王都アクアエリー。
その中心部、この世界最大規模の遺跡の入り口付近。
管理局の干渉が一切行われていないこの世界で、管理局の特殊作業服に身を包む一組の男女。
男性の方は、黒髪黒眼、第九十七管理外世界の日本人的な顔立ちをしている。背丈はそれほど高くなく、中肉中背。中性的な顔立ちで、笑顔でいることが多いのか、なんとなく朗らかな印象を受けた。
女性の方は、栗色の髪の毛を短髪にまとめた、一見キャリアウーマン風の女性。細い眼鏡の奥に見える細い瞳の色は鳶色で、その佇まいや凛とした雰囲気から、かなり真面目で有能な印象を受けた。
なんとも対照的な印象を受ける二人組。
彼らのことを、フェイトとシャーリーは良く知っていた。
「始末書千枚!?」
もしかしたら、いつか出会うことがあるかもしれないとは思っていた。
ただ、こんなところで、こんなタイミングで遭遇することが、あまりにも予想外で。
驚きのあまり、シャーリーは叫んでいた。
その男女の内の男の方の、管理局でのもう一つの呼び名を。
「…………ハラオウン執務官?」
「フィニーノ、執務官補?」
その大声でこちらの存在に気付いたのか、男女がそれぞれにフェイト達に視線を向けた。
彼の口からフェイトの名前が漏れたということは、もう間違いないのだろう。
「……やっぱり、そうなんですね」
XV級次元航行艦七番艦『スノーストーム』所属。
執務官コルト・サウザンドと執務官補佐ステラ・ステアーが、そこにいた。
二つ名、と呼ばれるものがある。
それは自身の所属や資格だったり、あるいはニックネームのようなものだったり。
自分であれ、他人であれ、その人を象徴する言葉として呼ばれる二つ名。
有名なところで言えば、“管理局最強の砲撃魔導師”や“最後の夜天の主”。それは誰かが勝手に呼び出した呼び名であるが、その僅かなワードでその人のことを表現することができている。他にも、例えば“崩月流甲一種第二級戦鬼”“星噛製陸戦壱式百四号”のように、自身の所属や資格を名乗ることもある。前者の二つ名は他人から冠される称号、のようなものであるのに対し、後者の二つ名は、主に決闘などの前に行う名乗り口上で己自身を表現するために使われることが多い。
フェイトの二つ名は、“管理局最速の執務官”と”時空管理局執務官“。二つ名が他人に冠されるものであるという性質が強い以上、一人で複数の二つを持つことは十分にあり得ることである。
「でも、“始末書千枚”は、いくらなんでも酷いと思うんだが」
溜息混じりに、フェイトとそう変わらない年頃の青年が呟いた。
「仕方ないです。あなたの現状を的確に表現した二つ名だと思いますが」
そしてその呟きに、極めて冷静な口調で返す、こちらはシャーリーと同じくらいの年頃の女性。
XV級次元航行艦七番艦『スノーストーム』所属の執務官コルト・サウザンドと執務官補佐ステラ・ステアー。かなり活発そうな印象を受けるコルトと、反対に冷静そうな印象を受けるステラのコンビは、管理局の次元航行部隊内でも名が知れ渡っていた。
「あの、すいません、いきなりあんな失礼なことを口走ってしまって」
「ああ、気にしないでください。純然たる事実ですので」
「ステラよ。少しくらい、フォローしてくれてもいいんじゃないかい?」
「そう思うのであれば、もっと真面目に、規律に従って仕事をしてください」
「規律規則とお前は言うが、それでは救えない命もあってだな……」
「……あなたのせいで、私の始末書の数も、千枚とは言わないまでも相当数に上っているのですが?」
フェイト達とコルト達が遭遇してから、数十分。
どういうわけか、フェイト達はコルトに連れられて、王立研究所の一室にいた。
「…………ごめんなさい」
「まったく。……あ、すいません、フェイト執務官。お話を続けましょうか」
「ああ、うん。えーと、結局のところ、コルト執務官とステラ執務官補佐の状況は、私達とそう変わりがないとのことですが」
「はい。スノーストームも、クラウディアと同じように次元の狭間に飲み込まれました。辛うじて私とコルト執務官の転送には成功しましたが、他のクルー達の安否は、未だ不明です」
