3000HITのキリ番を踏んだ影音様のリクエスト『ヴィータの夏っぽい日常』に答えたお話です
ヴィータ主人公というお話は考えたことがなかったので文章そのものを仕上げるのに時間がかかった上に、
現実世界で私用が立て込んで更新に一か月近くかかってしまいました。
時間がかかってしまって申し訳ないです。文章を書くいい勉強にもなりました。
昼間のうちは地上をギラギラと照りつける太陽も、夕方になれば穏やかになる。空を蒼でなく茜色に染め上げる太陽は、人々の肌を焼くこともなく、一日の終わりを告げるかのように、ただゆっくりと沈んでいく。気温も下がり、うだるような暑さの毎日の中でも、比較的涼しくて過ごしやすい時間が始まる。
そして、茜色の空はその色を濃くし、夜になる。
蒼い昼。
黒い夜。
その狭間の、茜の夕方。
そう、ちょうど空が茜色に染まり始める頃。
駅に到着したレールウェイが速度をおとし、扉が開いたと同時に、小柄な少女が飛び出した。
彼女は長くて赤い髪の毛をみつあみにまとめ、独創的なうさぎの意匠を施された、その身体にぴったりな大きさのリュックサックを背負い、一息にホームを駆け抜けた。彼女が一歩を踏み出すたびに、長いみつあみが弾むように揺れる。
小柄な体格を活かして、様々な人で溢れかえる駅のホームを、人と人の間をすり抜けながら駆け抜ける。彼女の性格を表したかのように赤い髪の毛とは対照的な輝きを放つ青い瞳は、今は生き生きと生命力に充ち溢れている。
不意に、彼女は足を止めた。
そこは、駅の改札口。
彼女は振り返り、満面の笑みで、未だレールウェイから降りたばかりの家族たちに、待ちきれないと言わんばかりに大きく手を振った。
「はやて、みんな~。早く早く~!」
8歳くらいの少女に見える彼女の名は、ヴィータ。
小さな身体に大きな想いを秘めた、時空管理局のエースオブエース。
そして、八神家の一員である。
時空管理局の存続を揺るがしたJS事件も一段落し、機動六課には一時の休息が訪れていた。
機動六課開設からJS事件解決までの間、機動六課ではその任務の都合上、常に出動態勢を整えた状態である必要があり、まともに休日と呼べるものを与えられていなかった。
そのため、JS事件が終結した今ようやく、それぞれの隊員に休暇が与えられていた。
しかし、JS事件が解決したと言っても、機動六課がロストロギア関連の事件に関わることに変わりはなく、隊員たち全員に同時に休暇を与えて機動六課の運行を停止させるわけにはいかない。ゆえに、スターズ分隊の隊長と隊員二人が三日間の休暇を取った次の週に、ライトニング分隊の隊長と隊員二人が三日間の休暇を取る、といった具合に、隊員たちに与えられる休暇は同時一斉でなく、何人かづつ順番に与えられていた。
そういった休暇体制を取る場合、部隊長の休暇は順番的に最後になるのは道理である。
機動六課の部隊長である八神はやてが今回の休暇を取った時点で、すでに機動六課に関わる隊員ほとんど全員がそれぞれに三日間の休暇を享受した後だった。
また、分隊の隊長と副隊長が同時に休暇を取ってしまうと、もしものときの責任者がいなくなってしまうため、隊長と副隊長が同時に休暇を取ることができないこともまた当然のことだ。
だからこそ、すり合わせのために、機動六課の部隊長である八神はやてと、分隊の副隊長であるヴィータ、シグナムが同時に休暇を取ることとなった。
そしてそのついでに、はやてが部隊長権限で、基本的には非戦闘要員である他の八神家の職員たち三人の休暇を自分の休暇に合わせることに難色を示す隊員は、機動六課には存在していなかった。
つまり、八神一家全員が同時に休暇を取ることはある意味必然であり、決して実現不可能なことでもなかったのである。
それを実現可能なものにするために、多少の権限の濫用はあったのだが。
正直、そんな話はヴィータにとってはどうでも良かった。
結果として、八神家みんな勢ぞろいで、こうして旅行することができている。大好きなはやてと、みんなと一緒にわずかな間ではあるけれど穏やかな日々を過ごすことができる。
それだけで、十分だ。
だから今は、難しいことなんて考えずに、家族と楽しむことだけを考えよう。
たまには、小難しい仕事のことを忘れて楽しんだって、バチはあたるまい。
ヴィータは改めて、今回の家族旅行の予定を思い返す。
久しぶりの家族旅行の目的地は、ミッドチルダ首都クラガナンの遥か東、快速レールウェイを二時間、そこから更にローカル線を二時間乗り継いだ場所にある、トウジという場所だ。交通の便は良くないが、ミッドチルダでも有数の温泉街として名を馳せる、地方観光地である。
家族会議の結果、久しぶりの休暇を温泉街で過ごして疲れを取り去ろう、というはやての鶴の一声で決まった目的地だ。八神家にははやて以外にも風呂好きがおり、これは後から分かったことだが、八神家が休暇を取ることのできる日に、トウジでは年に一回の夏祭りが開催されることになっていた。
そのような理由もあり、八神家の中心であるはやての意見を反対する理由もなく、満場一致できまった目的地だ。
もとより喜怒哀楽の感情が激しく、普段は落ち着いた風を装っているが、このようなプライベートでは見た目相応の態度も見せるヴィータである。今回の旅行をヴィータがとても楽しみにしていたことは、誰の目から見ても明らかだった。ちなみに、仕事中にその点に触れてしまったスバルは、その日いつもの倍はしごかれていた。
改札を後から追いかけてきたはやてたちと一緒に抜けたヴィータは、待ちきれないとでも言わんばかりに駅の外に飛び出した。
トウジの駅を出た途端、ヴィータの目に飛び込んできたのは、とても賑やかな光景だった。
駅前に広がる広場の周りを、道路を挟んでぐるりと取り囲むように、ミッドチルダでは珍しい木造建築の建物が並んでいた。建物を構成する木材は年月を経た色をしており、建てられてから結構な時間を過ごしていることを物語っていた。駅前に存在するそれらの建物はほとんどが商店で、建物の中でかに留まらず歩道にまでお土産などを広げている。さすがにミッドチルダ有数の温泉街というだけのことはあって、すでに多くの人がそれらのお土産屋を物色しており、中々活気に溢れていた。
