私の周りは、高度が高いわけでもないのに空色をしている。遮るものなんて何もない。見渡すばかりの空。ただただ、空の蒼が続くばかり。それなのに、風の流れもなく、温度も安定している。魔法で形作られた不自然な空間。その空間に、私は浮かんでいる。ただそれだけなのに、私はまるで無限に続く空を飛んでいて――そのまま、空に迷ってしまったような錯覚を覚える。空と言うよりは虚空。どこまでも際限なく続く虚空は、私の目の前にいる女の子の悲しみを表しているような、そんな気がする。
  アリカ・フィアット。
  私の大切な友達で、聖王信仰紛争と呼ばれていたこの事件のきっかけ。だけど、本当はそうじゃない。アリカちゃんは悲しみに囚われていて気付いていないけれど、この事件には裏がある。真実の裏側の本当の真実。神様を否定するアリカちゃんが、今ではその神様に囚われている。
  だから、私は宣言しよう。
  だいきらいなかみさまへ。
  アリカちゃんを、返してもらいます。












  魔法少女リリカルなのはBefore ViVid


  第十話 だいきらいなかみさまへ 後編












 「……お話? 私と、ヴィヴィオが?」
  いつもは優しかったアリカの声が、少し冷たい。冷酷とまでは言わないが、いつもの親しみも、柔らかさも、その声には残されていなかった。
  そのアリカに、ヴィヴィオは優しく微笑んだ。
 「うん。そうだよ」
 「何を話すって言うの?」
 「いままでと、これから」
  ヴィヴィオにも本当は分かっている。
  この問答に、意味はない。
 「……ヴィヴィオが、素直に協力してくれれば話は簡単なんだけどな?」
 「ダメだよ。そんなことできないし、しちゃいけないんだ」
  アリカの言うことも、ある意味では正しくある。アリカが求めているのは、ヴィヴィオの身体を構成している生命操作技術。要は、ヴィヴィオの身体を調べるだけだ。人を蘇らせる。この場合、禁忌に触れることよりも家族の方が大切なことは、ヴィヴィオにも分かっている。もしアリカと同じ立場であれば、ヴィヴィオも同じことをするかもしれない。だから、身体を調べるくらいなら構わないとも思っている。
  本当に、それだけであれば。
 「どうしても、協力してくれない?」
 「うん。どうしても、協力できないよ」
  悲しみに囚われているアリカだからこそ、その決定的な矛盾に気が付けない。
  だから、ヴィヴィオは決心したのだ。
  ヴィヴィオが魔法の力を求めた理由。
  憧れの人に近づくため。
  泣いている誰かを助けるため。
  そして、泣いている友達を、護るため。
 「どうしても、ダメかな?」
 「うん。何度言われても、絶対に協力できない」
  憧れの人に、言われたことがある。
  本気の想いを伝えるためには、時には戦わないといけないこともある。確かに戦わずにお話だけで済ませられるなら、それが一番良い。けれど、時にはそうでもなきないこともある。自分の想いを貫くために戦う人とは、お話ができないこともある。
  だから。
 「なら……」
  そんな人達に、想いを伝える方法。
 「うん。そうだね」
  戦うよ。
  想いを伝えるために、お話を聞いてもらうために。
 「全力全開、本気の勝負!」
  今ここに、二人の少女の想いを賭けた戦いの火蓋が、切って落とされた。 








 「シグルズ!」
  アリカが、洋服の中から首に提げられていた宝石を取り出す。それは透明な水晶のようで、綺麗な八面体をしていた。
 「『英雄の杖』シグルズ、セットアップ!」
  アリカは、取りだした結晶体――人格型アームドデバイス・シグルズを起動させる。一瞬だけアリカが蒼い魔力光に包まれ、やがて、光の幕が爆ぜる。そこから現れたのは、バリアジャケットに身を包んだアリカと、その手に握られた、魔導師の杖。アリカのジャケットはエリーゼが装着する聖王騎士デザインのジャケットによく似ていた。違う点を挙げるとすれば、アリカのジャケットは布地が多くて、騎士甲冑というよりは身体全体を包み込む法衣のような様相だということか。デバイスも、銀色の杖のフレームの先端に、八面体の水晶が取り付けられているという、シンプルなもの。それ故に、その姿を見ただけで、ヴィヴィオは理解する。
  成程、これが、聖魔導師。
 『聖魔導師』ミラージュ・フィアットの忘れ形見、『二代目聖魔導師』アリカ・フィアットが、そこにいた。