落ち着いた口調で事務的に話を進めるステラ執務官補佐。キャリアウーマンという言葉が似合う、そういった感じの女性だった。事実、彼女はかなり有能なのだろう。シャーリーとはまた別の意味で執務官補佐向きの性格をしていると、フェイトはそう思った。
対して、コルト執務官は、以前から噂に聞いていた通りの人間だった。
こうして話す機会が今までなかったため、あまり詳しい情報を知っているわけではない。
ただ、フェイトの記憶が正しければ、彼が執務官になったのはフェイトよりも後で、今年で執務官歴が八周年目になる。
それだけの期間に彼が作成した始末書は千枚を超えている……というのは、初めて聞いた時にはありえないと思ったものだが、こうして二つ名になっているからには本当なのだろう。
八年にも満たない期間で作成した始末書の枚数、千枚。
それが、彼の二つ名の由来である。
ちなみに、フェイトがこれまでに書いた始末書は十数枚であることから考えても、いかに彼の作成した始末書の枚数が異常であるかが伺える。
管理局内にある、始末書作成記録を常に更新し続けるエリート執務官。
これでは、管理局内で話題になるのも頷ける話ではある。
「救助に来てくれたクラウディアまで消失、か。これは、俺達が考えていた以上に、ヤバい事件みたいだな」
普通、それだけの始末書を書かなければならない人間であれば、執務官の資格を剥奪されてもおかしくはないし、そもそも執務官にはなれないだろう。
しかし、それでいても執務官でいることはできる、ということは、彼にはその欠点を補って余りある何らかしらの長所がある、ということなのだろうか。
今のところ、フェイトは、彼のことを大雑把な性格で良くも悪くも大らかだ、という風に評価している。元々彼のことを良くしらないので、これだけのやりとりでは評価を確定することはできないが。
それに、コルト執務官には、二つ名がもう一つある。
「で――だ。フェイト執務官も、モノリスの探索許可が欲しい、ということだったが」
「…………モノリス?」
聞きなれない単語に、フェイトは首を傾げた。
やはり、これでも執務官なのだ、ということなのか。
「ああ、すまない。モノリスというのは、この王都アクアエリーの中心部にある遺跡のことだ。現地民はそう呼んでいるから、俺達もそう呼ぶことにしたんだ」
フェイトの疑問に、コルトが補足する。
コルト達はすでに遺跡、モノリスの探索許可証を得ていて、この王立研究所の研究員達とチームを組んでモノリスの探索をしながら、スノーストームの手がかりを探している。内部はとても広く、中にいる生物も強いが、貴重なアーティファクトが産出することが多く、ここに手がかりがあることはほぼ間違いがない。そして、探索許可証を得るためには、王立研究所の所長か、この世界を統治する王のような人物から直接許可を得る必要がある、ということだ。
「コルト執務官は、もう探索許可証を持っているんですね」
「ああ……まぁ、成り行きでな」
「ええ。成り行きで」
そう言うステラの声に棘があったのは、フェイトの聞き間違いではないのだろう。
それを誤魔化すように、コルトは立ち上がった。
「さ、さー、フェイト執務官が探索許可証を手に入れるためには、ここの所長に許可証を貰うのが手っ取り早い。紹介するから、早くモノリスの探索をしようぜ!」
慌てるように、フェイト達を促すコルト。
どうも、コルトは執務官でありながら、執務官補佐のステラに頭が上がらないらしい。
二人のやり取りを見ながら、フェイトは考える。
この人は本当に大丈夫なのだろうか、と。
「失礼します。こちらに、アセリア女史はいらっしゃいますか?」
ノックの後に扉を開け、所長の名前を呼ぶステラ。
凛とした声から、彼女の有能さが伺える。
「おーい、アセリアー。いないのかー?」
対し、まるで友人に話しかけるかのように気軽に所長を呼ぶコルト。
親密な関係ならそれでもいいのだが……それでいいのか、と思ってしまう。
破天荒。なんとなく、そんな言葉を思いついた。
「あー、はいはい~。こっちよー」
