シグナムとキョウヤが対面したのと、同じ頃。
  ヴィータもまた、信じられないものを見た、とでも言うような驚きを表していた。シグナムと違って元々喜怒哀楽の表現が激しいので、あまりの驚きで動揺してしまっているのも、その表情から丸わかりだった。
  ヴィータが対面しているのは、今現在はやてが対峙しているアンリエットに、リリ、と呼ばれていた人物。敵チームの四人の中では最も小柄で、おそらく一番年若い少女だろう、ぐらいにヴィータは予想していた。
  しかし、実際に顔を見てみて、ヴィータは自分の認識が甘かったことを知る。
  なぜならその顔は、ヴィータ本人と瓜ふたつだったのである。同じ顔、と言っても間違いがないほど、二人はそっくりだった。違いと言えば、リリの髪はヴィータのそれよりも色の薄い淡い赤色で、瞳も純粋な蒼ではなく青みがかった翠色なのだが、顔の創りはまったく同一だった。それどころか、体格も見た目の年齢も極めて似通っていた。何も知らない人が並んだ二人を見れば、二人を双子だと認識するだろう。ヴィータには、まるで鏡を見ているようにすら思えた。それほどまでに、リリという少女はヴィータにそっくりだった。
  しかし、ほとんど同じ見た目をしているのに、ヴィータとリリには決定的な違いがあった。
  それは、表情。
  ヴィータは喜怒哀楽が激しい。激情家であり、ヴィータの感情の変化は彼女の表情にとても分かりやすく現れる。
  一方リリの表情は、ヴィータが見た限りでは全く変化しそうになかった。自分と同じ顔であるヴィータを見たのに、リリは眉ひとつ動かさなかったのだ。それに、戦いの場にいるというのに、なんの覇気も殺気も発していない。自分のことも相手のこともどうでもいい、とでも言わんばかりの無表情。感情の変化に乏しいというのが、初めて出会ったヴィータにも感じ取ることができた。
  瞳にもヴィータのような生気に満ちた輝きは無く、暗く、どこか哀しい光を宿していた。
  それが、ヴィータとリリの決定的な違い。
 「……なんなんだ、テメェ……」
  我に帰ったヴィータは、キッとリリを睨みつけながら、グラーフアイゼンを構えた。足に力を込め、魔力を収束し、いつでも飛びかかれる、どんな攻撃にも対処できる、万全の状態を作り出した。
  それなのに、今まさにヴィータが得物を構えたというのに、リリは表情を変えず、身じろぎひとつしなかった。いつ襲いかかられてもおかしくない状況なのに、リリは魔力を収束させる様子すら見せないのだ。
  戦いの場において、これは明らかに異常だ。
  殺されても、いいってのか?
  ヴィータがリリのことを訝しむ。得体の知れないリリに不用意に攻撃することはできない。得体が知れないがゆえに、下手な手出しはできないのだ。身動きが取れず、その場が硬直した。
  ヴィータはリリを睨みつけ、リリは無感情にヴィータを見つめ返す。
 「……あなたも……」
  不意に、リリが口を開いた。
 「あ?」
 「あなたも、私を、苛めるの?」
  瞬間、異変が起こった。
  それまで一対一で見つめあっていたハズのヴィータの周りを、十数人の鎧の騎士が取り囲んでいたのだ。
 「なあ!?」
  その出現はまさに一瞬。
  ヴィータは一切の気配も、魔力の流れも感じなかった。それなのに、いつの間にか鎧騎士の集団はそこに存在していた。それも、一人一人が分かりやすいくらいの殺気を放っている。こんなものが一人でも近づけば、幾百幾千もの戦いを経験してきたヴィータならば瞬時に察知できるはずだ。なのに、できなかった。これだけの人数の接近を、ヴィータは無条件で許してしまっていたのだ。
 『オオオオオ!』
  勝鬨の雄叫びをあげ、鎧騎士の集団がヴィータに襲いかかってきた。それぞれに握られている得物は、大剣、槍、戦斧と様々。しかし、どの武器による攻撃を受けても、軽症では済まされない。
 「チッ!」
  考えている暇も、なにも感じなかったことを不審に思っている場合でもない。動揺する余裕すら与えられない。否、許されない。
  騎士としての経験が、ヴィータを突き動かした。
 「アイゼン!」