さらに、今日は年に一度の夏祭りということもあって、道路が完全に封鎖され、普段は存在しないであろうお祭り独特の出店が立ち並んでいた。街路樹や街灯には提灯がぶら下げられてあり、それらの提灯や出店は駅前から温泉街を貫くメインストリートまでずっと繋いでいた。事前に呼んだパンフレットによると、駅前から温泉街すべてが祭りの会場であり、今日だけは日が落ちても街頭は点かず、代わりに温泉街中に張り巡らされた提灯に火が灯されるのだそうだ。
もちろん、トウジの街に無数に存在するすべての温泉には入浴し放題。自分が宿泊していない旅館の温泉でも、事前に貰えるパスカードさえあれば、閉店の時間まで何回でも何時間でも入浴することができる。
そして、この夏祭りの目玉は、お祭りの最後に行われる花火大会だ。
ミッドチルダの大抵の花火大会のような魔法ではなく、最近では珍しい職人さんたちが作り上げた本物の花火を、百発以上打ち上げるそうだ。夜空が花火に埋め尽くされる様は壮観で、これを目当てにやって来る観光客も多いらしい。
今日一日、ひたすら温泉に入浴し続けるもよし。
お祭りの雰囲気そのものを楽しんで、ぶらぶらと歩き回るもよし。
温泉街全体を巻き込んだ出店すべてを制覇するのも、初めからトウジに存在する土産物屋を巡るも構わない。
周囲の喧騒を肴に、旅館の一室で地酒を嗜むも趣があってたまらない。
一日をかけて、最高の花火スポットを探すもまた一興。
一回参加するだけでは堪能しきれない、無数の過ごし方がここにはあった。
まだ日が沈んでいないのでお祭りは本格的には始まっていないが、すでに駅前から温泉街を貫くメインストリートは、気の早い多くの人で埋め尽くされていた。気の早い出店も営業を始めているようで、風に乗ってほのかにお祭り独特の良い匂いが駅前までただよっていた。
「おお……」
温泉街全体がお祭りの会場で。
楽しみ方は無限大。
これはもう、ワクワクするなという方が無理な注文だ。
「うわ~、もういっぱい人がいますね~」
八神家の末娘、リインフォースⅡも、ヴィータの横で驚きと興奮の入り混じった声をあげる。
普段は小さなリインも今日はアウトフレームフルサイズ、ヴィータと同じくらいの背丈になっている。多少燃費が悪かろうとも、今日は全力でお祭りを楽しむ気満々だ。
「これは……なかなか」
「すっごいですねー」
シグナムとシャマルの声にも、驚きの色が混じっていた。
ちなみに、人ごみの中に大型犬がいては非常に迷惑なので、今日のザフィーラは小型犬フォルムだ。
「はは、もうお祭りの雰囲気が漂いよるやんか。他の観光客さんたちも浴衣やし、なんや、まるで日本に帰ってきたみたいやなー」
そして最後に、はやてが驚き……というよりは楽しみを含んだ、いつも以上に弾んだ声をあげた。
そう。
おそらく旅館で借りたのだろう。早くも街をぶらついている観光客たちは、ほとんどが日本の浴衣にそっくりな服を着ていた。そもそも、宿泊する場所をホテルではなく旅館と呼ぶこと自体が、ミッドチルダでは異例。それだけでなく、トウジにある建物や街全体のつくりも、どういうわけか日本の温泉街のそれにそっくりだった。
この街は、ミッドチルダの各地に散らばる大小様々な街の中でも異彩を放っていた。同じ文化圏でありながら、街全体の雰囲気が根本的に違うのだ。地方によって多少なりとも文化が違うことはあるが、ここまで違えば、もはや別の文化圏にいるように感じてしまう。
はやてだけでなく、日本で過ごした期間の長い八神家全員が、まるで日本に帰ってきたかのような感覚を感じていた。
この町は、あまりにも日本に似過ぎている。
「ナカジマ三佐のご先祖のように、何らかの理由でこちらの世界に来てしまった、かつて日本人だった人たちがこの街を開いたのでしょうか?」
「……かも、しれんな」
シグナムの仮説を、はやては肯定した。
「……でも、今はそんなことを論じている暇はなさそうや」
「と、言いますと?」
「シグナム、そんな難しい話はどうでもいいんだよ」
はやてとシグナムの会話に、ヴィータは思わず横槍を入れてしまった。
ヴィータは、すでに待ちきれなくなっていた。
一分一秒でも早くこのお祭りに参加してくて、うずうずする。
それはリインも同じようで、ヴィータの隣で、はやてとシグナムのことをじーっと見つめていた。その瞳は明らかに『難しいお話は早く終わらせてお祭りに参加するですよ』と語りかけている。
「……と、いうわけや」
「なるほど。わかりました」
はやては苦笑いして、話を切り上げた。
今度はシグナムが自分に『もう少し我慢しろ』と目で訴えかけてきたが、早くお祭りに参加したいヴィータは『うっせーな。そんな話どうでもいいんだよ』と言わんばかりの目つきでシグナムを見つめ返した。いや、睨み返した。
結局、いつもと似たようなやり取りである。
「ほな、約二名ほど待ちくたびれとるようやし、とっとと旅館に行こか」
ようやく、待っていた言葉がはやてから告げられる。その声色から、はやてもこの旅行を楽しみにしていることがありありと感じ取ることができる。
にっこりと微笑んだはやてを見て、ヴィータもなんだか嬉しくなった。
「おー!」
「おーです!」
はやての声に答えたのは、八神家の最年少二人組。
機動六課では『鬼の副隊長』と呼ばれるヴィータでも、はやての前では、見た目相応の女の子になるのだった。
座ることができるように、段差が高くなっている広めの玄関。
古めかしい木の匂いが、ほのかに旅館全体を包み込んでいる。
穏やかな雰囲気を漂わせる木造建築。石でできた建物では出せない温かみが、そこにはあった。ミッドチルダの文化では、こういう雰囲気を醸し出すことはなかなかできない。単純に、文化の違いだ。
はやてたちが宿泊する旅館も他の例に漏れず、ほとんど日本のそれと同じものだった。違う点を挙げるとすれば、旅館の名前も、女将の名前も、漢字を使わないミッドチルダ言語だということか。
八神家一行は自分たちに宛がわれた畳部屋に荷物を置くと、全員浴衣に着替えてからすぐにお祭りに参加することにした。
旅館の広い玄関をでると、先ほどよりも人が増えていた。そのほとんどは浴衣を着ていて、下駄を履いた人が歩くたびに、カラコロと軽い音が鳴り響く。空はすでに完全に茜色に染まっており、そろそろお祭りが本格的に始まる時間となっていた。
