シグナムが訪れ、恭也に剣術を指南してもらう三日間の内の、二日目。
時刻は昼下がり。一日で一番日差しが強い時間帯ではあるが、ドイツは日本と比べて冷涼な気候であり、日本ほど湿度が高いわけでもないので、日中でも日本と比べるとかなり過ごしやかった。
もっともそれは、例えば日陰でじっとしていれば、の話であるのだが。
炎天下で、全力で動き回っているシグナムにその感覚が当てはまるものではない。シグナムは近接戦闘オンリーの騎士であり、通常の魔導師に比べれば基礎体力はかなり高い方ではあるがそれでも、真夏の日差しは堪えるものがある。
対して、シグナムの近くをシグナム以上に飛び跳ねている雫は、汗こそかいているものの、表情からはシグナムよりは余裕が伺える。頭に被った、小さめの麦わら帽子が良く似合っているが、それだけの激しい動きをして麦わら帽子が脱げないのが少し不思議だった。
今、シグナムと雫がしていること。
早い話が、月村家所有の屋敷の広大な敷地内全てを使っての鬼ごっこなのである。
どうして、修行に来たハズのシグナムが鬼ごっこなどしているのか。
話は、前日に遡る。
※
「シグナム。お前には、俺との剣術修行の他にもうひとつ、雫としてもらうことがある」
恭也の言葉に、シグナムは首を傾げる。
いくら恭也の娘とはいえ、雫はまだ八歳の女の子だ。シグナムの剣術修行について来れるほどのものがあるとは、シグナムには思えなかった。確かに、シグナムの周りには年齢一桁で魔導師戦の最前線で活躍する子供達ばかりではあったが、それはあくまでも魔導師としての話。純粋な剣術のみで、雫程度の年齢でシグナムや恭也について来れるとは、思えなかったのである。
「おいおい、誰が雫と剣術勝負をすると言ったんだ?」
言い、恭也は何故か先ほどから持っていた麦わら帽子を、傍らにいた雫に被せる。パパから帽子を貰って嬉しいのか、雫は子供らしい満面の笑みを浮かべた。
「お前には、雫と鬼ごっこをしてもらう」
「…………鬼ごっこ、だと?」
それは、こちらの世界の子供同士の児戯ではなかったか。
雫と遊ぶことが修行だと?
「ああ。移動していいのはこの屋敷の敷地内の塀の上まで。その範囲内であれば、どこをどのように使ってもらっても構わない。制限時間は夕方の六時まで。勝利条件として。シグナムは雫のかぶっている麦わら帽子を取ることができれば勝ちで、雫はシグナムから麦わら帽子を守り切れば勝ちだ」
「いや、恭也殿、そういう話でなく……」
「落ち着け、シグナム。武器の使用は自由なんだ。その辺りで、普通の鬼ごっことは決定的な違いがないか?」
「しかし……」
雫と戦う、という一点において、シグナムは躊躇いを感じる。
「シグナムの魔法使用は禁止だ。使っていいのは緊急時の防御のみ。回避を基本にしてくれ」
恭也からの説明を受けても、シグナムは納得できない。
そのことが分かっているのか、恭也は説明を続ける。
「……言っておくが、俺がお前と同じ条件で……御神流の奥義なし、飛針、鋼糸なしで雫を追いかけたら、本気で半日はかかるぞ」
「…………それは、本当か?」
「本当だ。この前やったら、そこまで雫が成長していた。俺も驚いた。と言うか、単純な筋力を除いた基礎身体能力なら雫の方が上だ」
……こんな、子供がか?
「それを、信じろと?」
「信じなくてもいい。だが、信じざるを得なくなるさ」
まさか、と思った。
確かに、最初に見た時から、雫はただものではないと思った。末恐ろしい才能の片鱗を強く感じさせられる。おそらく、正しい心を持ち、優れた師に学べば、第九十七管理外世界どころか、次元世界でも最強クラスの剣士になることができるだろう。それこそ、魔法なしでSクラスのシグナムに匹敵する恭也を更に凌駕する。それだけの可能性を雫は秘めている。そう確信させられた。
だが、それはあくまでも数年後の、修行を積み重ねた後の話である。
現時点で、それだけの能力がある子供など、本当に存在するのか?