  お互いに準備は完了した。
  それを視線で、ヴィヴィオに伝えるアリカ。
  ヴィヴィオはそれを見て、ザイフリートを構えた。軽く腰を落として、切っ先を相手の喉元に向ける。視線は正面に、神経は全体に向ける。
 「高町ヴィヴィオ!」
 「『聖魔導師』アリカ・フィアット!」
  どちらともなく、名乗り上げる。
  騎士と騎士が己の誇りと魔導をかけて戦う際の礼儀。
 「いざ!」
 「尋常に!」
 『勝負!』
  叫ぶ。
  同時に、ヴィヴィオは踏み込む。ベルカ式近接戦闘の基本技能。足に魔力を込め、瞬間的に開放することで爆発的な速度を生み出す。小細工も何もない。ほぼ一瞬でヴィヴィオはアリカに肉薄する。立ち止まらず、ヴィヴィオはそのまま振りかぶっていたザイフリートを振り下ろす。その斬撃は、アリカの展開した障壁によって阻まれる。拮抗する刃と障壁。防がれることはヴィヴィオにも分かっていた。だからヴィヴィオは次の一撃を加えるために、障壁と打ち合わせたザイフリートを右腕だけで持ち、左腕を振りかぶる。収束する魔力を変換し、効果を付与する。追加する効果は結界破壊。可能な限り身体を捻り、全身の力を込めた一撃を、左腕で障壁に叩きこむ。
 『シュヴァルツェ・ヴィルクング!』
  一撃。たったそれだけで、アリカの障壁が音をたててバラバラに砕ける。その衝撃で後ろに弾かれるアリカ。ヴィヴィオは追撃をかける。左腕を前に突き出した体勢から、上半身を捻り、右足で更に踏み込む。その勢いにのせて右腕に持つザイフリートの切っ先を前に突き出す。勢いと体重の乗った、突きの一撃。
  その一撃をアリカは、手に持つシグルズで受け流す。杖の柄の部分をザイフリートの刃が滑るように突き抜ける。アリカを弾くために、ヴィヴィオは横に振り抜こうと力を込める。
 『speerfliegen』
  ヴィヴィオでもアリカでもない、機械音声が聞こえる。
  反射的にヴィヴィオはアリカから距離を取り、障壁を展開する。直後、何かがヴィヴィオの障壁に激突する。魔力弾ではなく、質量を持った鋭い何かの一撃。視線を障壁にぶつかった何かに向ける。そこにあるのは、鈍色の光沢を持つ小型の槍。それが複数個。数を数える前に、それらの槍はヴィヴィオから離れる。
 『speerfliegen』
  同じ音声が聞こえる。感じるのは僅かな魔力の流れ。自分から僅かに離れたところで、小型の槍が数を増す。その数は十六。それらが同時に、ヴィヴィオ目がけて飛来する。
  防御……駄目だ。隙が大きすぎる。
  回避……無理だ。数が多すぎる。
  だったら!
 『Sacred Cluster』
  飛来する小型の槍に向けて、ヴィヴィオは右腕を突き出す。その先でひとつの大きめの魔力弾を生成する。その色は虹色。そして、槍と魔力弾が接触する瞬間、魔力弾を爆散させる。
 『セイクリッドクラスター!』
  爆散した魔力弾と、十六あった小型の槍が相殺する。ヴィヴィオの保有魔法、セイクリッドクラスター。元はなのはの保有魔法だったものを、ゆりかご戦でヴィヴィオが学習した。ひとつの塊にして撃ち出した魔力弾を対象付近で爆散、小型弾殻をばらまいて範囲攻撃を行う圧縮魔力弾。ショットガンのような面制圧を行うための攻撃魔法。対人戦闘で使うには少し凶悪な魔法だが、迫りくる複数の魔力弾を一度に潰すのには都合がいい。
  セイクリッドクリスターの余波が収まる前に、ヴィヴィオは周囲の様子を伺う。爆散の影響で正面が煙で遮られてしまい、アリカの姿を見失ってしまったのだ。いつもならば魔力探知をするのだが、この空間では魔力探知が通用しない。そのため、頼ることができるのは自身の五感のみ。
  いつでも障壁を、聖王の盾を展開できるように、周囲を警戒する。
 『ムスペルヘイム』
  どこからか、アリカの声が聞こえた。同時に、ヴィヴィオの周囲の空間が轟炎に包まれる。周囲の可燃物が燃えているというよりは、小規模の爆発が大量に続いて激しく燃える炎を構成している。通常の火炎よりも熱の密度が高く、破壊性が高い。範囲ではなく空間を基準に発生しているので効果範囲によってのムラがない上に、効果範囲内にいる限り、回避はほとんど不可能となる。
 『Panzerhindernis』