気温も昼間よりもかなり落ち込んでいるが、浴衣掛けでも問題なく過ごすことができる。
温泉街の独特の雰囲気と、お祭り独特の雰囲気が入り混じった、ヴィータでなくとも心が弾む空間が、温泉街そのものを取り込んでいた。見て見ると、はしゃいでいるリインやシャマルだけでなく、シグナムもどこかそわそわしていた。風呂好きのシグナムは間違いなく『温泉街』という場所そのものに心を奪われているのだろう。
「さて、それじゃみんな。最初の集合時間は夜七時。あと一時間くらいしかないけど、それまで自由時間や。それから旅館でおいしい晩御飯を食べて、お祭りが終わるまでまた自由時間や」
家庭でも職場でも八神家のリーダーであるはやてが、みんなに指示をだす。
ヴォルケンリッターの視線が、はやてに集中していた。
「シグナムは、時間までどうするん?」
「そうですね。私はとりあえず、この旅館の温泉に浸かることにしましょう」
言い、シグナムは今自分たちが出てきた旅館を指差した。
長い付き合いであるヴィータには、普段は冷静なシグナムがその実早く温泉に入りたくてうずうずしていることがよく分かっていた。旅行に行く前から、隠れるように旅館のパンフレットの温泉の欄を読みふけっていたことも知っている。もちろんはやてもそれは同じようで、ニンマリと笑い、「シグナムはやっぱりお風呂好きやなー」と言った。
それからはやては、今度は視線をこっちの、ヴィータの方に向けた。
「ヴィータはどうするん?」
「出店全制覇!」
間髪入れず、ヴィータは答えた。
こんな規模の大きいお祭りですることなんて、ヴィータには決まりきっていた。
「お前、夕飯前にどれだけ食べる気だ……」
「ヴィータ、出店で売ってるもんを食べるのはかまへんけど、あんまり食べ過ぎると、旅館でおいしい晩御飯が食べれなくなってまうよ?」
シグナムは呆れ交じりに、はやては優しい忠告交じりに、ヴィータにそう言った。
はやてはともかく、シグナムに言われると、ちょっとムッと来る。
「うっせーな。別腹だよ、別腹」
お返しに、シグナムには軽く憎まれ口を叩く。
いつになっても、どこにいても変わらない、いつも通りのやりとりだ。
「シャマルは、どうや?」
「私は、この辺をぶらぶらしようと思います」
「私もですー」
シャマルの言葉に、リインが言葉を重ねた。
「そか。じゃあ私は、シャマルたちについていこうかな」
言い、はやてはニコニコと笑う。
いつも笑顔を絶やさないはやても、今日は一段とニコニコしている。やっぱりはやても、自分たちと同じように、今日の旅行を楽しみにしていたんだと考えると、ヴィータもなんだか嬉しくなってくる。
家族と穏やかな時間を過ごすことが、楽しくて嬉しくて。
いつまでもこんな時が続けばいいのに、と思う。
「それじゃみんな、時間まで、解散や。集合時間に遅れたらあかんよー」
『はい(ですー!)』
めいめいにはやてに返事をして、一旦解散する。
とは言っても、仲のいい八神家のことである。温泉に入りたくてたまらないシグナム以外は行動を共にすることになるのだが。
シグナムはいそいそと、温泉旅館の中に姿を消した。
「じゃあ、うちらも行こうか」
言い、はやては温泉旅館に背を向ける。
その横に並ぶのはヴィータとリイン。
そしてすぐ後ろに、シャマルとザフィーラ。
どこにいこうと、いつも通りの、八神家の布陣。
「はやて、早く行こうよ」
「はやてちゃん、ゴーですー」
いや、待ちきれなくなった八神家のちびっこ二人が、先に飛び出していた。
「ヴィータ、リイン、走って転ばんようになー」
はやてのそんな声を背に。
ヴィータは、リインと一緒にお祭りの喧騒の中に駆け出した。
旅館で夕食を食べてからは、八神家は全員一緒に祭りを楽しんだ。
日は完全に落ち、空は茜色からすべてを覆い尽くすような漆黒に。ギラギラと容赦ない光を浴びせる太陽は、穏やかな銀色の光を放つ月にその役割を交代していた。
夏の間は短い、月明かりが支配する時間。
街灯は灯されない。代わりに温泉街全体に張り巡らされた提灯が灯され、真昼と変わらないような光を放つ街灯とは違う穏やかで優しい光を燈している。今夜、温泉街を照らす光は昼間のような明るさを持つ街灯ではない。例え光は弱くても、穏やかな温かみを含む月と街灯の光だ。
街の雰囲気は、完全にお祭り独特の陽気で楽しい雰囲気に。
時折吹く夜風に混じるのは、ほのかな硫黄の香りと、お祭り独特の屋台から発せられる香ばしくて食欲をそそる匂い。
浴衣を着た観光客はさらに数を増し、駅前から温泉街を貫くメインストリートどころか、お祭りの会場となっている温泉街全体を埋めつくさんばかりとなっていた。多くの出店に混じって迷子センターが何箇所か設けられているのは、つまりそれだけ迷子がでる、ということなのだろう。
そしてここにも、迷子が一人。
「みんな、どこにいっちまったんだ?」
子ども用の小さな浴衣に身を包み、頭にはお面を付け、右手にわたあめを、左手に焼きイカを持ったヴィータが、人ごみの中でポツリと呟いた。
さっきまでは、ヴィータは間違いなく八神家のみんなと一緒にいたのだ。
旅館で夕食を食べてからは(山の幸を中心とした和食だった。ヴィータは気合いでちゃんと完食した)、みんな一緒に街をぶらぶらし、目に入った温泉に入ってみたり(一番最後まで粘るのはやはりシグナムだった)、お土産屋に入ってみたり(シャマルは主婦根性丸出しだった。そのことをヴィータが指摘したら拗ねた)、屋台の売り物を食べたり(別腹だ)と、一家総出でお祭りを楽しんでいた。
人ごみを歩くのは大変だったけど、それも含めてお祭りだとはやても言っていた。
だけど、気がついたら、はやてもみんなも、自分の傍にはいなかった。
いつの間にかみんなと逸れてしまっていたことに、ヴィータは気付いた。
思念通話で連絡を取ろうにも、あれは相手の位置を把握していないと利用することはできない。迷子となり、家族の居場所が分からないこの状況では、思念通話など役にたたないのである。
人ごみの中で、一人ぼっち。
「……まったく、仕方ねーな」
ヴィータはひとりごちて、頭を掻く。