と、シグナムは思っていた。
その直後に、シグナムは自身の考えを否定された。
魔法使用禁止。その時点で、フィールドは二次元空間……平面に限られる。つまり、庭で、精々が建物の中での雫との追いかけっこだと、シグナムはこの鬼ごっこもどきを分析した。
先ほどまで来ていた夏服のワンピースの上から、薄手で長袖のジャケットを羽織った雫とシグナムが向かい合い、準備は完了、両者からの同意を得てから、恭也から開始の合図が出される。
恭也からの開始の合図が出されるや否や、雫はどこからともなく鋼糸を取り出し、一番近くにあった庭木の太い枝に巻きつけ、人間技とは思えない速度でいっきに木の幹まで距離を詰めると、鋼糸で上手くバランスを整えながら、崖登りの要領で幹を蹴るようにして上まで上り詰めた。
一瞬の早業に、シグナムの対応が少し遅れる。
その間に雫は上り詰めた木の枝を蹴り、木から木へと飛び移り、屋敷と公道を隔てる、この鬼ごっこの範囲内ギリギリである塀の上に危なげもなく着地した。その一連の軽業に、明らかに人間に可能な軌道の範疇からはみ出た行為に、シグナムはただ舌を巻くしかない。
……そういえば。
はやての友人であり、雫の叔母にあたるすずかはちょっとした特異体質だということをはやてから聞いたことがある。なんでも、遥かに人間離れした身体能力と回復力をもつのだとか。ということは、その姉である忍も特異体質であり、忍の娘である雫にも、その特異体質は受け継がれている、ということか。雫にはそれに加えて、恭也から受け継いだ御神流の動きがある。
恭也も鋼糸を使うが、ああやって鋼糸を攻撃や捕縛でなく移動に使うことができるのは、雫の人間離れした基礎身体能力と、年齢故の小柄な体格あってこそか。それを可能とする技術と感性も、恐るべきものがある。
「……成程。これは、舐めてかかると痛い目を見るな」
恭也が、鬼ごっこの範囲をわざわざ塀の上までとした意図に、シグナムは気付いた。
子供だからと言って油断する心があった。
子供だからと言って侮る慢心があった。
そういう心構えを捨て、本気でかからないと、雫を捕らえることはできない。シグナムはそう判断した。
「ならば、こちらも本気でいかせてもらおう!」
※
そう、意気込んだのが昨日の話。
そして今日。
シグナムは未だに、雫を捕らえられないでいた。
「くっ」
「はあっ!」
シグナムから逃げるでもなく、シグナムに正面から全速力で向かってくる雫に、シグナムは身構える。確かに早いが、十分視認できる範囲だ。体当たりされたところで、雫の体重ならたかが知れている。これなら、雫が手の届く範囲内に入った瞬間に、頭の上の麦わら帽子を取ることができる。後は、タイミングの問題だ。
集中する。雫の機動に。
感覚を研ぎ澄ます。反射で動けるように。
射程範囲内を思い描く。雫の反射を上回り、確実に麦わら帽子を取るために。
やがて……射程範囲の円の中に、雫が足を踏み入れる。
「捉えた!」
剣術で鍛えたシグナムの腕の動きと反射神経は達人クラス。素早く無駄のない動きで、雫の麦わら帽子に指をかける。
しかし、雫はシグナムの射程範囲内ギリギリに踏み込むや否や、シグナムが反射反応を起こしたのと同時に地面を蹴り、前宙の要領で飛び上がる。元より雫の身長は低く、シグナムの伸ばした腕は自然と低めに伸ばされる。そのシグナムの頭上を飛び越え、一回転した後、体操選手もビックリの見事な着地を決め、二メートル近い高さからの着地の衝撃を相殺し、躊躇うことなく駆け出した。
「っ!」
雫の軽業師のような動きに、シグナムはもう驚かない。身軽さと小柄な体格を上手く活かした機動や回避行動など雫には当たり前のものだということを、もう嫌というほど思い知らされている。いちいち驚いていては身が持たない。戦闘中のように気持ちを一瞬で切り替え、自分の後ろから遠ざかる雫を再び追いかけ始める。