二人の声から数秒遅れて部屋の中から聞こえてきたのは、かなりほわほわした女性の声。その声色から判断するに、彼女の年齢もまたフェイト達とそう変わりはなさそうだ。ただ、どこか間延びした声が、その場の緊張感をかなり削いでいた。
「ああ、なんだアセリア、いるんじゃないか」
「今研究中だったのー。ごめんねー」
パタパタという足音と共に、中から出てきた一人の女性。
ふわふわとなびく長髪を後ろ頭でひとつにまとめ、大きめの眼鏡をしている。瞳の色は澄んだ青色で、その間延びした喋り方や小柄な体格、美人というよりは可愛らしい顔立ちから、声から受けた印象よりもかなり幼く見えた。
「あれ、この人達は?」
「ああ、紹介するよ。こっちの金髪さんがフェイト・T・ハラオウン執務官。で、そっちの眼鏡さんが、シャリオ・フィニーノ執務官補佐。俺達の仲間だよ」
「仲間……ってことは、時空管理局の人ってこと?」
「!?」
首を傾げるアセリアと、驚愕の表情を浮かべるフェイトとシャーリー。
現地住人の口から洩れた有り得ない単語に、腰が抜けそうになるくらい驚いた。
「え、ちょ、ま、今、この人なんて?」
「……シャーリー、落ち着いて」
あまりのことに動揺したシャーリーを宥めようとするが、フェイト自身も動揺しているため、あまり効果がない。
それほどまでに、これは有り得ないことだった。
「……だから、あなたは始末書千枚なんです」
「ご、ごめん。でも、仕方なかったじゃないか」
「ですから、せめてもう少しくらいは粘ってください。お二人の態度を見て、あなたがどれだけ非常識なことをしたのか、理解していただけましたか!?」
そしてどういうわけか、説教を始めるステラ。
「……あー、はいはい。事情は良く分からないけど、とりあえず自己紹介。いいかな?」
混乱しそうになった場を、アセリアと呼ばれた女性が無理矢理収める。
戸惑うフェイトとシャーリー、そして怒るステラと怒られるコルトを宥めてから、コホンと咳払い。
それから、落ち着いた調子で、アセリアは口を開いた。
「初めまして。私は、アセリア・オーバーレイ。この、王立研究所の所長を務めています。どうぞよろしくお願いします」
「あ……。あの、フェイト・T・ハラオウンです。よ、よろしくお願いします」
「シャ、シャリオ・フィニーノです。シャーリーと、呼んでください」
「フェイトさんに、シャーリーさん、ですね」
落ち着いた様子で自己紹介をしたアセリア。
彼女は確かに言った。
時空管理局、と。
このような発展途上世界において、自分達が先進世界の出身であることを話すことは、禁じられているハズなのだが……。
「……この大バカが、最初にここに転送されて彼女達に見つかった時に、時空管理局執務官なんて馬鹿正直に自己紹介したんです」
「むむ。ステラよ、上司の執務官をバカ呼ばわりとは、軍法会議ものだぞ?」
「転送一分でいきなり始末書一〇枚クラスの失態を犯しておいて、馬鹿と呼ばずに何と呼べばいいんですか?」
フェイト達の転送先が当初の予定から大幅にずれたように、スノーストームから緊急転送された際にも、転送先のずれが生じてしまったらしい。
問題はその際に、フェイト達のように僻地に飛ばされたわけではなく、本来なら王都アクアエリーの郊外に転送されるハズが、遺跡モノリスの入口の前に転送され、しかもその光景をここにいるアセリアに完全に目撃されてしまった、ということだ。
何とか誤魔化そうにも、アセリアは若くして王立研究所の所長を務めるほどの人物。この世界でも有数の頭脳を持つ彼女相手に、腹芸が苦手なコルトが誤魔化しきれるハズもなく、誤魔化しに誤魔化しを重ねる内に一周して、つい口走ってしまったらしい。
時空管理局、と。
「……実は俺、あんまり本局に帰りたくないんだ」
「……どうしてですか?」
「だって、このまま帰ったら、間違いなく始末書物ですよ? 発展途上世界の住民、それもそういったことが理解できるだけの頭脳と地位を持つ人に俺達の正体とか次元世界のことがバレるなんて、始末書何枚書かされるんだ?」
「始末書、で済めばいいんですけどね」
「あ~あ~ぁ~…………」
「…………」
もしかして、ダメ人間という評価で固定しても大丈夫なのだろうか?
