。今日は、今日の私は、なのはに、こ、こくはく……するつもり、なんだから。
「な、なのは、今朝は早いんだね」
勇気を振り絞って、私はなのはとの会話を続けようとした。うう、声が震えてないか、心配。
「うん! だって、私は一昨日も管理局のお仕事でみんなと一緒に遊べなかったじゃない? だから、今日みんなで遊ぶのを凄く楽しみにしていたの」
そう言いながら微笑むなのはの顔は本当に嬉しそうで、その顔を見ている私の頬も一緒に緩んでくる。こんなだらしない顔を見て、なのはに変に思われないか、凄く不安だった。だけど、それ以上になのはのことが愛おしくて、私は自分をコントロールできなくて。本当にどうにかなってしまいそうだった。
それから、すずかとアリサが来るまでの十分くらいの間、なのはと桜の木の下に腰掛けて二人でお話したんだけど、正直、なのはの仕草や表情を追いかけることに夢中で、私は内容をほとんど覚えていなかった。
「…………」
すずかが来て、アリサが来てから、私たちは目的の場所に向かった。
その場所に向かう途中でも、私はなのはとお話をしてた。だけど、どれだけなのはと話しても、何とか落ち着こうとしても、私の頭の中はぐちゃぐちゃのままだった。もし、これが戦いの途中だったら。私は自分でも驚くくらいに冷静になれるのに。もっと視野は広がるし、なにか動揺することがあっても、ここまでにはならない。どうして、なのはの前では私はこうなっちゃうんだろう。どうして、なのはと一緒にいる私は、幸せで、嬉しくて、楽しいのに、こんなに不安定なんだろう。
…………答えは分かっている。
私が、なのはのことが好き、だからだ。
もう、本当にどうにかなってしまいそうなくらい、私はなのはのことが好き。今思えば、なのはの名前を始めて呼んでからずっと、裁判の期間中も、嘱託魔導師の試験勉強中も、私はいつもなのはのことを思い出して、考えていた。なのはとの思い出があったから、なのはと友達になることができたから、私は辛かったことにも耐えて、乗り越えることができた。きっとあの頃から、私はなのはのことが好きだったんだと思う。ただ、自分の気持ちが分からなかっただけで。
「分からない方が、良かったのかな?」
そうすれば、こんなに辛い気持ちになることもなかった。なのはとも普通にお話できて、今まで通りに一緒にいることができた。今のままじゃ、なのはの顔をまともに見ることができない。そのことが、なのはと普通にお話して、なのはの表情を、仕草を、普通に見ることができない。それに、今のままじゃ、なのはに変な子、と思われてしまうかもしれない。もしかしたら、なのはに嫌われてしまうかもしれない。
そんなの、嫌だ。なのはに嫌われるなんて、そんなこと考えたくもない。だって、なのはに嫌われたら、きっと、私…………
「フェイトちゃん?」
突然、目の前になのはの顔が現れた。
「ひゃあ!?」
思わず、私は素っ頓狂な声を上げて仰け反ってしまった。今のは不意打ちすぎて、本当に心臓が止まるかと思った。
「だ、大丈夫?」
「……う、うん、なんとか……」
そんな言葉をつくのが、精一杯だった。理性を守るために、咄嗟に逸らした視線を戻すと、私のことをなのはが上目遣いで覗き込んでいた。そういう表情のなのはもまた、あまりにも魅力的だった。
「フェイトちゃん、今日はなんだかおかしいよ?」
「そ、そう?」
「そう。それに、今日だけじゃない。最近、なんだかおかしいよ、フェイトちゃん」
そう言ってから、なのはは私の手を、両手で優しく包み込んだ。
「なにか悩みがあるなら、私に教えて。一人で抱え込んでたら、辛いだけだよ。私じゃなんの力にもならないかもしれないけれど、頼りないかもしれないけれど、それでも、一緒に悩むことくらいはできる。お願い、フェイトちゃん。一人で、苦しまないで」
なのはは、懇願するみたいに、私にそう言った。
なのはに手を握られた瞬間には、私の意識はバーストしそうになったのに、なのはの言葉を聞いた途端、すぅーっと、まるで冷水でも流し込まれたみたいに頭から熱が冷めた。ここしばらく私の頭の中を埋め尽くしていた、もやもやしたものもなくなって、頭の中がすごくクリアになった。それぐらい、なのはの言葉は、気持ちは、私の心に自然に沁みこんだ。
ああ――私、駄目だな。
なのはのことを、こんなに心配させるなんて。