  ザイフリートの補助を借りて辛うじて、ヴィヴィオは障壁を展開する。ヴィヴィオの周囲を多面体で構成された虹色の障壁が覆う。一方向からの攻撃しか防げない聖王の盾とは違い、移動や回避を捨て、全方位からの攻撃に耐える完全防御型の防壁。全ての方位から絶え間なく続く小爆発を全て受ける必要があるヴィヴィオの負担は必然的に大きくなる。場所方位威力を問わない小爆発の嵐が停止するまで、ヴィヴィオはひたすらに耐える。
 「くぅ……」
  ただ、幸いなことに、これほどの規模と威力を持つ空間攻撃魔法は発動する術者への負担や消費する魔力も大きく、長時間維持し続けるのは難しい。大体、長くて一分ほど。普通で三十秒程度。ヴィヴィオを巻き込む爆裂の嵐も例に漏れず、数十秒後に、爆発は停止した。
  安全を確認し、ヴィヴィオはすぐにパンツァーヒンダネスを解除し、視線を周囲に向ける。すぐに数十メートルほど離れた位置にいるアリカの姿を確認し、標的をロックオンする。
 『ニヴルヘイム』
 「えっ!?」
  しかし、その瞬間、ヴィヴィオを襲ったのは極低温の冷気。水どころか、大気中の酸素ですら瞬間的に液化するほどの低温。物質に固有の様々な物理法則ですら崩壊する、地上では絶対にありえない温度。到底人間が耐えられるものではない。その冷気の発生に、障壁を解いたばかりのヴィヴィオは反応できなかった。ヴィヴィオの身体に、液化した窒素や酸素が付着する。身体を構成しているのもが真っ当なものである限り……いや、例え金属や断熱材で保護されていたとしても、その冷たさに耐えることはできない。身体は一瞬で凍傷、それすらも通り越して腐り落ち、金属や断熱材でも深刻なダメージを受け、その内側にある生身の身体が耐えられない。バリアとフィールドの組み合わせであるバリアジャケットでも、通常の設定ではこれほどの耐低温性能はなく、対策を取っていたとしても直接受ければ身体への被害は免れない。
  ほぼ絶対零度。絶対のない物理現象での、絶対の温度。
  その空間に、ヴィヴィオは飲み込まれた。
  超高温の次は極低温。大気の流れのないこの空間内でも、あまりの温度変化、気圧の変化に周囲の空気が影響を受け、まるで台風のような強風が空間内に吹き荒れる。急激な温度変化に伴い大気中の水蒸気が大量に液化し、低温で冷やされたそれらは細かい氷の結晶となり、ヴィヴィオのいる空間を分厚い雲で覆い尽くす。その様子は、さながら台風の雲の中。
 『Gewitterwolke』
  更に、アリカは追い打ちをかける。
  ヴィヴィオのいる場所全てを、数万ボルトの超高電圧の雷の嵐が襲う。本来、雷とは雲を構成する氷の分子の起こす静電気によって発生するものだ。ヴィヴィオの周囲は、現在数メートル先の内部を見ることもできないほど分厚い雲で覆われている。そんな状態で、高電圧の雷の嵐を打ち込めばどうなるのか。
  答えは単純にして明快。
  雲はすぐに雷雲となり、威力は倍増。
  管理局最速の執務官、フェイト・T・ハラオウンですら生み出すことのできないほどの電気の渦が、嵐が、空間すらも焼き尽くさんばかりの威力で発生する。嵐ですら生ぬるい。それはほとんど、雷の爆発。
  その状況が数十秒続き――やがて、電気の爆発が収まる。
  雲には発生していた電気の残滓がバチバチと音を立てている。
  生身の人間であれば、極低温の連撃もあり、まともな形すら維持できないほどの攻撃。自然現象すらも味方につけた、空間系の詠唱魔法。
  分厚い雲の中を窺い知ることはできないが、原形を留めているかすら、判別できない。
  それが、並の魔導師であったならば、の話だが。
 『Divine Buster』
  雲の中に響くのは、初老男性を模したと思われる機械音声。
  それが合図であったかのように、雲の隙間から、虹色の光が見える。
 「ディバイン、バスター!!」
  雲を貫き、アリカに一条の光の筋が迫る。空のごとく無限に蒼い空間に、先ほどまで猛威を奮っていた雷雲。雷が止み、虹色の光が発生する。遠くから見ていれば、それは雲から延びる虹に見えたかもしれない。
  ただし、その威力は本物。純粋な魔力砲撃。魔力量がモノを言う砲撃魔法に十分すぎるほどの破壊力を持たせるだけの技術と魔力を、ヴィヴィオはすでに習得している。
  雲を吹き飛ばさんばかりの勢いでアリカを襲う虹色の砲撃。アリカはそれを、シグルズを前に突き出し、障壁を展開することで耐える。
  やがて、砲撃が止み、雲が晴れる。
  雲の中から現れたのは、第一形態のザイフリートをアリカに向けるヴィヴィオの姿があった。バリアジャケットこそボロボロだが、ヴィヴィオは間違いなく顕在。物質である限り耐えられない極低温、雷の爆発、ヴィヴィオはそれらを耐えきっていた。