 『Raketenform』
  魔力の込められたカートリッジをロードし、グラーフアイゼンのフォルムを変化させる。ハンマーヘッドの片方が推進剤噴射口に、その反対側が鋭利なスパイクに変形した、ラケーテンフォルム。更に追加でカートリッジを消費し、スパイクを高速回転、噴射口からもエネルギーを噴射させ、自身を機転とした円運動を開始する。
 『ラケーテンハンマー!』
  回転の勢いを更に増し、ヴィータは四方から迫りくる鎧騎士の集団を一掃する。相手がどんな得物を持っていようと関係ない。己の力で、粉砕するのみ。それが古代ベルカの力を継承する、『鉄槌の騎士』と『鉄の伯爵』の、戦闘スタイル。
 「そんな単純な動きで、私を倒せるとでも思ってんのか!」
  鎧騎士は躊躇わず、ヴィータに迫りかかる。彼らの動きは思考された動きではなく、力と勢いに任せた特攻。人技術もなにもあったものではない。人数がいるというのに、その利点を活かそうとすらしていない。そのような単純な攻撃がヴィータに通じるハズもなく、次々とヴィータとグラーフアイゼンのコンビに撃退され、漆黒の夜空に墜ちていく。
 「テメェで最後だ!」
  そしてついに、ヴィータは最後の鎧騎士を撃墜した。
 「おおおおおお!」
  鎧騎士の集団を全滅させた後も、ヴィータはグラーフアイゼンの勢いを緩めない。
  回転運動を行っていた推進剤のベクトルを今度は直線方向に移行、前方へ進むための推進力として切り替える。触れるだけで粉砕されるドリル状のハンマーヘッドが、今度はロケットを彷彿とさせる勢いで突き進む。
  狙いの先には、リリの姿。
  鎧騎士が全滅したというのに、その表情にはやはり変化はなかった。ヴィータはそのことを不審に思うが、そんなことは戦闘が終わってから考えればいいと、思考から余計なものを排除する。
  今はただ、この戦いを終わらせることを考える。
 「いっけー!」
  推進剤の勢いそのままに、ヴィータはリリに接近する。
  そして、リリまで残り数メートルというところまで近づいた瞬間。
  リリの姿は、全長二十メートルを超える朱い竜に変化していた。
 「なあぁぁあ!?」
  まるでテレビのチャンネルを変えたかのごとく、その変化はあまりにも一瞬だった。
  またしても、ヴィータは何も感じなかった。魔法的な変身にしても、実は少女の姿がまやかしで竜の姿が本来だったしても、召喚魔法にしても、絶対に魔力の流れや魔法陣の展開があるものだし、なにより、それらは質量が大きければ大きいほど時間がかかる。高位の術者ならあるいは一瞬で済ますこともえきるのかもしれないが、それにしても、魔力の流れすら感じないというのは、明らかに異常なことであり、戦う相手にとって、大きな脅威だった。
  ヴィータはリリのあまりにも一瞬の変化に驚愕するもグラーフアイゼンの勢いは止まらない。
  敵が何になろうと、するべきことは一緒だ。ヴィータは渾身の力を込めて、眼前の朱竜にグラーフアイゼンのスパイクを叩き込む。が、朱竜の鱗の高度は先ほどの鎧騎士たちの比ではなかった。魔法的な加護でも受けているのか、グラーフアイゼンの破壊力を持ってしてもビクともしない。
 「くぅ……」
  やむなく、ヴィータは一時的に離脱した。
  グラーフアイゼンの推進剤の噴出を停止させ、朱竜に正対したまま後ろ向きに高速飛翔。
  それと、朱竜が周囲すべてを包み込むほどの火炎を吐き出したのは、ほぼ同時。また魔力の流れもなにも感じなかったが、それは純粋に生き物の能力だからなのか、それとも別の要因があるのか、考える暇もない。
  ヴィータは感覚ではなく視覚で捕らえたその情報のみで危機を察知し、グラーフアイゼンを盾のようにかまえ、足もとにはベルカ式魔法陣を展開、
 『パンツァーヒンダネス』
  自身の周囲を、多面体で構成された赤い障壁で覆った。その瞬間、ヴィータを朱竜の火炎が襲いかかる。鉄すらも蒸発させるであろう火炎に飲み込まれるヴィータ。その火炎すらも、魔力の流れも、魔力によって強化された形跡も感じない。ただただ、膨大な熱量を保持した純粋な火炎。しかし、ヴィータはそれを確実に防御していた。