好きになったのに。こんなにも、どうしようもないくらい、なのはのことを私は愛してしまったのに。そのなのはに、私はこんなにも心配をかけていた。こんなに悩ませたんじゃ、意味がない。私は、なのはにこんな表情をして欲しいんじゃない。私は、なのはにはいつも笑顔でいて欲しい。私を導いてくれた、素敵な笑顔。大好きな人の笑顔。それは、何者にも代え難いもの、だと思うから。
「私は大丈夫だよ、なのは」
「本当?」
「……うん。大丈夫。今はこんなかもしれないけど、すぐに元に戻るから」
そのとき私は、久しぶりに自然な笑顔をなのはに向けることができたと思う。
「ありがとう、なのは。心配してくれて」
冷静になって、また前みたいにちゃんと見ることのできたなのはの笑顔は、やっぱりとても可愛らしかった。
「ううん……いいの。フェイトちゃんが嬉しかったら、私も嬉しいんだから」
「え、それって……」
「あ、ほらフェイトちゃん、着いたよ!」
突然話を遮って、なのはは私の手を握ったまま小走りで先に進んだ。それからすぐに、私達は開けた場所に到着した。
「うわぁ……」
今まで道以外の場所は木々が密集していたのに、そこに、小高い丘みたいになっている開けた場所に、ある程度のまばらな間隔で桜の木が沢山植えられていた。桜の花のほとんどはまだ蕾だけど、この木々の桜が全部咲いたら、きっとすごく綺麗な桜色でこの場所は覆われるんだと思う。私はまだ桜をちゃんと見たことがないから、すごく楽しみだ。
そして、そんな景色を、なのはと見ることができたらいいな、と思う。
「この場所に来るのも、一年ぶりだね~」
なのはが、しみじみと噛み締めるように呟いた。
「そりゃ、春先のこの時期しか、こんな場所に来ないしね」
その言葉に、アリサが応える。私達と同じように、アリサはすずかの手を引いていた。
「さすがに、桜はまだ咲いてないね」
「そりゃそうよ。まだ4月の頭なんだし。多分、見ごろは来週のお花見本番のときよ」
「みんなでお花見、楽しみだね~」
なのはが、心からの笑顔でそう言った。間違いなく、なのははみんなでお花見をすることを楽しみに思っている。その笑顔を見て、良いな、と私は思った。私が、ずっと見ていたい笑顔だ。
この世で最も愛しい人の、とっても素敵な心からの笑顔だ。
そんななのはの笑顔を見たのに、私は取り乱すこともなく、むしろ私の頭はここしばらくで一番すっきりしている。今までが嘘みたいに、今の私は自分を保っている……けれど、私の心にあるこの想いは大きくなるばかりだ。
私の大好きな、強くて優しい女の子。
私は、自分の想いを伝えないといけない。
それはきっと、なのはのことが好きだから、というだけじゃない。なのはが、私に初めて出会った頃からずっと向けてくれていた気持ちに応えないといけない、と思ったから。こうして心配してくれる、優しい女の子に応える術を、私は他に知らないからだ。
……でもそれは、都合のいい後付けの理由なのかもしれない。こればっかりは、自分自身のことでも判断がつかない。だって、結局は、私の気持ちに応えて欲しい、というだけなのかもしれないのだから。
だから私は、覚悟を決めた。
この想いを、気持ちを。私の愛する人に、伝えよう。
私は、軽く息を吸い込んで、ゆっくりと吐き出した。
そうでもしないと冷静さを保てないくらい、私の心臓はドキドキしていた。けれどその鼓動は、さっきまでの不安定なものではなく、私の昂ぶる感情を表しているかのような、とても熱いものだった。
心にあるのは、大きな想いと決意の心。
手にしたものは、想いを伝える気持ちと方法。
瞳を閉じ、心を落ち着ける。心臓は今までにないくらいに激しく動いているのに、頭はひとつのことでいっぱいなのに、私の心は妙にすっきりしていた。きっと、大丈夫。根拠も無しに、そう思えた。
「…………うん」
大丈夫だ。
私は瞳をゆっくりと開いて、一点を見据えた。
そこにあるのは、満面の笑みを浮かべたなのはの姿。
ありったけの想いと、気持ちを乗せて。
私は、大きく息を吸い込んでから、私の心と共に吐き出した。
「な、なのは!」
思いがけないくらい、大きな声が出てしまった。なのはだけでなく、アリサやすずかまでもが、驚いた顔をして私の方を凝視した。
全身が熱い。熱くてたまらない。心臓の音が、うるさいくらいに頭に響く。全身が震えて、気を抜いたら今にも倒れてしまいそうなくらいだ。でも、だからといって、ここで意識を手放すわけにはいかない。そんなことで駄目になるような簡単な気持ちで、私はなのはのことを好きになったんじゃない。私は自分の気をしっかり保つために、ほぼ無意識にスカートの裾をぎゅっと握り締めていた。