  並程度の魔導師であれば、これだけの猛攻には耐えられない。
  防御を可能にした要素が、ヴィヴィオにはあった。
 「聖王の、鎧……」
  聖王の鎧。
  ヴィヴィオが初めから習得していた、Sランク砲撃ですらも耐えることのできる絶対防御壁。自分の意志では発動をコントロールできず、基本的にヴィヴィオの命の危機にほとんど反射反応する不安定な聖王の魔法。アリカの魔法が、ヴィヴィオを本気で命の危機に晒していて、威力がありすぎて、発動した聖王の鎧。
 「……さすがだね、ヴィヴィオ。今の魔法を耐えるなんて」
  皮肉にも取れるアリカの言葉を受け止めながら、ヴィヴィオは考える。
  基本的に、有効範囲の大きな魔法や大威力の魔法と高速・並列処理は衝突する。それだけの効果をもたらすための大魔力を操作・制御するだけの魔法式を組むためにはそれなりの時間が必要だからである。
  それなのに、アリカは、ほとんど時間差なしであれだけの大魔法を連続で詠唱し、発動した。
  どんなに上級の魔導師でも、これは不可能なレベルの話だ。技術の問題ではない。処理するべき情報量が、人間に可能な範疇を遥かに超えているのだ。例えば砲撃魔法を連射できないのと同様に、それは人体の強度の限界。
 「詠唱魔法の連続行使を可能にするのが……聖王の檻の本当の能力?」
  ヴィヴィオの問いかけに、アリカは答えない。その沈黙が、答を語っていた。
  ヴィヴィオ達のいるこの空間――正式名称を『聖王の檻』という。
  失われた、聖王の魔法。
  その効果は、外部との空間的な遮断による、強固にして堅牢な隔離空間の作成。そしておそらく、空間内での現象の操作。この空間内では、術者の魔法を発動しやすいように、周囲の状況をコントロールできるのではないか。本来ならば術者が発動し、管理するべき魔導式の役割を、この空間そのものが担うことができるのではないか。
 「違うかな、アリカちゃん?」
  ヴィヴィオの問いかけに、アリサは数秒の間を置いてから、答えた。
 「……さすがだね。その通りだよ。『聖王の檻』は、ただの空間隔離結界じゃない。術者が空間内での魔法行使を自在に操ることができる最強のフィールド魔法。絶対者の創りだす空間。『聖王の檻』と呼ばれるだけのことはあるよ。こんな反則的な魔法が使えたから聖王が昔の戦争を終わらせることができて……その魔法の一部しか使えないフィアット家でも、高い地位を持っていたんだね」
  フィアット家のことを語るアリカの声は、どこか皮肉気だった。
 「この魔法はね、ヴィヴィオ。お母さんは使えなかったんだ」
 「……うん。知ってるよ」
  ブルースフィア事件のことを調べ、アリカとその母親であるミラージュのことを調べたヴィヴィオは、ミラージュがフィアット家に伝わる聖王の魔法を使用できなかったことを知っている。現代において聖王を継ぐと言われている一族でも、聖王の魔法を行使できる者は稀なのだ。由緒あるダイムラー家ですら、伝えられている聖王の魔法を使用できるのは現当主と、時期当主筆頭候補のエリーゼだけだ。本家でも分家でも関係ない。一族内でも、誰が使用できるのか判別がつかない。親が使えなかったからと言って、子が使えないとは限らない。
 「私に魔法の才能があるって分かったとき、お母さんは喜んでくれた。新しい魔法を覚えたら、『えらいね。いい子だね』って、笑顔で私の頭を優しく撫でてくれたんだ。お母さんに褒められるのが私にはすごく嬉しくって、だから、まだ小さかった私は、私なりに魔法の勉強をした。お母さんが魔導師だったから、家にある教本にも、教えてくれる人にも困らなかった。教えてくれるお母さんの腕も良かったし、私は自分で言うのもアレだけど、かなりの勢いで魔法を習得していった。新しい魔法を覚えるたびに、お母さんは喜んでくれて、私のことを褒めてくれた。何より、頑張ったことを褒めてくれた。だけど、聖王の檻を覚えた……閃いた時だけは、あんまり褒めてくれなかった。後で分かることだけど、お母さんはフィアット家の本家とイロイロあって、それなりに辛い思いをしていたから。お母さんは、この魔法が好きじゃなかったみたい」
  一息にそこまで話して、アリカは、自嘲気味に笑った。
 「おかしな話だよね。お母さんが唯一好きじゃなかった魔法で、私はお母さんのことを救おうとしているんだから」