「大丈夫ですよ。私以外にこの事情を知っている人は、モノリスの入口の番をしている二人の兵隊さんしか知りませんし。口止めもきっちりしておきましたから、大丈夫です」
アセリアがフォローするが、コルトの失態に変わりはない。
発展途上世界の住民に自分達のことを明かしてはならないことには相応の理由がある。
しかし、フェイトも腹芸が得意な方ではないので、コルトを強く責めることもできなかった。
むしろ、フェイトがコルトの立場に立たされたときのことを考えると、親近感さえ湧いてくる。
「……まぁ、この阿呆のフォローができなかった時点で、私も同罪です」
頭が痛い。そう言わんばかりの表情で、ステラが自嘲した。
「それよりも、コルトさん。フェイトさん達をここに連れてきたのは、紹介以外にも何か理由があるんじゃないんですか?」
「ああ、そうだった。アセリア。この二人……ハラオウン執務官とフィニーノ執務官補佐に、モノリスの探索許可証を発行してくれないか?」
「いいですよ。でも、ちょっと条件がありますけど」
「え、いいんですか?」
あまりの軽さに、フェイトは少しばかり驚いた。
王立研究所の所長かこの世界を統治する王のような人物から直接許可証を貰うというからには、もっと厳しい試験のようなものを想像していたのだ。
「あー、そうですね。説明しましょう」
そのフェイトの疑問を感じ取ってくれたのか、アセリアが説明を始めた。
「本来、私達としても、遺跡の探索はドンドンしてもらいたいんですよ。別に利益追求してるわけじゃないですし、それに、アーティファクトは一般に浸透してくれた方がいいと考えています。だから、遺跡の発掘調査は、トレジャーハンターさん達に自由にやってもらってます」
でも、とアセリアは続けた。
「ですが、モノリスだけは別です。モノリスの危険度は他の遺跡のそれを遥かに凌駕します。私達としても、将来有望かもしれないハンターさん達を無暗に危険な場所に放り込むのは気がひけますし、命は大事にしないといけません。だから、モノリスには、その中でもやっていけると私達が判断しか入れないようにしているんですよ」
アセリアの説明の意味を、フェイトは考える。
彼女の言葉から察するに、この王立研究所ではアーティファクトによる利潤を追求せず、ただアーティファクトの研究をすることを旨としている。アーティファクトの超技術を一般市民の生活に還元することこそが、利益だと考えているのか。
この世界の王のような人物は圧政を敷かず、かなり良心的な統治を行っているが、そこまで徹底しているのか。というか、そんなことが有り得るのだろうか。
普通、こういった世界の統治者というものは、少なからず富を独占したがるものだ。
あまりにも欲がなさすぎて、逆に不審に思ってしまう。
それとも、あまりにもこの世界自体が不審すぎて、そう考えてしまうのだろうか。
「で、その、中に入ってもやっていける人の判断ですが」
フェイトの思考は、アセリアによって遮られた。
「単純に、戦闘能力の高さを測ります。モノリスの中でやっていける人物、ですから、相応の実力が求められるわけです」
「……ということは、サウザンド執務官も、戦闘力を測ったんですか?」
「はい。先の試験で、コルトさんには申し分ない能力があると判断したから、探索許可証を発行したのです。だから、フェイトさんに探索許可証を発行するためには、フェイトさん自身の戦闘能力を私に示していただく必要があります」
ここまで一息に説明してから、アセリアは微笑んだ。
「……というわけで、フェイトさん、コルトさん。二人で、戦ってくださいませんか?」
※
アセリアに連れて来られて、フェイト達は街外れにある闘技場を訪れた。円形の舞台に、その周りを取り囲むように配置された、階段状の観客席。第九十七管理外世界に住んでいるときに見た、イタリアという国のコロッセオに似ているな、とフェイトは感じた。
何でも年に数回、ここで闘技大会が行われるらしく、他にも兵の調練や試験、王立研究所のモノリス探索許可証試験に使われたりするらしい。