これでもう、後戻りはできない。だけど、そんなこと関係ない。
今ここで気持ちを伝えられないのなら、意味がないんだから。
「フェ、フェイトちゃん? どうしたの、そんな大声出して」
なのはが、凄く驚いた顔で私のことを見つめている。当たり前だ。私は普段からこんなに声を張り上げる方じゃない。
だけど、今はそんなこと気にしている余裕はない。
もう、止められない。後から後から気持ちが溢れ出してきて、止まらない。
自分の感情を抑えきれない。
気が付くと、私は、自分の持てる全力の声で、叫んでいた。
「私、なのはのことが大好きなの!」
叫んだ後も、私自身の声が、心臓の音よりも大きく頭の中に反響していた。
さっきまでアリサやなのはが賑やかにお話していて、私達の周りは少し賑やかだったのに、今ではまるで誰もいないかのように、しん、と静まり返っている。アリサやすずかがどんな顔をして私のことを見ているのか、私には分からない。それだけ、私はなのはの反応が気になって、なのはから目を逸らすことができないからだ。
でも、私が想いを伝えた当の本人のなのはは、キョトンとした顔をしていた。まるで、今言われたことの意味を、咄嗟に理解できなかったみたいに。
そんななのはの顔を見た途端、私は急に不安になった。
もしかして、私の気持ち、伝わらなかったのかな?
もしかして、変な女の子、と思われちゃったのかな?
もしかして、私、……嫌われちゃったのかな?
後悔と不安が、私の心を押しつぶしそうになる。
ほんの数秒のことが、もっとずっと長く感じられた。
私は、この時間がずっと続くんじゃないか、そんなことすら思っていた。
けれど次の瞬間、なのはは信じられない、と言った様子で、くりっとした瞳を見開いて、口元を両手で押さえた。その瞳には、みるみるうちに涙がたまっていった。
「フェ、フェイトちゃん……」
なのはの声は、私の自惚れかもしれないけれど、驚きと言うよりも、感激の色が強かった気がする。
なのはは両手を下ろして、私のことを真っ直ぐと見据えた。思わず、心臓が高鳴る。
それから、笑顔になって、自分の胸に手をやった。
その笑顔は、まるでお日様みたいだった。
「……嬉しい。私も、フェイトちゃんのこと……大好きだよ」
なのはの瞳から一筋の涙が零れ落ちた。
その姿は、なのはの姿はあまりにも綺麗で、一枚の絵のようだった。
「あ……」
その言葉を期待して、心構えをしていたハズなのに、なのはの返事に対応できず、私は固まってしまった。なにもかもが、私の許容範囲を超えすぎてしまっていた。
さっきまであれほどうるさかった音が、聞こえなくなった。視界が真っ白に染まって、私の意識すらも覆い尽くしていく。段々と遠のいていく意識の片隅で聞こえたのは、なのはが私のことを呼ぶ声だけだった。
※
なんだか、頭の中がふわふわする。
まるで幸せな夢をみているような、全身を包み込む浮遊感と、幸福感。
いつまでも、この世界にいたいと思ってしまう。
まどろみと夢の世界の間にある、不確かな空間。ぬるま湯に浸かっているような、温かい空間。
だけど、ずっとその世界にはいられない。
なぜなら、そこにはなのはがいないから。
どんなに心地よい世界でも、なのはの存在しない世界に価値は無い。なのはの存在しない世界に、私が存在する意味が、私の中には存在しない。私は、いつだってどんなときだって、なのはと一緒に過ごしていきたい。
そう意識すると、霞みかかっていた私の思考が段々と鮮明なものになっていった。意識が覚醒し、まどろみの世界から現実世界へと戻される不快感に襲われる。
それと同時に、頭の後ろに、暖かくて軟らかい感触を感じた。
なんなんだろう、これは……?
そこまで思考して、私は目を覚ました。
「あ、フェイトちゃん、気付いた? 大丈夫?」
「……………………!?」
予想外の事態に、私の意識は再びショートしかけた。
目を覚ました私の視界に真っ先に飛び込んできたのは、私のことを心配そうに見つめる、なのはの可愛らしい顔だったのだ。それも、私の視界のほぼ全てを多い尽くすほど、なのはの顔は至近距離にあった。
あれ、ということは、この頭の後ろにある暖かくて軟らかい感触は……?