  感覚が使えない、視覚情報に頼るしかない。そのくらいのハンデで敗れるほど、古代ベルカの騎士は甘い鍛え方はしていない。
  数十秒ほど続いた朱竜の火炎放射を、ヴィータは防ぎきっていた。ただし無傷というわけでもなく、バリアジャケットのあちこちが焦げ、髪の毛も何本か駄目になっていた。もう数秒火炎の放射時間が長ければ危なかったかもしれない。
 「アイゼン!」
 『ギガントフォルム』
  パンツァーヒンダネスを解除するやいなや、ヴィータはカートリッジを二発ロード、グラーフアイゼンのフォルムを、膨張・伸縮自在なギガントフォルムへ変形した。それを、円運動をするかのように一回転。ラケーテンフォルムのときとは違い、縦軸回転ではなく横軸回転。
 「轟天、爆砕!」
  グラーフアイゼンに込められる魔力量が、指数関数的に増大する。グラーフアイゼンの大きさは、もはや朱竜と同等、四角形のハンマーヘッドの一片の長さはすでに二十メートル以上。それに伴い質量も増大、今のグラーフアイゼンが誇るのは、単純が故に莫大な、純粋な破壊力。
 「ギガントシュラーク!」
  それを、力任せに縦方向に振り下ろした。重力にも逆らわない、単純だからこそ強力無比な一撃。それは巨体を誇る朱竜に頭から直撃し、朱竜は潰された空き缶のごとく頭蓋を、全身の骨を粉砕され、その巨体に似合わずあっけなく戦場から退場した。
  それだけ、グラーフアイゼンの破壊力が強大だったということか。
  朱竜が完全にいなくなったことを確認し、ヴィータはグラーフアイゼンに込めた魔力を解放。大きさを小柄な自身と同程度まで縮小させ、小回りの利きやすい状態にし、瞬時に消費したカートリッジを装填、そして構える。
  その先には、朱竜の後ろに控えていた、朱竜が撃墜されたというのに顔色一つかえていないリリの姿。
 「さぁ、てめぇの切り札も倒したぞ! 大人しくしてりゃあ悪いようにはしねぇ。だから、投降しろ!」
  リリの中でも大きな戦力であろう朱竜を倒し、降伏勧告をするヴィータ。
  しかしそれでも、追い詰められた状況でも、リリは眉ひとつ動かさない。
 「…………切り札じゃないよ」
 「あ?」
 「それ、切り札じゃない。ただの、様子見」
  リリの声はか細くて、本当に弱弱しい少女のそれだった。抑揚があまり感じられず、覇気も殺気もありはしない。幼い少女らしからぬ感情の無さに、ヴィータは逆に違和感を感じる。ただ、その言葉の内容だけで、ヴィータに衝撃を与えるには十分だった。
 「なん……だって?」
 「あなたは、強いみたいだね。身体だけじゃなくて、心も。……………………私と、同じカタチをしてるのに」
  そのとき、ヴィータは初めて、このリリという少女が自身の感情を見せた、ような気がした。
 「あなたには、こんなもの、通じないんだね」 
  ただのか弱そうな少女の声なのに。殺気も覇気も、感情すらも感じないのに。
  ヴィータはどうしてかリリの言葉で、背筋にゾクリと、冷たいものを感じた。
 「だから、私のホントウを、ミセテアゲル」
  その声は本当に、人間が発しているとは思えないほどに、感情が削がれていた。
  言うなり、リリは無表情に、両腕を広げた。
  ヴィータの、騎士としての勘が、生き物としての本能が、ヴィータの全身に警告を発していた。
  ヤバい。
  これは、ヤバい。
 「う……あああああああ!」
  ヴィータはコンパクトサイズのギガントフォルムを振りかぶり、リリに襲いかかった。
  リリとの距離は十数メートル。普段のヴィータなら一秒足らずで詰められる距離、しかし、ヴィータはリリとの距離を半分ほど詰めたところで、自身の勘に反して急停止した。なぜなら、リリとヴィータの間に割って入った人物がいたからだ。普段のヴィータなら、誰が間に割って入ろうともそれが敵である限り躊躇わずに粉砕しにかかるだろう。
  だが、今間に入った人物は、ヴィータが絶対に傷つけられない人物だったのだから。
 「は……はやて!?」