別に、一人で街を歩いても危険ということはない。ヴィータは精鋭揃いの機動六課でスターズ分隊副隊長を務めるほどの腕前である。相棒のグラーフアイゼンもいつも通り首から下げている。例え視界に収まるすべての人が一斉に襲い掛かっていても、切り抜ける自信と実力がある。
やっかいなのは、これだけの人ごみの中ではぐれてしまったことである。
冷静に考えれば、二度とはやて達と会えなくなるということはないし、いずれ合流することもできるだろう。なんなら、旅館でみんなが帰ってくるのを待っていればいい。恐れることはなにもない。まだ小さなリインなら、同じような状況に陥ったら、泣きながらみんなのことを探しまわるだろうが。
はしゃぎすぎてはやて達よりも先にいってしまったのかもしれない。屋台に気を取られ過ぎて、はやて達に遅れてしまったのかもしれない。
このまま、一人でお祭りを楽しんでもいいのだが。
一人で平気とはいえ、こういうお祭りは、家族で一緒に楽しんだ方がいいに決まってる。
「……探すか」
ひょっとしたら、いや、間違いなく、はやて達も自分のことを探しているだろう。
自分のせいで、はやて達に面倒をかけるのは嫌だった。
またシグナムあたりに何か言われるな、と思いつつ、ヴィータは踵を返して、家族のみんなを探すために歩き出した。
はやて達を探し、ヴィータはやがて、町はずれの神社に辿り着いていた。
町はずれにあるその神社はお祭りの会場には含まれないらしく、浴衣を着た観光客たちの姿はなかった。もちろん、はやて達の姿も。
街を照らしている提灯も街灯も神社にはないため、境内は暗く静かで、遠くからお祭りの喧騒がぼんやりと聞こえるだけだった。
近くでお祭りをやっているとは信じられない。
まるで、ここだけ世界から切り離されてしまっているようにすら感じる。
境内にあるのは、凛とした、ただひたすらに純粋な世界。
ここには誰もいない。
ここまで来るのにはやて達を見つけることはできなかったが、街の端まで来たのだ。ここから街を順番に、メインストリート沿いに探していけば、きっとはやてたちを見つけることができるだろう。
そう考え、ヴィータは神社に背を向けようとしたのだが、
「!?」
不意に、クイクイと、浴衣の裾をなにものかに引っ張られた。
気のせいで済ませるには、明らかに現実的な感触だった。
誰かが近づく気配など、まるで感じなかったのに。
反射的に身体全体で振り向き、身構えるヴィータ。その動きは見た目相応の少女の動きではなく、明らかに訓練された騎士の動き。一瞬で警戒態勢に写り、右手にグラーフアイゼンを握る。いつでも、魔法を起動できる態勢。
はたして、ヴィータの後ろには。
「……お、女の子……?」
小柄なヴィータよりもさらに小さい少女の姿があった。
突然振り向かれ、驚いたのだろう。大きめのクリクリした瞳を見開き、ヴィータの浴衣の裾を引っ張った姿勢そのままで固まっていた。
その姿を見て、ヴィータの動きも固まる。
こんな暗闇の、神社の境内に、小さな女の子が一人。
突然の出来事に、ヴィータの思考が停止する。
もしかして幽霊か、と一瞬考えたが、足もちゃんとあるし、さきほど裾を引っ張られた感覚もしっかりとしたものだった。
なにより、少女からは害意と言うか、敵意を一切感じなかった。
とりあえず、少女が幽霊であれ、人間であれ、こちらに危害を加えるつもりはないらしい。
「……迷子、なのか?」
おそるおそる、ヴィータは尋ねた。
その少女はヴィータの言葉に反応せず、固まったままだった。もしかしたら、警戒されているのかもしれない。あまりにも反応がなくてヴィータがもう一回同じことを尋ねようかとしたときに、ようやく、コクリと頷いた。
「お母さんとか、家族は?」
ヴィータの次の問いに、少女は今度はフルフルと首を振った。
家族とお祭りに来ていたが、逸れてしまった、ということだろうか。
「はぐれちゃったのか?」
少女は再び、コクリ、と頷く。
このお祭りで迷子が多いのは、ヴィータも知っていた。お祭り会場中に迷子センターが設けられていたし、なにより、自分が経験してしまっている。あれだけの人ごみだ、小さな子が迷子になってしまっても、何ら不思議ではない。
ヴィータは思う。
この子も、家族と一緒にお祭りにきて、あの人ごみで逸れてしまったのだろう。そして、家族を探して、こんな誰もいないところまで来てしまったのだ。よく見れば、着ている浴衣は旅館で貸し出しているような簡素なものではなくて、大人しそうなこの子に似合う、落ち着いた藍色の浴衣だ。手が込んでいる。お祭りまでわざわざ持って来なくても、借りものを着せればいいのに。
きっと、この子は家族に大切にされているのだろう。
そんな子が。
自分よりも小さな女の子が。
どこの誰とも知らないヴィータに、こんな真っ暗な場所で話しかけてきたのだ。
誰かも知らないヴィータに頼らなければならないほど、この子は追い詰められていたのだ。
一体、どれほどの寂しい想いをしたのだろうか。
この人ごみと暗闇の中で、どれほど怖い想いをしたのだろうか。
「…………」
機動六課では『鬼の副隊長』と呼ばれていたヴィータだが、何気に面倒見がとても良かった。
それは自覚のない、ぶっきらぼうな優しさの表れだったのだが。
「……あのな。私の名前は、ヴィータっていうんだ」
そんなヴィータが、こんなところで迷子になっている女の子を、放っておけるハズがなかった。
「お前、名前はなんて言うんだ?」
なるべく優しく聞こえるように、ゆっくりと、少女に問いかける。
「…………姫…………」
「え?」
「
鉄
……乙姫……」
上目使いで、ヴィータをじっと見つめながら、今にも消えてしまいそうな小さな声で、乙姫はヴィータにそう答えた。
「乙姫、か。いい名前だな。よし、乙姫。私と一緒に、お母さんを探しに行くか?」
言い、ヴィータは乙姫に手を差し出した。
乙姫は一瞬驚いたような表情を見せ、値踏みするようにヴィータの顔を、全身を見つめたが、それからおずおずと左手を伸ばし、ヴィータの右手をゆっくりと、握りしめた。
その手をしっかりと握りしめ、ヴィータはにっこりと微笑んだ。
その笑顔を見て、乙姫も微笑み返してくれた。