  独白するアリカ。
  その悲しげな声を聞きながら、ヴィヴィオは思った。
  アリカはもしかして、本当は話を聞いてもらいたいのではないか。楽しかったお母さんとの思い出。今の自分の想い。それらを誰かに聞いて欲しくて、分かってもらいたいのではないか。
  アリカの話を聞いて、ヴィヴィオはザイフリートを握る手に、無意識に力を込めていた。
  もし、誰かがアリカの話を聞いていたら。気持ちを理解できていたら。こんなことには、ならなかったのかもしれない。それができたのは、私だけだったのに。結局、私はアリカちゃんのことを救うことはできなかった。
  それだけ――アリカの悲しみが深いものだったことに、ヴィヴィオは気付けなかった。
  そんな自分が不甲斐なくて、情けなかった。
  結局私は、友達の一人も救うことができていない。
  こんなことじゃ、ダメなのに。
  自分で自分を責める気持ちが、ヴィヴィオの中で大きくなっていく。
  でも。
  だからと言って、まだ諦めるには早すぎる。
  アリカちゃんは、今泣いているんだ。
  まだ遅くない。まだ間に合う。
  私が、アリカちゃんを助けるんだ。
 「お母さんを生き返らせるためには、このくらいしないと足らないと思った……でも、あんまり威力がありすぎると、ヴィヴィオにはかえって効果がないんだね」
  改めてアリカのことを見つめるヴィヴィオと、アリカ。
 「だから、威力が強すぎないようにするね」
  アリカは、手にしていたシグルズを前に突き出した。
 「シグルズ、フォルムツヴァイ」
 『Gungnir form』
  マスターの命を受け、シグルズがその姿を変える。杖の先端にあった八面体の水晶は姿を消し、代わりに刃が形成される。すんなりとした形で豪快と言うより優美な印象を与えられる。全体としては槍の姿をしているが、槍と言うには刃の部分が長く、そして柄の部分が短めだった。
  おそらくあれは、エリーゼの持つファーフニルのように遠心力を乗せた一撃を放つことを主眼とした槍ではなく、近接戦でも使用できるような取り回しと、迅さを活かすための形体なのだろう。ヴィヴィオはそう結論付けた。
  その槍を、アリカは、構える。
 「ザイフリート」
 『Balmungform』
  対するヴィヴィオも、ザイフリートの形体を再び杖から剣に変える。これから近接戦闘を挑んでくるアリカに、備えるために。
 「じゃあ、いくよ、ヴィヴィオ!」
  シグルズを構え、アリカがいっきに間合いを詰めてくる。先ほどとは立場が逆になる。
  ヴィヴィオはその迅い一撃を受け止め、アリカと拮抗する。同じ槍を使う騎士として、エリーゼほどの威力をアリカは持っていない。しかし、その迅さはエリーゼを超えている。長引かせると、不味いかもしれない。
  ヴィヴィオは拮抗した刃を受け流し、魔力で作った足場を蹴り、アリカと一旦距離を取ろうとする。アリカはそれに合わせるようにヴィヴィオとの間合いを詰め、次々と刃を振るう。槍だとは思えないくらいの連続攻撃が襲いくる。自然と防戦態勢になってしまい、反撃の糸口が掴めない。
  予想以上に、アリカの近接戦闘能力は高い。
  理由はおそらく、この空間にある。
  聖王の檻。詠唱魔法だけでなく、近接戦闘での魔力運用ですら、補正してしまう。
 「どうしたの、ヴィヴィオ?」
  苦戦するヴィヴィオに、アリカは手を緩めない。しかし、アリカとヴィヴィオの間には決定的な差がひとつだけある。ヴィヴィオは確信していた。必ず、隙が生じると。だから、根気強く、アリカの攻撃を受け続ける。こういう拮抗状態、焦れて先に動いた方が負けた。
  ヴィヴィオはそのことを知っている。
  アリカの攻撃が続き――やがて、アリカが先ほどまでより少しだけ、大きく振りかぶった。
 「そこ!」
  その隙を、ヴィヴィオが捕らえた。
  それまでステップを踏むように後ろに下がっていた移動のベクトルを、足に力を込めて前に進む力に反転。一気にアリカの懐に入り込み、振り下ろされた槍ではなく槍を振り下ろす腕自体を、籠手を装備した左腕で受け止める。腕は運動の起点であるため、ここを止められると弱い。手子の原理で、少ない力で攻撃を受け止めることができる。
 「なっ!?」
  攻撃を止められ、驚くアリカ。その驚きが、一瞬だけの、決定的な隙を生み出す。