要するに、この場所は純粋な、武を比べるための場所。
風雨に晒され、多少は風化の後が見られる金属の床や壁にある黒ずんだ染みが生々しい。
その闘技場に立つだけで、何か魂に訴えかけてくるものがあるような、そんな気がする。
なんとなく、フェイトは思う。
この闘技場はきっと、古代文明が存在していた頃から使用されている建造物だ。
ということは、だ。
この闘技場は一体、どれだけの武を見てきたのか。幾程の戦いが行われ、どれだけの決闘が行われたのか。
それはきっと、想像もつかない、長い戦いの歴史。
己が魂をかけた戦いが行われ続けてきた場所。そう感じさせる何かが、そこにはあった。
「では、モノリス探索許可証発行試験を開始します。フェイトさんはコルトさんと戦って、自分の実力がモノリスを探索するのに十分なものだということを、私に見せてください。あ、顔見知りだからって手加減したら、分かりますからね。そういうことをしたら、一発で失格です」
相変わらずのほわほわした声で口上を述べるアセリアに、フェイトは苦笑する。
せっかく仲間と合流できたのに、どうして彼と戦うことになるのか。
同じ管理局の執務官であるコルトと戦わないといけない。そのことが、モノリスがいかに危険なものであるのかを物語っているのだ。
モノリスを探索するための許可証を持つ人間は、この世界にコルトを含めて一〇人存在している。しかし、数年前までは、許可証を持つ人間は二〇人程度はいたらしいのだ。元々減ったり増えたりを繰り返して二〇人前後しかいなかった探索許可証持ちの人員が、ここ数年で急激に減少した。残っている者も、一〇人のうち七人が治療中という有様だ。
それは、ここ数年でモノリスの危険度が急激に増した、ということを示していた。
事実、昔のモノリスを知る者は口を揃えて、モノリスの中に生息する生物達の強さや凶暴さが増したと発言し、結果として、今動ける人材はコルトを含めて三人しかいない。
この世界の剛の者達が、軒並みモノリスを前に倒されているのだ。
その残った三人のうち、一人はコルト、もう一人は元々流れのハンターであり、今も大陸の何処かを旅しているため、ここにはいない。もう一人は現在モノリスの探索中で、ここにはいない。
つまり、今フェイトの実力を確かめることができるのは、コルトしか残っていないのだ。
だから、これは止むを得ないことだと思う。
それに、人は否定するが、フェイトには少なからずバトルマニアの気がある。戦いの中に身を置くことで成長し、その本領を発揮することができる。無意識のうちに戦いを求め、強くなることを求める。
そういった、戦いを求める部分を持つフェイトは、コルトと戦うことを心のどこかで望んでいた。
“始末書千枚”そうまでに呼ばれるコルトが、未だに執務官を続けられる理由。本質的に有能だということもあるのだろうし、簡単に手放すには惜しい戦闘能力を有している、ということなのだろう。
だからこその、もうひとつの二つ名なのだ。
「それでは、準備はよろしいですか?」
訪ねる、アセリアの声。
その声をきっかけに、周囲の空気が変化する。
凛と張り詰めた空気。
魂が研ぎ澄まされる感覚。
そして自分に向けられる、明確な敵意。
相対するのは自分の同僚であり、今は倒さなければならない相手。
「それでは――始め!」
コルト・サウザンド執務官の持つ、もうひとつの二つ名。
戦いの地において、人々は彼のことをこう呼ぶ。
“千変万化”と。
対峙する、フェイトとコルト。
開始の合図と共に、二人はそれぞれにアクションを起こす。
フェイトが手にしたのは、変則的な五角形をしたデバイス。
コルトが手にしたのは、右手に七色でコーティングされたカードと、左手に黒基調で表は緑、裏は赤のラインが入ったカード。そして腰には、普段から日常生活にも使用しているバックルのついたベルト。
「バルディッシュ」
『Assault form』
まずは様子見で、バルディッシュをアサルトフォームに。
近接戦闘を主眼に置いた、斧状の形体。