いくら雫が身軽で足が速いといっても、シグナムの方が歩幅が大きく、本気で追いかければいずれは距離を詰めることができる。そうでもないと、この鬼ごっこ自体が成立しない。
雫を追いかけ、シグナムとの距離が段々詰まってくる。目の前には月村家の屋敷の本館。本来ならば行き止まりなのだが、雫にそんなものは関係ない。雫の強みは、本来ならば平面でしか動けないハズの場所で、完全な立体軌道が可能なこと。
雫は屋敷の壁の手前まで速度を落とさずに近付くと、三角跳びの要領で壁を蹴り、二階のテラスに手をかけると、その腕の力だけで更に上に飛び上がり、テラスの手すりの上に見事に着地した。
対するシグナムとて、鍛えられたベルカの騎士。同じようなことは可能である。雫と同様に三角跳びの要領でテラスに手をかけ、飛び上がる。
その時点で、雫は地面に飛び降りていた。
「なっ!?」
予想外の行動に、別の意味で驚かされる。
まだ、私を驚かせるというのか。
まるでボールか何かのように、弾むような動きで立体軌道を描く雫。いくら雫の基礎身体能力が人間離れしているとはいえ、雫はまだまだ幼い。そのため、シグナムと雫の身体能力は実は大体同じなのである。むしろ、力や破壊力を生み出す純粋な筋力、という意味では体格の良いシグナムの方が遥かに強い。しかし、同じ身体能力で、体重は三倍以上違う。その差が、雫にシグナムを上回る高機動を可能にしているのだ。
純粋な剣術・体術では、雫は絶対にシグナムに敵わない。
だが、純粋な身体能力と反射、見切りの世界でなら、雫の方がシグナムの僅か上をいく。元より子供というものは感性が鋭く、感受性豊かな五感と、大人が忘れてしまったそれ以上の感覚を保有している。ただ、普通の子供は、それを効果的に活かせる能力と経験を持っていないだけである。
よって、それを活かせるだけの身体能力と経験を有する雫ならば。
「……本当に厄介な子供だな、雫よ」
テラスにかけていた手を離し、地面に着地し、再び雫を追いかけ始めるシグナム。
雫はといえば、鋼糸を上手く使って、また庭木の上に上っている。飛び跳ねるように木々を飛び移る雫は、本当に野生動物のそれを彷彿とさせる。
そして悲しいことに、シグナムは木の上までは追いかけられない。
雫を下から追い詰めて、降りて逃げるように誘導するしかない。
まずは雫の元に向かおうと、シグナムが駆け出した時。
「雫お嬢様、シグナム様、お茶の時間ですよー」
屋敷の玄関の方から、ノエルの声が聞こえた。そちらにシグナムが目をやると、お菓子や紅茶セットの乗せられた銀のお盆を持っているノエルの姿があった。
「は~い!」
その声に反応して、雫はピョン、と本当に何気なく、四メートル近い高さから飛び降りると、ノエルの元に駆け寄った。その様子は、まだまだ小さな子供のものだ。
そんな雫にシグナムは苦笑する。
なにせ、そんな子供に、自分が敵わないのだから。
「いっただきまーす!」
元気な挨拶の後、雫がお菓子のマフィンを口に運ぶ。
その隣で、シグナムは冷たい紅茶を喉に流し込む。正直、激しく動いた後なので、ひどく喉が渇いていた。こういうのはありがたい。
雫とシグナム。
二人は隣同士で並んで、木陰の下でお茶をしていた。
激しい運動の合間には適度な休憩が必要である。
ノエルが用意してくれた冷たい紅茶に、ノエルお手製のマフィンがお茶菓子だ。月村家のメイドは料理の腕も良いらしく、紅茶もマフィンも、そこらのお店のものに劣らない素晴らしいものだった。
「……ふぅ」
紅茶を飲み、一息ついてから、雫にならってマフィンを口に運ぶ。雫の味覚に合わせてあるのか甘めの味付けが少し濃いが、それが気にならない。その甘さで大人でも味わえるように焼いた卵の香りが香ばしく、全体のバランスを絶妙なものにしている。
お茶をするのには、木陰が良い。そう言ったのは誰だったか。
木陰というものは、どういうわけか人口建造物の影よりも遥かに涼しい。木漏れ日、という言葉があるように、影の隙間から日差しが漏れるのに、である。