  ヴィヴィオにあって、アリカにないもの。それは、経験。ヴィヴィオはこれでも一か月近い時間をシャッハとの訓練で過ごし、すでに修羅場も潜り抜けた。いくら聖王の魔法による強力な補正が働こうとも、その差だけは、絶対に埋めることができない。
 「ああああああああ!!」
  力強く踏み込む。可能な限り身体の動きを連動させる。この一か月で教わって経験した。ただ力を込めて腕を振ればいいというものではない。重要なのは、全身の動きを連動させること。足の踏み込みが、腰の捻りが、肩の動きが、呼吸が、すべて腕の動きに連動する。
  そしてヴィヴィオが放つのは、右の拳での渾身の一撃。それに魔法を付加して、アリカの身体に叩きこむ。
  それをアリカは、自動展開の防壁で防ぐ……が、ヴィヴィオの渾身の力の籠った一撃を全て受けきることはできず、十数メートル弾き飛ばされる。
 「ザイフリート!」
  連続して、ザイフリートに魔法のコマンドを入力する。足元に展開するのは、ベルカ式の三角形の魔法陣。そして右腕に展開するのは、ふたつのミッド式環状魔法陣。その魔法陣の周りを、ヴィヴィオの魔力から収束された電子が高速で回転する。高速回転する電子が空気中の気体分子とぶつかり、光を放つ。まるで、ヴィヴィオの腕の周りを光が取り囲んでいるような状態に。
  そして、弾き飛ばされたアリカもすぐに体勢を整え、詠唱を開始する。アリカの周囲に生成されるのは。十数センチの長さの針。いや、針と言うには太すぎる。それは針の形こそしているが、実際には杭と呼べるほどの大きさを持っていた。それが、複数生成される。
  聖王の檻による補正のおかげか、詠唱は格段に短縮される。それこそ、先に詠唱を開始したヴィヴィオと同時に魔法が発動できるほどに。
  やがて、双方の充電・詠唱が完了する。
  魔法を発動させたのは、ほぼ、同時。
 『荷電粒子の槍・ブリューナグ!』
 『魔弾・タスラム!』
  ヴィヴィオの腕から放たれたのは、魔力によって音速の数倍の速度まで加速された電子。原理としては超電磁砲に近い。質量を持ち、加速された電子は莫大なエネルギーを持つ。
  アリカが発動させたのは、反応炸裂型の質量弾。何かに触れることで、中規模の爆発を起こす。それが数十個。
  アリカとヴィヴィオ、二人の中間点で、槍と魔弾が衝突する。荷電粒子が魔弾を焼き尽くし、魔弾が荷電粒子を相殺する。エネルギーの大きさに、周囲の大気が悲鳴をあげる。ただでさえ、荷電粒子のおかげで周囲の気体分子が崩壊しかかっているのだ。そこに、連続で魔弾の爆発が加えられれば、向かう答えは一つ。
  二人の魔法は拮抗し――やがて、爆発する。分子が崩壊する時のエネルギーは凄まじい。質量の一部、ほんの数グラムが崩壊するだけで、半径数百メートル内が数万度の爆炎に包まれる。ヴィヴィオも、アリカも、分子の崩壊による莫大な熱エネルギーの嵐に巻き込まれる。もしこれが聖王の檻の内部でなければ、半径数百メートル規模のクレーターが出来上がっているだろう。それだけの規模の崩壊。
  あまりにも大きなエネルギーを誇る爆発は、やがて、収まる。
  炎が収まり、煙が晴れ、元の場所にいたのは……アリカのみ。
  ヴィヴィオの姿は、周囲から消え去っていた。
 「――――」
  その事実に、アリカは表情を歪め、周囲を見渡す。
  あの程度のことでヴィヴィオが消えてなくなるとは思えない。それに、この状況は、あのときに似通っていた。それは、側で見ていたアリカが良く知っている。このままの状況が、ヴィヴィオを見失った今の状態が続くのは、マズイ。
  あのときの状況とは、ヴィヴィオが一番最初に戦った時。
  相手の視界外に移動し、それから――
 「ザイフリート、リミットリリース!」
  不意に、
 『Vanaheimr form』
  聞こえたのは、ヴィヴィオの声と、ザイフリートの声。
  やがて辺りを包み込むのは、全てを照らす虹色の光。
  ベルカの地において希望の色とされる光。
  カイゼル・ファルベと呼ばれる、聖王の魔力光の色であり、そして、ヴィヴィオの魔力の色。
  アリカは光の方向……自分の真上を見上げる。
  そこにあったのは、ヴァナヘイムフォルムのザイフリートを構えるヴィヴィオの姿。それと、虹色の光を放つ魔力の塊。周囲に霧散している魔力を収束する様子は、まるで光の粒が、星の光が集まっているように見えて、戦いの最中だというのに、綺麗だと、アリカは思った。