どうも大人しくて人見知りをしそうな子だったが、どうやら心を開いてくれたらしい。
「それじゃ、乙姫のお母さん探しに、レッツゴーだ!」
二人は手を繋いで、真っ暗な境内を抜けて、温泉街に飛び出した。
再びお祭りの喧騒に足を踏み入れたヴィータと乙姫は、まずはメインストリートの端から出発して、それぞれの家族を探すことにした。きっと自分たちの家族も、自分たちを探して、メインストリートを歩いているだろう、と踏んだのである。
メインストリート沿いに並ぶお祭りの出店は魅力的だが、今はそんなことを気にしている場合ではない。
二人はキョロキョロと、人ごみを縫うように歩きながら、自分たちの家族を探した。この人ごみの中でまた迷子にならないように、二人は手を繋いだままである。握り締めた乙姫の手はかなり小さくて、私がしっかりしないとな、とヴィータは思った。
まずは乙姫の両親を見つけようと、鍛え上げられた瞳を活用して、家族を探す。
しかし、如何せん人の数が多過ぎる。自分たちの小ささもあって、見つけてもらうのは難しいだろうし、見つけるのも難しいだろう。
迷子センターに行く、という手もあったのだが、迷子の子供扱いされるのはヴィータのプライドに関わるし、乙姫が必至でそれを嫌がった。迷子センターで、また一人ぼっちになるのが嫌なのだろう。それに、こうして自分を頼ってくれている乙姫を迷子センターに預けて、それで終えるのは、なんだか悪い気がした。
そうして、三十分ほど人ごみをかき分けながら、それぞれの家族を探したのだが……。
「……見つからねぇなぁ……」
一向に、お互いの家族が見つからなかった。
さすがのヴィータにも、焦りが生じてきた。
自分のことはどうでもいいのだが、このままでは乙姫が心配だ。
実際、疲れてしまったのだろう。乙姫は俯いて、足もともおぼつかない。ヴィータに引っ張られることでようやく歩いている、といった様子だった。眠気を必死に我慢しているらしく、その表情が少し可愛らしい。
「……疲れたのか?」
ヴィータが尋ねると、乙姫はコクリ、と頷いた。眠いのか、くりくりした瞳も閉じかかっているし、頭もコックリコックリと揺れている。
このまま引っ張って歩いても、かえって危ないだけではないか。
「あっちで、少し休むか?」
コクリ。
ヴィータがあっちと示したのは、屋台の空白地帯に設けられている、休憩所のような場所。休憩所と言っても簡素なベンチが置いてあるだけだが、少し休んだり、屋台で買ったものを座って食べたりする分には十分だ。
「ほら、乙姫。もうちょっと頑張れ。コケるなよ?」
ヴィータに引っ張られ、乙姫はふらふらしながらついてくる。それでも手だけはしっかりと握って離さないのは、それだけヴィータのことを信じている、ということか。
少し心配だったが、休憩所はすぐ近くにあったから、問題なく到着した。
ヴィータは、頭がふらふら揺れる乙姫を支えながら、ベンチに座らせた。
「……大丈夫か、乙姫」
コクリ。
「……探すの、諦めるか」
ブンブン。
「まだ、頑張れるか?」
コクコク。
このくらいの小さな子供なら、眠くて仕方ない時間帯だろうに。
乙姫はまだ、家族を探すことを諦めていない。
「……まったく、大した奴だよ、乙姫」
どちらかと言えば子供は苦手なヴィータだが、今の乙姫のような、一途に頑張る人は、年齢に関わらず好感が持てた。
その点で言えば、きっと人見知りをする方だろうに、ヴィータを信じて、知らない人がたくさんいるお祭りの会場で家族を探せるのは、なかなかに凄いことだと思った。
それだけ、家族が大好きなんだろうな。
同じく家族が大好きなヴィータには、その気持ちがよく分かる。
だから。
「……よし、乙姫。少し待ってろ」
ヴィータはそう言うと、ずっと握ったままだった乙姫の手を離し、人ごみの中に飛び込んだ。
目的は、すぐ近くにあるかき氷の屋台。
その屋台で二人分のかき氷を買い、ヴィータはベンチに座る乙姫の元に戻ってきた。
「ほら乙姫、どっちがいい?」
そして、二種類のかき氷を乙姫の前に差し出した。
「…………いちごがいい……」
「ん」
ヴィータは笑顔で、眠たそうな乙姫にイチゴ味のかき氷を手渡した。
「冷たいもの食べて、目覚ませ。それからまた、お母さんを探そうぜ」
言い、ヴィータも乙姫の隣に腰かけて、残ったレモン味のかき氷を、かき氷にはつきもののストローのスプーンで、黄色く染まった氷をかきこんだ。
口の中に広がる、冷たくて甘いかき氷。
それを思いっきり、大量に、いっぺんに。
「――――――!?」
慌てて食べたから、頭が痛くなった。キーンと、頭に響く痛み。
かき氷をベンチに抱えて、頭を抱えて悶絶するヴィータ。
「おおおぉぉぉ……」
乙姫のことに気を取られて、かき氷の特性をすっかりと忘れていたヴィータであった。
今できることは、歯を食いしばり、痛みが引くのを待つことだけ。
痛みが引くまでの数秒間が、数十秒間にまで感じてしまった。
己の不注意さを恨みつつ、ヴィータは乙姫の様子を伺う。
ヴィータの様子が可笑しかったのか、乙姫は笑っていた。活発な子のように口を開けて笑ったりはしないが、控え目に、クスクスと笑っている。子供らしい素直な笑顔で、家族を探し始めてから、初めて乙姫が見せた笑顔だった。
「まったく……」
口では文句を言いつつ、しかし、乙姫が笑ってくれたからいいかな、とヴィータは思った。
せっかくのお祭りなんだ、乙姫も楽しむべきだろう。
乙姫の笑顔を見ながら、ヴィータも微笑んだ。
お祭りの暖かな明かりと喧騒の中、浴衣の女の子が笑顔で笑う。
成程、お祭りには、子供の笑顔がよく似合う。
「ヴィータ!」
「……あ、はやて!」
頭を上げ、人ごみの中に目をやると、はやてたちがヴィータのいる場所に走って――と言っても、人をかき分けながら急いで歩くのが限界だが――向かってきていた。家族たちの姿を見つけてヴィータも思わず立ち上がり、家族たちの方へ向かう。
「はやてー!」
そしてヴィータは、はやてに勢いよく抱きついた。
はやてもヴィータを受け止め、優しく抱きしめた。
「こら、ヴィータ。一体、今までどこに行ってたんや? 心配、したやんか」
「……ごめんね、はやて」