理屈はどうあれ、木陰の下は涼しい。それだけで、シグナムには十分すぎる事実だった。
これで、一度でも雫から帽子を掠め取ることができていれば、もう少し良い気分だったのだろうか。考えても詮無きことではあるのだが、どうしても考えてしまう。
こういう時には、素直に紅茶とお菓子を楽しめば良いのに。
(主ほどまでとはいかないが、私も難儀な性格だな)
つい、自嘲してしまう。
こうしている時にも、シグナムは大事な主のことが気にかかっていた。
今、主はイギリスにいるハズである。かつての保護責任者であり、闇の書の因縁を抱えた老人、ギル・グレアム。彼の元で、主はやての思い詰め過ぎる性格が改善されれば良いのだが。
どうも自分は、そういう頭を使うことには向かない。戦う。守る。それだけしかできない武人なのだ。
だから私は、騎士としての全てを賭けて、仲間達を、主はやてを護る。
そう、誓ったハズなのに。
「……シグナムさん?」
「…………ああ、雫。どうかしたか?」
「いえ、シグナムさんが、しんけんな顔をしていたので。なにか、なやみごとですか?」
「いや、そういうわけではない。すまない」
「あやまらなくてもいいですよ。ただ……」
「ただ?」
「シグナムさんはまじめな人ですから、きっとかんがえすぎちゃうんだと思います。だけど、パパが言ってたんですが、休むときは休む、かんがえるときはかんがえる、めりはりがだいじなんだそうです。だから、今は、ノエルさんのつくってくれたおいしいおかしを食べて、ゆっくりと休むときですよ」
「…………」
雫の言葉に、心使いに、言葉もでない。
雫に余計な心配をさせるほど、自分は思い悩んでいたようだ。
これでは、考え過ぎだと、主はやてのことを言えないな。
「…………そうだな。雫の言う通りだ」
「はい。ママは、おかしはおいしく食べられるじかんがみじかいから、早く食べちゃうべきだって言ってました。だから、おいしいうちに、おかしを食べちゃいましょう」
笑顔でそう言う雫に、シグナムも微笑み返すしかない。
まったく。この子には、敵わないな。
シグナムはそう思い、次のマフィンを手に取った、
その時。
『!!』
空気が変わった。
屋敷の周囲を包み込むのは、異様な気配。
「……客人のようだ」
「……ですね」
そう。客人だ。
ただし、普通の人間ではない。普通の人間は、屋敷の敷地内全体を包み込む殺気を発しながら、大人数で尋ねたりはしない。
自然と、待機状態にしてあったレヴァンティンを起動させる。
どのような素情の相手なのかは分からない。
魔法使いなのか、それともこの世界の殺し屋かそれに値する組織の人間か。
あの次元犯罪者達……アンリエットの一味とは、考えにくい。彼女達は、その気になればシグナム達全員の息の根を止めることもできたハズだ。これだけの人数で、わざわざ奇襲をかける意味がない。
ならば、シグナムに何らかの用がある、別の次元犯罪者か。
あるいは、月村家に用のあるヤクザ者達か。
人数は、少なくても十人は下らない。二十に届くか、届かないか。
何にしても、雫をこの場にいさせるわけにはいかない。
「雫。お前は、屋敷の中で隠れていろ」
「……いえ。シグナムさん。もう、おそいです」
お前にも分かるのか、とシグナムが問おうとした瞬間。
シグナムと雫は、一瞬で、夏だというのに黒いフードをかぶった十人に取り囲まれた。
「…………」
シグナムは、後悔した。
もし、もっと早く気付くことができたならば、雫を逃がすことができたのに。
立ち振る舞いを見れば分かる。彼らは、相当の手誰達だ。個々の能力ならばシグナムに劣るだろうが、十人がかりで襲いかかられたら、雫を守りながら戦うのはかなり難しい。恭也達はおそらく大丈夫だろうが、敵の約半数はあちらに向かっているようだ。
そこまで考えて、シグナムは気付く。
シグナムと、月村家。両方が襲われているだと?