  はやての姿を認識した瞬間、ヴィータは自身の反射行動を必死で制御した。振りかぶったグラーフアイゼンを必死で押しとどめ、どうにかして攻撃のモーションに入った全身を停止させる。
  戦いの真っ最中だというのに、完全に硬直して、なにも対応ができない状態に陥るヴィータ。
  そういう状態になってまで護らなければならないのが、八神はやてという存在なのだ。
 「な…………どうして!?」
  ヴィータには理解できなかった。
  さっきまで敵のリーダーと戦っていたハズなのに、今この瞬間に、自分の前にはやてが立ちはだかっているということが。偽者か、とも思った。しかし、その姿形、感覚、発する空気、魔力、どこをどうとっても、ヴィータが長年騎士として、家族として慕い続けてきたはやてのそれであった。
  まったく、現状が理解できない。
  完全に動揺しているヴィータに対し、当のはやては戦闘中とも思えないくらい呑気だった。
 「どうしたんやヴィータ。そんなに慌てて」
  家でくつろいでいるときと同じような、実にのんびりとした声、口調。戦場らしからぬその態度に、ヴィータはより動揺を強くする。
 「だって、はやてが……」
 「落ち着きぃな、ヴィータ。そんなに慌てんでも……」
  不意に、魔力の流れを感じる。
  それも、明らかにSランクの魔力出力を超えた、莫大な魔力の流れ。
 「すぐ、楽になるんやから」
  はやての言葉が終了すると共に、はやての正面にはベルカ式魔方陣が、足元にはミッド式魔方陣が、それぞれ展開した。この組み合わせで、これだけの魔力を消費する魔法のことを、ヴィータは嫌というほど知っていた。
  起動シークエンスにミッド式、砲撃シークエンスにベルカ式を使用する、複合砲撃魔法。
  はやてが持つ無数の魔法の中でも最上級の破壊力を持つ、Sランク砲撃魔法。
     終焉を告げる鐘   ラグナロク
  この不安定な状況で、防御なんてできない。はやてのラグナロクを防ぎきる防壁なんて、反射で張れるほどのものでは、一瞬で粉砕されてしまう。
  回避だ!
  防御を切り捨て、回避行動を取るヴィータ。至近距離にいたはやてから全力で離れ、砲撃の軌道上から逃れようとする。
  しかし、肝心の砲撃の軌道上から回避するルート、その前に立ちはだかる影が五つ。
 「な…………!?」
  そこにいたのは、明らかに臨戦態勢の、他の守護騎士の五人。
  シグナム、シャマル、ザフィーラ、リイン、アギト。
  自身に向けられているのは、明らかな殺気。下手に動けば、確実に攻撃される。
  もう、なにがなんだか分からない。
  全身は必死で危機を伝えている。あと数秒もしない内に、ラグナロクの詠唱は完了する。それは知識としても、経験としても知っている。直撃を喰らえば、それこそ確実に墜とされる。なのに、逃げることができない。流石のヴィータでも、他の守護騎士五人相手に、僅か数秒で逃げおおせる自身は無かった。
 「吹けよ、終焉の笛」
  はやての声が、聞こえた。
  もう、猶予は無い。
  残り、一秒以下。
 『ラグナロク!』
 「あああああああああああ!」
  次の瞬間、ヴィータの視界は、白い光に包まれた。 








 「……はぁっ、はぁっ……」
  肩で息をするヴィータ。
  そのバリアジャケットはボロボロで、左腕部分は完全に消失していた。左腕そのものも血にまみれ、思ったように動かない。これからまともに使えるかどうかすら怪しい。だが、完全ではないとはいえラグナロクを回避できただけでも十分。
  砲撃が放たれる直前、ヴィータはカートリッジを三発全弾ロードし、自身が生成できる最大数の巨大鉄球・コメートフリーゲンを発動、それを回転と勢いに任せてグラーフアイゼンで撃ち付け、他の守護騎士達が一瞬だけ怯んだ隙に、ラグナロクの軌道上から離脱したのだ。
  本来大技であり、単発で使用するコメートフリーゲンを、多弾数誘導実体弾のシュワルベフリーゲンの要領で使用するという、かなり無茶な戦法。たまたまグラーフアイゼンがギガントフォルムのコンパクトモードだったからこそできた技。
  当然、そんなことをこんな短時間で行使すれば、身体にかかる負担もかなりのものになる。