諌めるようなはやての口調。でも、言うほどは怒っていない。優しいはやてのことだ。今までずっとヴィータのことを探して、心配、してくれていたのだろう。
それが分かっているから、ヴィータも素直に謝る。
「まったく。騎士ともあろうものが、お祭りで迷子になるとはな」
「あぁ? んだと?」
「まぁまぁ、シグナム。見つかったんですし、良しとするですよ」
「そうそう。ヴィータちゃんも、そんなに睨まない」
シグナムもヴィータを諌めるが、結局はいつものやり取りの範疇だ。
賑やかな、家族との会話。
それが、こんなにも心地よいものだとは。
分かっていたつもりで、何度も認識する。
「……家族って、いいな」
「ん? ヴィータ、何か言うたか?」
「……ううん、なんでも」
「……そか」
はやては暖かくて柔らかくて、抱きしめられているとすごく心地がいい。
ずっと抱きしめられていたいな、とヴィータは思う。
「……ところで、ヴィータちゃん。そっちの子は、誰なんですか?」
「え?」
リインが示したのは、ベンチに座ったままキョトンとした顔でこちらを見ている乙姫の姿。
「……ああ、そうだよ! 大変なんだよ、みんな!」
はやてに抱きしめられて、すっかりと大事なことが頭から抜けてしまっていた。
慌ててはやてから離れて、乙姫の傍に寄る。
「紹介が遅れたな。この子の名前は、乙姫。ちょっと訳があって、私と一緒に行動してた」
「訳、とはなんだ?」
「それは――」
「……成程、迷子の女の子、ね」
「ヴィータと同じだな」
「うっせぇ」
ベンチに座ったままの乙姫を取り囲むように立ち並ぶ八神家一同。
人見知りをするのだろう、乙姫は俯いたまま、じっと動かない。
「迷子センターには行ったんですか、ヴィータちゃん?」
「いや、乙姫が嫌がった。行ってねえ」
「嫌がった?」
「ああ。こいつ、一人でいるのが嫌みたいだ」
自分が迷子扱いされたくなかったから、ということは、あえて伏せておいた。
「一人は嫌なの、乙姫ちゃん?」
シャマルの問に、乙姫は下を向いたまま頷いた。
「というわけだ。ほっとけないだろ?」
「……優しいのね、ヴィータちゃんは」
「な!?」
「ですねー。ヴィータちゃん、優しいですー」
シャマルとリインの言葉に、ヴィータは言葉を失った。それどころか、カーッと顔が熱くなるのを感じる。
褒められることは、いつまでたっても馴れなかった。
「で、ヴィータ。これからどうするつもりだ?」
「……ああ。せっかく再会したところ悪いけど、私は乙姫の家族探しを続けるよ。自分の家族が見つかったからって、乙姫のことを見捨てるなんてこと、私にはできねぇ」
「では、私たちがそれを手伝っても、問題ないな?」
「ああ。助かる」
分かっていた。
自分の家族たちは、乙姫の事情を聞いたら、絶対になにがなんでも、乙姫の家族探しを手伝うことを。そういう、優しくて、おせっかいな家族だということを、ヴィータはよく分かっていた。
そして、そんな家族だからこそ、自分は家族でいることができる、大好きな家族なのだということを。
「なんだ、ヴィータ。今日はやけに殊勝じゃないか」
「……うっせぇ」
どうせ、断っても聞かないくせに。
そういう家族の気持ちが嬉しくて、ついぶっきらぼうになってしまう。
「というわけで、私はこの子の家族探しを手伝おうと思うのですが、よろしいですか、主はやて」
生粋の騎士であるシグナムは、こういうときでも主であるはやての許可を確認する。
「…………」
「主はやて?」
しかし、いつもなら許可をだすどころか真っ先に手伝いを申し出るであろうはやてが、今日はどういうわけか難しい顔をして、考え込んでいた。
「はやてちゃん?」
「はやて?」
黙りこくったままのはやてに、ヴィータは違和感を感じた。
なにか、大事なことが抜けている気がした。
「…………いや、家族を探す必要はないやろ」
「え?」
「どういう意味です、主はやて?」
「……乙姫ちゃん、やったか? その子と一緒に、お祭りを楽しんだ方がいいってことや」
言い、はやてはニカッと笑顔になった。
「子供がお祭りを楽しまんでどうするんや、っちゅう話や。子供は難しい話を気にせんで、純粋に楽しむのがお祭りやん。家族が見つかるまで、一緒に遊ぶべきやと私は思うんよ」
「それは名案ですねー」
確かに。
ヴィータも、乙姫にはこのお祭りを楽しんで欲しいと思っていたところだった。
「というわけで、私とシグナムは、迷子センターを回って乙姫ちゃんの家族を探して来る。きっと、どっかの迷子センターに手がかりがあるやろ。家族の誰かが乙姫ちゃんを待っとるかもしれんし、最悪、アナウンスして呼び出してもらえばええ。その間、残りのみんなで、乙姫ちゃんの家族を探しながら、寂しがらんように一緒に遊んであげてな」
それから、はやてはヴィータに向き直って、
「ヴィータは、乙姫のお姉ちゃんや。妹の面倒、きっちりみなあかんよ」
「あ……うん!」
ヴィータは、とても嬉しかった。
乙姫と一緒に遊べることも、はやては、そこまで考えてくれていたことも。
さすが、私たちの大好きなはやてだ。
「そうと決まれば、善は急げや。シグナム、迷子センターに行くで。……な」
「……はい、主はやて」
「それじゃみんな、後でまた合流しよなー。またな、乙姫ちゃん」
はやては手をひらひらと振りながら、シグナムと一緒に人ごみの中に消えていった。
「……じゃあ、残った私たちは、遊びましょうか」
「はいですー」
「乙姫、なにがしたい?」
まず最初に、ヴィータが乙姫に訪ねた。
なぜなら、ヴィータは今は、乙姫のお姉ちゃんなのだから。
「……あれ」
「ん?」
乙姫が指さす方向には、白くてふわふわしたものを生産する機械の姿。
早い話が、わたあめの屋台。
「あれが、いい……」
「よし、じゃあまずはわたあめからだ。行くぞ、乙姫、みんな」
「はーい!」
「はいですー」
元気よく返事をするシャマルとリイン。
乙姫はというと、返事こそしないものの、俯いたまま、嬉しそうに微笑んでいた。
そうやって、乙姫が笑ってくれたことが嬉しくて。
ヴィータは乙姫の手を取って、今度は家族と一緒に、再び屋台の喧騒の中に飛び込んだのだった。
楽しい時間は、あっという間に過ぎていく。