敵の目的は、一体なんなんだ?
「……だいじょうぶですよ、シグナムさん」
不意に、雫が話しかける。彼女も、子供とは思えないほどしっかりとした視線で相手を見つめ、周囲に気を配り、どこから取り出したのか、二振りの小太刀の木刀を構えていた。
「パパもママもノエルさんも強いから、たぶん、この人たちにまけることはありません。私も、シグナムさんの足手まといにならないように、にげまわります。だから、シグナムさん。私のことはきにしないで、ほんきで戦ってください」
雫よ。
お前は、本当に八歳なのか?
そう、聞きたい気持ちを堪え、シグナムはレヴァンティンを構えた。
今すべきことを、考える。
私には、戦うことしかできない。
ならば。雫に手を出せないほどの力で、戦えばいいだけのこと。
そういう守り方が、私の護り方だ。
だから、今は、眼前の敵を、倒すだけだ。
「シグナム。白刃一閃、推して参る!」
シグナムの掛け声に合わせ、近くにいた三人がシグナムに、二人が雫に飛びかかる。シグナムに飛びかかった三人の持つデバイスの内、ふたつはベルカ式のボールスピアで、ひとつはミッドチルダ式の長杖。一方で、雫に跳びかかった二人のデバイスは、ベルカ式の長剣。つまり、ここにいる十人のうち少なくても四人はベルカの騎士だということ。
迫りかかる刃に対し、シグナムはレヴァンティンを構え、ふたつの刃を受け止める。間髪入れずレヴァンティンの刃を逸らし、相手の降った槍の威力を殺さず、受け流す。来ると思っていた手ごたえがなく、槍を振った勢いそのままに体勢を崩すポールスピアの使い手達。
甘い。甘すぎる。これが騎士の戦いか。
相手に攻撃を受け流され、次のアクションを咄嗟に取れないほどに姿勢を崩すということは、刃を打ち込む際に、完全に体が崩れているということ。それで戦っているということは、普段から魔法の力に頼り切っているということ。魔法の力に溺れ、自己鍛錬を怠っているということ。
これが恭也なら、雫なら、攻撃を回避されたところで、瞬時に体勢を整えることができる。
体重の乗らない攻撃など、魔法の力の補正がなければ、気の抜けた一撃だというのに。
槍の威力を受け流した流れを殺さず、シグナムは流れるように間合いを詰め、二人のうち手近にいた方の、がら空きの胴体にレヴァンティンを叩き込む。彼らのそれと違い、十分に踏み込まれた、力強い一撃。本来ならば背骨ごと胴体を真っ二つにする威力があるが、そこは非殺傷設定、柔らかい腹部に刃がめり込む程度に抑えられている。人間相手にはそれで十分。それだけで、意識を昏倒させるだけの効果がある。
攻撃の手を休めない。
一撃を加えた相手が意識を失って身体が崩れる前に、シグナムは左にステップを踏み、そこから更に強く踏み込む。脚部に魔力を収束させ、一瞬で解放。爆発的な加速力で距離を一瞬で詰める。もう一人がシグナムの移動に気付き、こちらに顔を向ける前に、その首筋にレヴァンティンを叩き込む。首から空気が漏れる音を上げ、意識を失う。
刃を引き戻し、シグナムは雫の方に目を向ける。
雫はといえば、自分で言った通り本当に、回避行動に専念していた。大人二人がかりの斬撃を涼しい顔で避け続けている。敵の方は、雫のような小さな女の子に攻撃が一切かすりもしなくて焦っているのか、次第に剣筋が粗くなり、大振りになっている。シグナムはその様子を確認すると、再び脚部に魔力を収束させ、一瞬で解放する。着地点は雫と大振りに剣を振る敵との間。その内の一人の眼前に立ち、相手が剣を振り下ろす前に自分の姿勢を低くし、踏み込む。体重の乗った重い突きを、鳩尾に叩き込む。