  しかし、そんなことを気にしていては、確実に墜とされていた。
  軋む身体を抱え、しかし戦闘態勢を解かないヴィータ。
  惨劇は、まだ終わっていないのだから。
  ヴィータは他のヴォルケンリッターたちを見据え、問う。
 「お前ら、一体、どうして……」
  満身創痍のヴィータに対し、彼女たちは無傷。ヴィータがコメートフリーゲンで弾き飛ばしたからなのだが、ラグナロクは彼女たちには致命的なダメージを与えなかったのだ。
  彼女たちは、ヴィータに言葉では答えなかった。
  代わりに返ってきたのは、鋭い一撃。
  シグナムの、レヴァンティンによる一撃だった。
 「っ!」
  分かってはいたが、やはりシグナムの切り込みは迅い。回避するだけの余力も残っておらず、グラーフアイゼンで受け止めるヴィータ。しかし、グラーフアイゼンを支える左腕に力が入らず、押し負ける。剣を勢いよく振られ、ヴィータは弾き飛ばされた。
  猛攻は、更に続く。
 『戒めの鎖』
  シャマルの魔法で、クラールヴィントによる捕縛魔法。強靭な硬度を有する魔力のワイヤーが、ヴィータを縛り付けた。実体を持った魔法なだけに、解こうと思ったら魔力だけでなく物理的にも干渉しなければならない。当然時間もかかる。
  だが、それだけの時間を、彼女達は与えてくれない。
 『フリーレンフェッセルン』
 『鋼の軛』
 『ブレネン・クリューガー』
  リインの氷結魔法が、ザフィーラの拘束条が、アギトの炎弾魔法が、身動きの取れないヴィータを襲う。
  防御も不可能。
  回避も不可能。
  どうしようもなかった。 
  すべての攻撃が、ヴィータに直撃した。
  氷結し、穿たれ、炎に襲われたヴィータ。
  すべてを喰らい、なお、ヴィータは立っていた。古代ベルカの騎士は、夜天の主の守護騎士は伊達ではない。もとより、強固さと前線での生存スキルの高いヴィータだ。バインドされた状態でも、なんとか防御魔法を張ることはできる。
  攻撃の影響か、シャマルのバインドは解けていた。実体を持つ魔法のため、その実体さえ破壊されてしまえば、その効果は無効になる。
  だがそれでも、無傷というわけにはいかなかった。
  頭から血を流し、バリアジャケットの帽子は焼失、スカートも半分近く無くなっていた。右の脇腹も切り裂け、元々赤いバリアジャケットが、血に滲んでさらに紅く染まっていた。その血が滴り、右足も紅く濡らしていた。
  すでにグラーフアイゼンを振り扱う力すら、ヴィータには残されていない。
  あるいは、それらの攻撃に耐えられるだけの実力がなければ、楽になれたのかもしれない。
 『ニーズホッグ』
  猛攻は終わらない。
  それは、はやての保有する超長距離制圧砲撃魔法フレースヴェルグと対を成す魔法。詠唱時間と連射速度を犠牲に威力と射程を極限まで延ばし、莫大な魔力を炸裂させることによって一定範囲を制圧することに主眼が置かれたフレースヴェルグに対し、威力と射程をある程度は度外視して、詠唱時間短縮と連射速度を向上させた、はやての砲撃魔法。
 「はやて……」
  主の名を呟くヴィータの瞳には、すでに絶望の色に染まり始めていた。
  いくらなんでも、ヴォルケンリッター五人を倒すことなんてできないし、それに、はやてを、仲間を、大事な家族を、護るべき相手を傷つけることは、ヴィータにはできなかった。
  けれども。
  ここで諦めてしまえば、すべてがおしまいだ。
  ここで墜ちれば、もう二度と、みんなを護ることも、助けることもできない。
  ヴィータは奥歯を噛み締め、折れかけた気持ちを奮い立たせる。
 『Pferde』
  もはや魔法を行使することもままならないヴィータだが、グラーフアイゼンの補助によりようやく、高速移動魔法フェアーテを発動させる。速射性が高いとはいえ、砲撃魔法。傷つき弱りきったヴィータとはいえ、躱すことだけに集中すれば、なんとか避けることができる。
  迫る白色の砲撃を、間一髪で回避に成功するヴィータ。
  が。
 「ええの? そないに簡単に避けてしまって」