わたあめの屋台から始まり、射的、金魚掬い、焼きとうもろこし、焼き鳥、くじ引き、りんご飴、たこ焼き、それから、それから。
一日も残すところあとわずか。
長かったお祭りも、ついに終わりの時間を迎える。
「ほら……乙姫。しっかりつかまってろよ」
「うん……」
「いいんですか、ヴィータちゃん?」
「少しぐらいなら問題ねー。ばれなきゃいいんだよ、ばれなきゃ」
場所は、ヴィータと乙姫が出会った、誰もいない神社。
お祭りの喧騒から外れた場所で、暗闇で。
だから、どんなことをしても、ばれないから。
「お姉ちゃんは、妹に甘いのかしら?」
「……いいだろ、別に」
ヴィータは、真紅のバリアジャケットを着て、乙姫を抱きかかえていた。
乙姫も、ヴィータにしっかりと抱きついている。
「……ん。そろそろや、ヴィータ」
はやてが時計を見つめながら、そう告げる。
「気をつけろよ、ヴィータ」
「分かってるよ」
シグナムに答え、呼吸を整えるヴィータ。
ステルス魔法は展開済み。シャマル、はやて、リインの合作複合魔法だ。管理局の局員クラスの魔道師でも、この魔法を見抜くことはできないだろう。それこそ、エース級の魔道師でもないと。
つまりそれは、ばれる心配はないということ。
「行くぞ、乙姫」
ヴィータは乙姫を抱きかかえたまま、夜空に向かって飛び立った。
みるみるうちに、地上が遠ざかって行く。あっという間にはやてたちの姿が見えなくなる。
全身をなぶる、冷たい夜風が心地よい。
そうしてヴィータと乙姫が辿り着いたのは、夜天の夜空。地上の明かりから逃れて見る純粋な星明かりは、とても綺麗で。
下を見れば、お祭りの明かりが眩しく輝いている。
それはまさに、地上の星。
まるで、星の海の中にいるかのような気分になる。
「わぁ……」
二つの星空に驚いたのか、乙姫が感銘の声を上げる。
「これからが、本番だぜ」
そして、ヴィータがそう言った瞬間、
夜天の夜空に、大きな花が咲いた。
この夏祭りの目玉でもある、本物の花火を使った大規模な花火大会だ。
赤、青、緑、桃、金、紫。
大きな円形から、楕円形まで。
様々な色、形、大きさの花火が次々と夜天の夜空に打ち上げられ、爆ぜて大きな花を咲かせる。一瞬の輝きを放つ花火に、夜空が明るく照らされる。こんなに近くでじっと見つめていたら、目が眩んでしまいそうだ。
「どうだ、乙姫?」
ヴィータが、乙姫に訪ねる。
しかし、乙姫からは返事が返ってこない。
見れば、乙姫は花火に感動しているのか、花火を食い入るように見つめていた。
「へへ、楽しんでるな」
おもむろに、ヴィータはグラーフアイゼンを取り出した。
グラーフアイゼンを持つことで、自然と乙姫を片腕だけで抱きかかえることになる。体格こそ小さな少女のそれだが、騎士であるヴィータにとっては、小さな乙姫を片腕だけで抱きかかえることなど、造作もないことだった。
「でも、それだけじゃないぜ」
グラーフアイゼンと同時に、人の頭ほどの大きさがある鉄球も生成されていた。その鉄球はヴィータたちの前に、ふわふわと浮かんでいる。
ヴィータはニヤリと、意味有り気に口の端を持ち上げた。
そして、グラーフアイゼンを振りかぶる。腰だめに構え、グラーフアイゼンを両手で握ったまま、まるで刀のように後ろにハンマーヘッドを向ける。いつもとは違い、上から下に振り下ろすための構えではなく、下から上に振り抜くための構え。
鉄球を、打ち上げるための構えだ。
「行っけえええぇぇー!!」
グラーフアイゼンを、掛け声と共に、下から上に思いっきり振りぬく。
下から叩かれた鉄球は、漆黒の夜空に打ち上げられる。激突の勢いに魔力による加速が加算され、風を切る鋭い音を上げながら、鉄球の姿はあっという間に視認できなくなる。
一瞬だけ、地上の光を反射して、鉄球がわずかに光った。
次の瞬間、紅く、一際大きな花火が、ビリビリと周囲の空気すら震わせる轟音と共に、夜天の夜空を照らし上げた。他の花火の数倍の大きさを誇る、ヴィータ特製花火。それはまるで、夜天の夜空に咲く紅い花のようで。
夜空を見上げるヴィータと乙姫の顔を、紅の光が照らす。
地上で花火を見ていた人々の目にも、当然その花火は見られている。他の花火とは一線を画した花火に驚いたのか、地上から聞こえる喧騒に変化が生じる。その変化は、戸惑いよりも、興奮。
一瞬の輝きを放つ花火だからこそ、人々の心には強く残るものだ。
「どうだ、乙姫?」
乙姫にそう尋ねるヴィータの声は、どこか誇らしげだった。
本当は、こんなことに魔法を使うなんて、最悪逮捕されても文句はいえないことだ。
そのことを承知で、ヴィータはこんな暴挙にでた。八神家のみんなも、それを黙認した。
それはひとえに、純粋に、乙姫を喜ばせてあげたいがため。
なぜならヴィータは、乙姫のお姉ちゃんで。
そして。
「……がと……」
「ん?」
「ありがとう、お姉ちゃん」
「おう!」
微笑む乙姫。
それに答え、ニッコリと笑うヴィータ。
自然と、笑いがこみ上げてくる。
控えめな声で、大きな声で、笑いあう二人。
再び静かになった夜天の夜空に、二人の少女の声がこだまする。
夜空に浮かぶ星はキラキラと輝いて、とても綺麗で。
時折吹き抜ける夜風が、とても心地よくて。
いつまでも、二人でこうしていたいと思っていたけれど。
気がつくと、乙姫の姿は、いつの間にか消えてなくなっていた。
「…………」
ヴィータは笑うことを止め、どこを見つめるでもなく、ぼんやりと、夜空を見上げた。
「いっちまったか……」
ポツリと呟いたその声は、どこか寂しげで。
「なぁ、乙姫」
冷たい夜風が、あたりを吹き抜ける。
もう、花火は上がってこない。
だから今は、暗い夜空に、ヴィータは一人きりだ。
「私は、ちゃんとお姉ちゃんができたのかな」
小さく呟いたヴィータの後姿は、いつもよりも小さかった。
一番最初に異変に気付いたのは、はやてだった。
ヴィータが乙姫のことを家族に紹介したとき。
あの時は、ヴィータがおかしくなってしまったのかと思ったそうだ。
しかし、シグナムもシャマルもリインもザフィーラも、普通に対応している。
それではやては、おかしいのは自分かと思ってしまったらしい。
言われてみれば。
確かにあの時、微妙な違和感を感じていたのだった。
それがなんだったのか、そのときは分からなかったけれど、今なら分かる。