同時に、衣服をバリアジャケットに換装。凡庸性を追求したインパルスフォーム。
「いくぞ、ムラクモ、ツクヨミ」
『Gouka form』
『Sirius form』
対し、コルトはふたつのデバイスを起動させる。
ひとつ目は、コルトが左手に持ったカード型のデバイスが変化する。赤い刀身を持つ片手剣。
アームドデバイス『ムラクモ』の第一形態、ゴウカフォルム。
ふたつ目は、コルトの腰に巻かれたベルト型のデバイスが、コルトが右手に持ったカードの緑のラインが入った側を表にしてベルト差し込むことで変化する。コルトの身体を包み込む、黒と緑を基調にした軽戦士風の鎧姿。胸当て、籠手、バックル、グリーブが装着される。バックル部分に表示されているのは、緑色のSの文字。
ストレージデバイス『ツクヨミ』の第一形態、シリウスフォーム。
フェイトの場合、バルディッシュが武器になると同時にバリアジャケットも管理するのに対し、コルトはその役割が完全に分割されている。
「……コルト執務官は、ふたつのデバイスを使うんですね」
「……まぁ、な。どちらかと言うと、性能云々じゃなくて、趣味の問題なんだが」
対峙するフェイトとコルト。
しばらくお互いを観察するように睨みあった後……先に動いたのは、コルトの方だった。
予備動作なし、ほとんど一瞬でフェイトとの距離を詰める。お手本のようなベルカ式の高速移動術。僅か二歩でフェイトに肉薄し、右手に持ち替えた片手剣を振るう。
常人では反応ですら出来ない最初の一撃を、フェイトはバルディッシュで受け止める。手応えは、思っていたよりも重い。軽量級の装備に、重さではなく手数を武器にする片手剣とは思えないほどの攻撃力。それでいて、次々と切りかかってくるのだから性質が悪い。
上段、袈裟、左薙ぎ払い。そのまま腕をひいて三段突き。フェイトが一歩後退したのに合わせて、更に一歩踏み込んで下からの切り上げ、切り降ろし。左手を石突に添えて、腰だめに振りかぶってからの突き。
攻撃のテンポは速く、リズムは変則的。
流れるような攻撃でありながら、その一撃一撃はまるで踊るような軽快さからは考えられないくらいに重い。手数で責めるスタイルでありながら、一撃を食らうごとに、確実にこちらが疲弊していく。
フェイトも反撃しようとするが、ここまで接近された場合、大型武器に分類されるバルディッシュでは分が悪い。攻撃を受け止め防御するので手一杯で、反撃に移ることができない。
「この……!」
だが、このままの状況を許すほど、フェイトの戦闘能力は低くない。
「……プラズマランサー……」
攻撃を受け止めながら、魔法陣を展開。ほとんど一瞬で生成されたのは、四本の電気の槍。
「おお!?」
いつの間にか狙いをつけられていることに気付き、コルトは攻撃を中断しフェイトから距離を取るが、すでに遅い。
「打ち砕け、ファイア!」
コマンドと同時に、四本の電気の槍がコルトに襲いかかる。直撃の瞬間、爆発。コルトの周りを煙が覆い、コルトの姿を確認することができない。コルトが咄嗟にどれだけのプラズマランサーを迎撃したのか、直撃したのか、肉眼で判断することができない。
だから、フェイトは追加で二〇本のプラズマランサーを生成する。
その槍の発射と同時に、コルトの背後に回る。二〇本の電気の槍でコルトを挟み込むように、未だ煙の中にいるコルトを攻撃する。
もし直撃しても、非殺傷設定だから問題ない。
そう思い、少しばかりの罪悪感を心の中に抱きながら、フェイトはバルディッシュを振り下ろした。
「!?」
しかし、フェイトが感じたのは、バルディッシュの斧刃が何か固いものに遮られる感覚。
そして、煙がはれる。
「おいおい。まだ、終わりじゃないぞ?」
コルトは顕在。
ただし、先ほどと異なるのは、コルトが持っているのが赤い刀身を有した片刃剣ではなく、両端に鉤状の刃が付いた、青色基調の六角棒だった。
「……そうだよね」
その言葉を受け、一瞬驚きの表情を見せたフェイトは、微笑んだ。
次の瞬間、闘技場に響き渡ったのは、金属と金属がぶつかり合う高い音。