「よかった~、フェイトちゃんの目が覚めて。突然倒れちゃうもんだから、私ビックリしちゃったよ」
「え……」
現状を把握して、比較的落ち着いた頭で考えて、私はようやく気付いた。頭にある、軟らかくて暖かい感触。私の視界のほぼ全てを覆う、私を覗き込んでいるなのは。ここは屋外で、枕やクッションなんて都合のいいものがあるハズがない。
それらから導き出される結論はひとつ。
もしかして私、なのはに膝枕されてる!?
「!!」
私は立て続けに起こる予想外の嬉しいけれど驚きの出来事を受け止めきることができず、反射的に起き上がろうとした。
だけど、そんな私をなのはが優しく押し留めた。
「だめだよフェイトちゃん。さっき倒れたばっかりなんだから、まだ寝てないと駄目だよ」
いさめるような口調のなのは。でも、その声色は厳しいものではなく、むしろとても優しくて、抗いがたい不思議な力を持っていた。
私がそんななのはに抵抗できるはずもなく、再びなのはの膝に厄介になることになった。
「……なのは、重くない?」
「にゃはは。私は全然大丈夫だよ。フェイトちゃん軽いし。……それとも、私の膝枕は、嫌?」
しゅん、と悲しそうな表情をするなのはに、私は全力で否定した。
「そんなことない! むしろ、なのはに膝枕されて嬉しいよ!」
正直、自分でもなにを言っているのか良く分からなかった。
ただ、なのはに悲しい顔をして欲しくなかったから、私は素直に自分の感情を述べていた。
「そう? だったら、フェイトちゃんに喜んでもらえるなら、嬉しいな」
言い、なのははニッコリと笑った。
ああ、この笑顔だ。
私がずっと見ていたい、私の大好きな子の笑顔だ。
思わず、私の顔もほころんでしまう。
私は手を上げて、なのはの頬に触れた。
なのははなにも言わず、私の手になのはの軟らかい手のひらを重ねてくれた。
「……でも、さっきは驚いちゃったよ」
「え」
「だってフェイトちゃんったら、いきなり……」
なのはは、ポッ、と頬を赤らめた。
「あ…………」
なのはの顔を見て、私はようやく思い出した。
私が突然なのはに、こ、告白して、勝手に興奮して、倒れてしまったこと。
「あぅ…………」
思い出したら急に恥ずかしくなってきた。頭に血が昇って、全身がまるでお風呂上りみたいに熱くなってきた。それと同時に、なんだか申し訳なくなってしまった。
「あわわ、ご、ごめんねなのは、あのときはいきなり、その、あんなこと言っちゃって……」
けれど、なのはは何も言わずに首を振った。
「ううん。いきなりで驚いちゃったけど。……例え嘘でも、私、とっても嬉しかったよ」
「……………………え、嘘?」
「そうじゃないの? だって、今日はエイプリルフールだし」
…………あれ?
エイプリルフールって、一番大好きな人に告白する日、じゃないの? なんとなく、私となのはの認識に違いというか、ずれがあるような気がする。
私は恐る恐る、なのはに聞いてみた。
「ねぇなのは、エイプリルフールって、何の日なの?」
「え? それは、嘘をついて相手を驚かす日だよ。…………フェイトちゃん、もしかして知らなかったの?」
その瞬間、私の中でなにかが音を立てて崩れ去ってしまった。
今日は告白する日じゃなくて、嘘をつく日なの?
ということは、私の告白を、なのはは嘘だと思って…………
「だけどね、フェイトちゃん」
「え?」
「例えフェイトちゃんの告白が嘘でも、例えフェイトちゃんが私のことをなんとも思ってなくても、私はフェイトちゃんのことが、大好きだよ」
「なのは……」
「だから、これからもずっと友達でいようね」
これからもずっと友達でいようね。
これからもずっと『友達』でいようね。
これからも、ずっと――――。
その言葉は、私の頭の中でしばらくの間反響し続けた。
「あ、あはは、うん、そうだね、なのは」
「うん!」
なのはの、天使のごとく可愛らしい笑みに。
私は、ぎこちない笑顔でしか返すことができなかった。
――でも、少なくても嫌われてるわけじゃないから、今はこれでいいのかな――
「……今なのはと恋人になったら、私は嬉しくて死んじゃうかもしれないし……」
「? フェイトちゃん、なにか言った?」
「ううん、なんにも」
心の底からの私にできる最高の笑顔で。
「私はこれからもずっと、なのはのことが大好きだよ!」
って、告白できるくらいに、私に勇気がついたときに。
私は、もう一回告白しよう。
今度は勢いじゃなくて、フェイト・テスタロッサの本当の気持ちを、大好きな人に伝えられる告白を。
今はそれでいいよね。リニス、母さん。