踏み込んだ右足を基軸に回転し、左足を前に踏み込む。更に姿勢を低くする。イメージするのはバネの動き。すぐ傍にいたもう一人の相手の首に狙いを定めると、全身のバネの力を最大限に生かし、大振りになって隙だらけの首に、全身の動きを連動させた一撃を突き入れる。レヴァンティンの刃の切っ先が肉にめり込むのと、最初の相手が地面に倒れ伏したのは、ほぼ同時。
残るは、ミッド式の長杖を持った相手だ。
シグナムは瞬時に体勢を整え、視線を向ける。同時に、視界の隅で何か細長いものが高速で通過したのを確認する。次の瞬間には、鋼針が長杖を握る右腕に三本突き刺さっているのを確認する。突然の苦痛に驚いたのか、詠唱が中断される。思わず後ろを確認すると、そこには右腕で何かを投擲した後の雫、その左腕に握られているのは、細い鋼の糸。雫が体重を乗せ、左腕を力いっぱい引くと、片足を引かれてバランスを崩し、長杖を持った相手が地面に倒れ伏す。
十秒にも満たない時間。
たったそれだけの時間で、シグナムと雫は五人の敵を制圧した。
気付けば、シグナムと雫は自然と、背中合わせの体勢を取っていた。そのことが、雫に背中を預けることが、どういうわけか不快ではない。むしろ、雫ならこの戦場のような状況でも大丈夫だ、そう感じさせられる。
それにしても。
恐ろしいのは、雫の戦闘反射である。
穏やかな日常が一瞬にして、殺すか殺されるかの戦場に変化した。それなのに、一切怯むことも怯えることもなく冷静に、最大限に効果的な動きをする。予備動作なしに飛針を投擲し、相手の意識の隙をついて、一瞬で鋼糸を仕込む。
御神流の使用武器である、飛針と鋼糸。雫はすでに、このふたつを使いこなしていた。
「……回避行動しか、取らないんじゃなかったのか?」
「……ごめんなさい。でも、なにもしなかったら、なにか危なそうなきがしたので」
「危なそう、か」
その、危なそうが感覚で分かるのが、果たして時空管理局の中にどれだけいるのか。
「雫。お前は、恭也殿のように小太刀で戦わないのか?」
「えっと、パパに言われてるんです。『お前はまだ小さいから、剣術で戦うとどうしても力負けしてしまう。だから、もし戦わないといけない状況になったら、誰かが助けに来れるまで、時間稼ぎに、生き残ることに専念しろ』って。だから、小太刀はいまのところ、じっせんではぼうぎょにしか使わないんです」
「なるほど」
戦闘中に雑談。
それは、張りつめた状況でも軽口が叩けるだけの余裕があるという確認のようなもの。戦いに傾向し過ぎて、そういう余裕を忘れないようにするための大事な行為である。もちろん、雑談に気を向け過ぎて、敵の動きに対応できないということはない。シグナムと雫を取り囲むのは残り五人。半分が瞬殺されて戸惑っているのか、彼らの間には僅かに動揺が見られる。
その心の隙を、シグナムと雫は見逃さない。
アイコンタクトの後、シグナムと雫は姿勢を低くして駆け出す。狙いは動揺し、咄嗟の反応が取れなくなった相手のうち、一番近くにいた一人。シグナムの強襲にデバイスを構えるが、遅い。その刃がレヴァンティンの刃を受け止めるより前に、横腹に刃が叩き込まれる。身体の捻りを殺さずに振り抜き、全身から力の抜けた相手を弾き飛ばすと同時に踏み込んだ足を基軸に回転する。視線は次の相手へ。二人の距離を縮め、下から上へレヴァンティンを振り上げる。反応すらできなかった相手の顎への強烈な一撃。脳を揺らされ、相手は昏倒する。
残るは三人。
雫の方を確認する。振り降ろされたポールスピアの刃の部分ではなく、更に踏み込んで柄の部分を二振りの小太刀で受け止める。しかし、いくら雫の身体能力が優れているからといっても、どうしても純粋な力では大人には敵わない。振りあげられた二撃目の威力を殺し切れず、身体が宙に浮く……いや、違う。攻撃を受けた瞬間に後ろに跳んでいた。あれは、わざと弾かれたのだ。その証拠に、雫とポールスピアの間には、銀色の一筋の光。危なげもなく着地するや否や、雫は腕を力いっぱいに引く。それだけの動作でも、全身の動きを無駄なく連動させて体重を乗せることを失念しない。予想外の力に対応できず、相手は体勢を崩す。すぐに元に戻ろうとするが、体勢を整えた頃には雫は背後についていた。地面を蹴って飛び上がり、小太刀による鋭い一撃をその後頭部に加える。