『Isurugi form』
バルディッシュの斧刃と、コルトの持つデバイス――ムラクモ第二形態、イスルギフォルム――が激突する音。
それから繰り広げられるのは、戦斧と六角棒の猛攻。
長物武器を扱う達人同士の激突。
六角棒は、他の武器と違って基本的に攻撃する側が存在しない。例えば槍の場合、反対側に持ち替えると相手側に向けられるのが刃の部分になり、どうしても攻撃力が低下する。だが、六角棒ならばその心配はなく、どのような持ち方をしても、同じように相手を攻撃することができる。
六角棒の真ん中を右手で持ち、下側の部分を前に出して、相手のくるぶしを狙って突き出す。フェイトは飛んで回避し、腰だめに構えたバルディッシュをコルトの首目掛けて振り抜く。右手で突き出した六角棒の下側を左手で持ち、右手を支点に左手を引くように打ち込み、攻撃の勢いを利用して受け止める。そのまま棒をしゃくり、一瞬で左腰だめに構える。そのまま長剣のように振り抜き、フェイトを薙ぎ払う。フェイトはその攻撃を受け止め、わざと弾き飛ばされる。弾むように地面に着地し、衝撃を殺すのと同時に反動を溜め込み、全身のバネに魔力を上乗せして、一直線に飛びかかる。まるで弾丸のような突き。あまりの速さに、残像が筋を残して一筋の流星のように見えた。コルトは身体を捻る。踏み込む。ありったけの身体能力に魔力を追加した渾身の突き。バルディッシュの石突とムラクモの石突がぶつかり合い、一点に集中した破壊力を相殺しきることができず、二人が二人同様に弾き飛ばされる。
『Haken form』
『Rekkou form』
休むことも、間髪を入れることもない。
金色の鎌。
金色の斧。
同じ色をした刃がぶつかり合う。
リーチの長い鎌と、重い攻撃の斧。
バルディッシュ第二形態、ハーケンフォーム。
ムラクモ第三形態、レッコウフォルム。
死神が魂を刈るような、閃光の一撃。
すべてを絶ち砕く、烈光のような一撃。
速さは重さ。
重さは破壊力。
素早い取り回しのしにくい斧が、神速の鎌を受け止める。
重い攻撃に弱い鎌が、破壊力重視の斧を受け止める。
異なる理論で造られた武器が、主という達人を得ることで、何人たりとも敵わない領域に達する。
「っ!」
猛攻を続ける中、フェイトが一旦コルトから離れる。
「ハーケンセイバー!」
大きく振りかぶり、カートリッジをロード。振り抜かれたバルディッシュから放たれるのは、エネルギーの刃。
「はぁっ!」
その攻撃を、コルトは斧刃で真正面から叩き割る。両断され、エネルギーの刃はコルトの斜め後ろに着弾し、金属の地面に新たな傷をつける。
『Zamber form』
バルディッシュから展開する、巨大な刃。
対し、コルトは懐から新たなカードを取り出す。黒基調に、表側に黄、裏側に青のラインが入ったカードを、黄色側を表にして、先に入れていたカードを排出する家達で腰のバックルに差し込む。
『Betelgeuse form』
『Adler form』
そして、ツクヨミと同時に、ムラクモもその形態を変化させる。
コルトの身を包むのは、今度は重戦士風の鎧。重厚な籠手、肩当て、胴体を覆う鎧に、脚を防御するグリーブ。腰のバックルに映し出されるのは、黄色のBの文字。
手にしたムラクモは、ザンバーフォームのバルディッシュと並べても大きさに遜色が見られない、刃渡り一メートル以上の大剣へ。
ムラクモ第六形態、アトラーフォルム。
ツクヨミ第二形態、ベテルギウスフォーム。
お互いに大剣を構えたまま、睨みあう。
一体どれだけ、コルトのデバイスは変化するのか。
今使っただけでもアームドデバイスは四種類、ジャケット部分を構成するストレージデバイスは二種類、カードの形体と枚数からして最低でも四種類はあると考えられる。
「……ちなみに、コルト執務官のデバイスは一体どれだけの形態があるんですか?」
距離を置いたまま、フェイトは試しにコルトに尋ねてみた。
「……ムラクモはフルドライブ、オーバードライブを含めて第十一形態まである。ツクヨミはオーバードライブ込みで四形態だ」