  だが、見とれているわけにもいかない。アリカにとって幸いなことに、あの手の収束魔法は魔力の収束にそれなりの時間がかかる。チャージタイムを与える前に、接近してヴィヴィオを倒す。
  そう考え、ヴィヴィオのいる場所まで移動しようとした時、アリカの身体は、光のリングに拘束された。手足が空間に縫い付けられたように動かせない。手足を縛る光の色は、虹色。身動きを封じられたことに驚き、慌てて身体を動かして拘束から逃れようとするが、拘束が固く動かない。
  段々と強くなる虹色の光に焦るが、あまりにもバインドが固すぎる。
  アリカの脳裏に浮かぶのは、先ほどの戦闘。ヴィヴィオに拳による一撃を喰らったとき。右腕に付加されていたものが魔力ではなく魔法だったことに、今気付いた。あの時から、これを狙っていたということか。
  これでは、逃げられない。
 『starlight breaker』
  滑らかに流れる、ザイフリートの声。
  ザイフリートのフォルムドライ、ヴァナヘイムフォルム。
  ひし形十字と杖の柄の付け根の部分にカートリッジが収められたマガジンがセットされ、新たな装甲がその周囲を強化するように装着されている。先端のひし形十字が縦に二つに分かれ、新たに砲身の役割を果たす二本の長いフレームが伸びる。通常よりも大口径のカートリッジを使用し、圧倒的な大火力の砲撃によって敵を薙ぎ払うことを前提とした、砲撃特化の形態。
  そして、ヴィヴィオの持つ複数の魔法資質の内で最も強力なのは、古代ベルカ式の、直射・収束魔法。何よりも、ヴィヴィオが憧れの人から教わってきたことは、管理局最強の砲撃魔導師である彼女直伝の、砲撃魔法。
  その威力を想像し、アリカの表情が変わる。
 「受けてみて、アリカちゃん。これが私の、全力全開!!」
  ザイフリートに搭載された大口径のカートリッジが、六発全て消費される。付け根部分の強化装甲がスライドし、空になったカートリッジが排夾される。
 「スターライト・ブレイカー!!!」
  トリガーを引くのは、僅かな魔力と、ヴィヴィオの想い。
  ありったけの想いを込めて、ザイフリートを振り下ろす。
  そうして放たれたのは、虹色の光。
 「!!?」
  ヴィヴィオの想いを体現したかのようなその一撃が、アリカを呑み込んだ。 




 「…………っ、はぁ、はぁ……」
  収束した魔力全てを解き放つことは、さすがのヴィヴィオでもかなりの体力を削られていた。
  それでなくても、収束砲は身体に負担がかかるのだ。ヴィヴィオの幼い身体で多用すれば本当に壊れてしまう。ザイフリートの第三形態に搭載された大口径カートリッジも、通常のものよりはかなり負担が大きい。そのため、スターライトブレイカーの使用はシャッハからも、なのはからも控えるように固く言われていた。
  だが、ヴィヴィオにはそんなことはどうでもよかった。
  友達を救うための、全力全開の一撃。自分のことなんかどうでもいい。
 「アリカちゃん……」
  ヴィヴィオが呟くのは、護りたかった友達の名前。
  スターライトブレイカーの砲撃が止んだところで、アリカの姿を探すヴィヴィオ。
  ヴィヴィオの全力の想いを受けたその友達は、ヴィヴィオの予想通り、気を失っているのか、飛行魔法も発動させずに、重力に添って落下していた。
 「アリカちゃん!」
  急いでヴィヴィオは降下し、落下するアリカの身体を抱きとめた。気を失ったままのアリカの身体を確認する。バリアジャケットこそズタズタになっているが、きちんと非殺傷設定にしていたので、身体自体はほぼ無傷。気絶しているというよりは、ただ眠っているようにも見えた。
 「良かった……」
  アリカが無事なことに、安堵の溜息をつくヴィヴィオ。
  この戦いは、アリカのことを救うための戦いなのだ。アリカが傷ついてしまったら、意味がない。
 「……ん……」
  うめき声をあげ、ヴィヴィオの腕の中にいるアリカが、ゆっくりと目を開けた。
 「アリカちゃん、気がついた?」
 「……ヴィヴィ、オ?」
 「うん」
  ぼんやりと目を開けたアリカに、ヴィヴィオが微笑む。
 「私……」
 「全部終わったんだよ。アリカちゃん」
  優しく、ヴィヴィオがアリカに語りかける。
  アリカはじっとヴィヴィオの瞳を見つめ、やがて、観念したように、呟いた。
 「……私、負けちゃったんだね」
 「うん」
 「お母さん、助けられなくなっちゃったなぁ……」