その間にシグナムは、ようやく体勢を整えこちらに跳びかかって来た相手をカウンター気味の斬撃で迎撃する。
最後の一人。
今までと同じ要領で地面を蹴り、距離を一瞬に近い速度で詰める。後は急所に一撃を加えればすべてが終了だ。シグナムはそう思った。
だが、その相手だけは違った。
それまでの相手が対応できなかったシグナムの迅い一撃を、長剣型のデバイスで受け止めたのだ。そのデバイスも、良くある凡庸型ではなく、細身で片刃の長剣であり、間違いなく、個人向けに造られたものだった。
つまり、リーダー格ということか。
鍔迫り合いの状態から力を加え、一旦間合いを取るために後ろに飛ぶ。
「…………」
良く見れば、立ち振る舞いも他の者達とは違っている。
おそらく、この集団の中で一番強いだろう。
気を抜けば、負けてしまうかもしれない。
シグナムとリーダー格。睨み合い、こう着状態が続く。
「…………」
「…………あ」
先に声を上げたのはシグナムだった。
「なんだ、こっちもあと一人か」
「大したことのない集団だったわね」
「これなら、例え雫様お一人でも、大丈夫だったかもしれませんね」
なんの前触れもなく、リーダー格の最後の一人の後ろに現れた三人。恭也の両手には愛用の二振りの小太刀が握られ、ノエルは素手で、忍は散弾銃を抱えていた。魔法云々の力ではなく、純粋な技術か身体能力で瞬間移動のような動きをするのだから、相変わらず規格外の人間達である。
「……!?」
突然の出現に驚いたのか、フードに隠れた顔からは、わずかに驚きの表情が覗く。反射的にその場でターンをし、後ろの三人に対応しようとする。
しかし、もう遅い。
後ろを向いた時点で散弾銃の銃口を眉間に突き付けられ、更にその後ろに回った恭也が、首筋に小太刀の刃を押しあてる。その二人の後ろには、構えを崩さないシグナムとノエル。
勝負は、完全に決していた。
「……そんなに怯えなくても大丈夫よ。確かに私が持ってるのは散弾銃だけど、中に入ってるのは鉛玉じゃなくて特製のゴムスラッグ弾だから。尤も、当たればしばらく動けなくなるくらいには痛いでしょうけど」
「……忍、それは、フォローになってないぞ」
「あら。死ぬほど痛くても、死ぬわけじゃないんだから。どっちがいいかって言われたら、普通決まってると思うんだけど」
「……お前のゴム弾は一回だけ喰らったことがあるが、あれは俺でも、死んだ方がマシかもしれないと思うくらいの威力があったぞ。なまじ貫通しない分、痛みが逃げないしな」
「なに言ってるの。私達の平和な日常を滅茶苦茶にする極悪人には、そのくらいでちょうどいいわよ」
「…………違いない」
恭也と忍で軽口を叩きあっているが、二人からは強烈な殺気が放たれている。そのギャップから、何気ない一瞬の動作でお前の首を刈ることができる、と宣告されているようで、傍から二人を見ているシグナムですら少し怖かった。
「……まぁ、そんなことよりも、だ。貴様らの目的、話してもらうぞ」
「正直に話せば、命だけは助けてあげるわよ?」
どちらが悪人だか分からなくなるようなセリフだが、これで今回の襲撃は解決だろう。
シグナムはそう判断し、今日の戦いを思い返して、気付く。
「…………」
身体を動かす感覚が、少しだけ、今までと違っていたことに。
雫の身体の動かし方から、何かを見出せそうなことに。
恭也の下での、雫との修行。
何かを、掴めそうな気がした。