  不意に聞こえた、はやての声。その声には、いつものはやてらしい、生き生きとした感情が込められていなかった
 「そんなんやから、また、護れんのや。ヴィータ」
  その言葉に、ヴィータの心が、トラウマが、抉られる。
  ヴィータは反射的に、背を向けていたニーズホッグの軌道の先に振り向いた。その視線の先には、白いバリアジャケットに身を包んだ、一人の姿。
  ヴィータがその人物を見間違えるハズがない。あの澄んだ魔力を、認識違えるハズがない。それは間違いなく、高町なのはで、そして、なのはがいるのはニーズホッグの軌道の先で。
  次の瞬間、
  ニーズホッグが、なのはに直撃していた。
  それは、最悪の光景。最悪の事態。ヴィータが最も恐れ、忌避していたこと。
 「あ……ああ…………」
  ヴィータは、確かに認識していた。
    血にまみれたなのはが、夜天の空から墜ちていく様子を。
  ヴィータはその光景を目にして、身体を動かすことができなかった。本当なら堕ちるなのはを助けなければいけないのに、この事態を脳が理解できないのか、心が認識したがらないのか。ヴィータの思考は、ほとんど停止していた。
  ただ、墜ちるなのはを見つめるだけ。
  白いバリアジャケットを紅く染めたなのはは、しかし、最後の力で反撃の砲撃を放った。
  桜色の砲撃が、夜天の夜空を貫く。
  その軌道を、目で追うヴィータ。
  それは間違いなくはやてに向けて放たれたもので、そして、砲撃のエキスパートであるなのはが狙いを外すわけもなく。
  なのはの砲撃は、はやてに直撃した。
  身体を魔力砲撃で貫かれ、身体を紅く染めながら、一直線に墜ちていくはやて。
  そして、なのはも、はやても、空に浮きあがってこなかった。
  見たくない、絶対に起こって欲しくない出来事。
  自分の目の前で、なのはが墜ちた。
  自分の目の前で、はやてが墜ちた。
  そのすべての光景が、ヴィータのトラウマをえぐった。
  それは、もう十年近く昔の話。
  護りたい人を、護れなかった記憶。
  あの時、誓った。
  絶対に、なにがあっても、私が護ると言ったのに。 
  なのはも、はやても。一番護りたい、大切な人たちを。
  私はまた、護ることがデキナカッタ。
 「ぅあぁ…………あぁぁぁぁぁああぁぁあ!!?」
  天を仰ぎ、ヴィータは慟哭した。
  その瞳は涙に濡れ、心は押しつぶされてしまいそうだった。
  今にも、心も体も崩れ去ってしまいそうなヴィータの前に、シグナムが立ちはだかった。
 「……お前はまた、守れなかったのだな」
  冷たく言い放つシグナム。
  その言葉に、ヴィータは返すことができない。
 「守護騎士の役目は、主の身を守ること。それができない守護騎士に、存在意義はない」
  言い、シグナムは刺突の構えを取った。
  至近距離で、攻撃の構えを取られている。
  しかし、ヴィータはそれに対処しようとしない。無防備な体制のまま、涙と血に塗れ、ほとんど生気を失った顔で、グラーフアイゼンを持つ右腕も、力なく下げられていた。
  ヴィータには、その攻撃を防ぐ気など無かった。
  なぜなら、戦う心など、もう完全に折れてしまっているのだから。
  護るべき人を守れなかった自分がここに存在する理由なんて、もう残されていないのだから。
 「主を守ることのできない守護騎士など、消えてなくなるべきだ」
  シグナムは躊躇わず、構えたレヴァンティンを振り抜き、
  ヴィータの胸を、その一撃で貫いた。
 「あ…………」
  身体の中心を貫く、鋭い痛み。紅い鮮血が、刃と共に背中から溢れ出る。
  いつものヴィータなら、このくらいの傷なら自力で止血できるし、その状態で戦うこともできる。事実、三年前にも、胸を突かれてもしばらくの間戦い続けていた。
  だが、今のヴィータは、違った。
  戦う意味を、目的を失い、立ち向かう心を、不屈の魂を砕かれたヴィータに、それだけの力は残されていない。
  胸から剣が引き抜かれると共に、バリアジャケットが完全に血に染まり。
  護れなかった大切な人達と同じように、ヴィータは夜天の空に、堕ちていった。