有り得ない。フェイトはそう思った。
たった一人でそれだけの形態を操るなんて、そんなことができるものなのか。
だが、コルトが嘘を付く理由がない。第十一形態まであるというのは、おそらく本当なのだろう。
これが、『千変万化』コルト・サウザンド執務官。
それだけの武器を使いこなし、繰り出されるトリッキーな攻撃。あらゆる状況に対応できるだけの、確かな実力。
少なくてもコルトはまだ、自分の実力を全て出し切っていない。
底の見えないコルトの力。
その一端を垣間見て……フェイトは、魂が震えた。
それは、心の底から平和と平穏を望み、しかし同時に心のどこかで戦いを求めるフェイトの、矛盾した内面。例えばシグナムと決闘した時。例えば訓練で同格の相手と対戦した時。どうしようもなく、魂が高揚することがある。
心のどこかで戦いを求める、フェイトの心。
それが今、コルトという兵を前にして、昂っていた。
「……さすが、『千変万化』。噂通りの実力です」
「……そういう、あんたこそ。『管理局最速の執務官』フェイト・T・ハラオウン殿。俺の変則的な攻撃に完全についてこれる奴なんて、管理局にも数える程しかいないぞ」
戦いの途中だというのに、お互いに軽口を叩きあう。
二人が浮かべるのは、満足気な表情。
お互いの実力を全力でぶつけられる相手に出会えたことに対する歓び。
そして――踏み込みは同時。
巨大な刃に、達人級の実力。
振り下ろされた刃が、高速で――
「そこまでです!」
不意に聞こえたアセリアの声に、フェイトとコルトは同時に動きを止める。
その声に反射的に動きを止めてしまったフェイトは、己の行動を訝しみ、これがただの模擬戦、モノリス探索許可証発行試験だったことを思い出すまでに、数秒の時間を要した。
つまり、それだけフェイトがこの戦いにのめり込んでいた、ということか。
「おいおい、アセリア。ここで止めるのかよ」
「すいません。でも、フェイトさんがコルトさんと同等の戦闘力を有していることはもう十分分かりましたし、私達としても、これ以上ヒートアップされて無用な怪我人を出すわけにはいきません」
「まぁ、そうだけどよ」
コルトも、戦いを中断されたことに不満を漏らす。
しかし、当初の目的が達成された今、戦いを続ける理由が存在しない。
そのことに、冷静さを取り戻したフェイトは納得し、コルトもしぶしぶではあるが刃を納めた。
「それでは、フェイトさん」
アセリアは改めてフェイトに向き合い、それからカードを手渡した。
「それが、モノリス探索許可証です。それがあれば、フェイトさんは王立研究所の名の下に、自由にモノリスを探索することができます」
アセリアの説明を聞きながら、フェイトはカードをじっと見つめる。
この世界にある最大の遺跡、モノリス。
そこに、クロノ達を救う鍵がある。
そう考えると、心穏やかではいられなかった。
「それと、モノリス探索許可証を持つ方には、特別に個室が与えられます。フェイトさんの部屋を王立研究所に用意しますので、よろしければ――」
「アセリア様!」
突然聞こえた、若い男性の声。
その声色から、ただならぬ様子を感じた。
「アセリア様、報告します」
闘技場に乱入した若い男性は、街を巡回している兵士達と同じ格好をしていた。ここまで急いで来たのか、息が乱れている。しかしその疲労を出すことなく、アセリアの前にひざまづいた。
「何か、あったのですか?」
「はい。抵抗勢力『オリハルコン』が、ついに王都に侵攻してきました!」
「なんですって!?」
叫ぶアセリア。
王都侵攻。
それは、歴史的に極めて重要な出来事。
この世界の歴史のこれからを左右するターニングポイント。
しかし、そういった歴史的事実よりも、フェイトには気になることがあった。
抵抗勢力『オリハルコン』のリーダー、ジャック。
あの男が、大規模なアクションを起こしたというのだ。これは、並大抵の事態では済まされない。
これから、何が起ころうとしているのか。
有無を言わされず、フェイトは歴史の深淵に呑まれていく。