 「死んだ人は、絶対に生き返らないよ。例えプロジェクトFでも、完全に元の人を創り出すことは、不可能なんだ」
  それは、紛れもない事実。
  例え同じ身体をしていても。同じ記憶を持っていても。完全に同じ人になるということは、絶対にありえない。
 「だって、アリカちゃんの大好きな人は、そこにしかいなかったんだから」
  悲しい現実。けれど、伝えないといけない。
  誰かの代わりなんてありえない。その人はその人であり、誰だって代わりになんかなりっこない。カタチが同じでも、心は、魂は、その在り方は、その人だけが持つ、その人だけのものだから。
 「だからね、アリカちゃん。残された人は、大好きな人の分まで、全力で生きて、全力で幸せにならないといけないんだよ」
  それが、残していってしまった人の願いだから。
 「アリカちゃん。私じゃ、足りないのかな?」
 「え?」
 「確かに私は、アリカちゃんのお母さんの代わりにはなれないよ。だけど、アリカちゃんと一緒にいることはできる。アリカちゃんのお話を聞いて、悲しみを分け合うことだってできる。アリカちゃんと一緒に、泣くこともできる。だから、辛いことがあったら、一人で抱え込まないで。悲しいことがあったら、私に助けを求めて」
  アリカちゃんに伝えたかった、私の想い。 
  それを今、伝えよう。
 「だって私は、アリカちゃんの友達なんだから」
 「ヴィヴィオ……」
  アリカの瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
 「泣きたいときは、泣いてもいいんだよ」
  言い、ヴィヴィオは、アリカのことを優しく抱きしめた。
  抱きしめられたアリカは、ヴィヴィオの胸の中で、暖かい腕に包まれて、まるで泣きじゃくる小さな子供みたいに、声を上げて泣き始めた。
  ヴィヴィオはそんなアリカのことをアリカが泣きやむまで、優しくぎゅっと抱きしめ続けた。
 「……ごめんね、ヴィヴィオ」
  やがて、どのくらいたったのだろうか。
  ヴィヴィオの胸に顔を埋めたまま、アリカが呟いた。
 「ううん、気にしないで」
 「……私、とんでもないことしちゃったんだ」
 「大丈夫。カリムさんもシスターシャッハも、エリーゼさんだって、話せば分かってくれる人だよ。だから、大丈夫」
  実際、これからアリカが管理局か聖王教会に保護されるのは間違いない事実で、どれくらいの罪になるのかヴィヴィオには見当もつかない。もしかしたら情緒酌量の余地ありということで刑が軽減されるかもしれないし、幾人もの使者を出した重大事件の犯人として軌道拘置所に幽閉されるかもしれない。だけど、例えどんな罪であっても、ヴィヴィオはアリカの友達を止めるつもりはなかった。
 「例えどんな刑でも、私も、きっとエリーゼさんも、アリカちゃんの友達だよ」
 「ヴィヴィオ……ありがとう……!」
  アリカがヴィヴィオを抱きしめる手に力を込めた。
  それに応えるように、ヴィヴィオもアリカを抱きしめる手に力を込める。
  こうして、ひとつの事件が幕を下ろす。 
















































































  かに、思われた。
















































































 「美しいわねぇ、友情って」
  どこからか、パチパチと手を叩く音と、奇妙な声が聞こえた。
  その声は質こそ男性のそれであるのに妙に甘ったるく、背筋に悪寒が走るような、まるで人を苦しめることが心底楽しいとても言いたげな、嫌な声だった。
  その声の主の正体に、ヴィヴィオは心当たりがあった。




















  だいきらいなかみさまへ 




















 「……あなたが、この事件の真犯人……アリカちゃんにプロジェクトFのことを教えて、聖王教会の騎士さん達を誑かして、この事件を起こした、張本人ですか?」
  アリカを抱きしめたまま、聖王の檻の内部に入り込んだ男のことを睨みつけるヴィヴィオ。
  その視線を受け、その男は、心底愉快そうに、顔を歪めて、嗤った。




















  私は、あなたを赦すこと、できそうにありません。