はやてが、乙姫のような可愛らしい女の子を見かけて、愛でないはずがないのだ。
あの時、すぐにそのことを家族に告げなかったのは、何が起こっているのか分からなかったから、見えていないことをみんなに悟らせるのはマズいと思ったからだそうだ。
だから、シグナムを連れて、迷子センターを調べるフリをして調べに行った。
この街に関わる、乙姫、という女の子のことを。
調べてみれば、案外簡単に情報が出てきたそうだ。
鉄乙姫。
それはこの街に伝わる、悲しい物語の主人公。
……とは言っても、それはよくある不幸な話、の範疇を出ない話ではあるのだが。
昔、まだトウジの街がただの野原だった頃。
大規模な時空震の影響で、別時空から飛ばされてきてしまった数十人が、この辺りに移住することにしたらしい。当時ミッドチルダの民は温泉というものにそれほど興味を持たず、異世界からやってきた彼らはこの辺りの温泉を開拓することが目的で、ここに街を作ることにしたそうだ。
異世界からやってきた彼らには職人の集団が含まれており、思いの外早く街ができあがった。その独特の町並みのおかげで時間が過ぎるごとに温泉街の評判も高まり、段々と街は大きくなっていったらしい。
その頃、異世界からやってきた職人のとある夫婦の間に、一人の娘が生まれた。
その子の名前は、鉄乙姫。
大人しく、病弱な子供だったそうだが、町中の人々から可愛がられ、すくすくと育った。
異世界からやってきた彼らは、お祭りというものがとても大好きで、近くの街でお祭りがあれば必ず参加し、積極的にお祭りを盛り上げたと言う。そして、いつか自分たちの街のお祭りを行うことを、みんなが夢見ていたらしい。
病弱で大人しい乙姫もお祭りが大好きで、小さいながらに進んでお祭りに参加していたそうだ。
そしてついに、職人集団が憧れていた、自分たちの街のお祭り、を開催できるまでに街が成長したとき、乙姫は五歳になっていた。
そのときに、悲劇は起こった。
お祭りが始まる直前になって、乙姫は重い病気にかかってしまったらしい。
後は、比較的よくある不幸な物語だ。
病気は治ることもなく、お祭りの始まる前日になって、お祭りを楽しみにしながら、幼い乙姫は命を落とした。
お祭りの最後に派手に花火を打ち上げるのは、せめて遠い空の向こうに行ってしまった乙姫に、お祭りの楽しさを伝えるための、乙姫への餞が定着化したものなのだそうだ。
今、考えてみれば。
鉄乙姫なんて、明らかに日本風の名前に、どうして違和感を感じなかったのか。
はやてが聞いた話では、数年に一度くらいのペースで、同様のことが起こるらしい。
迷子の女の子の家族を一緒に探していたら、いつの間にか女の子がいなくなってしまう。
共通しているのは、女の子の名前が鉄乙姫であることと。
乙姫の家族を一緒に探すのが、生粋のお人よしであるということ、だそうだ。
だから、こんな昔話のことを、迷子センターの人が知っているということも。
はやての目に乙姫が見えなかったのは、ヴィータたちが人間ではないからだ。
乙姫が最初に、ヴィータに見えるように自身の存在の在り方を設定したため、人間であるはやてや、他の人にも、乙姫は見えなかった。それが、はやてたちの見解だ。
この話を思念通話で聞かされたとき、ヴィータはひどく驚いたし、信じたくなかった。
まさか、目の前にいる、どこにでもいそうな、自分に懐いてくれた少女が、そんな悲しい過去を携えた、この世に存在していないものだなんて、容易に信じられるものではない。
でも。
はやては知人や部下をからかったりするのに嘘をつくことはあっても、誰かを傷つけたり、陥れたり、悲しませる嘘は絶対についたりはしない。それは、ヴィータがとてもよく知っていることだった。
だから、信じるしかなかった。
信じて、そして、ならせめて乙姫を、お祭りの楽しさを知らずに死んでしまった彼女のことを楽しませてあげるために、本来なら違法ものの行動に、魔法使用禁止区域で空を飛んで、近くで花火を見せてあげるどころか、自分で特大の花火を打ち上げるなどという暴挙にでたのだ。
それが、遠い昔に死んでしまった乙姫への、せめてもの餞。
まったく、とんだおせっかいの、お人よしだ。
「……ヴィータ?」
誰かに呼ばれて、振り向くヴィータ。
そこにははやてと、八神家のみんなが揃っていた。
「大丈夫か?」
「…………大丈夫だよ、はやて」
言い、ヴィータはそれまで見つめていたそれに背を向ける。
それは、迷子センターの人に教えて貰った、乙姫のお墓。
乙姫と出会った神社から続く高台に、小さなお墓はぽつんと立っていた。
成程、ここなら、お祭り会場になる街全体を、見渡すことができる。
今はそのお墓に、小さな花と、屋台の食べ物が手向けられていた。
「……ねぇ、はやて」
「なんや?」
「……私は、乙姫のこと、ちゃんと楽しませてあげることが、できたのかな?」
「…………」
「私はちゃんと、お姉ちゃんでいることが、できたのかな?」
「…………私は、乙姫ちゃんやないから、乙姫ちゃんの気持ちは分からん」
「…………」
「でもな、ヴィータ。最後に乙姫ちゃんは、ヴィータに、なんて言ったんや?」
「…………『ありがとう、お姉ちゃん』って、乙姫は……」
「なら、それが答え、なんやないかな?」
「…………うん」
ヴィータは身体だけ振り向かせて、再び乙姫のお墓を見た。
なんだか、乙姫が笑っているような、そんな気がした。
鼻の奥がツンとする。気を抜いたら、涙がこぼれてしまいそうだ。
でも、泣かない。必死で我慢する。
なぜなら私は、お姉ちゃんで。
目元を袖でぐいっと拭い、ヴィータは微笑んだ。
最後は、笑顔で別れよう。
お祭りはこんなにも、楽しかったんだから。
そうだよな、乙姫?
「……行こう、はやて」
「もう、ええんか?」
「うん。だって、乙姫は」
ヴィータは小さなお墓に背を向けて、はやての元に駆け寄る。
「きっと、あっちの世界で、家族と一緒に過ごしてるんだから」
だから私は、こっちの世界で、家族と一緒に幸せなときを過ごしたいと思う。
乙姫は、そっちの世界で、家族と一緒に過ごして。
次に出会うのは、またお祭りのときだ。
そのときまで、待ってるからな、乙姫。